昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
アンティークなラジオを中心とした、自由でお洒落な、なんちゃってワールド♪

上質、極上の風格 G-SHOCK TheG GIEZ

2007-03-31 | 三流オトコの二流品図鑑
 スポーツシーズンの4月を迎えるにあたり、ゴルフやテニス、ちょっとしたアウトドア・スポーツ用に落ち着いた大人のカジュアルテイストを持つ電波受信機能&タフソーラーモデルのG-SHOCK、TheG GIEZ(GS-1000J-1AJF 税込36,750)を20%OFFで購入した。

          

 GIEZは、G-SHOCKで初めての耐衝撃構造でありながら、JJYなどの標準電波を受信し時刻を自動補正する電波受信機能、タフソーラーに加え、7針+デイト表示のワ-ルドタイム付きクロノグラフモジュールを搭載しているモデルだ。1/20秒ストップウオッチをはじめ、世界27都市ワールドタイムなど、使い勝手を考慮した多彩な機能を7つの針で表示する。

 電波の受信機能について言えば、10万年に1秒の誤差という正確性を誇るセシウム原子時計を元に発信される「日本標準時」を受信し、時刻を自動修正してくれるので、常に誤差は0秒です。つまり電波時計は、内蔵された高感度小型アンテナで、時刻情報電波を定期的に受信、時刻を自動修正することで正確な時刻を表示し、時刻合わせの手間を解消するものです。日本国内ではJJYの福島局(40kHz)と九州局(60kHz)の両局の電波を自動的に選局・受信し、日本全国、どこでも自動的に正確な時刻を表示します。また、アメリカ、コロラド州の標準電波(WWVB:60kHz)も受信可能。ホームタイムをロサンゼルス、デンバー、シカゴ、ニューヨークの4都市から選択し、設定するだけで、アメリカの標準電波を3000kmの範囲で受信し、時刻を自動修正します。更に、サマータイム期間も自動修正するので、これも時刻合わせは不要です。

          

 G-SHOCK、TheG GIEZは、引き締まった表情を与える黒の文字板、メタルパーツと樹脂を組み合わせたケースのコントラストが、落ち着いた雰囲気の中にもスポーティさを醸し出している、渋い大人のためのモデルだ。外装はメタルケースやスクリュウバックなどメタルパーツが多く用いられ、質感・装着感ともにG-SHOCKシリーズを超えるクオリティを実現しており、今のG-SHOCKにはないしっかりとした重量感を楽しめる数少ないモデルです。写真では分かりにくいが、ケースはステンレススティール・フルメタルで重量感のある高い質感だ。

          

フェイスのメタルケースにブラックIP処理を施し、ヘセルの差し色や、文字板ロゴ、クロノグラフ秒針などにコールドを採用したモデルも3月に発売されたが、あえてシルバーとのコンビ・タイプのモデルを買った。

          

 日本トップクラスの計算機メーカーにしてデジタル時計メーカー「カシオ」(CASIO)は、1983年には耐衝撃腕時計“Gショック”(G-SHOCK)を発売したが、発売当初はその独特の外観から、アメリカなど、ごく一部の市場でしか受け入れられなかった。しかし約10年後、ファッショントレンドの変化とともにその機能・デザインが再評価され、全世界で爆発的なヒットを記録して現在に至っていることは広く知られている。

          

「カシオ Gショック」(CASIO G-SHOCK)は、「どんな過酷な状況でも壊れない、タフな時計をつくる」というコンセプトのもと、何百という試作品を壊した末に完成した。
 その真髄は、時計の心臓部であるモジュールを宙に浮いたように支える構造や、それを絶妙のコントロールで包み込む緩衝材など、ケース内部の対衝撃構造に凝縮されている。衝撃をただはね返すのではなく、吸収し打ち消してしまうことで、頑丈さや屈強さを超える、「しなやかな強さ」を実現しているわけだ。

 GIEZではインジケーター針と呼ばれる本来の秒針は、電波の受信状態や世界時計モード時にどの時間帯を示しているのかを表示する。またインジケーターはストップウォッチモード時に秒針として回転する。
で、一番下の小さい針が秒針だ。ストップウォッチモード時は、1秒をもっと細かく表示する。右の小さいのは世界時計、そして左の小さいのがストップウォッチモードで働く。

          

 ソーラー充電は、ごく普通の使用に際して特に充電しなければいけないといったこともなく、蛍光灯の明かりでも止まることなく駆動するそうだ。
若干、重たいところがネックかもしれないが、まあ、重量感は個人それぞれの印象ですから。ボクは以前から、総チタン製の腕時計をしていたものだから重く感じるのかもしれない。
あと、落としても衝撃に強いのが売りのG-SHOCKだけあって、重量感とタフさはやはりカシオの腕時計という印象・・・ 店員ユーからの情報によると、一部の現役スッチーたちにも人気のあるモデルだそうです。
そんな訳で、今のところ結構満足していたのだが、先週、店員より「文字盤がブルーのタイプのを買ったyo♪」とメールが入ってきた。

勝手にペアウォッチにしないでほしんですけど・・・。

KTWR 太平洋の声日本語放送 30年の歴史を閉じる

2007-03-29 | ラジオ歴史
          

KTWR日本語放送公式ホームページより】
 KTWR日本語放送「太平洋の声」は、日本時間3月24日の夜の放送をもって終了することになりました。1977年のスタート以来30年間、番組を通して、皆様に「神の愛・聖書の福音」をお届けすることができましたことを感謝しております。海外日本語放送が次々と終結した後も、「太平洋の声」が今まで放送継続できましたのは、皆様が番組を聴いてレポートをお寄せくださり、また放送継続のためにご献金くださったからで、応援してくださった皆様に心から感謝しております。
 放送終結の最終決定に至るまでに、さまざまな可能性を考えて話し合いを重ねてまいりましたが、これ以上の継続は経済的に非常に困難であると判断した次第です。
 お別れに当たり「太平洋の声」では3月末に2週間にわたっての特別企画も考えております。昔懐かしい声もお届けする予定でおります。特別ベリも発行いたしますので、ぜひお聴きください。なお、私どもは、皆様に短波放送というメディアではお別れを申し上げることになりますが、ラジオ「世の光」(AM・FM)、テレビ「ライフ・ライン」、テープマガジン「めぐみの声」でも番組をお届けしております。
 また、「あすへの窓」「バイブルウェーブ」「希望の灯」は、インターネットでもお聴きになれます。これからも、続けて番組をお聴きくださいますようお願いいたします。
 長い間のご支援をスタッフ一同、心から感謝しております。


 2007年3月24日をもって30年間続いた日本語放送を終了したKTWR太平洋の声の運営母体は、プロテスタント系伝道放送局のトランスワールドラジオです。モナコからの欧州向け、スワジランドからのアフリカ向け放送、そして1977年にアジア オセアニアへの伝道を目論みグアムに開局した。その後、アジア最大の伝道放送局FEBCのマニラコーリングを吸収合併するような形で存続した放送局だ。

          

 DX年鑑によると、開局当時は朝6時からの1時間、午後7時半から10時まで、10時から11時半までの放送と、かなり時間をとって日本語放送を行なっていたことがわかります。確か朝の番組は本当に信仰を中心とした番組構成だった一方、夜の方は伝道師による説教風あり、おしゃべり風あり、さらにはグアム現地からの番組やDX番組などもありBCLブームの熱にうなされる少年リスナーを取り込んでいこうという構成だったようです。受信レポートを送るとお礼に返信されてくるベリカード(受信確認証)には送信機や空中線まで記入されており、送信機はハリス社のSW-100とTCIの4バンドカーテンアンテナを使い100kwの出力で運用されていたことがわかる。

          

 ただしKTWRにはベリカード発行基準があり、通常の受信報告に加え、25分以上の受信時間と番組の感想の記載、100円分の切手とネームシール(2.5×6cm以内)を同封する必要がある。放送の運営資金を信者さんの浄財で賄われている関係上、リスナーに対するそうした要求も致し方ないところか・・・。

 正直言って、この手の宗教局に対してコメントを書くのは、気が重い。正月には神社にお参りし、お彼岸・お盆には仏壇とお墓参りをし、クリスマス・イヴにはケーキで祝う・・・といった具合で、特別な信心のないボクが暇つぶしに放送を聞くのだから主の御託宣だって心に残るはずもない。東京のスタジオで制作されたテープをグアムの送信所から送信するスタイル(今はネット回線によるデータ転送かも・・・)のため、南国ムードを演出したバラエティーチックなトーク番組でも、日本製だと思うだけでシラけてしまうのは年をとった証拠か・・・高齢化!?

 キリスト教の伝道が目的の放送局とは言え、主の教えを明るく、楽しく、分かりやすく伝えようとする努力が、鼻についてしまうのです。5年前にKTWR開局25周年の特別番組も聞いたのだが、「BCL界25年を振り返って」っていうのはまあ聞き応えありました。が、他がいけません。パーソナリティ同士で、互いにチャン付けで呼び合う姿は、もはやオヤジに片足を突っ込んだお兄さんの店長としてはついて行きがたい。後は押して知るべし。ワイワイ、ガヤガヤ騒ぐだけ騒いで、「お子様相手に媚びてどうするの・・・?」って番組の様相に嫌気がさしてしまいました。
世界の大多数を占める「絶対神」の一つであるキリスト教に対して、我々日本人のDNAに往き続ける「八百万神」は、自然・生命・現象など万物すべてに霊性・神性が宿ると考え、この霊性すなわち霊(たま)=魂(たま)が神であると捉えており、キリスト様もアッラー様もすべて受け入れ流してしまう、節操のない価値観とともに過度な宗教おびた異文化が根付かない側面を持ち合わせるのだと感じる次第です。

 KGEI、KWHR、KTWR・・・コレなんだかわかります?アメリカ合衆国西地区コールサインのプリフィックスである「K」の後に続く3文字を局の名前や地名にちなんでつけたコールサインを冠した局を集めてみました。KTWRは、K+TWR(Trans World Radio)と頭文字っていうのは言わずもがな、こんなところはアメリカらしくて面白い!コールサインまでも商業ベースにして売り込んでよろしいってわけでしょう。確かアマチュア無線の世界でもバニティコールサインっていって90年代に選べるようになったと記憶しています。日本もやっとこカーナンバーや携帯電話番号が選べるようになりましたが、我が国お得意の猿真似だよ・・・ってか、こんなところも八百万神の国ゆえになせる技かも知れません。

BCLカタログ(三才ムック刊)と最後のKTWR 太平洋の声放送

2007-03-25 | 昭和三丁目の真空管ラジオ
 三才ムック社から、1970年代、一大ブームを作った「BCLラジオ」の全50機種をカタログ風に紹介『BCLカタログ』(定価1995円)が発売された。本ブログの「三流男の『脱』一流品図鑑」でもご紹介したスカイセンサーやクーガーなどの名機が、30年のときを経てよみがえる。

             

☆BCLブーム回顧…メーカーがこぞってラジオを出していた20年前を振り返る
☆2大メーカー・ソニー&松下徹底比較 もっとも人気ある『ICF-5900』と『クーガー2200』を比較
☆機種カタログ 松下、ソニー、東芝、三菱、日立の50機種を紹介
☆故障ポイント+修理方法 中古で購入するしかないのでよく故障するポイントの紹介や修理方法をアドバイス
☆中古の価格相場 ヤフオクでの買い方など
☆現在受信できる海外放送周波数一覧
★特別付録 ソニー・『スカイセンサー5900』と松下・『クーガ2200』の取扱説明書(ダイジェスト版)

          

 「カタログ」と言う名前が付いていますが、写真集の雰囲気で編集された誌面は圧巻。昔持っていた ICF-5900/スカイセンサー5900 を見ると昔の想い出が甦り、また高くて買えなかった ICF-6800 を見ればため息が出てくる。ノスタルジーに浸りながら、1年前にオークションで落札した ICF-5800/スカイセンサー5800で、ここ1ヶ月以上バンドスイッチをあわせていなかった短波に切替え、ゆっくりとチューニング・ダイヤルを回してみた。フェージングを伴ない31mbで入感するKTWR太平洋にダイヤルを止め、この本のページをめくっていた。

          

 ところが!何と今日3月24日が最後の日本語放送とのアナウンスに愕然とした・・・。
最初の15分間は通常番組の「バイブルウェーブ」、その後の30分間は特別番組「KTWRラストスペシャル・みんなにありがとう!」という特別番組で編成され、過去にKTWRで放送された番組の冒頭部部分のオンエアーが中心であったが、多くの元アナウンサーのコメントが流れたりしてた。

          

 KTWR「太平洋の声」が日本語放送を開始したのが30年前の1977年。グアムのメリッソ送信所からのキリスト教海外放送でありながら、短波情報やグアムのホットな話題から人生を考える番組まで幅広い内容とトロピカルムード満載の日本語番組を毎日1時間近く放送していた。キリスト教の伝道を目的とした放送局ですから、当然、アナウンサーの方々にもクリスチャンが多いのですね。コメントの中にもキリスト教の信仰についての話があったりするのもKTWRらしいところ。
 30年間の歴史の最後を飾る番組終了アナウンスは、「次の放送をお楽しみに♪」で終わったが、次は無いだけに、複雑な思いで聴き終えた。

 しかし偶然と言うのは怖いと言うか、偶然と言うよりは何かの必然として、最後のKTWR日本語放送に導かれたのでしょう・・・。

 数年前から中高校生の頃にBCLに嵌まっていたオジサンたちの間でリバイバル・ブームとなっているらしい。現在ではオークションなどを利用し、中古で購入するしかないが、美品・調整済みと称されるBCLラジオが当時の定価かそれ以上の相場で取引されている。

          

 なお本誌には、オークションで購入したBCLラジオのよく故障するポイントの紹介や修理方法も掲載されており、レストアの参考となる。ただ基本性能に関しては、トランジスタやFET、ICなどの素子を交換し、調整する必要があり、あくまで「参考」程度の内容です。

 インターネットの普及や様々な要因で30年前に比べ多くの日本語放送が廃止となった。そして今、当時のBCL少年だった30代後半から40代のBCLオジサンが復活していると言うのも皮肉な話である。
 ラジオにはノスタルジーだけではなく、「心を癒す」何かがある。そのあたりは追って記事にしますのでお楽しみに!

フォルクスワーゲン ゴルフⅡ GLi

2007-03-20 | 三流オトコの二流品図鑑
 PCの入れ替えのためにデータを整理していたら、現用のライトバンに乗り換える以前の愛車、VW ゴルフⅡ GLiの写真が出てきた。ゴルフ (Golf)は言わずと知れたドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンの主力モデルだ。’74年に初代モデルが登場して以来30年、現在は5代目のゴルフⅤまで進化している。 

          

 車名の由来はスポーツのGolfではなく、 メキシコ湾(ドイツ語で Golf von Mexiko )の風」から。なお、VWの車名は、風の名前から取ることが多い(ジェッタ、ヴェント、 ボーラ、シロッコetc)。ジジアーロがデザインした初代ゴルフは、エンジン横置き前輪駆動方式と、効率的なキャビンスペー スを持って登場し、世界中で大ヒット。ビートルの後を継いでフォルクスワーゲンの代表車種となり、また世界の小型車の 模範とされた。
2代目となるA2は 初代デビューから9年後の1983年に登場(カブリオレを除く)し、現在のポロ位の大きさで、初代のコンセプ トをうまく継承しつつ、以後8年間にわたってGolfの地位を確固たるものとしたモデルでもある。

 以前乗っていたゴルフⅡ GLiは、89年式1.8リッター直4SOHCの4つ目グリル仕様を中古で購入。国産車とは一線を画したその造形美は、今をもってしても痺れさせる魅力を放っている。ただ、新車時250万を越す価格は、「夢のまた夢」であった事も事実。ボクの知るところ、国産2BOXカーでは満たされぬお坊ちゃま/お嬢様やヤンエグ(ヤング・エグゼクティブ:死語)御用達のビギナーズ輸入車であり、BMWやAudiへステップアップする通過点のクルマでもありました(^^; それを思うと、合理性に美意識を求め(その実はヤンエグを気取って)TOYOTAカムリから中古のVW ゴルフⅡ GLiを無理して買った、あの頃の自分が恥ずかしくもあり、逆に我ながら振り返ると微笑ましい気さえする(笑)

          

 非力なセルをスタートさせるとゴルフⅡでお約束の、あのブルブルという独特の振動が伝わってくる。これは単にマウントの構造が悪いといってしまえばそれまでだが、それ以上にエンジンの共振処理の関係なんでしょうね。
ゴルフⅠを絶賛し、30年間ゴルフを世界のスタンダード・カーとして毎年持ち上げたり、コキ下ろしたりしつつ、昨年をもって終了した『間違いだらけの。。。。』で有名な評論家・徳○寺大先生なんか露骨に「嫌い」とコメントしてましたが、個人的にはこの振動は、なんか「車を運転してる~♪」って感じがして好きです(^^
この振動は、アイドル時だけで、走り出せば全く問題なく、トルクが低中域にうまく配分され、パワーをストレートに感じるところも魅力だった。
 ワイディングロードではFF車のためか、FR車独特のあの後ろからついてくるフィーリングとは異なり、加速減速時に関わらず、車が「ひと塊り」になってついてくるという感覚だ。ライン取りさえ間違わなければかなり速く走れる車である反面、このクルマに限らずFF車の場合、限界で滑り出したら「車もろとも♪」が待ち受けている。その一歩手前を何度か経験し、決して無理をしない優良運転手に成長させてくれたのもゴルフⅡに出会ったからこそだろう。
 どこからでも加速するトルクとコンパクトボディ+FFの特性を十分生かしたコーナーリング性能。この2つの良さを絶妙なタッチで表現しているちょっとひ弱なシャシーと、偶然?にもできたパッケージの良さがこの車の特長ではなかろうか。

          

 いまだにゴルフⅡで「ゴルフは終わった」と言う人も多くいるが、’90年前半というのは、’70年代半ば、ゴルフⅠの誕生から派生した考え方で時系列的に進化した「クルマづくり」のコンセプトから転換期の時期だったのかもしれない。
その中には、「持つ喜び」とともに「乗る楽しさ」や「操る楽しさ」が、今以上に含まれていた事は周知の事実であり、Ⅲ以降のゴルフとの違いが良くも悪くも大きくクローズアップされる丁度「節目」のモデルとして、新旧の特長がより鮮明に浮かび、そのギッャプが先の「終わった」という表現に繋がっていったと思う。

 まぁ「レコードからCDに替わっていった時と同じ」と例えるのは、少し乱暴でしょうか。
そんな議論の対象にもなった車ですから、後々の為にも、誰か周りに所有しておられる方がいたら、ぜひ乗せてもらっておいてください。

東京芝浦電気(TOSHIBA)「マツダ タイマーラジオ 」 5EA-72

2007-03-12 | 東芝 かなりやシリーズ
 東芝「かなりやシリーズ」「うぐいすシリーズ」の発売当初、同メーカーからは今回ご紹介する「マツダ タイマーラジオ 5EA-72」のほか、「マツダ 地球儀ラジオ 5LE-92」「マツダ ピアノラジオ 5BA-50」といったつい笑ってしまうお洒落?なネーミングの奇妙なラジオも発売されていた。

          

 マツダ タイマーラジオ5EA-72は、昭和30(1956)年頃に発売されたプッシュ式選局ボタンが特長の「ピアノラジオ」の回路にタイマー機能を加えたmTトランス式5球スーパーである。
かなりやシリーズよりやや大きめで一体形成のキャビネット筐体の天板、底板には緩やかな曲面処理が施され、V字型にスリット加工された正面パネルの造形も凝っている。その正面中央に位置するタイマー用ダイヤルを中心として、向かって左側にスピーカー、右側に5つのプッシュ式選局ボタン、そして右側面にON/OFFスイッチとボリューム、周波数同調ダイヤルが配置されている。

          

 同じプッシュ式ラジオでも、ピアノラジオの奇をてらった野暮ったさに比べ、このタイマーラジオはずっと部屋に飾っておきたくなる造形美と機能美を兼ね揃えたデザインの真空管ラジオだ。正面下の金色の塗装は、ご愛嬌・・・当時の物価水準から考えると、決して安くないラジオを豪華に見せる手法なのか、この時代のラジオには必ずゴールドの配色を取り入れている。5つのプッシュ式選局ボタンは、ボタンの裏にあるシャフトネジを回して長さを調整後、そのシャフトをボタンで押すことで、ギアを伝ってバリコンを回す機構となっている。バリコンは周波数表示を兼ねた周波数同調ダイヤルと連動しており、ダイヤルを回して同調の微調整やプリセットした周波数以外の選局も可能な仕組みとなっている。

 メーカー:東京芝浦電気(TOSHIBA)『マツダ タイマーラジオ 5EA-72』

 サイズ : 高さ(約18cm)×幅(約35.5cm)×奥行き(約14cm)

 受信周波数 : 中波 530KC~1650KC

 使用真空管 :12BE6(周波数変換)、12BD6(中間周波数増幅)、12AV6(検波&低周波増幅)、35C5(電力増幅)、25M-K15(整流) 

 人気の「かなりやシリーズ」は例えジャンク品であっても、オークションでは高値で取引されることが多い。しかしこの「タイマーラジオ」、ベークライト製キャビネット表面は化学薬品により腐食されたようなひどい痕跡があり、以前にご紹介した「ピアノラジオ」と同様、怪しすぎるために誰からも入札されることもなく、すんなり手に入れることができた。

          

 送られてきた品のキャビネットに、割れ・欠け・傷はなく、ツマミ類も全品揃っているが、キャビネット表面は、薬品で浸食された様に劣化して惨憺たる状態だ。内部を点検すると、真空管はオリジナルのマツダ製が使われているが、電源コードが切断され、ヒューズも取外されていることから、何らかの大きなトラブルが発生し、放置されていたものと思われる。

          

暗い過去と心に傷を背負った女性を思わせる『妖艶な、魅惑の真空管ラジオ』は、彼女の「置き忘れた思い出」が詰まった小箱のようで、切なさが込み上げる。別々の道を歩んだ二人の時間を取り戻すように、このラジオの修復を決意したが、とてもボクの手に負える状態ではない。
 そこで後世に真空管ラジオの修理技術を継承していく事を目的に、『真空管ラジオ修復記』というHPを開設・主宰され、100台以上のラジオを修復されておられるドクターKの診察と治療を受けることにした。

          

 診断の結果、ブロック型ケミコンの電流漏洩、電力増幅管35C5のヒーター断線、ヒューズホルダーの接触不良、スピーカーのボイスコイルの断線といった複合要因が絡み合い、電源コードは切断され使える状態ではないことが判明。電源回路の電流漏洩は重大な事故に繋がる可能性があり、これほど複雑な事象と要因を解析されて原因を解明後、適切な処置をほどこして復元いただける技術は神業と言うほかない。

          

 機能を果たしていないケミコンと信頼性の低いオイルコンデンサーを全品交換、スピーカーも新品に交換されたタイマーラジオに、ボクの手持ちの電力増幅管35C5(新品)を挿して電源を入れてみた。

          

 パイロットランプのネオン管と真空管のヒータが薄暗く点灯し、暗い過去を背負った『妖艶な、魅惑の真空管ラジオ』は、心の傷が癒えたかのように、スピーカーから地元の民放ラジオ・NHK中継局や大都市圏の放送を明瞭に響かせる。

          

 しかし朽ちたように輝きを失ったキャビネットは、全面塗装するしか修復の手立てはなさそうだ。ただし塗装の失敗は決して許されない。その意味で塗装のリスクは高く、躊躇していたところへ、比較的程度のよいキャビネットのタイマーラジオを手に入れることができた。

          

 ここでようやく掃除屋店長の出番だ。(笑) マジックリンのようなアルカリ性や溶剤入りの洗剤は避け、中性洗剤とハンドタオルで丁寧に汚れを落とし、乾燥後、樹脂の保護と艶出しのためにプラスチッククリーナーで研磨する。時間はかかるが、樹脂製キャビネットを痛めないで表面を活性化する一番の方法である。

          

 深夜、裸になったシャーシーとスピーカーから聞こえるNHKラジオ深夜便を聴き流しながら、キャビネットや透明プラスチックでできたダイヤルなどのパーツを丹念に磨く。

          

 タイマーラジオの特長であるプッシュ式選局ボタンを取外し、修復済みシャーシのバリコンに取付けた。写真中央に写っているシャフトネジをマイナス・ドライバーで回して長さを調整後、選局ボタンを押すとシャフトからギアを伝ってバリコンを回す構造である。

          

 プッシュ式選局ボタンに、ロットリングペンを使って丁寧な文字で「ラジオ東京」(現在のTBSラジオ)と書かれた紙片が挟まれたところなど、昭和レトロの時代の味わい深さが滲み出ている。

          

 深夜2時過ぎ、チューニングダイヤルを旧ラジオ東京/現TBSラジオ 954kHzにあわせると、混信やフェージングもなく、パーソナリティー小池栄子とゲストによるトークが聞こえてきた。男の感性のアンテナに引っかかるトークと音楽、大人の男の「音楽的好奇心」を刺激する、リニアな音楽番組に聞き入ってしまった。

          

 翌朝、新品と見間違えるばかりの外観を取り戻したタイマーラジオに、窓から差し込む朝の光りが映りこみ、輝いてる。
数時間前までTBSの電波は消え、ザザッと空電ノイズだけが虚しく聞こえてくる。

          

 地元民放ラジオ局にチューニングダイアルを合わせると、沢田研二が唄いヒットした「時の過ぎ行くままに」が流れてきた。

  あなたはすっかり疲れてしまい 生きてることさえ嫌だと泣いた
  壊れたピアノに思い出の歌  片手でひいてはため息ついた
  時の過ぎ行くままにこの身を任せ、男と女が漂いながら
  落ちていくのも幸せだよと 二人冷たい体合わせる

  体の傷なら治せるけれど心の痛手は癒せはしない
  小指に食い込む指輪を見つめあなたは昔を思って泣いた
  時の過ぎ行くままにこの身を任せ、男と女が漂いながら
  もしも二人が愛せるならば窓の景色も変わっていくだろう

 暗い過去と心に傷を背負った女性を思わせる『妖艶な、魅惑の真空管ラジオ』が、『今を生きる女』に生まれ変わった姿を前に、ボクは思った。

男と女の恋愛にまつわる普遍性があるから人生、人間の生き様に価値がある!

衝撃のBCLラジオ④ TFM-2000F

2007-03-10 | 三流オトコの二流品図鑑
 SONY TFM-200Fは、いわゆるBCLラジオであるスカイセンサー・シリーズが出回る以前から発売されていたワールドゾーン・シリーズの下位機種であるTRシリーズの流れをくみ、海外駐在員や報道機関などで使われていた短波受信対応トランジスタラジオのデザインが気に入り、オークションで落札した。

          

 海外のBCL(Broadcasting Listening / Listenerの略:放送受信を楽しむことマニア)雑誌か何かの紹介記事の中で、机の上に置かれたTR/TFMシリーズの手提げハンドル付筐体と、全バンドを俯瞰できる横行ダイヤル・スケールのチューニング・ダイヤルに指をかざして微笑むおじさんの写真が、『大人のラジオ』の雰囲気を醸し出してカッコよかったことを思い出す。

          

 TFM-200Fの発売は1969年11月、MW/SW1~4/FMの6バンドをカバーし、背面にはアンテナ、アース端子のほか、クリスタルのソケットを装備するが、SSBやCW(モールス信号)を復調するBFOはついていない。単一乾電池4本を入れると自重は4kg。電源はDC6V(単1x4個)およびAC100V/117V/220V/240V選択可能なシリーズ電源を内蔵しており電源コードも本体内に格納する。

 受信周波数
    MW 530~1605KHz
    SW1 1.6~3.5MHz
    SW2 3.5~7MHz
    SW3 7~14MHz
    SW4 14~26.1MHz
    FM 76~90MH

 チューニング・ノブは重いフライホイールによる素晴らしい操作感が味わえるとともに、全バンドFETによるRF付きのため、高感度・高S/N比で受信できる。音の良さは評判どおりで、朗々と響く。こんな存在感、質感を持ったラジオはもう作られないのでしょうか。ロッドアンテナは取手部に組み込まれていて、全部伸ばして倒すとカチッと止まるようになっている珍しいタイプです。

          

 当時の定価25,800円は、大卒の初任給より高く、誰もが気軽に手に入れることのできるラジオではなかったようだ。

東京芝浦電気(TOSHIBA)  かなりやLS 5YC-501

2007-03-07 | 東芝 かなりやシリーズ
 昭和29年(1954年)から30種類以上製造された「かなりやシリーズ」の機種名は、原則的にAから始まるアルファベット1文字または2文字で命名されたが、既に発売されている機種名に重複した名前を付け販売されたケースがある。今回は、かなりやLS 5YC-501をご紹介し、その謎に迫る。
 昭和32年(1957年)頃発売された かなりやLS 5AD-128と同じ機種名の かなりやLS 5YC-501は、昭和36年(1961年)頃に製造された比較的小ぶりでファニーなデザインの中波/短波2バンド対応真空管ラジオだ。

          

 初代かなりやLS 5AD-128を担当したデザイン設計者が、時流にマッチした新たな かなりやLSを開発したと仮定するならば、初代かなりやLSのモデルチェンジ版として2代目かなりやLS 5YC-501に同じ機種名を使った可能性も高いが、その真実は謎である。
 同じ機種名を重複して名づけられた“謎のかなりや”は、調べた限りでは次の4機種ある。

        かなりやLS(5AD-128) かなりやLS(5YC-501)
        かなりやOS(5LR-287) かなりやOS(5YC-557)
        かなりやUS(5AD-175) かなりやUS(5UL-579)
        かなりやK (5LP-108) かなりやK (5YC-763) 

          
      【初代かなりやLS 5AD-128 黒/白ツートーンカラー(左)パールホワイト(右)】
 初代かなりやLS 5AD-128は、黒/白2色とパールホワイト単色の2種類のキャビネットを選ぶことができた。同様に、2代目かなりやLS 5YC-501もまた、黒またはライトブルーを基調とする2種類のキャビネットが発売されていた。

          

 横長6角形の造形をしたキャビネットのフロントグリルを上下に分割し、上半分に透明パネルと白いバックパネル、下半分は横スリットを入れた形成加工に白いツマミ3つを配置して、視覚的にも小型フォルムを強調したデザインを採用している。
業界こそ違うがメーカーで長年デザイン関連の仕事に携わってきたボクの視点から考察すると、キャビネット全体のフォルムや下半分の横スリットの形状は、初代かなりやLSの流れを汲んでおり、初代と同一の担当者が、新かなりやLSの意匠設計にも関わったものと思われる。つまり前述の仮説どおり、初代かなりやLSのモデルチェンジの意味を込めて同じ機種名『かなりやLS』の名前を冠した可能性が高いと言える。

          

 メーカー:東京芝浦電気(TOSHIBA) かなりやLS 5YC-501

 サイズ : 高さ(約13cm)×幅(約31cm)×奥行き(約11.5cm)

 受信周波数 : 中波 530KC~1605KC/短波 3.9MC~12MC

 使用真空管 :12BE6(周波数変換)、12BA6(中間周波数増幅)、12AV6(検波&低周波増幅)、30A5(電力増幅)、35W4(整流)

 汚い外観が幸い?したのか、オークションの入札価格はさほど上がらず、居酒屋1回分弱の金額で簡単に落札できた。
宅急便で届いた かなりやLSは、キャビネットの損傷、ツマミやエンブレム等の欠損や酷いダメージは見られない。ただ何十年も放置されていたのだろう・・・フロントの透明パネルとキャビネットの間にはたくさんの埃が堆積し、汚れも酷い。同調ダイヤルの糸掛けも外れているようで、チューニングつまみは、「途切れた愛」のように虚しく空回りする。

          

 裏蓋を取外すと、清掃された様子はなく、キャビネット底部やシャーシ上の真空管やIFT、バリコンには埃が大量に堆積しており、この40年間放置されていた かなりやLSのやつれた姿に「切ない男と女の物語」の情景が浮かび、つい感情移入してしまう。もう取り戻せない、二人の愛の日々を手繰り寄せるように、このラジオを修復することを決意した。

          

 いつものようにツマミを抜き、イヤホン端子の止めネジ、シャーシ、スピーカーを順次取り外し、シャーシ内の点検を行なう準備に取りかかった。シャーシーと内部の埃をOAクリーナーで吹き飛ばし、真空管を抜いて平筆を使って丹念に清掃しながら、目視点検を行なったが、同調ダイヤルの糸掛は見事に外れ、それが男と女の微妙な関係のように絡み合っている。糸掛の修復作業は、手先の不器用なボクにとっては苦行でもあるが、何とか元通りに復元できた。

          

 このところ2回ほど電源回りから煙の出るアクシデントが続き怖い思いをしたため、電源投入前に35W4がらみのコンデンサーをまず交換した。「煙が出ればコンセントを抜けばいいや!」と腹をくくって電源をON!パイロットランプは点灯し、各真空管のヒータも灯っている。煙も出てこない・・・・が、しかし、スピーカーから音も出てこない・・・。

          

 スピーカーとO.P.Tの断線、真空管やバンド切替スイッチの接触不良なども点検してみたが問題なく、原因がイマイチ掴めない。こうした推定原因の把握と確定原因の追求、恒久処置の対応ができなければ、「真空管ラジオの修復、レストアをやっています!」と胸を張ることはできない。多少なりとも「腕を上げました♪」と言いたいところだが、両腕を上げて、「これがホントのお手上げで~す」とふざけるしかない。

          

 そこで気分転換も兼ねて、キャビネットの清掃と洗浄を開始。この かなりやLSもフロントの透明パネルが熱溶着されているため、取り外しができない。溶着部分をペンチで切り、パネル内を清掃する力技もあるようだが、デリケートで優しい“穏健派”店長に、そんな荒業は不可能です。いつものようにマジックリンを泡状にして流し込み、素早くすすぎ洗いを行なった後、コンパウンドで磨くと輝きをとり戻した。

          

 途方にくれながら、とりあえずコンデンサーを全品交換と真空管ソケットの増締めを行ない、O.P.Tに目をやると、スピーカーへのハンダが浮いている状態を発見。しっかり再ハンダ付けすると、空電ノイズとともに地元の民放ラジオとNHK中継局が受信できた。
O.P.Tのハンダ不良が原因とは思えないが、とりあえず「歌を忘れたかなりや」が鳴いてくれ、限界点にまで達していたストレスは一気に氷解した。
中波はやや感度不足を感じるが、短波はそこそこの受信性能だ。本来なら先輩&友人の音響の匠氏に各種測定器を使った感度調整等をお願いするところだが、恋愛に例えるなら、途切れた愛が再び重なった二人に余計な手出しは禁物である。これ以上手を加えることは、あえてしないことにしよう。

          

 電源コード、アンテナ線、バリコン絶縁用スペーサーは新品に交換した。アルコールを使ってバリコン、IFT、コイル等の各種パーツをキレイに洗浄清掃した後、シャーシを丁寧に磨き込んだキャビネットに組み込むと、朝日を浴びて美しく輝く。

          

駅弁万歳!~後楽園のお弁当/鯛の浜焼き弁当~

2007-03-03 | 昭和三丁目の真空管ラジオ
 多忙な日々が続いている。このところ、関西方面の事業部へ出張することが多く、朝7時前に一旦出社後、10時前の新幹線に飛び乗り、夜8時前にオフィスへ帰社する強行軍の中、唯一の楽しみは“駅弁”だ。
一昨日の滋賀に続き、今日は神戸へ出張だった。朝7時前後に一旦出社後、13時からの会議に間に合うよう、また人気の「後楽園のお弁当」をゲットすべく、10時過ぎに岡山のぞみ乗換えの新幹線に飛び乗った。

          

 昨年10月の岡山橋上新駅舎完成と同時に、日本3大名園、岡山の後楽園の名前を冠した駅弁を作ろうと、岡山県と駅弁の老舗三好野が県民からの意見を参考に開発。駅弁のパッケージデザインは、岡山県立大学デザイン学部の教授たちが担当するなど、『産・官・学』一体の超力作駅弁です。
 弁当箱の中は上・中・下段の9マスに区切られ、岡山特産の「祭りずし」や「黒豚の角煮」「さわらの西京焼」など県産の食材をふんだんに仕込んだ9品からなっており、後楽園の梅林にちなみ梅の花をイメージした「栗おこわ」や園内にいる鶴をかたどった大根を添えるなどの工夫を凝らし、後楽園らしさを演出している。

          

【上段左から】さわらの西京焼き、松型白飯(きざみ梅・後楽園のお茶の葉)、鶴の大根白醤油煮といり鶏(岡山県産鶏肉・蓮根・牛蒡・筍・人参・いんげん)
【中段左から】鱧のおろし煮(枝豆・クスの実)、玉子焼・岡山県産鶏肉の照焼き・菜の花辛子和え、梅型赤飯(栗の甘露煮)
【下段左から】祭ずし(すし飯・錦糸玉子・海老酢漬け・木の芽)、岡山県産黒豚の角煮と蓮根きんぴら、揚げ茄子・小芋・厚揚げの田楽味噌

 20代の頃は、ビール片手に駅弁を食べる出張帰りのオジサンを斜に構えて見ていたが、この1年ほど、確実に駅弁がマイ・ブームになってしまった。駅弁は移動の車中で食べるため、時間の節約になる。そして何よりも弁当箱の『癒し』効果。たかが駅弁、されど駅弁。駅弁には、特産物をはじめ、その地域の特色や作り手の思いが一つの箱にぎっしり詰まっている。フタを開けた時に見えてくる様々な背景。一言で魅力が言い表せないこと自体が駅弁の奥深さと魅力であろう。

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 今回は、昼食用に瀬戸内海の名産である「鯛の浜焼き」弁当を購入し、滋賀を目指した。

          

 瀬戸内海の郷土料理である鯛の浜焼きは、今から300年ほど前、製塩業にたずさわる浜子たちが、塩釜から取り出した熱い塩に、浜で捕った魚を埋め込んで蒸し焼きにして食べたのが始まりと言われている。美しい形も味も損なわれることなく焼き上げる浜焼きは、鯛そのものの香りと味を引き立てる。

          

 長方形の木枠容器に魚型をくり抜いた黒いトレーの中身は、秘伝のタレで煮込んだ鯛の混ぜ御飯の上に、鯛浜焼き・錦糸卵・桜おぼろを敷く。よく観察すると目玉の代わりに梅干しを、エラの代わりに椎茸や山菜を配置していることに気付いた。他には煮豆やみかん等の付け合わせ。焼いた鯛の香ばしさと柔らかい食感は、冷たい状態でもその特長を失わず、舌と目を満たしてくれる一品だ。