「懐かしい」とか「思い出」とかではなく、
むしろ「忘れ物を取りに行くような気持ち」で書くけど。
その昔、俺は中野に住んでいた。
木造3階建てで、家賃一万六千円(キッチン・風呂なし)
という、当時としても・・・悪いほうの意味でかなり記録的な所・・・
に住んでいたね。
その時、よく行っていた銭湯は今でもあるらしい。 詳細 → ここ。
この写真のおかみさん(当人?だと思うけどなあ?)当時は俺と同い年だったよ。
いや、そんな筈は絶対ないけど「気持ち的には」それくらいに見えた。
それと...。多分、小学生だったと思うけど。
その息子らしき子供をよく見かけたな。
なんか、夜9:00頃になると、その子は一般客とは別に・・・
「風呂の裏の方」から入ってくるんだ。
で、体と頭を洗ってお湯にしばらくつかった後、また「風呂の裏の方」に帰っていく。
(あれえ? もしかして...銭湯やってる家って、内風呂は無いのか?)
まあ、江戸時代から続く「銭湯文化」の奥深さを垣間見たような気がするが...。
あえて、それ以上、真相を追求する気にはなれず、今日に至っている。
むしろ「忘れ物を取りに行くような気持ち」で書くけど。
その昔、俺は中野に住んでいた。
木造3階建てで、家賃一万六千円(キッチン・風呂なし)
という、当時としても・・・悪いほうの意味でかなり記録的な所・・・
に住んでいたね。
その時、よく行っていた銭湯は今でもあるらしい。 詳細 → ここ。
この写真のおかみさん(当人?だと思うけどなあ?)当時は俺と同い年だったよ。
いや、そんな筈は絶対ないけど「気持ち的には」それくらいに見えた。
それと...。多分、小学生だったと思うけど。
その息子らしき子供をよく見かけたな。
なんか、夜9:00頃になると、その子は一般客とは別に・・・
「風呂の裏の方」から入ってくるんだ。
で、体と頭を洗ってお湯にしばらくつかった後、また「風呂の裏の方」に帰っていく。
(あれえ? もしかして...銭湯やってる家って、内風呂は無いのか?)
まあ、江戸時代から続く「銭湯文化」の奥深さを垣間見たような気がするが...。
あえて、それ以上、真相を追求する気にはなれず、今日に至っている。
かなりデカイです。
もちろんかなり古いです。
こんにゃく閻魔様の近くでした。
近日中に当方のブログにUPしますので
ぜひご覧下さい。
驚くべき事にまだ住人がいました。
その1年後にはサラ地になってましたが、
今はどうなってるんだか?
景観が一変していて、都電が走ってくるまで
どこにいるのか正直わからなかった。
昔、2年ほど暮らしたから少しは痕跡があるか
と思ったが確認出来なかった。
しばらく、考え込んでしまった。
時代だった、と思いますよ。
別の場所ですが。
あの踏み切り事故のあった東○線の○○○駅なんか、
私がいた頃と変わってないようです。
手動で遮断機を上げ下げするんですよ。
当時から事故が起きないのが不思議でした。