疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

安倍総理の辞任の影に「週刊現代」の取材アリ

2007年09月12日 23時02分36秒 | 歌謡曲
安倍総理の突然の辞任の理由として、
彼の事務所が父 安倍晋太郎の相続税を脱税したのが
発覚したからだという報道があります。

http://www.j-cast.com/2007/09/12011274.html

なんでも来週月曜発売の「週刊現代」が、彼の事務所へ
相続税の脱税について取材を昨日申し込んだところ
今日になって辞任したということです。
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テリーファンクについて

2007年09月11日 20時13分26秒 | プロレス
涙が止まりません。

何がって?そりゃぁ、テリーファンクの引退試合を25年ぶりに
見たからですよ!

先ほどCSのG+で「プロレスクラシック」と題して
昭和51年から58年ごろまでの全日本プロレス特集をしていました。
そしてその集大成が、昭和58年8月31日に蔵前国技館で行なわれたテリーファンク引退試合だったのです

テリーファンクは、当時世界最高峰だったNWAの世界タイトルを取った兄弟 ザ・ファンクスの弟でアメリカ人ながら正統派、馬場の盟友として日本でも絶大な人気がありました。
とにかく、ブッチャーやらシークに、フォークで右腕をめったざしにされながら、パンチを繰り出していった昭和51年の
世界最強タッグリーグ戦決勝は、非常に有名です。

で、とにかく彼の魅力は、そのやられっぷりと、ボロボロになった後の暴れっぷりが最高だったのです。確実に一番日本人に愛された外国人レスラーと言ってもいいでしょう。

で、その放送を見るとなんと12000人入る蔵前国技館がまさに札止めの超満員で、しかもテリーのファンの女の子がチアガールの格好でポンポンを振って応援しているという、とんでもない雰囲気でした。

試合はその、1970年代初頭に世界最高タッグと言われたザ・ファンクスに対し、当時 世界最強とも言われた御存知 不沈艦スタン・ハンセンと、のちに「パワーボム」の開祖として知られるテリー・ゴディーの超豪華コンビが激突しました。

もう、試合前からテリーのご家族は紹介されて、既に号泣しているわ、耳を劈くような「テリー」コールが鳴り響くわ、もう
大変!
日本テレビの倉持アナも「テリーが今日で引退してしまいます!彼のひざは既に4度の手術でボロボロです。テリーは大好きな日本であえて引退をするのです。」とあおるあおる!そこへ、ハンセンがブルロープを振り回して、登場!
七色の紙テープで下が見えないぐらいになっているリングで、
いきなりテリーに襲い掛かります。

試合はハンセンが、実力通り、テリーのひざを破壊して滅多打ちにし、額から大流血させます。ふらふらになったテリー
しかしそこで、彼は最後の力を振り絞ってパンチを繰り出し、
逆転!最後はふらふらの足取りでトップロープへ上り、テリーゴディーに回転エビ固め!劇的な勝利を挙げます。

その後、テリーは泣きながら、マイクを握りスポットライトの中で「I love you! Japan No1. Japan No1. Forever! Forever! Forever! アリガトウ!」と誰の耳にも分かる簡単な英語で叫ぶのです。

そりゃ泣くって!
当時12歳だった私は、リアルタイムで見て号泣でしたよ。
蔵前国技館も異常な熱気。泣き叫ぶ女の子ファンと、「やめないで!」と叫ぶ不良少年たち。凄い熱気でした。


・・・・・しかし今となっては、このことも書かなくてはいけません。

そんな超感動的な引退セレモニーをした、そのわずか2年後に何食わぬ顔で引退を撤回したテリーは、その後日本であのような熱狂的な人気を得ることはありませんでした。
というか、アメリカでは引退したことになっておらず、なんと
あの試合に出ていたハンセンも、ゴディーも引退してしまったいまでも60を過ぎていまだ現役なんです・・・。

でもエンターテイメントとして、確実にこの蔵前国技館への
話の流れは、本当に我々を楽しませてくれました。
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