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「舫 ファインダー越しの3.11」「今日と明日を繋ぐもの」トークイベント(リンク追記)

2013-06-07 18:39:15 | 自然
安田菜津紀・佐藤慧・渋谷敦志写真展
「舫 ファインダー越しの3.11」「今日と明日を繋ぐもの」トークイベント

(コニカミノルタプラザ)1時間14分
ustream.tv↑でトークイベントの様子が見られます。

(13,06,09追記)写真展の概要・プロフィールはこちら


いろいろ興味深いお話がありました。
ちょっと長いですが、ぜひご覧になってほしいです。

佐藤一男さん(牡蠣漁師、岩手県陸前高田市米崎小学校仮設住宅自治会長)のお話の中で、
特に印象に残ったのは、最後に話されていた復興の予算についてです。

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国の助成金で被災地の工事をするとした場合、「元の形に戻すのであれば予算がすぐにつく」そうだ。(怒)
今までの街づくりの反省を生かして”こういう街にしたい”という話は「時間がかかる」と。
協議する時間が必要なのはわかるが、元に戻すほうが手っ取り早いからそれでやろうという・・・、
なぜ陸前高田でこれだけの人が流されたのか?建物が流されたのか?
それを話し合う場もほとんどなく「元に戻すのなら予算が早くつく」というのはおかしいんじゃないか。
もし、昭和40年のころに今回と同じ規模の津波が来ていたら、この町はこんなに海沿いに広がっていなかった。
被害はもっともっと少なかったはず。見通しもよかったから逃げられたはず。
国道45号線も海のそばになかった。
国道45号を封鎖するために、人々を誘導するために、どれだけの消防団員警察署員が流されたか!
その反省を生かす形も取らずに、元に戻すほうが早い予算なんて。
防潮堤の高さの話が出たとき、市のほうから12.5メートルを提示された。
元あった高さが5メートル弱くらい。
防潮堤があるから大丈夫と、逃げずに助からなかった人がたくさんいる。
今回の津波の高さが18メートルといわれているのに、12.5メートルの防潮堤で大丈夫と言えるのか。
逆に津波が来るのが見えなくなる。
また「でかい防潮堤があるから大丈夫」と逃げない街づくりを今している(怒)
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陸前高田で防潮堤工事始まる-工事費は2キロ、12.5メートルに230億 - 三陸経済新聞


そして、「桜ライン311」という活動について。

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津波による大きな被害を後世に伝える石碑はいくつも存在していたのに、それを無視した街づくりによってたくさんの被害を受けてしまった。
人は便利なところに住みたくなる。
平らな、漁業者なら海のそば、道路のそば・・・
しかし危険性は伝えていきたい。どうしたら?
石碑ならまた埋もれてしまうかもしれない。
桜の木なら埋もれず、毎年なぜここに桜の木が並んでいるのかと語り継がれるのではないか。という思いから。
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小説取材ノート(23)陸前高田=津波と聞いたら欲捨て逃げろ
(穂高健一ワールド~書斎の小説家が街に飛び出した、気鋭のジャーナリストとして)
『低いところに住家を建てるな』 『地震があったら津波の用心』 『それ津波機敏に高所へ』 『津波を聞いたら、欲捨て逃げろ』(石碑より)

支援活動報告ブログ 広田半島(桜ライン311) 



消防団の副部長だった佐藤一男さんは、避難者が約180人という大きな規模の避難所でまとめ役を任された。
そのような混乱する大勢の人たちをまとめる時に必要な3つのポイント
・平等性(ズルをしない)
・情報公開(話を保留せずその場で答える)
・完全周知(常に全体に聞こえるよう大きな声で指示をする)


それから、フォトジャーナリストの佐藤慧氏のお話も。
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陸前高田の自宅からは、防潮堤と松林で海は見えなかった。
今は、平地の一番奥からでも海岸が見える(そのくらい実は海が近かった)
事前に行われていた避難訓練では、避難場所に指定されていた小学校(全壊した)に行くのに、川の橋を渡らなくてはならなかった。
地震の後、橋は封鎖されるため徒歩で避難するしかない。
津波の避難で川の上を渡るというのはおかしな話だ。
(佐藤慧さんのお母さんは、川を遡上9キロ奥で遺体で見つかった)
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いろいろ、災害対策の問題が見えてきます。
実際に被害が起きて初めて問題だったとわかるなんて悲しすぎます。
でも、佐藤一男さんの声さえかき消され、届かないのです。
人ってなぜ懲りないのでしょうか・・・・・
自戒を込めてですけど。