疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

亀田大毅の試合を見ましたが・・。

2006年09月28日 00時46分54秒 | スポーツ
さっきTBSで亀田大毅の試合を見ました。

まあ、2-0の僅差判定でしたが、ドローで、ホームタウンデシジョンが
加わっているので一応勝ったという感じでしたね。

やられている感じもしませんでしたが、遊ばれている感じは若干しました。
ただ、遊ばれていながら、たまにハードパンチを当てていたので、
印象としてはドローでしょうか?

しかしTBSさん。試合後に大乱闘が起きたと、ネット上ではすでに知られていて
すごくみんな期待してたのに、カットしないでよ・・。
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来年の楽天に関する夢

2006年09月26日 08時11分41秒 | スポーツ
昨日のドラフト会議で、駒大苫小牧の超高校生投手 田中将大が楽天に行くことが決まりました。

そして、今期巨人を退団する意向を固めた桑田真澄が、来年楽天に行く可能性があります。

そうです。そうすると、伝説のPL戦士 桑田と駒大苫小牧 田中が同じ球団に入ることになるのです!!

これはすごい、片や1984年の優勝投手・片や2005年の優勝投手ですよ!!
高校野球のスーパースターが夢の共演ですよ!

それで西武と当たると、松坂大輔・荒木大輔・桑田真澄・田中将大が同じ球場にいることになります。

すごい!
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NFLニューシーズンが始まりましたね!

2006年09月24日 00時17分37秒 | スポーツ
さあ、今年もNFLが始まりましたよ!
しかし今年は波乱含み。

昨年の王者 スティーラーズのQBロスリスバーガーはいきなり虫垂炎で欠場。
僕の大好きなイーグルスで、内紛を起こしまくった天才WRティレル・オーエンスは、カウボーイズに移籍したとたん、いきなり小指を骨折。
鉄人QBブレッド・ファーブは現役最後の年が絶不調で始まりました。

でも、そんな中、今年こそ!のコルツの不世出QBペイトン・マニングは、弟の
ジャイアンツ イーライ・マニングと生涯初対決。良い試合でした。

さあ、今年も楽しみです!

僕の予想は今年こそ コルツですよ。コルツじゃなくちゃ!
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なんと!タイでクーデター発生!!

2006年09月20日 04時24分10秒 | 社会
なんと、あの微笑の国 タイでクーデターが発生した模様です。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/thailand/?1158682590

現首相と政府にはびこる汚職に耐えかねて、陸軍最高司令官が全軍を掌握して、テレビ局、国会議事堂、首相官邸などを制圧したとのことです。

しかし、そういう非常事態でも、なんだか緊迫感が無いのはこの国があくまで王国で、プミポン国王が非常に名君で国民に愛されているので、クーデターだ、軍政だといっても、国王は同じなので、自民党の暗闘ぐらいの衝撃なのかもしれませんね。

15年ほど前にも、軍と時の政府が対立し、その際に国王が乗り出したとたん、対立してた二人のトップが、ともに国王の前にひれ伏して説得に応じていたことがありますが、あれは非常に象徴的な姿でした。

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9月20日 代々木 おニャン子フィルムコンサート

2006年09月19日 03時49分14秒 | 歌謡曲
1987年9月20日というのは、日本の芸能史においては重要な一日でした。
あの猛威を振るったおニャン子クラブの解散コンサートが代々木の第一体育館で行われた日です。

その翌年から、9月20日になると、当時の高校生達はそっとその聖地 代々木公園に集まって、コンサートが始まった19時から21時まで、同じ時間にゲリラ的にフィルムコンサートをすることになりました。

私は昨年、初めてその話を聞いて、「また夏休みが終わらない人がいるんだ!」と
猛烈に感動してちらっとその日に行って見ました。
すると、当然のことながらあれから20年近くたっているわけで、そんなに大きなイベントではなく、本当にひっそりと50人ぐらいが集まって、和気藹々と
フィルムコンサートが行われていました。
(このブログの2005年9月のところに記載があります)

イメージとしては、いわゆる秋葉原系現役の人が集まっているのかしらと思っていたのですが、全然そうではなく、「昔は無茶やってました」という、いわゆる昔の親衛隊がヤンキー文化とくっついていた頃の人たちが、「まともな大人になったけど、自分の青春の証としてこのイベントだけは続けたい」みたいな感じで
やっている印象を受けました。

だから嫌な感じのするイベントではなく、「終わった後もみんなでごみ拾いをして
整然と帰る」みたいな、想像よりずっとずっと大人のイベントでした。

昨年は確か、日曜日か何かにあたったので、野音を使えなくて、歩道橋の下でやってましたけど、本来は野音を借りてるみたいですね。

確実に80年代文化のアイコンとして存在する、おニャン子クラブを体感できる
数少ない機会ですから、興味のある方は 9月20日19時に代々木公園の
野音あたりに行ってみてはどうでしょう?

私は主催者さんではないので、今年も行われるかどうかは知りませんが、去年見た限りではきっと今年もやるでしょう。
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日本U-17 アジア杯優勝!!

2006年09月18日 02時32分42秒 | スポーツ
いや、いいじゃん!

日本のサッカーU-17 アジア杯決勝 日本対北朝鮮ですが、
日本が勝って優勝しましたよ。

何がいいって、前半に北朝鮮に0-2で負けていたのに
後半で2-2に追いついて、延長で走り勝って 4-2になったって言うのが
いいじゃないですか。

特にMFの柿谷曜一郎は非常にいいですね。個人技もあって、司令塔タイプでありながら、献身的に守備にも入る中田ヒデ系の選手です。

1994年 小野・稲本・高原世代以来の優勝だそうです。

10年後が楽しみです。
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「pen」オランダ特集と平山相太

2006年09月16日 05時21分30秒 | 雑誌
今月の号の「PEN」はオランダのデザイン特集です。

「今、もっとも刺激的なデザインはオランダにある」ということで、特にアムステルダムの建築やアートが紹介されています。

オランダはちょっと盲点でしたね。

それで記事を読んでみると、確かに、機能性を最大限に追求した四角や直線を基調とした、銀座にある中銀ビルの親玉みたいな建物が非常に印象的でした。
そんな硬質な建物の中に、非常にポップな色彩でアクセントがつけてあり、ヨーロッパの未来都市という感じです。

私が13年前にアムスに行ったときのことを思い返してみても、もともとゼロメートル地帯で、掘割に沿って、建物の高さをそろえた同じようなレンガ積みの建物が続いていた旧市街も、微妙に軒先の幌の色や、レンガの明暗などで色調に変化をつけて、お洒落だったような気がします。

さらに、街角のロードサインやら、駅の標識と言ったところのタイポグラフィーは、機能を重視しつつ、ポップで表現主義的な、1920年代 ロシア・アバンギャルドみたいなことになってました。

それは、いいのですが、記事の中で「アムステルダムは子供を育てるのに非常に良い都市だ」とあったのはどうかな?と
思いました。

というのは、13年前アムスに行ったときは、それはそれは
すごい光景だったからです。

オランダは大麻は解禁、売春合法というお国柄です。
その首都アムステルダムの中央駅を降りて、駅前のダム広場へ出た瞬間、目に飛び込んできたのは道端に転がる何人ものラリッた人々と、電話ボックスの隅などに転がっている注射器でした。

「なんじゃこりゃ!」と思って駅のキオスクを見ると、有名なゴッホの自画像がでかいジョイントを決めている絵葉書やら、
刺青とピアスだらけの男性の局部を大写しにした絵葉書が、普通に並べられています。

「うぁぁぁ」と思いながら、掘割沿いを歩くと、そこはすぐ飾り窓地帯で、日本で言うちょんの間がずら~っと並ぶ赤線地帯を集団下校する小学生の姿が! その奥で下着姿の巨漢の黒人の娼婦がにっこり!

「地獄だ・・ここは地獄だ・・。」と思いました。
あの町に住んでいたら、そりゃぁコーヒーの変わりにハッシッシってことになりますよ。

平山相太が逃げて帰ってきたのは良く分かります。格闘技が盛んなのも要するに、街が性と暴力に満ちているから、強くないと大変だということがあるんでしょうね。

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平山相太 大学進学に理解のあるJチームに入団希望

2006年09月09日 13時39分46秒 | スポーツ
平山相太が大学進学を希望しつつ、Jチームを探しているらしいです。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/headlines/20060909-00000010-spnavi_ot-spo.html

しかし、どうなんでしょう?平山は迷走してますね。
大学入りたいなら勉強すべきでしょう?あと半年しかないわけだし、筑波大には
戻れないわけだし。彼の口ぶりでは体育大学系志望じゃないでしょう?

しかもスポーツ推薦受けようにも、その大学でスポーツをするわけじゃないから
ガチンコで受けなきゃいけないんじゃないの?と思いますがどうなんですかね?

平山のいけないところは、あの辛い地獄の訓練で有名な国見高校出身の割には
なんだか、逃げ道が多い所です。
そこを嫌がられて解雇されたわけだから、勉学なのかスポーツなのかとにかく
時間が半年空いてしまったわけで、一心不乱に何かにかけたほうがいいと思うのですが・・・。

大体今の精神状態では代表入りFWになっても、柳沢の二の舞ですよ。
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オリジナル西遊記が遂にDVDに!

2006年09月09日 07時11分38秒 | 映画・ドラマ
今週発売の週刊文春を読んでいたら、なんと!
あの日テレの伝説のドラマ オリジナル版「西遊記」全26話がDVD化されるという記事が載っていました。

それも第一シリーズだから 猪八戒が西田敏行のオリジナルですよ。

この西遊記は 音楽著作権や出演者の許諾が入り組んでいて、再放送はOKながら
パッケージはNGとされていて、VHSやLDになっていなかったのです。

9月27日発売だそうです。

フジテレビの西遊記が酷かっただけに、このオリジナル西遊記が売れてほしいですね。

また、これで制作の国際放映もかなり潤うのではないでしょうか?
この国際放映は、昔で言う「新東宝」を母体とした制作会社で、現在ではTMC
を持つ成城・砧のテレビスタジオの大家さんとして有名ですが、ここはもともと
新東宝のスタジオで、ここで「明治天皇と日露戦争」とか近江敏郎監督作品の
プログラムピクチャー、さらに「血をすう薔薇」なんかが作られた由緒ある
スタジオだったのですが、現在では「スマスマ」「堂本兄弟」「セサミストリート」「あるある」などが制作される一大テレビスタジオとなっています。

ただ、現在CXが豊洲に建築中のスタジオが稼動すると、このスタジオが空いてしまうと言われているので、この西遊記が当たって、新たな展開の基としてほしいですね。
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秋篠宮殿下のご長男誕生 街頭インタビューに高橋名人が!

2006年09月08日 00時01分39秒 | 社会
いやはや、さすがテレビ東京!!

秋篠宮殿下のご長男がお生まれになった際の、街頭インタビューに
あの18連射マスター ハドソン 高橋名人が無名の一市民として
インタビューされたそうです。

http://www.16shot.jp/blog/index.html
(高橋名人のHP)

いやぁ、今ではあのインベーダーキャップもかぶっていないし、スキンヘッドなので、スタッフが気づかなかったのも分かりますが、あの微妙なシャクレ具合は
健在ですね。

いまでは12連射が精一杯らしいですよ。

彼はあの「ゲームセンターあらし」にも登場していますね。
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「ブルータス」水族館特集

2006年09月05日 05時47分52秒 | 雑誌
今月号の「ブルータス」は水族館特集です。

これが非常に癒される、いい特集でした。
とくに沖縄の「美ら海水族館」の巨大水槽の写真は圧巻です。
なにしろ学校の25メートルプールがそのまま真横になったような
大きさの水槽の中に、ジンベイザメが丸ごと入っていて、
その前に人だかりが出来ている様子が、なんだか宇宙での出来事に見えるのです。

そう、水族館って、いまや宇宙旅行を思わせる空間ですよね。

例えば「しながわ水族館」に新しく出来たアザラシ館なんかも360度アクリルで出来ていて、足元を滑るようにアザラシが泳いで行ったりして、どんどん
重力を忘れさせる雰囲気があります。

さらによかったのは、その巨大水槽の世界シェア70%を誇る会社が香川県にある
「日プラ」という小さなアクリル製造業者で、手作業と創意工夫で今の水族館の革命を起こしたという記事が載っていたことです。
実際にその工場で作業をしている様子も記事に載っていて、その様子が一番グッと来ました。

さすがマガジンハウス!グッドジョブ!
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Qサマ ゴールデン進出とオツオリさん

2006年09月04日 20時58分33秒 | テレビ番組
なんてことでしょう。

先日 箱根駅伝などで活躍したオツオリさんが故国ケニアで交通事故でなくなった
という報道がなされたのですが、今日放送の「Qサマ」で彼が「30分間おにごっこ」の鬼として出ていました。

番組スタッフとしては、出すべきか出さざるべきか考えたでしょうけれど、
最終的に番組エンドに10秒間 追悼コメントを出すという形で
多分始めの構想より長めにオツオリさんが映る形で編集をしなおした
みたいですね。

同業者として思うのは、テレビ番組って因果な商売ですよね。・・・

とにかく山梨学院大学からエスビーの黄金期を作られた稀代の名ランナー
オツオリさんのご冥福をお祈りいたします。

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凱旋門賞とテンポイント

2006年09月01日 23時53分44秒 | スポーツ
今度、日本競馬界 史上最強馬の呼び声も高い ディープインパクトが、
世界最高G1レース フランスの凱旋門賞に出走しますね。

しかもディープインパクトは今期の世界ランキング 同率1位として、
堂々の本命・対抗あたりの格で出場なのです。

あの皇帝シンボリルドルフでさえも6着だった凱旋門賞、初戴冠の期待がかかります。

しかし私は「凱旋門賞」というと、ある悲運の名馬を思い出さざるを得ません。

それが、流星の貴公子【テンポイント】です。

テンポイントは、「流星の貴公子」「奇跡の血」として知られています
祖母クモワカが伝染病の疑いで薬殺を命じられていながら、
それを不服とした馬主が彼女を隠し、10年にわたって裁判を起こし、最終的に勝訴したのです。
そして人間で言うと45歳ぐらいになったクモワカは、翌年生涯一頭だけ娘を産みました。
それがテンポイントの母 ワカクモでした。

その子供 テンポイントは、鼻筋に流星といわれる白い筋をもった、世にも美しい馬に成長しました。
当時関東馬に全く勝てなかった関西馬にあって、その新馬戦からぶっちぎりの勝利、3歳(今の2歳)G1 朝日杯3歳ステークスでぶっちぎりの優勝をして、関西テレビの実況アナ杉本清が「見てくれこの足、これが関西の関西のテンポイントだ!」と叫んだのは有名な話です。

その頃、関東には、名馬テスコボーイの最高傑作 「天馬」トウショウボーイが連勝街道を突き進んでいました。
その、宿命のライバルが初めてぶつかった皐月賞ではトウショウボーイが優勝。
ダービーは「この2頭に勝つのは犯罪だ」とまで言われるレースでしたが、
勝ったのは「犯罪皇帝」ことクライムカイザーでした。
また菊花賞は、その後TTGと並び称されるグリーングラスが勝ちました。

しかしその後、G1レースはこの2頭のうちのどちらかが勝ち続け、人気実力とも5歳には絶頂に達したのでした。

そして迎えた1977年の有馬記念 通常18頭立てで行われるこのレースは、
この年 投票がこの2頭に集中してしまったこともあり、たった8頭だてで行われました。

このレースはまたトウショウボーイの引退試合として設定され、ここで負けたら永遠に格下になるテンポイントと鞍上 鹿戸明が、とにかくトウショウボーイより先にと仕掛け、トウショウボーイと武邦彦もそれに答え、
近代競馬ではありえない、オールスター グランプリ競馬で、スタートから2頭で飛び出し、ゴールまで他の馬を全く寄せ付けない、2500メートル抜きつ抜かれつの一騎打ちとなったのです。

このレースを実況した杉本は「これは、これは大変なことになってきた。この2頭のマッチレースです、これは大変だ。」と実況も忘れて驚いたほどのレースでした。

結局このレースはテンポイントが指しきって、ようやくトウショウボーイに勝つという感動的なエンディングを迎えました。

私の記憶は馬番号3番を背負ったテンポイントの美しくも気高い姿と、それを見て感動の涙をながしていた父の背中です。

テンポイントはその後、国内で敵がいなくなり、凱旋門賞への出走が予定されました。「その前に地元のファンに勇士を見せたい」という思いから、
出なくてもいいG3の日経新春杯に出走することになったのです。
しかし強すぎるがゆえに、なんと67キロという、普通よりも15キロも重いハンデを背負わされて、小雪舞う京都競馬場のターフに出た彼は、その2分後 後ろ足を骨折して、競争を中止 2週間後薬殺処分となったのです。

寺山修二が彼のことを「明日朝が来たら」という美しい鎮魂歌を書いたのは有名ですね。

私はそのとき7歳。いまだその小雪舞う京都競馬場で、スローモーションのようにゆっくりと下がっていくテンポイントの憂いを含んだ瞳を覚えています。

私にとって【凱旋門賞】とは、そんな小雪の記憶と結びついた悲しい単語なのです。
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