ringoのつぶやき

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「高値抜け」と「次のチャンス」のどちらを待つか?

2012年10月26日 15時48分40秒 | ケンミレコラム

 

■今回のまとめ

1)外国人投資家が大幅な買い越しになった。
2)日経平均は高値もみ合いになって、まだ方向は出ていない。
3)強気材料があって高値にいるときほど、慎重に対応するように心掛ける。

外国人投資家が大幅な買い越し

昨日、東京証券取引所から発表された10月第3週(10月15日-10月19日)の投資主体別売買動向によると、外国人投資家が1546億円の買い越しとなりました。買い越しは2週ぶりですが、買い越し金額が約半年ぶりの大きさでした。

今年1月から4月初めまでの上昇相場でも外国人投資家の買い越しが原動力になっていました。このときの1週間の買い越し金額と比較すると、大きさがイメージできます。

日経平均は、下がりそうで下がらず、上がりそうで上がらないという動きが続いていますが、上昇後の高値水準にいることを考えると、いわゆる「値固めの動き」になっているようです。

テクニカル的には、200日移動平均線が上値を抑え、25日と75日移動平均線が下値を支えるという往来相場になっています。前述した3つの移動平均線もほぼ横ばいになっていますので、これからどちらに動くかで全体の方向性が出てくる可能性があります。

どちらに動くかわからないものの、1ドル=80円台に乗せてきた円安傾向に加えて、外国人投資家の買い越しとなりますと、「上に抜ける」ことを期待しやすい環境ではないかと思います。

順張りの代表的な投資手法として、「高値抜けを買う(レンジブレイク)」というやり方があります。やみくもに高値を買えばよいのではなく、往来相場(レンジ)から上昇相場に変わるとき(ブレイク)を狙うのがオーソドックスな方法です。

今の日経平均は移動平均線にはさまれた往来相場ですので、往来の高値抜けを使う投資家であれば、次の動きを狙っていることでしょう。ただし、狙っている投資家が多ければ多いほど買いたい投資家が一斉に買いが入ってしまいますので、「さらに高値を買う投資家がいない」ということもあります。

そうなると、典型的な高値つかみとなりますので、上昇が続かないときには潔く損切りしないといけません。

外国人投資家の買い越しが目立ったからといって、今年春先のような上昇相場が起きるかどうかはまったくわかりません。反対に来週(30日)に控えている日銀の追加金融緩和が期待通りに行われた場合でも、期待が高いだけに「材料出尽くし」となってしまうことも考えられます。

上昇した後を狙う方法もある

もしも期待通りの高値抜けとなって上昇が続いた場合には、短期的な過熱感が相当強くなります。そうなると、利益確定売りに押される調整がどこかで起こります。

ただし、株価の方向は上に向かったあとですので、調整が終われば再び上昇する可能性も高いといえます。つまり「押し目買い」とは、上昇に転じたあとの調整を買うことなので、方向性を見てからでも十分に間に合います。

また、「山高ければ、谷深し」といいますように、大きく上昇した方が大きく下がる可能性も高くなりますので、上昇後に「転換点シグナル」が出る可能性も高まります。

今の環境は、悪い材料が見えなくなっていて、期待できる材料が表に出ている状況です。根本的には、景気減速や欧州不安、企業業績の下方修正リスクなどが潜んでいることは周知の事実です。

つい2週間くらい前までは先行きに悲観的な見方も多く見られていたように、強気と弱気の材料が交錯している状況では、相場の心理がコロッと変わることもあります。強気に見えるときほど、高値を追いかけて買わない、大きく買いすぎないようにして、あとで後悔しないための慎重な行動を心がけた方がよいと思います。


iPS細胞、今後の課題は? 山中氏独占インタビュー

2012年10月26日 12時16分37秒 | 日記

京都大学iPS細胞研究所の所長を務める山中伸弥教授は、ノーベル生理学・医学賞受賞の報告を受けて首相官邸を訪問する直前に、バイオ業界のイベント「BioJapan2012」(横浜市)で講演。iPS細胞(人工多能性幹細胞)がなぜできるかまだほとんど解明されていないが、研究所で最近ヒントをつかみ、しばらく論文執筆に専念することを明らかにしている。山中氏の研究への尽きぬ意欲に、満員の会場は沸いた。本記事では、10月12日の講演の楽屋裏で行われた日経バイオテク誌による独占インタビューをお届けする。

 
 

──毎年、山中教授はノーベル生理学・医学賞の受賞者を当ててきたが、今年(2012年)の受賞者は誰だと思っていたのか。

 
 
京都大学の医学部内にあるiPS細胞研究所。所長である山中伸弥教授以下、約200人の研究員がiPS細胞の実用化に取り組んでいる(写真:安田行宏)
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京都大学の医学部内にあるiPS細胞研究所。所長である山中伸弥教授以下、約200人の研究員がiPS細胞の実用化に取り組んでいる(写真:安田行宏)

 高コレステロール血症の治療薬、スタチンを開発した東京農工大学名誉教授、バイオファーム研究所代表取締役の遠藤章先生だと思っていた。第一三共でスタチンが高コレステロール血症の治療薬となることを証明、最終的にブロックバスターの開発に成功した。心臓血管障害の治療薬の商品化を通じて、人類に福音をもたらした。

 

──ご自分が今年、ノーベル生理学・医学賞を受賞するとは予想していなかったのか。

 

 全く予想していなかった。ただし、今から思い当たるとすれば、受賞を知らされる前日に京都で開催されたSTSフォーラムに参加したおり、スウェーデンKarolinska研究所のHarriet WALLBERG-HENRIKSSON所長が、共に参加していたセッションが終わった後で、なぜかウインクしたような気がしていた。

 

──世界のiPS細胞臨床研究の現状はいかがか?

 

 最も研究が先行している米国は、意地でもヒトES細胞(胚性幹細胞)[注1]の臨床応用にこだわっているように見える。iPS細胞の臨床研究の準備では日本が先行している。

 

──iPS細胞の臨床応用のリスクとは何か。

 

 もはやiPS細胞とES細胞は区別ができないところまで、研究が発展した。一言で言えば、どっちもリスクがある。移植後に良性腫瘍ができる可能性がiPS細胞にも、ES細胞にも残っている。現在までの研究で、悪性腫瘍やテラトーマ(奇形種)[注2]が移植後に発生することを抑止することにはメドがたった。しかし、ヒトES細胞由来の細胞でも報告されているが、移植後長期間を経た後に、細胞が増殖をしてしまう、例えばiPS細胞から分化した神経細胞、そのものが増殖することはまだ、防止することができない。

 
 

[注1]iPS細胞とES細胞は、体のあらゆる臓器や組織の細胞に育てることができる万能細胞であるという点は同じだが、作製方法が異なる。iPS細胞は、皮膚などの細胞に幾つかの遺伝子などを作用させて作製する。一方、ES細胞は胚を壊して作るため、実用化に向けて倫理的な壁が立ちはだかる。
[注2]胚の細胞に由来する腫瘍で、一部悪性のものもあるが、主には良性腫瘍である。iPS細胞であることを確認する方法の1つとして、マウスの皮下に移植して奇形種を形成するかを調べるというものがある。また、iPS細胞由来の細胞を移植する際、未分化状態の細胞が残っていると奇形種が形成されることが、臨床応用の上で大きな課題となっている。

 

 もう一つの問題は、たとえマウスで移植後の細胞の安全性を確認してもたかだか1年間の安全性の評価しかできないことだ。ヒトに臨床応用した場合には長期の安全性を確保しなくてはならない。前臨床試験に方法論上の問題があるのだ。

 

──iPS細胞の臨床応用の最大の敵は何か。

 

 科学的な問題以外にも、臨床応用には社会の理解などの問題が存在する。しかし、こうした問題も、結局は科学的にきっちりと研究を進めて解決するしかないと思う。もう1つ付け加えれば、再生医療はiPS細胞の応用先のほんの一部だ。むしろ、創薬研究のためのスクリーニングや安全性試験などにiPS細胞が幅広く貢献される可能性があることを忘れてはならない。

 

──山中教授が提唱していたiPS細胞バンクはどこまで進んだか。これが出来れば、幅広い疾患に応用が広がり、経済的に分化細胞を提供できる可能性がある。つまり、iPS細胞の産業化の鍵を握っている。

 

 iPS細胞バンクを創設するためには、HLA(組織適合型抗原)がホモ(両親から引き継いだ遺伝子の型が同じ)の人から細胞をご提供いただかなくてはならない。確率的にも数の少ないHLAホモの方を探すのはとても大変である。

 

 そこでHLAの情報を既に解析済みである日本赤十字社の血小板輸血のドナーなど、幅広い外部機関との連携が必要となる。日赤とは前向きの議論を行っているところだ。骨髄バンクとはまだ話が出来ていない。臍帯血バンクは先の造血幹細胞委員会で、iPS細胞細の研究に協力するには、現状の同意書でも対応できるとの見解を示したくれた。ただし、生後3カ月以降にはドナーとコンタクトしない原則があり、難しい問題がある。もちろん、京都大学の病院の協力をいただき、京大でも積極的にiPS細胞バンクのドナーを探している。

──大型のiPS細胞の政府の研究プロジェクトが2013年度に終結し、iPS細胞研究所で雇っている研究支援者を雇い止めしなくてはならない「2014年問題」は解消したのか。

 

 今年度の予算ではまだ解消していない。文部科学省のライフサイエンス課がiPS細胞を支援する新規プロジェクトを検討しているとは聞いている。一番重要なのは雇用の継続だ。知財や広報、研究費の確保などiPS細胞研究を支える優秀な専門家が安心して働く条件を整備しなくてはならないと思っている。

 

──最後に、ノーベル賞を受賞する機会は一般人にはとても得られない。受賞が決まったと告知された瞬間に味わった無上の喜びとはどんなものか。

 

 喜びなどほとんどない。あえて言えば、カエルで核移植によって「初期化」[注3]という現象を最初に報告した英国Cambridge大学のJohn B. Gurdon教授と一緒に受賞できたことがうれしい。今年来日した時にご一緒したが、高齢でその時は体調が優れず心配していた。

 

[注3]生物が卵から成体になる過程で、未分化な細胞は皮膚や筋肉、髪の毛、各種の臓器といったそれぞれの組織を構成する特殊な細胞へと分化していく。従来、特殊な細胞に分化すると、さまざまな細胞になる能力は失われると考えられてきたが、山中氏らは4つの遺伝子を作用させることによって、分化の進んだ細胞を、未分化な細胞と同様の細胞(iPS細胞)に戻せることを見いだした。分化した細胞を未分化な状態に戻すことを「初期化」(リプログラミング)と呼ぶ。

 
 

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【解説】iPSの生成メカニズムが明らかに

 

 山中氏は、本インタビューの直後に行われた講演で、iPS細胞についての基礎研究の最大の課題として「なぜiPS細胞ができるかがほとんど分かっていないこと」を挙げた。だが、間もなくそこに大きな前進が見られそうだ。以下、講演での山中氏の言葉を引用する。

 

 「iPS細胞研究所の高橋和利講師らの研究でかなりおもしろいことが明らかになってきた。来週からは論文執筆に専念することになる。実はノーベル賞受賞の知らせがあったとき、高橋講師は海外の学会に参加するため成田空港に向かっているところだったのだが、メールで連絡すると『早く論文を見てください』という返答だった。iPS細胞ができるメカニズムはそんなに単純なものではないが、それが解明されてくるとiPS細胞の作製効率をどうやったら改善できるかが分かってくる。iPS細胞の応用のためにも、基礎研究を発展させることが極めて大切だ」。

 

(日経バイオテク編集部)

 

[電子書籍『iPS細胞のすべてがわかる』を基に再構成]

 
 
 
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[参考]日経バイオテク誌は電子書籍『iPS細胞のすべてがわかる その誕生から実用化まで』(日経BP社)を2012年10月19日に発売。2006年のiPS細胞の作製法の発見から、より効率的な作製法の開発、臨床応用や創薬研究への利用に向けた取り組み、iPS細胞研究への研究支援や規制動向など、日経バイオテク誌が伝えてきたニュースに解説を加えて再編集。ノーベル賞受賞直後のBioJapan2012での山中伸弥氏のセミナーの模様も収録。詳しくは、http://nbt.nikkeibp.co.jp/bio/entry/ipscell/


23年ぶりの勝負、石原新党がめざすもの

2012年10月26日 12時13分44秒 | 政治

永田町アンプラグド

 

口をついて出た名前は、やはり23年前の同志だった。

 
共同会見する自由民主党総裁選3候補の(右から)林義郎、海部俊樹、石原慎太郎の各氏(1989年8月)
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共同会見する自由民主党総裁選3候補の(右から)林義郎、海部俊樹、石原慎太郎の各氏(1989年8月)

 「平沼君も園田君も、最後の選挙だと思ってやっている」。新党結成を表明した記者会見で、石原慎太郎氏は平沼赳夫氏と園田博之氏の名前をあげた。1989年、まだまだ厳しかった派閥に抗し、石原氏が自民党総裁選に出馬した時の仲間。亀井静香氏も推薦人に名を連ねた。若手でグループをつくった4人が自民党を去ってすでに長い月日がたった。石原、平沼、園田の3氏が「最後の選挙」で仕掛けるのは、政界の再編にとどまらない。

 石原氏が総裁選に打って出たのは竹下登内閣がリクルート事件で倒れ、宇野宗佑内閣がたった2カ月で退陣した後の時だ。政治不信は頂点に達し、派閥に逆らった総裁選は20人の推薦人集めさえギリギリだった。作戦本部にした国会近くのホテルの一室で、20人の名簿がそろった時、園田氏や亀井氏は男泣きに泣いた。その後、石原氏は自民党の中で、地味な仕事に徹する。再び脚光を浴びたのは、自民党の野党転落後だ。

 
遊説する自民党の(左から)石原慎太郎、橋本龍太郎、河野洋平の3氏(1993年7月5日、大阪・梅田)
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遊説する自民党の(左から)石原慎太郎、橋本龍太郎、河野洋平の3氏(1993年7月5日、大阪・梅田)

 93年、政治改革を巡って大分裂した自民党の選挙戦を指揮した梶山静六幹事長は石原氏と橋本龍太郎元首相、河野洋平元総裁の3人を当時、盛り上がっていたJリーグのサッカーチームにちなんで「サンフレッチェ」と名付け、先頭に立つよう要請した。梶山氏の念頭には野党・自民党が地域ごとの政党に分かれ、石原氏を都市新党の党首にする構想もあった。

 政権から滑り落ちると、政調会長になった橋本氏は石原氏に「自民党の新たな理念をまとめてくれ」と促す。社会党委員長の村山富市氏を首相に担ぐ自社さ連立でも、石原氏は活躍した。

 だが張り切った石原氏がまとめた自民党のビジョンは実行に移されない。与党に復帰した自民党で、またもや石原氏の居場所はなくなる。「サンフレッチェ」の河野氏と橋本氏の2人は総裁に上りつめたが、ひとり石原氏は無役のまま。本人が「自民党に愛想をつかして出てきた人間だ」と語ったゆえんだ。

石原氏を支える平沼氏と園田氏も、乱になれば存在感を増す政治家だ。特に「寝業師」「新党仕掛け人」と評される園田氏は93年の自民党離党以来、新党さきがけ、無所属、自民党復帰、たちあがれ日本と、政界の再編を追い求めてきた。

 
辞職を表明する石原都知事(25日午後、都庁)
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辞職を表明する石原都知事(25日午後、都庁)

 石原氏は「いまの自民党はそんなに評価できない」「自民党は第1党だろうが、過半数をとれっこない」と、次期総選挙で乱を起こす余地は十分にある、と踏む。元号が平成に代わった直後の総裁選では56歳だった石原氏は80歳、47歳だった園田氏は70歳になった。23年前は竹下派の牙城を崩せなかったが4年後、園田氏が一方の主役を務めた自民党分裂劇の導火線になった。

 43歳の橋下徹・日本維新の会代表が登場するまでの「ワンポイントでピッチャー」と石原氏は位置付けた。23年前の勝負は、首相と同義語である自民党総裁への挑戦でもあった。今回は直ちに結果が出るのか、前回と同じく、再編のきっかけづくりに終わるのか。前回とは違い、残り時間も少ない。おそらく周辺も見通せていない。

 石原氏が発起人に名を連ね、平沼氏と園田氏がつくり、新党の母体となるたちあがれ日本は「政界再編と世代交代の両面で橋渡しの役目を果たしたい」と記している。

(丸谷浩史)


10月25日(木)のつぶやき

2012年10月26日 03時33分19秒 | ユーロ危機

私邸用土地の不正購入疑惑、李大統領が直接関与か goo.gl/JZbwM


おはようございます^^たったの半年で、電気製品半額。買う側の私たちにとっては嬉しいですが、シャープに限らず、SONY,松下、「作っても作っても赤字になるだけ」確かに、6年前DELL買った価格で2台買えましたものね。


アニコム、月足美しくなりましたわん☆


ラック、ファイト^^コムも誘ってあげてね☆


スマホは来年の今頃1000円になってるかも?そうしたら買おう^^


オタクさん素晴らしい逆張り指標。昨日ドル円、天井と言った途端・・・^^


ただ、輸出株、弱いですね。ユ二クロのみ。


蛇足さん 2012/10/25 13:14 のつぶやき(森田コラム) blog.goo.ne.jp/ringo1244/e/52…


DJ-韓国ウォン:反発、韓国中銀は介入したもよう blog.goo.ne.jp/ringo1244/e/38…