昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
アンティークなラジオを中心とした、自由でお洒落な、なんちゃってワールド♪

東京芝浦電気(TOSHIBA) 「マツダ ピアノラジオ」 5BA-50

2006-04-24 | 東芝 かなりやシリーズ

              

 昭和29年(1954年)から40年(1965年)頃までの約10年間に製造されたmT管トランスレスラジオ東芝「かなりやシリーズ」「うぐいすシリーズ」の隙間を縫うように、同メーカーからは今回ご紹介する「マツダ ピアノラジオ 5BA-50」のほか、「マツダ 地球儀ラジオ 5LE-92」「クロック・ラジオ 5YA-47」といったつい笑ってしまうオシャレ?なネーミングの奇妙なラジオが発売されている。

              

 ピアノラジオは昭和31(1956)年頃に発売された、プリセット押しボタンで選局ができるラジオである。設計はかなりやシリーズに準じているが、プリセット式選局ボタンがピアノを連想させるので「ピアノラジオ」と命名されたのだろう。
 ピアノと鍵盤をイメージしたキャビネットとプリセット式選局ボタンのカラーは白黒ツートンのピアノを模した色使いである。大東亜戦争終戦から10年を経て、メーカーは『ピアノ』というネーミングに文化・芸術を象徴させたデザイン・コンセプトのラジオを発売するほど、世の中が安定と豊かさを取り戻した証だったのかもしれない。

              

 メーカー:東京芝浦電気(TOSHIBA)『マツダ ピアノラジオ 5BA-50』

 サイズ : 高さ(約 cm)、幅(約 cm)、奥行き(約 cm)

 受信周波数 : 中波 530KC~1650KC/短波 3.9MC~12MC

 使用真空管 :12BE6(周波数変換)、12BD6(中間周波数増幅)、12AV6(検波&低周波増幅)、35C5(電力増幅)、25M-K15(整流) 

 三菱5球スーパーの項目でも述べたが、整流管25M-K15は現在ほとんど流通しない貴重な真空管である。
日本にmTトランスレス式真空管ラジオが登場した1953年頃は米国の出力管35C5、整流管35W4の組み合わせが使われ、1954年から56年頃にかけての一時期はヒータ電圧を節約する目的で25M-K15がデビューし出力管35C5との組み合わせが使われた。
しかし1956年以後、欧州型の出力管30A5や整流管19A3が出ると25M-K15を使用するメリットはなくなり、使われなくなった希少な真空管である。
 ちなみにメンテナンス用ストックに25M-K15を探していたところ、秋葉原で新品を探し出してくれた友人から「1本¥3800を値切って¥2200で手に入れたけど、どうする?」とメールをいただき、即刻購入をお願いした次第である。貴重品のため、今回のレストアにこの新品は使用せず、修復後、所有の三菱5球スーパーにて使われている25M-K15を差替えてテストした。

              

 人気の「かなりやシリーズ」はオークションでジャンク品であっても高値で取引されることが多い。しかしこの「ピアノラジオ」は怪しすぎるのか誰からも入札されることなく、最安値ですんなり手に入れることができた。
ところが送られてきた品は、正規の35C5(電力増幅)、25M-K15(整流)が抜かれ、代わりにヒーターの断線した30A5、35W4が差し込まれ、バーアンテナは取れかかっており、電源周りのパーツも逝ってしまってる様子。
キャビネットからシャーシーを取り出してみると、キレイに磨かれているものの、やはりコレクターが修理を途中で止めて放り出した代物のようだ。シャーシー内部は、かなりやシリーズの初期に見られるフローティングアースで配線されている。

               

 今回は貴重な整流管が使われているため、電源周りの配線手直し、コンデンサー・抵抗の交換、バーアンテナ断線修理等の後、友人でラジオ病仲間?でもある「音響の匠さん」に登場願い、SSGを使ってIFTとトラッキング調整を経て、無事に復活を果たすことができた。感謝感激である。

              

 5つのプリセット式選局ボタンは、ボタンの裏にあるシャフトネジを回して長さを調整後、そのシャフトをボタンで押すことで、ギアを伝ってバリコンを回す機構となっている。バリコンには周波数表示を兼ねたドラムが直結されており、ドラムを回して同調の微調整やプリセットした周波数以外の選局も可能となっている。このプリセット選局機構とバリコンは一体型となり、かなりしっかりした作りである。
プリセット選局の設定は、選局ボタン下の裏にあるネジをいったん押し込んでから緩め、周波数表示ドラムで手動選局後にネジを締めるとプリセットされる仕組みである。なお鍵盤型選局ボタンの色は、白と赤の2色のバージョンが用意されていた。

              

 この「ピアノラジオ 5BA-50」や以前に紹介した「かなりやA 5MB-42」といったmT管ラジオの初期の製品は回路の簡略化を図っている。メーカーはテレビの登場によってラジオが国民生活に無くてはならなかった存在から、パーソナルな『道具』へとニーズが変化していることを感じつつ、「ラジオへのこだわり」、言い換えれば「ラジオメーカーとしてのプライド」を確実に持ち、模索していた時期と思われる。
 その試行錯誤の結果として、工夫を凝らした選局機構や、今では笑いを誘うようなネーミングも真剣に考えた末、このようなラジオを発売するに至ったのではないのかと想像する。

              

 十二分に調整されたこのピアノラジオに装備されている20cm近い長さのバーアンテナの威力はすさまじく、アンテナをつながない状態でも夜間は九州、関西、名古屋、関東の50Kwクラスの放送局がガンガン入感する。
またさすがにピアノラジオと名乗っているだけあり、音質も非常にまろやかで、長時間聞いていても疲れない。

松下電器産業(National)「E-330」

2006-04-08 | ナショナル 真空管ラジオ
              

 昭和30年代の真空管ラジオのレストアに手を染めて半年、近頃ようやく親しい友人たちにこの趣味のことをカミングアウトし始めた。
本来、趣味、嗜好、性癖(?! 笑)の類は、一人で隠れてコッソリと楽しむところに『自分を解放する味わい』があるのだが・・・・
 自分の自由時間を真空管ラジオの修復にあてていることを話すと、家の片隅に埃を被った真空管ラジオのあったことを覚えている人は、特に興味と理解を示してくれる。
「うちにもデッカイ木箱のラジオがあったんだけど・・・・」 「部品はどうやって手に入れるんですか?」 「壊れた箇所がよくわかりますね!」 「どんな音がするんですか?」等など。話題も昭和30年代から40年代の日常生活に広がっていく。
 真空管ラジオの話に心から興味を持ってくれたある友人に「じゃあ今度、1台持って行くから、使ってみて」とプレゼントの約束をした。
自営業を営む彼の事務所兼工場は昭和24年(1949年)に建てられた地元の信用金庫本店を譲り受けた、擬石モルタル洗い出し仕上げのレトロな建物である。
改修された内部にはまだ当時の面影が残っており、昭和30年代のラジオが溶けこむ空間である。

 「えっ、本当にいいんですか?楽しみにしてます!」
 素直に嬉しそうな表情を見せてくれる彼のために選んだのは、1963年にナショナルから発売された横長の2スピーカー型真空管ラジオだ。


 メーカー:松下電器産業(NATIONAL)『E-330』 2スピーカー

 サイズ : 高さ(約16.5cm)×幅(約44cm)×奥行き(約11cm)

 受信周波数 : 中波 530KC~1650KC/短波 3.9MC~12MC

 使用真空管 :12BE6(周波数変換)、12BA6(中間周波数増幅)、12AV6(検波&低周波増幅)、30A5(電力増幅)、35W4(整流)

              


 1960年代後半FMステレオ放送が開始される以前、1952年12月にNHKが「土曜コンサート」という番組を中波の東京第一放送と東京第二放送の2つの電波を使って右信号と左信号をそれぞの放送で送信する、立体放送(東京地域のみ)を開始した。
その後、全国で2波放送によるステレオ放送が実施されたが、FM放送が普及する1965年まで続けられた。
それに伴い、2波同時に受信できる2スピーカーのステレオ・ラジオ(2台分を詰め込んだ)も発売された。もっとも2波によるステレオ放送は、放送局(演奏所)から送信所までの距離、伝送路の位相遅延特性の違いなどから、左右の信号に位相差が生じ、音源が頭の周りを回転するように聞こえることもある代物だったようである。
一方,当時のほとんどのラジオにはレコード演奏も簡単に楽しめるようにレコード・プレーヤのピックアップ端子が設けられており、大きな音量でも歪みなく楽しめるよう設計したHi-Fiラジオも数多く作られている。

 その流れを汲み、実際はステレオ受信対応しないものの、アンプは1組でスピーカを左右に2個搭載した『なんちゃってステレオ・2スピーカーラジオ』が各社から発売された。2スピーカ・ラジオは卓上小形のプラスティック・キャビネットに同じ口径のスピーカを2組積むと同じ出力でも2倍大きな音が出せる、逆に同じ音の大きさならアンプもラジオのキャビネットもより小形にできるというメリットがあり、横に長いこのスタイルのラジオが瞬く間に流行したのである。

              

 E-330は、1962年に松下電器産業から発売された2スピーカ・モデル3機種(E-330, GM-520, BM-550D)のうち、マジックアイ無しの廉価モデルだが、肉厚なプラスチックキャビネットはクロムメッキの金属モールを一部装飾した大変丁寧な作りであり、部品もネジ一本まで品質の高いパーツを使っている。
 ナショナル製真空管ラジオによく採用されている垂直鉄板型シャーシーに取り付けられた真空管やパーツを点検してみたが修理を行なった痕跡もなく、部品の劣化は少ない。
電源スイッチを入れ測定したところ、各回路の電圧・電流値は正常であり、感度・音質ともに問題なく動作してくれた。
ただボリュームの最小抵抗値が絞りきれず、本来なら交換するところだが許容範囲とすることとした。

              

 今回はキャビネットのフロント透明パネルを取り外し、いつものように中性洗剤で洗浄後、コンパウンド入りプラスチック・クリーナーを使い丁寧に研磨したところ、新品に近い輝きをとり戻した。中波、短波ともに感度良好、ボリュームの不具合さえ気にしなければ経年変化を感じさせない。

 このラジオをプレゼントした友人は一昨年まで、若手経営者が修練・向上し合い社会の発展に貢献しようと集う地元の(社)青年会議所理事長も務め、地域に根ざした社会活動に参画されている。
また彼とは、歴史を教訓とする国内外の社会情勢、教育が担う日本の未来、地域と人との絆といった話題を、肩に力を入れることなく一杯傾けながら等身大で語り合える友人でもある。

 しかし!しかしである!!
 10才以上歳の離れた若い奥さんをもらうなんて、羨ましすぎ~!!

東芝(TOSHIBA) 「かなりやK」 5YC-763

2006-04-03 | 東芝 かなりやシリーズ
              
   東芝(TOSHIBA) 「かなりやK」 5YC-763

 真空管ラジオとトランジスタラジオの混在した時期はしばらく続いたが、トランジスタラジオの低価格化と普及が進み、真空管ラジオは終焉を迎えることとなる。
 茶の間の娯楽がラジオからテレビへととって代わった1950年代中盤から約10年間、『かなりや』シリーズは、ラジオのパーソナル・ユースというニーズに応えた小型卓上真空管ラジオである。つまり「デザイン」という付加価値をつけながら40種類近くに及ぶ機種を発売し、あの昭和30年代、多くの人々に受け入れられた量産工業製品である。

「かなりやK」は、東芝かなりやシリーズの最後から2番目のモデルであり、最後期の真空管ラジオの姿を見たくて入手したのだが、デザイン的にまったく魅力を感じさせない機種だ。

 フロントの透明周波数表示パネルのバックに木目の貼紙を採用し、メーカーは「意匠に新鮮味を加えた」つもりのようだが、当時のトランジスタラジオに用いられていたアルミ多孔板を使ったスピーカ・グリル、薄っぺらなプラスチックキャビネット、シルバーのツマミ、これらのコンビネーションがまったくアンバランスで、悲しいくらいまとまりのない安っぽいデザインとなっている。

 メーカー:東京芝浦電気(TOSHIBA)『かなりやK 5YC-763』

 サイズ : 高さ(約13.5cm)×幅(約28cm)×奥行き(約12cm)

 受信周波数 : 中波 530KC~1650KC/短波 3.9MC~12MC

 使用真空管 :12BE6(周波数変換)、12BA6(中間周波数増幅)、12AV6(検波&低周波増幅)
          30A5(電力増幅)、35W4(整流)

 電気的出力 : 最大1.5W  電源 : 50~60c/s 100V  消費電力 : 25VA
 
 スピーカ : パーマネント・ダイナミック・スピーカ

 ちなみにこの「かなりやK 5YC-763」は昭和40(1965)年のモデルであるが、その10年前に同じ名称で1956年に(初代)「かなりやK 5LP-108」というデザイン・設計思想のまったく異なるモデルが発売されている。
車の世界では過去に廃車となった人気モデルの名前を新車にネーミングするケースを稀にみるが、この時代の真空管ラジオにこのようなマーケティング戦略があったはずもなく、のんびりした時代だったのか、その背景は謎である。

              
   シャーシの四角い穴が哀愁を誘う「かなりやK」

 裏蓋を開けるとシャーシにポッカリ穴の空いた部分が目に入る。かなりやQのシャーシを流用し、従来は外部入力の端子がついていた場所だが、こんなラジオを増幅器にして利用する家庭もなく外部入力は省略されてしまった。終末期を迎えた真空管ラジオの哀愁が漂う部分である。
また写真左奥に見える、トランジスターラジオの部品を流用した小指ほどの長さのバーアンテナまでが、トホホな気分をさらに増幅させる。

              

 オークションでは「動作品」ということであったので点検を行なわないまま電源を入れてみたところ、途端にパイロットランプ、ヒューズが飛んでしまった。
 シャーシにサビもなく、埃も比較的少ないほうだが、キャビネット底に通気穴が開いているためシャーシ内側は年代相応の埃が溜まっている。ダスト・クリーナーを吹きつけ、埃を飛ばして清掃した。

              

 キャビネットからシャーシー、スピーカーを取り外し、PLとゴムブッシュ、電源周りのコンデンサー類を交換したところ正常に作動したが、なぜ「動作品」がショートしたのか、未だ謎である。
特に埃が多く溜まっていたMW/SWのバンド切り替えスイッチもエレクトロニクスクリーナーで丹念に清掃し、接点復活剤を麺棒で慎重に塗布しておいた。
またチューニングダイヤルがスリップするため、糸掛けを一旦外し、バネでテンションがかかるよう再度巻き直すのだが、スムーズに動き出すと、手先の不器用なボクとしては苦労が報われた気分になってくる。

              
   新品に近い輝きをとり戻した「かなりやK」

 当初、キャビネットとフロントの透明パネルには年代相応の汚れとキズがあり、埃も溜まっていたが、キャビネットを洗浄し、時間をかけてコンパウンドで丁寧にキズや汚れを落とし、新品に近い輝きと透明感をとり戻した。
電源スイッチを入れると暖炉の灯火のようにパイロットランプが暖かく灯る。
バーアンテナを内蔵しているためか、調整しなくても感度は比較的良好である。

 透明度の高いフロントパネルを通して見る木目のバックパネルと淡いピンクのキャビネット、アルミの質感が融合したデザインの「かなりやK」を眺めていると、ニュージーランドへ旅行したときに泊めていただいた家庭のキッチンにあったラジオを思い出す。
 そのラジオは日本製かどこの国の製品か不明だが、安っぽいプラスチックケースに包まれたラジオからは、クイーンズ・イングリッシュのトークとポピュラー・ミュージックがゆったりとした時間の中で流れていた。

              
   ニュージーランドの歌姫 ヘイリー(Hayley Westenra)18才♪

 ニュージーランドといえば、弱冠18才の歌姫、ヘイリー(Hayley Westenra)。
2003年にアルバム『ピュア』でセンセーショナルなデビューを果たし、大ヒットドラマ『白い巨塔』の主題歌「アメイジング・グレイス」、続いて太平洋戦争中に密命を受けて出撃した日本海軍の潜水艦の戦いを軸に、役所広司、妻夫木聡らが展開する大作映画『ローレライ』の主題歌「モーツァルトの子守歌」で日本でもその「ピュア・ヴォイス」が一躍大注目を浴びた。
アルバムでは日本人にも馴染み深い「カッチーニのアヴェ・マリア」「モーツァルトの子守歌」といったクラシックの名曲をアレンジした曲や、ポップなオリジナル曲、大ヒット映画『ロード・オブ・ザ・リング』の主題歌として話題となったエンヤの「メイ・イット・ビー」やジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」といったカヴァー曲で構成されている。

 彼女の笑顔とニュージーランドの大自然を思い出すと、「安っぽいラジオだって、別にイイじゃん!ちゃんと音が鳴るんだから・・・」という寛容な気分になってしまう。

 店員ユー: ついさっきまで「コンビネーションがまったくアンバランスで、悲しいくらいまとまりのない安っぽいデザイン・・・」とかって滅茶苦茶に言ってたくせに!!

 はいっ、ボクで~す!俺はなぜかホワイト・アングロサクソン系やスラブ系の女の子から人気があるの知ってるだろ~ おまけに18才~♪フォ~(店長)

 店員ユー: 何か、勘違いしてるし・・・・この○○オ・ヤ・ジ★