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「毒を以て毒を制す」

2011-05-08 13:52:56 | 自然
「原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~」

日本に原発がどのようにして導入されたのか。

1994年に放送されたものなので、見た方はご存知かと思います。

私たちの中に刷り込まれたものをどうしたら変えていけるのか。

2011年はもしかしたら、じわっと、歴史が動く予感?

ぜひ動いてほしいです。

どうか、良い方向に進みますように。



原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~(You Tube)
(NHK「現代史スクープドキュメント」/1994年放送)約45分




番組内容。

”去年12月、アメリカ政府は
核開発に関わる隠された事実を明らかにした。
冷戦が本格化した1940年代後半から50年代、
放射能の影響を調べる人体実験が行なわれていたというのである。
こうした中、アメリカはもう一つの巨大な実験を準備していた。”
というコワイ語りでスタートします。

内容は1950年代の、日本への原発導入にかかわる動きについて。
戦後日本が、貧困によって共産化する恐れを抱いた、ある日本人たちは、

「毒を以て毒を制す」を合言葉に、
当時ソビエトと原子力開発の力比べをしていたアメリカと
手を結ぼうと考える。

ソビエトに少し先を越されたアメリカは、
”Atoms for Peace”
(アトムズ・フォー・ピース/原子力の平和利用)を提案する。
が、実はその裏で、アメリカ対ソビエトの、
”核の脅威を煽り立てる宣伝合戦”があったとされる。

そんな中、

ヒロシマ・ナガザキから10年たたないこの時期に、
第五福竜丸事件が起こって、
日本ではさらに、アメリカに対する不信感、
原子力・放射能に反対する声が高まっていた・・・

にもかかわらず、

アメリカは懲りずに日本を勢力下に置こうと考え、

一方でソビエトは、第五福竜丸事件による日本のアメリカ離れを期待し、
日本との国交回復の好機と捉えた。

(実際の日ソ国交回復は1956年→日ソ共同宣言

”毒を以て毒を制す”を合言葉にするその人たちは、
国内の二つの大きなマスメディア(新聞社とテレビ局)を意図的に利用した
「原子力平和利用大キャンペーン」で国民を巻き込み、政府を動かし、
第五福竜丸事件の(アメリカに都合の良い条件付きの)政治決着を待って、
アメリカと原子力協定を結び、
日本は、アメリカに濃縮ウランを供給されることになった。


・・・かなり簡単にまとめましたが。


でも、このドキュメントの内容が、事実と違うところもあると指摘する声もあり、

NHKもマスメディアなわけだし、

英語の翻訳も、実際の発言とのニュアンスの違いもわからないから、

すべてを鵜呑みにしていいのかどうかわからない。

ただ、事実がかなり含まれていることは確かなようです。


............................................


動画のテキストはこちら。(非公開:パスワード[0000])


この動画の中の疑問・気づいたことなど。

・第五福竜丸の乗組員、久保山愛吉さんが亡くなったのは1954年9月23日。
 →動画では「1954年8月23日」になっている。
 (福竜丸・久保山さんの死因は高放射線による多臓器不全
・東海村での臨界実験で、初めて原子炉が臨界に達したのは、「1957年8月27日」
 →動画では「8月20日」になっている
 (第129回スーパーサイエンスセミナー 原子力事始めの頃から→P13、P16)
・「6月21日、日米原子力協定がワシントンで仮調印された。」→正式調印は11月14日。
 (1955年の政治日米原子力研究協定の成立
2011/05/09追記:
・「1953年8月12日、ソビエトはアメリカに先んじて実用的な水爆の開発に成功した。」
 →RDS-6(Wikipediaより)”RDS-6は、1953年8月12日に実施されたソビエト連邦初の核融合兵器実験。””RDS-6は真の水素爆弾ではなく、””ソビエト最初の真の水爆実験は、1955年11月22日に実施された RDS-37 であり...”