疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

ひどい番組

2007年08月20日 00時24分16秒 | テレビ番組
以前にも書きましたが、「ダウンタウンのガキの使い」で
また、総合演出の斉藤氏が、女性タレントにセクハラをして
謝罪文を読むと称して、更にひどい謝罪文を読むというシリーズを
やっていました。

私はさすがに今回は見たくなかったので、すぐザッピングしましたが、
まだこんなことをやっているのですね?

カイヤさんがゲストでした。
西川史子さんのときにひどく憤りを感じて、このブログのどこかにも書きましたが、この企画のひどいところは、ダウンタウンや斉藤氏・菅氏はこの業界の
大成功者で、呼びつけるタレントは、そのランクよりも下の女性タレントだ
というところなのです。

だから、謝ったり、叩かれてみたりしても、大きな枠ではやはりその女性タレントを馬鹿にして、陵辱しているという所に、大きな問題があるのです。
どんなシチュエーションであっても、女性を公然と売春婦などと呼んで良い訳が
ありません。

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ベルイマンとアントニオーニの死

2007年08月03日 00時18分08秒 | 映画・ドラマ
この一週間で 巨匠イングマール ベルイマンと
ミケランジェロ アントニオーニが亡くなりました。

ベルイマンは北欧スウェーデンの風土が生んだ
非常に柔らかな光の中で、翻弄される人々を
神の目から見たような作品が多かったように思います。
私が好きなのは彼の前期の作品群 「処女の泉」や
「第七の封印」とりわけ「野いちご」は非常に
素晴らしい作品だと思います。

「野いちご(wild berry)」は老いた大学教授が
長年の功績をたたえられるための授賞式に向かう道すがら、
白昼夢を見るという内容で、その白昼夢の中に、
若き日に愛情を奪うことが出来なかった女性や、
幸せでなかった結婚生活などがフラッシュバックし、
でも、その人生は決して悪いものではない・・・という
メッセージがこめられた、人間をありのまま、しかし
少しの夢を持って描き出した作品です。

ベルイマンは、ウッディ・アレンが多大な影響を得ていることでも有名な、どちらかというと「大きな自然の摂理に、人間は逆らえない」という状況を作り出す事が多かったように思います。でも、『処女の泉』にせよ、それが神の目で見たときには
救いがあるのだ・・・。というところに彼のヒューマニズムが
あったと思います。

アントニオーニは、同世代のヴィスコンティや後輩のベルトリッチのような「デカダンス」でなく、ゾッとするような「虚無」を描き出す巨匠でした。
特に私が思い出深いのは1964年制作「赤い砂漠」です。
これは彼にとってはじめてのカラー作品でモニカ・ヴィッティ
主演の作品です。
工業地帯に住む団地妻のモニカが、家族とも夫とも、社会とも
愛をもてなくなり、煙を吐き出す町をさまようと言う大雑把な内容です。
冒頭からざらざらとした、フィルムを増感した荒い粒子で
煙を吐き出す工業地帯を描き出した後、薄暮の光が差し込む
団地の奥で、モニカが昼寝から目を覚ますと、子供が遊ぶ
ブリキのロボットの目がギラッと、不快に動き出すシーンにゾッとするほどの都会の隔絶した「愛の不毛」を感じました。

他にもタイトルは失念しましたが、マストロヤンニとクラウディア・カルディナーレがガーデンパーティで「愛の不毛」を感じると言う作品も思い出深いです。

先日ウルトラセブンの「メトロン星人」の回を見たとき、
実相寺監督が、アントニオーニから多くの着想を得ている
のが良く分かりました。いかにも好きそうですものね。

私は人生の中で集中してみた1980年代から1990年代初頭は
ベルイマンもアントニオーニも日本ではちょっと、ブームが
終わっていましたが、1994年にロンドンにわたると、毎月
のように彼らの特集が行なわれていました。
特にヨーロッパの曇天の憂いを体現したような、二人の巨匠が
なくなったことに、深い感慨を覚えます。

今ではそういう映画作家って、ラース・フォン・トリアーぐらいしかいなくなりましたよね。

お二人の巨匠のご冥福をお祈りします。
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