あれから一年・・・
ゴゴゴ・・・という音とともに、段々大きくなり、いつもより長い。
ザラバ中、PCも電気も全部バタっと切れ、棚やアップライトPIANOの飾り物、全部落ち、これはおかしい、今まで地震ごときで停電したことはなかったから、と思い、すぐ庭へ。
家全体が揺れていた、それも結構長く。
「お母さん、ご先祖様、守ってください!」と祈りつつ揺れが治まるのを待ちました。
一時間ぐらい停電だったからラジオを聞いてました。
茨城~東北沖にかけた大地震「津波に注意してください」のニュース。
一時間ご、電気が通じ、PC開けたら、フランスのヘッジが大量に先物を売ってたことが分かった。
ともかく情報を、PCとTVをつけっぱなし、電話は全く通じず、6時過ぎになり、姉宅に様子を見にいった、食糧持って(普通これって逆よね?)
次の日からは、関東地方での買いだめパニックが起きた。
食べ物買うためにスーパーに行ったら、レジ待ち20人以上もの列。
それも2個、3個とお菓子や飴、ともかく、なんでもいいお店にあるもの片っ端からバスケットに入れて。
「何?これ???」その異様な風景に唖然・・・
ということでうちは、1週間ぐらいは、缶詰やおにぎり、里芋や豆の煮もの、うちにあるもので食いつないだ。
父は戦争体験者、だから、全然文句は言わなかった。
「それに比べたらご馳走だ」と・・・
毎日夜中まで4ぐらいの余震が続き、眠れぬ日々の中、
「でも、まだ大丈夫な私たちがここで買い支えないと!」と思い、歯を食いしばって月曜日からのヘッジ売りに立ち向かった。
そして、暑くて長い夏も過ぎ、そうしたら秋を飛ばして寒くて長い冬。
その冬いまだに続いて、まだ10℃。
確定申告の書類を作成しながら、よくぞまあここまで頑張ったものだと自分を褒めた。
株と先物の何百万円と言う損失を抱えたが、半分まで埋めた。
20億円もの為替損失を抱え、自己破産した者もいたが。
この一年間、私を初め投資家全員の「私たちが日本経済を支える!」その一心が通じたのか、最後の3か月、とうとう泣く子も黙る日銀が重い腰を上げた。
2012年3月11日
今日からは一歩前への日にしたい。
一年間、ぐちゃぐちゃで閉じこもってしまった頭と心。
少しずつ少しずつ頭を上げ、前に進もうと思う。
と言うことで、
くじけそうになったら「がんばっぺい」
茨城~東北地方の方言です。
とっても暖かい響きです。
ぜひ、今年の流行語大賞にしてください
まず、家の修復&リフォーム始めようと思います。
お金すっごくかかりそうです・・・
保険は350万円ほど降りたのですが、たぶん3倍かかるかも・・・?
自力で稼がないとですね・・・・
だから、株、先物、為替、頑張らんとですね・・・
あと、昨年は落ち着いてできなかったけど、お花い~っぱいのお庭にしたいです
まげんなringo
そして多くの失った貴重な命の為に黙祷。。。