ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

残光

2006年04月23日 22時52分50秒 | 古い日記
「何も、本当に沈める事はなかったんじゃないか?」

と、後々言われた、
アルゼンチンの巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」について
英海軍はこう述べている。

「あの状況になればわかるよ。大砲はやっぱり恐い。」

知らない?

1982年のフォークランド紛争でイギリスの原子力潜水艦に
撃沈されたアルゼンチンの艦だよ。

まあ、いいや。

とにかくそのアルゼンチンの巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」
の元の名前は「ディエシシエテ・デ・オクトブレ」だった。

さらに、その船の前身は...。

米海軍の巡洋艦「フェニックス」であり、
ニューギニア沖にて日本軍機の攻撃を受け損傷している。

もっとその前には...
1941年の「真珠湾攻撃」の時、真珠湾内に停泊していた。
(何故か?その時は無傷)

「ヘネラル・ベルグラーノ」を沈めたのは英国の原潜「コンカラー」(HMS Conqueror)

手段は魚雷による攻撃。

しかも、その魚雷は第二次世界大戦の時の「MK8直進魚雷」で、
英海軍の武器弾薬在庫処分の意味も兼ねていた、という。

以下、巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」略歴。

1982年 フォークランド紛争で英原潜「コンカラー」(HMS Conqueror)の雷撃を受け沈没。
1956年 「ヘネラル・ベルグラーノ」[General Belgrano]と改名 。
1951年 米からアルゼンチンへ売却、「ディエシシエテ・デ・オクトブレ」[Diecisiete de Octobre]と改名。
1946年 米海軍退役。保管船となる 。
1944年 ニューギニア沖にて日本軍機の攻撃を受け損傷 。比島沖海戦に参加 。
1941年 日本海軍の真珠湾攻撃に遭遇するも無傷。
1938年 竣工
1935年 4月15日 ニューヨーク造船にて起工

以下、不確かな記憶だが。

「フォークランド紛争」でも、「グルカ兵」が最前線で戦っていた。