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疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

パチンコのプロっていっぱいいるんですね・・・。

2010年09月15日 04時57分44秒 | 雑誌
いやはや、先日サウナに行った際に その休憩室にあった
パチスロ必勝ガイドを斜め読みしていて思ったんですが、
パチンコ関係のライター&誌上パチプロと呼ばれる人は
ものすごくいっぱいいるんですね。

私はCSのmondo21が好きで良く見ているのですが
そこでは 
パチンコ系 
守山アニキ
守山有人
なべっち
モデル・オノ
かおりっきぃ
ヒラヤマン
ヒロシ・ヤング

パチスロ系
梅屋シン

ポロリ
ワサビ
KONTA
木村魚拓
ヅラプロ森籐

などといった人々が出ています。
さらに 

大崎一万発
安田プロ
名波誠

といった超有名人ぐらいは私も名前を知っていますが、
先日手に取った雑誌には
その面子とは全く違う人々が10人以上載っていました。

さらに彼らは別のスカパーのパチンコ系テレビ局に出ていて
「あの○○でお馴染み」的な煽りで出ているのです。

と言うことは・・・。
少なくとも顔出しをしていて
パチプロタレント として食っている人だけでも
30人ぐらいはいるということになりますよね?

芸人くじら が
「有名釣り師物まねシリーズ」をやっていますが
次は是非「有名パチプロ物まねシリーズ」をやってほしいです。

ポロリの「う~!や~!た~!」とか
かおりっきぃの挨拶とか
木村魚拓の顔まねとか
すぐできそうですよね?
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村崎百郎 刺殺される!

2010年07月24日 01時48分53秒 | 雑誌
あの鬼畜系ライターのトップランナーとして
「GON」などで活躍していた
村崎百郎氏が、自宅で読者に刺されて亡くなったそうです。

う~~ん。

あの村崎百郎がねぇ・・・。

『ロシア生まれ 中卒 工員 鬼畜』
というインパクトのあるプロフィールで
ごみをあさり、女の下着をすすり、
ストーカーをしていた彼が こんな形で殺されるとは・・・。

まあらしいといえばらしいですが・・・。

しかし、青山正明といい、村崎百郎といい、
データーハウス「危ない話」のライターが
どんどんいなくなっていきます。

ご冥福をお祈りいたします。

鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!!
村崎 百郎
データハウス

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篠山紀信が公然わいせつ?

2009年11月11日 21時56分24秒 | 雑誌
篠山紀信が、原沙央莉を撮影したヌード写真集の件で
警視庁から公然猥褻に当たるとの警告を受けたそうです。

まあ、確かに青山墓地で人の家の墓石に素っ裸でまたがったら
それはいけないと思います。

今回は全裸なので、ある意味露出写真集のコンセプトだったわけですよね?

しかしですよ、今回のコンセプトはともかく、日本、特に東京は
世界でも悪名高い 撮影許可が全く下りない都市です。
大御所篠山紀信の撮影ぐらい、ヌードでも
許可をおろしてあげてもいいのでは?という感じは少ししますね。

まあ、それにしても全裸はダメでしょうけど・・。


NO NUDE by KISHIN 1 20XX TOKYO
篠山紀信
朝日出版社

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週刊新潮のバカ記事

2009年01月02日 19時17分09秒 | 雑誌
みなさま、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ところで、新年早々バカ記事を発見しました。

「紳士淑女の2CH」としておなじみ週刊新潮の
新年特別号に

「45カ国5000人と体験した男の世界女地図」
という記事が載っていました。

これは、50代のライター アレーチョ市川という人が
フィリピン人1000人 
コロンビア人2000人
ロシア人200人

などなど世界の女と同衾したという体験談を語り
「ロシアの女性は騎馬民族だから、騎乗位がお好き」とか
「ルーマニアの女性はラテンの血が混じっているから、お盛ん」
とか
「コロンビアの女性は、実は貞操観念が強い」などと

1970年代に殿山泰司などが出していた、女体めぐりファンタジーの
文体を今に残すような、アホアホぶりなのです。

だってそんな凄いライターなら聞いた事あるはずですが、
知りませんよ。
例えばこれが、高名な風俗ライター なめだるま師匠だの松沢呉一などが
書いているなら、若干信憑性もありますが、
ウソですもの。思いっきり。

世界の翼パンナムが飛んでいる頃の、「世界旅行がファンタジー」だった
ようなものすごいふる~い物語を読んだ気がしました。

すごいですよ週刊新潮は・・・。
これが新年一発目の「お年玉企画」なんですから。

エロ街道をゆく―横丁の性科学 (ちくま文庫)
松沢 呉一
筑摩書房

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三文役者のニッポンひとり旅 (ちくま文庫)
殿山 泰司
筑摩書房

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日本女地図―自然は、肉体にどんな影響を与えるのか (角川文庫 (5491))
殿山 泰司
角川書店

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なめだるま親方のフーゾク大全
島本 慶
アスペクト

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「pen」 江戸デザイン特集

2007年06月04日 02時59分19秒 | 雑誌
今月号の「pen」は、大特集として「江戸のデザイン」について
取り上げられていました。

これは面白いです。

江戸時代の、大都市江戸で粋とされていたデザインには以下のような特徴があるようです。

1)文字デザイン・・・タイポグラフィーの充実
2)格子柄 ストライプなど直線的デザインの多用
3)紺・茶・エンジ色の微妙な組み合わせ

1)は明確に書が、現在のタイポグラフィーの原型として
デザインの一環として考えられていたようです。
掛け軸を床の間にかけるという行為自体が、よくよく考えるとゴダールの映画の構図のように、文字と風景の一体化なのです。
さらに、当時の貸本 黄表紙などは、今で言う「studio voice」みたいな、映像と文字の大胆な構成になっているのです。

2)格子柄は、当時の家屋が障子で区切った、直線っぽいつくりの中に、真四角のタンスや、長方形の畳だったりと、
街自体に直線が交わるモチーフがふんだんにあったわけです。
それが、デザインにも反映されて、チェックやボーダーが
あふれていたようですね。

3)色使いは当時使われていた植物系染料の関係で、藍・茶
エンジが多いそうですが、それが思った以上に品のいいいいコントラストを作り上げています。


そこで1)と2)を眺めてみると、チェックや直線が多くて
タイポグラフィーとなると、
意外と1920年代の
ドイツ表現主義アートやら、
1930年代のロシア プロパカンダアートに近い感覚が
あったのでは?ということが分かります。

市川昆監督が、明朝体の漢字をタイポグラフィー化して、
さらに、時代劇を撮るときには必ず、屋根や格子で
直線的に区切ったアングルにするわけですが、あれはかなり
当時の美術的空気感に近いものがあるわけです。

今回はかなり勉強になりました。
きっと何かで使います。
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「pen」オランダ特集と平山相太

2006年09月16日 05時21分30秒 | 雑誌
今月の号の「PEN」はオランダのデザイン特集です。

「今、もっとも刺激的なデザインはオランダにある」ということで、特にアムステルダムの建築やアートが紹介されています。

オランダはちょっと盲点でしたね。

それで記事を読んでみると、確かに、機能性を最大限に追求した四角や直線を基調とした、銀座にある中銀ビルの親玉みたいな建物が非常に印象的でした。
そんな硬質な建物の中に、非常にポップな色彩でアクセントがつけてあり、ヨーロッパの未来都市という感じです。

私が13年前にアムスに行ったときのことを思い返してみても、もともとゼロメートル地帯で、掘割に沿って、建物の高さをそろえた同じようなレンガ積みの建物が続いていた旧市街も、微妙に軒先の幌の色や、レンガの明暗などで色調に変化をつけて、お洒落だったような気がします。

さらに、街角のロードサインやら、駅の標識と言ったところのタイポグラフィーは、機能を重視しつつ、ポップで表現主義的な、1920年代 ロシア・アバンギャルドみたいなことになってました。

それは、いいのですが、記事の中で「アムステルダムは子供を育てるのに非常に良い都市だ」とあったのはどうかな?と
思いました。

というのは、13年前アムスに行ったときは、それはそれは
すごい光景だったからです。

オランダは大麻は解禁、売春合法というお国柄です。
その首都アムステルダムの中央駅を降りて、駅前のダム広場へ出た瞬間、目に飛び込んできたのは道端に転がる何人ものラリッた人々と、電話ボックスの隅などに転がっている注射器でした。

「なんじゃこりゃ!」と思って駅のキオスクを見ると、有名なゴッホの自画像がでかいジョイントを決めている絵葉書やら、
刺青とピアスだらけの男性の局部を大写しにした絵葉書が、普通に並べられています。

「うぁぁぁ」と思いながら、掘割沿いを歩くと、そこはすぐ飾り窓地帯で、日本で言うちょんの間がずら~っと並ぶ赤線地帯を集団下校する小学生の姿が! その奥で下着姿の巨漢の黒人の娼婦がにっこり!

「地獄だ・・ここは地獄だ・・。」と思いました。
あの町に住んでいたら、そりゃぁコーヒーの変わりにハッシッシってことになりますよ。

平山相太が逃げて帰ってきたのは良く分かります。格闘技が盛んなのも要するに、街が性と暴力に満ちているから、強くないと大変だということがあるんでしょうね。

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「ブルータス」水族館特集

2006年09月05日 05時47分52秒 | 雑誌
今月号の「ブルータス」は水族館特集です。

これが非常に癒される、いい特集でした。
とくに沖縄の「美ら海水族館」の巨大水槽の写真は圧巻です。
なにしろ学校の25メートルプールがそのまま真横になったような
大きさの水槽の中に、ジンベイザメが丸ごと入っていて、
その前に人だかりが出来ている様子が、なんだか宇宙での出来事に見えるのです。

そう、水族館って、いまや宇宙旅行を思わせる空間ですよね。

例えば「しながわ水族館」に新しく出来たアザラシ館なんかも360度アクリルで出来ていて、足元を滑るようにアザラシが泳いで行ったりして、どんどん
重力を忘れさせる雰囲気があります。

さらによかったのは、その巨大水槽の世界シェア70%を誇る会社が香川県にある
「日プラ」という小さなアクリル製造業者で、手作業と創意工夫で今の水族館の革命を起こしたという記事が載っていたことです。
実際にその工場で作業をしている様子も記事に載っていて、その様子が一番グッと来ました。

さすがマガジンハウス!グッドジョブ!
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残念 「GONGO DODAN」2号で休刊

2006年07月09日 13時54分17秒 | 雑誌
先月 元「SPA!」のツルシカズヒコ編集長が立ち上げた
サブカル雑誌「GONGO DODAN」の事を書きました。

その後週刊文春でも同じような論調で取り上げられていました。
つまり「期待は出来るが、サブカルエリートって書いてあるから
誰だろうと思ったら、竹熊健太郎とかしまおまほとか大泉実成といった
90年代初頭の人々だった」という記事でした。

そしたら、残念ながら案の定 現在出ている第2号で休刊だそうです。

まあ、そうかなぁ・・・。
頑張ってほしかったけど、28歳になったゴリ子ちゃんとか、
離婚して文句たらたらの枡野浩一とかなぁ・・・。辛いもんなぁ・・。

でもツルシさん。あなたはサブカル界の花田編集長ですよ。
ダメでもダメでもやり続けたほうがいいです!
彼が月刊「OUT」出身という新事実も今回分かりましたしね。

内容的にも2号は面白かったです。
特集は「昭和50年代特集」で、1975~1984年にかけての特集でした。
たしかにこの時期は1985年のおニャン子・タイガース・御巣鷹山に彩られた
バブル初年の直前で、でも沖縄は返還されていて、成田も開港され、ディズニーランドも建設されるという、良い切り口の特集でした。

でも私的には1985~1989ぐらいの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と
呼ばれた80年代後期の高揚感を忘れることは出来ないですけどね・・・。


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掟ポルシェは結婚していた!!!

2006年07月01日 00時52分21秒 | 雑誌
な、な、なんと!
あの現在のサブカル界のボンクラ大将こと掟ポルシェが
結婚していました!!

ライムスターの宇多丸氏による秀逸なブログが好評ですが、その3月2日の
稿に、掟ポルシェ結婚披露パーティーの様子が載っています!!

しかし、掟ポルシェといえば、Berryz工房の菅谷梨紗子への偏愛で有名だったはず!!しかもメロン記念日のヲタだったのが、彼女達のイベントでDJを行う
までに出世したボンクラ界のプリンスだったはず!!

なんかAKB48に食いつかないなぁ?と思っていたのですが、
そんな事になっていたとは!!

離婚なさい!
そしてアイドル暗黒時代の語り部として復活しなさい!!

なんちゃって。
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雑誌「GONGO DODAN(言語道断)」について

2006年06月04日 17時39分47秒 | 雑誌
先月突如、首都圏のコンビニに、昔のGONを思わせるような装丁で、
しかし全くエロの無いサブカル誌が新創刊されました。

なんだろうと思って、買ってみるとあら懐かしい。
竹熊健太郎・大泉実成・枡野浩一・しまおまほなど
それこそ昔の「PANJA」やら、創刊当時の「QUICK JAPAN」に
連載を持っていたような人々が記事を書いていました。

中身は、そうですねぇ。薄いサイゾーというか、R25というかという
テイストで、しかし扱っている内容はサブカル中心で、
正直 面白くないページも多いのですが、
これからすごく面白くなりそうな予感がびんびん伝わってくる雑誌でした。

出版社はメディアアックスという、あまり聞かない出版社で、
不思議だなぁ、と思って奥付けをみて納得しました。

そう、あのツルシカズヒコ氏が編集長だったのです。

彼、ツルシカズヒコ氏は
1980年代終盤から1990年代初頭にかけて、
全盛期の「SPA!」の第三代編集長としてその名を知られた、名編集者でした。
特に彼の功績で大きいのは
小林よしりんの「ゴーマニズム宣言」を始めて、
今の、右翼プロパカンダではなく、
本当に・朝鮮・統一教会・オウム
といった問題に体当たりでぶつかるルポ漫を掲載したところでした。
「かばやきの日」という
雅子妃殿下の結婚が
「実は彼女にとって息苦しいものだから、もっと開いた形で
お祝いしたほうが彼女のためになる」と主張した回を掲載できず、
ガロで発表させたというエピソードも懐かしいですね。

その後、宅八郎を連載人に加えて、小林・宅大戦争を勃発させ、
小林の「SAPIO」移籍を招いたこともあり,
また、自身が非常に酒乱の気があるということも噂されて、
「SPA!」を追われることとなったのです。

そんな彼の久々の復活でした。
どうしてそれに気がついたかって?そりゃあ
「ポチ&コウ」の連載が載っていたからですよ。しかもカラー見開きで。

頑張って欲しいですね。又買いますよ。
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今日発売のFLASHに山口百恵が!!

2005年12月20日 08時14分33秒 | 雑誌
皆さん!見ましたか?今日発売のFLASH!

山口百恵が自宅前でごみを出しているところを写真に撮られているのですが、
これが、太っちゃって、花柄のスパッツにドテラを着込んだ、すごい
おばさん姿でした・・・。

まあ、確かに、彼女ももう46歳ですし、普通ならおばさんでもおかしくない
年齢です。

しかし黒木瞳も46歳なわけで・・・。
そう考えるとちょっとがっかりですね。
森下愛子は復帰しても可愛いおばさんでしたが、百恵ちゃんは絶対あれじゃ
なにがあっても表舞台に出てきませんね。

以前原節子が鎌倉のお寺で写真を撮られたことがありました。
そのときは彼女は確かにおばあちゃんでしたが、かわいらしいおばあちゃんだったのを記憶しています。

とにかく服装も良くない。あなた山口百恵ですよ?少なくともおばさんスパッツは
やめた方がいいですね。
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名物編集長の存在

2005年11月15日 11時05分36秒 | 雑誌
80年代に非常に特徴的だったのが、サブカル系雑誌の存在でした。

そしてまた、雑誌の編集長というのが、今よりももっとかっこよく、
さらに有名で、若者達の憧れでした。

たとえば80年代の雑誌を象徴するのが「週刊サンケイ」の「SPA!」への
リニューアルですが、それを先導したのは、後に「PANJA」「週刊アスキー」を立ち上げる渡辺編集長でしたし、「SPA!」中興の祖は、ゴーマニズムを始めて、宅八郎に追い出された3代目ツルシ編集長でした。

また、「宝島」はVOW隊長こと渡辺タスク編集長
「ビックリハウス」は高橋惠子ですね。
「Hot dog press」は山田五郎ですよね。

さらにもう少し別のところでは、
「噂の真相」岡留編集長、「週刊文春」花田編集長、
「朝日ジャーナル」筑紫編集長、「サンデー毎日」牧編集長、

どうです?ちょっと挙げただけでもこんなにいっぱい!
あ、「写真時代」の白夜の末井昭編集長もいますね。

いやもちろん自販機本の話まですると、「Heaven」の話もしなくてはいけない
のですが、あれは当時の中学生には手に取れない雑誌でした。
手に取れる雑誌に限ってもこんなに多士錚々の時代でした。

今はあんまりそういう名物編集長っていないですね。
「新潮45」の中瀬編集長とか「GON ナックルズ」久田編集長
「BUBKA」寺田編集長ぐらいですかね?
どうなんでしょう?ゲーム雑誌とかにはいまでも若者に影響のある編集長って
いるんですかね?




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本田美奈子と投稿雑誌

2005年11月09日 08時50分52秒 | 雑誌
本田美奈子について、南野陽子が「堀越の同級生だ」と言っていたことで、
1986年ごろの男子中学生向け雑誌を色々と思い出しました。

当時アイドル雑誌は「明星」「平凡」を筆頭に
「ボム」(学研)「Dunk!」(集英社)「近代映画」(近代映画社)
「デラックスマガジン(後のOre)」(講談社)「Momoko」(学研)
などがありました。

その中で、彼女は良く「Dunk!」に出ていたような気がします。
ちなみに「ボム」「Momoko」は菊地桃子や西村知美などを
「デラックスマガジン」はミスマガジンの斉藤由貴や南野陽子を
推していて、「Dunk!」はおニャン子クラブが中心でしたね。

で、1986年ごろ、一冊の革命的な雑誌がサン出版から発売されました。
それが「投稿写真」でした。これは一般の人々が取ったアイドル写真を掲載する
というもののハシリで、当時流行りつつあった生写真を投稿させようというのが
当初の目的だったようですね。
そこで盛んに取り上げられていたのが堀越学園の運動会やら修学旅行の図でした。
トップアイドルの南野陽子・本田美奈子・井森美幸は確か同級生なんですよ!
それと、桃子ちゃんのいる目黒の日出女子の写真は、毎週のように掲載されていたのを思い出します。

時を同じくして「台風クラブ」「スーパー写真塾JR」(白夜書房)なども創刊され、アイドルは「撮られるもの」へと変化を遂げていくわけです。

またそのころ、ミノルタからαー7000というオートフォーカス一眼レフカメラが発売になり、素人が簡単に望遠レンズを使いこなせるようになったのも、大きかったですね。そのミノルタがカメラ事業から撤退するとの報道がありましたが、
当時を知るものとしてはさびしいですね。
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