疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

時をかける少女

2004年07月31日 23時51分00秒 | 映画・ドラマ
このブログを立ち上げたとき、一番最初に書いたのが「さびしんぼう」についてでした。
だったらこれについても書かなくてはいけませんね!そう、「時をかける少女」ですよ!大林宣彦監督の尾道三部作はどれもとても個人的な色合いの強い映画だと思われていますが、これは筒井康隆の古典的少年SF小説が原作になっています。

もちろんこの映画でデビューした原田知世の14歳当時の、原木のような魅力を堪能するのもいいのですが、なにせ彼女はまだ
長崎から出てきて右も左も分からなかったわけで、演技的にも
今見ると相当棒読みで「なに・・・これ・・・これが恋なの・・。」「土曜日の放課後・・・。」「深町君。あなたは・・・?」「ラベンダーの香り・・。」などとせりふを話していて、ちょっと冷静になると辛いものがあります。
しかしそれでもこの映画を名作たらしめているのは、脇を支えた尾身としのりの名演です。大林映画で「転校生」後、長い間、作者を投影した出演者(アルターエゴ)として主演した彼は、この映画では、知世ちゃんを思いながらも決して思いを遂げられない
幼馴染の、しょうゆ問屋の息子役で登場します。いつもはどこかナイーブな役を演じる彼はここでは、ちょっとハスっぱで、素直じゃない男の子を演じるのです。
特にこの映画の最後、エンディングロールで主題歌の「時をかける少女」を皆で歌うシーンがあるのですが、そこでもまったくやる気のなさそうな顔をしてすぐひっこんでしまう姿が、非常に
印象的でした。
ちなみにこの映画の主役 深町君を演じた高柳良一氏は
その後角川書店の社員になったそうですね。

「時をかける少女」
原作 筒井康隆  監督・脚本  大林宣彦
主演 原田知世 高柳良一 尾身としのり
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なんとなく、クリスタル

2004年07月30日 21時59分05秒 | 社会
そして、文藝賞のほうはと言うと、この良くも悪くも話題となった田中康夫の「なんとなく、クリスタル」ですね。発売当時、田舎の小学6年生だった私は、この西麻布界隈の、店の注釈だらけの本を読んで、ほとんど何だか理解できなかったけれど、なんとなく空虚な雰囲気だけは分かったのを覚えています。
で、これも1991年ごろ読み返してみたんですよ。大学生になって。
そうすると、これが意外と面白いんですよ。この注釈に出てくる店の大半は実は80年代だけしか生きていけなかった店ばかり
だったんです。だけど、この中の世界では虚栄と繁栄の街として、1985年ごろホブソンズが出来る以前の、本当にバブルの
時代の隠れ家として機能していた西麻布の悲しいまでにピカピカな雰囲気が缶詰のようになっているんです。
この小説に賞を与えた人たちの慧眼はものすごいですね。

今は芸能人御用達焼肉屋さんの「虎の穴」のところにあったというディスコ「ジャック&ベティ」行ってみたかったなぁ。
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さようなら、ギャングたち

2004年07月30日 21時51分23秒 | 社会
高橋源一郎が1981年に群像新人賞を獲得した、この「さようなら、ギャングたち」は本当に今見ても、「ポップ」という言葉が、今のように「なんか良い」ぐらいのイメージで使われるのではなく、「重みから解き放たれた自由な発想」という意味で使われていた時代の傑作小説ですね。
私はその10年後の1991年にこの本を大学生になって手に取ることになるのですが、本当に日本の文学史に燦然と輝く
ポップ小説の永遠の一冊ですね。
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なめ猫

2004年07月26日 01時28分52秒 | 社会
80年代初頭に急に現れて、彗星のように消えていったものに
「なめんなよ」猫がありますね。私もなめ猫免許書を持っていましたよ。なつかしいですね。当時の学生はなめ猫のブロマイドやら下敷き、ステッカーを何かしら持っていたものですよ。でも
ブームは実質的には半年ぐらいでしたよね。
 で、思うのですが80年代までのつっぱりファッションというはなんだか日の丸やら竜やらだったり、難しい漢字のステッカーを貼ったりと、日本っぽいドメスティックなものでしたよね。それが90年代になってグッとアメリカナイズされるわけですが、
そういう点で見るともしかして、80年代の後半に日本の地方の庶民レベルまで外国文化がぐっと近くなったのかも?という仮説も立ちますね。実際80年代の中盤になると海外旅行というのは
そんなに珍しいことでもなくなりますし。浦安には東京ディズニーランドが開場したりしますしね。
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ギンギラギンにさりげなく

2004年07月25日 04時51分31秒 | 歌謡曲
マッチこと近藤真彦の楽曲は、今では30代サラリーマンがカラオケで歌うぐらいで、あまり振り返られることが少ないのですが、実はかなり色々な商業クリエーターたちが名曲を生み出しています。
中でも一番有名なのは、「ギンギラギンにさりげなく」や「情熱☆熱風☆せれなーで」などの作詞を手がけた伊達歩という作詞家でしょう。しかしそんな有名な曲を手がけた割りには、今あんまりその名前を聞きませんね・・・。
実はこの伊達歩というのは、現在の伊集院静氏のペンネームだったのです。当時広告代理店のコピーライターだった伊集院氏は
作詞を手がける一方で、松田聖子のコンサートの演出なども手がけ、巨大なレコードをかたどった舞台をつくり、曲のイメージに合わせた香水を、会場の空調の近くから場内に流し込むなどの
奇抜な演出をしていたことでも知られています。
そう言われてみると、特に「ギンギラギンにさりげなく」なんて
いかにも当時の広告コピーっぽいじゃないですか?
例の糸井氏の伝説的コピー「おいしい生活」のように一見合わない形容詞をくっつける手法なんかを思い出しますね。

で、冷静に彼の作詞した曲を見ると、特に筒美京平氏が秀逸な曲を書いた「情熱☆熱風☆せれなーで」は不幸なことに「どうか
してる狂ったぜ」という一節が入っているために現在では
テレビでなかなか放送されませんが、非常に洒脱でいい感じの
曲に仕上がっています。再評価されてもおかしくない曲だとおもうのですが・・・。

ちなみに・・伊集院静というのは、当時の代理店の受付の女性の名前らしいですね。

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バンド・エイド

2004年07月25日 01時30分46秒 | 洋楽
1984年、ボブ・ゲルドフの呼びかけに集まったイギリスのアーティストたちが、
一つの曲を出しました。それがエチオピアの飢餓に苦しむ子供たちにを救うために
との願いをこめた、バンドエイドの「Do they know it's christmas?」でした。
「デュラン・デュラン」のサイモン・ル・ボン 「カルチャークラブ」のボーイ・ジョージ
「U2」のボーノ スパンダー・バレー(「True」でお馴染みですね)スティング・「ワム」のジョージ・マイケル・「ジェネシス」のフィル・コリンズ
ロッド・スチュワートなど綺羅星のようなスターたちが一つの音楽スタジオの中で
順番にマイクの前で歌う様子は、非常に衝撃的でした。
だってサイモン・ル・ボンとボーイ・ジョージですよ?しかも「the Reflex」やら
「Wild boy」の頃のデュラン・デュランと「the War song」(日本語で「戦争反対」
って言うやつですね)の頃のカルチャー・クラブですよ!その二人が「不仲説をふっとばそうぜ」
って言って肩組んで歌ってるんですよ!ボーノがその他大勢みたいな位置で歌ってるんですよ!
フィル・コリンズが歌わずにドラム叩いてるんですよ!「ラスト・クリスマス」の頃の「ワム」ですよ!いやはや凄かったですね。「ベストヒットUSA」を見てぶっ飛んだのを覚えています。
で、そういう明るい未来とかを信じることが出来る時代だったんですよ。80年代は。

ちなみにその、チャリティー目的で出された12インチシングルを「レイコウドウ」で借りてダビングして聞いたのを覚えています。いくら中学生だったとはいえ・・、買わなきゃねぇ。
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1985年 阪神タイガース優勝

2004年07月24日 05時04分57秒 | 社会
熱い80年代を象徴するような出来事といえば、85年の阪神タイガース優勝ではないでしょうか?それまで玄米食を推進したり管理野球を推し進めたりと、禁欲的な広岡監督率いる西武ライオンズが非常に強かった時代に、バース・掛布・岡田・真弓を中心に、とにかく打って打って打ちまくる野球であれよあれよというまに21年ぶりの優勝を果たしてしまったのですから。
私は大阪地方に住んでいたのですが、もうそれはそれは・・・・。連日連夜サンテレビしか見ない生活でしたよ。
それこそ夕方5時~6時は「夕にゃん」6時半~9時半「サンテレビ阪神中継」10時~「MBSヤングタウン」でしたね。
じゃあ、いつ勉強してたんだ!という感じですが・・。


監督 吉田義男  
選手 真弓・長崎(弘田)・バース・掛布・岡田・北村(佐野)・木戸・平田・池田(中田)
投手 池田・中田・仲田・キーオ・福間・中西
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戦場のメリークリスマス

2004年07月23日 02時48分58秒 | 映画・ドラマ
1980年代の日本映画を語る上で、一際異彩を放っているのが、
1983年という年です。この年はカンヌ映画祭で、タルコフスキーの「ノスタルジア」や
ゴダールの「カラビニエ」、アンゲロプロスの「旅芸人の記録」などの伝説的巨匠たちの名作を抑えて
大島渚の「戦場のメリークリスマス」と今村昌平の「楢山節考」がデットヒートを演じて
結局「楢山節考」がグランプリを得たという奇跡的な年でした。
しかし、私は今でも声を大にして言いたいです!「戦メリの方がグランプリにふさわしい映画だ!」と。
この映画は「絞死刑」などで世界に知られ、「愛のコリーダ」で世界を震撼させ、「愛の亡霊」で
カンヌの監督賞を得た大島渚が満を持して放った傑作でした。日本映画には珍しくデビット・ボーイや
イギリスの性格俳優トム・コンティが出演し、そこにビートたけし・坂本龍一・内田裕也などが絡んだ
豪華な役者陣が出演したことや、坂本龍一の伝説的な映画音楽が有名ですが、私が推したいのは、
デビッド・ボーイが死に直面した独房で、自分の子供時代の話を回想するのですが、そのシーンの美しさです。
彼は歌がうまいが、せむしのおとうとがいて、彼を愛し守っていたのだが、寄宿舎の高校の通過儀礼で
服を脱がされるという新人歓迎会があり、そのときにせむしなので激しく抵抗した弟を助けなかったという負い目があるという
シーンが出てくるのです。そのエピソードは暗いものなのですが、魔法のように美しく撮影されているために、
かえって妖しい光を放つ不思議なシーンでした。
こんな才能が結局カンヌのグランプリに届かなかったのは惜しくてしかたありません。

1983年  監督 大島渚  主演 デビッド・ボウイ  坂本龍一  ビートたけし  トム・コンティ
撮影 成島東一郎  音楽 坂本龍一
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その子元気です

2004年07月21日 23時49分09秒 | 河合その子
私も今日新宿タワレコにて「その子元気です」を購入しました!
もう待ちきれなくて待ちきれなくて・・・。
実は私は当時ベーターユーザーでして、なかなかベーター版が手に入らず、借りることも出来ず、やっと父がVHSに切り替えたときには、もう売り切れていたという風に、不幸にもまともに見たことがなかったので、まさに19年間想い焦がれていた
瞬間がやってきて、DVDのスタートボタンを押す指が震えました。
中身はというと、彼女にとって初ライブだという緊張感がバシバシ伝わってきて、特に「恋のチャプターAtoZ」「午後のパトドゥ」なんかは、可愛くて可愛くてクラクラきました。
更に「さよなら夏のリセ」をしっとりと歌い上げる表情などに、その後のその子さんの面影があって、感慨深いものがありました。
しかし、なんといっても「星のピリオド」ですね!この後彼女のキャリアの最後まで、この曲はコンサートのアンコールとして歌われるわけですが、その物語の始まりを見て、
いろんなコンサートのことを一気に思い出して、ちょっと泣けてきました。
その子さんのファンで良かった・・・・・という思いと、結局私は彼女のコンサートに
10回程度しか行かなかったんだなぁ・・・・という寂しさで胸が押しつぶられそうな
気分です。見てほんとに良かったですけど、明日は仕事しません。
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職業作家の時代

2004年07月21日 02時04分04秒 | 歌謡曲
1980年代は歌謡曲の中で、職業作家と呼ばれる作詞家・作曲家にとって最後の、そして非常に豊かな時代でした。
70年代に隆盛を極めた筒美京平・都倉俊一などの作曲家や
阿久悠などの作詞家に取って代わったのが、秋元康・売野雅勇・馬飼野康二・森雪之丞といった作詞家や、井上大輔・林哲司・
後藤次利といった作曲家でした。
アイドル曲に限らず、アーティストたちにも曲を提供して、ベストテンなどで彼らの作品が覇を競い、オリコンでは作詞家・作曲家チャートもあり、注目を浴びていた、非常に「業界」という場所にクリエーターが集まっていた時代でもありました。
私はそんな時代に生まれた数々の80年代の名曲が大好きです。
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翔んだカップル

2004年07月20日 01時08分21秒 | 映画・ドラマ
柳沢みきお原作の傑作ラブコメディー「翔んだカップル」
この漫画をはじめて目にしたのは私が小学3年生の頃、1980年でした。当時少年マガジンでは「凄ノ王伝説」「微笑みによろしく」「おれは鉄平」「釣りキチ三平」などが連載中でしたが私の目を捉えたのは、このアンニュイな恋愛群像でした。しかも
当時連載はすでに田代勇介と山葉圭のドキドキラブストーリーを
離れ、勇介と杉村女史のただれた交際のあたりまで進んでいて、
これに惹かれた私はかなりおマセさんだったのかもしれませんね。
 この漫画はテレビでは桂木文主演でドラマ化され、「NG」という言葉を世に出したことで有名ですが、なんといっても相米監督が鮮烈なデビューを果たした映画版のことを語らなくてはいけないでしょう。
 とにかくこの映画で印象的なのは、後に相米監督の代名詞ともなるワンシーンワンカットが非常に効果的に使用されているという点です。住宅街の坂道で自転車を爆走させるシーンの躍動感。
薬師丸ひろ子が自宅の鏡台でルージュを塗るシーンのエロチシズム。学園祭のシーンでもぐらたたきをしていて、はじめは笑っているのに叩かれていくうちに泣いてしまうシーンの異様さなど
は忘れようとしても忘れられないインパクトがありましたね。

 監督 相米慎二
 主演 薬師丸ひろ子 鶴見慎吾 石原真理子
 原作 柳沢みきお   1980年公開
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ロサンゼルスオリンピック

2004年07月19日 02時57分56秒 | 社会
1984年のロス五輪は、まさに80年代のオリンピックでした。開会式で宇宙飛行士が空から、簡易ジェットエンジンを背負って降りてきたときに、本当に未来の訪れを感じたものです。

この五輪は日本選手では、柔道の山下・体操の具志堅・森末などが金メダルを取った一方で、史上最強の布陣といわれた男子マラソンで、エース瀬古が30キロ地点ぐらいでずるずると後退していき、結局15位 中山が4位で宋兄弟が7~8位だったのを
記憶しています。
外国選手では何と言ってもカール・ルイスの陸上4冠や体操のメアリー・ルー・レットンとルーマニアのサボーの戦いなど見所満載でしたね。
水泳でいえば長崎宏子・新体操は山崎浩子でしたね。

このときの閉会式に出たのは当時スーパースターだったライオネル・リッチーでした。彼が「オールナイトロング」や「ハロー」などの名曲を歌ったのを思い出しますね。

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月曜ドラマランド

2004年07月19日 01時48分47秒 | 映画・ドラマ
80年代はアイドル全盛期でした。アイドルたちはもちろんレコードを発表する一方で演技にも挑戦したのです。その中でも
中学生の心をわしづかみにしていたのが、「月曜ドラマランド」(ぼくたちのドラマシリーズ)でしたよね!
キョンキョンの「あんみつ姫」や浅香唯の「一休さん」など
名作・珍作が勢ぞろいでしたが、私はなんといっても、河合その子主演の「みゆき」を推したいですね。
 ご存知あだち充の超人気漫画を原作にしたこのドラマは、みゆきをその子さん、お兄さん役を野々村誠が演じました。野々村さんのちょっと頼りなくてすっとぼけた魅力と、その子さんの爆発的な魅力がマッチして、まあ素敵な仕上がりでしたよ。
最後アメリカへ旅立ってしまいそうになるみゆきを追って、バイクで成田空港へ向かった野々村さんが、出発ロビーで彼女を呼び止めて愛を告白して、最後彼女を後部座席に乗っけてバイクで走り去るシーンに、あの名曲「思い出がいっぱい」がかかるんですよ!
くー!たまらん!
「夕ニャンDVD」の後は月曜ドラマランドのDVD化をしないですかね?
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買っちまいましたよ

2004年07月18日 02時37分51秒 | 歌謡曲
先日買っちまいましたよ。何って?モーニング娘。の辻加護ちゃんが出したカバーアルバムですよ。
いや別にあの二人にそんなに思い入れはないんです。私は
杉作J太郎氏ではありませんからね・・。
だけど、「渚の『・・・・・』」とか「待つわ」とかBabeの
「Give me up」とか、更にはなんとビューティーペアーの「駆け巡る青春」なんてぇのも入っていて、・・・そりゃ買いますよ。
しかも懐かしいことにキララとウララの「センチ・メタル・ボーイ」が入っていて、これがまたいいの!本人たちよりもいいの!
やられましたよ・・。つんくが80年代のアイドルファンで、菊池桃子の握手会などに足しげく通っていたらしいですが、同時代的な連帯感を感じましたよ。

で、思ったのですが、今輝いているバリバリのアイドルが、筒美京平・後藤次利・井上大輔・秋元康・売野雅勇・阿久悠から猪俣公章・岩谷時子大先生までの綺羅星のごとく輝く職業作家たちが、油が乗り切ったときに作った作品を歌うというのは、とても贅沢な試みですよね。

1.恋のバカンス (ザ・ピーナッツ)
2.サウスポー (ピンク・レディー)
3.渚の「……」 (うしろゆびさされ組)
4.白い色は恋人の色 (ベッツィ&クリス)
5.大阪ラプソディー (海原千里・万里)
6.待つわ (あみん)
7.淋しい熱帯魚 (Wink)
8.かけめぐる青春 (ビューティーペア)
9.渚のシンドバッド (ピンク・レディー)
10.恋のインディアン人形 (リンリン・ランラン)
11.好きよキャプテン (リリーズ)
12.センチ・メタル・ボーイ (キララとウララ)
13.お誂え向きのdestiny (Key West Club)
14.Give Me Up (Babe)
15.情熱の花 (Passion Flower) (ザ・ピーナッツ)
ね?心惹かれるでしょう?80年代好きなら!
はじめは思い入れも激しいので「渚の『・・・・・』」などを
重点的に聞いていたのですが、一番いいのがなんとリンリン・ランランの歌った「恋するインディアン人形」だったですよ。
恐るべし筒美京平・・・・。
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星のピリオド

2004年07月18日 02時08分11秒 | 河合その子
7月22日に「その子元気です」9月23日に「その子の夏」とDVDが発売されますが、その子さんのコンサートというと私が思い出すのが「星のピリオド」です。
私は「風船旅行」ツアーから参加したのですが、どんなにその子さんがその後アーティストとして成長して、コンサートのスタイルが変化しても、いつもアンコールは、「星のピリオド」でした。「いつもみんなが一緒にいるから、歩いていけるわ」という歌詞を聴くと、コンサートのクライマックスの高揚感と、「ああ、この曲が終わってしまうと、あと半年ちかくはその子さんと会えないのか・・・」という悲しさとがごちゃ混ぜになって胸にこみ上げるものがありました。
で、先日久しぶりにゴールデンベストの中に入っている「星のピリオド」を夜中に
聞いてみたんですけど・・・、グッと来ましたね。イントロだけで泣きそうになりました。
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