昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
アンティークなラジオを中心とした、自由でお洒落な、なんちゃってワールド♪

東芝 マツダラジオ  かなりやVS 5LP-426

2009-03-21 | 東芝 かなりやシリーズ
昭和32年(1957年)、東芝は かなりやシリーズに、当時の新技術であったプリント基板を採用した中波専用ラジオ かなりやKと かなりやX、Y、Zの3機種を送り出した。この流れを汲み発売された、短波にも対応したmT管トランスレスラジオ かなりやVSをご紹介する。 
        
 プリント基板タイプの かなりやシリーズは、当初AM中波のみの機種だったが、ユーザーのニーズに応え中波/短波2バンドに対応した機種も発売された。かなりやシリーズの機種名は、発売された順番に中波専用機には『かなりやA』 『かなりやB』・・・といった1文字のアルファベット順による通し名を、また中波/短波2バンド機は『かなりやAS』 『かなりやBS』・・・というようにアルファベット+S(Shortwave:短波)の2文字を冠し機種名としていた。
        
 この原則からすると、今回ご紹介する かなりやVSは、中波/短波2バンドに対応した後期の機種となるはずだが、かなりやX~Zと同時期の発売と思われる。このように かなりやシリーズの機種名は、必ずしもA~Zの順番でなく、また欠番があったりもする「いい加減な適当さ」も、『昭和のゆとり』と考えれば微笑ましくもある。
        
 かなりやX~Z 3機種がオークションに出品されることは極めて稀であり、今回入手した かなりやVSの出品に出会ったのは3年間で僅か2回ほどしかない、超ウルトラスーパー貴重品だ!

 キャビネット左にスピーカー、右側に周波数同調用大型ダイヤル、その右下に電源スイッチ兼音量調整ボリュームをレイアウトしたデザインコンセプトは同年に発売されている かなりやX~Zとほぼ同じ。
V字をモチーフにしたシックで華やかさのあるバーガンディー(クレムゾン・レッド)/ホワイトを基調としたツートーンカラーの引き締まったボリューム感あるキャビネットと、透明プラスチックを使った周波数同調用大型ダイヤルの織りなす造形美が、魅力的だ。
        
 この大型ダイヤル、実はバリコンのシャフトが写真のように2軸構造となっており、外側は目盛ダイヤルに直結、突出部が中央の白い微調ダイヤルと連結している。中波/短波2バンド対応のかなりやシリーズは多数あるが、このようなチューニング微調整機構の付いた かなりやは、本機のみである。
        
" モノづくり "とは正直なもので、デザインや機能・構造といった当時のメーカー側の気合が製品に如実に顕れ、50年以上の歳月を経た今でも初期型かなりやシリーズはコレクターの心を捉えて離さない。

  メーカー:東京芝浦電気(TOSHIBA)かなりやVS 5LP-178

  サイズ  : 高さ(約15cm)×幅(約27cm)×奥行き(約11.5cm)

  受信周波数 : 中波 530KC~1605KC/短波 3.9MC~12MC

  使用真空管 :12BE6(周波数変換)、12BA6(中間周波数増幅)
           12AV6(検波&低周波増幅)、30A5(電力増幅)、35W4(整流)

 従来、真空管ラジオは、シャーシと呼ばれるアルミ製やスチール製のボックス形状の躯体に、真空管をはじめとする主要パーツを配置し、コンデンサー、抵抗等はラグ板を介して空中配線する方法が一般的であった。ところがトランジスタの開発・実用化にともない、配線作業効率が高く、品質も安定する「プリント基板」の量産技術が実用化され、従来のシャーシを使った実装方式に代えて、プリント基板を採用した真空管ラジオが各社から登場した。
        
 かなりやシリーズでも本機をはじめとする昭和30年代前半の数機種でプリント基板を採用したが、熱によるプリントパターンの剥離が生じやすく、後に発売された東芝かなりやシリーズをはじめ各社の真空管ラジオの実装方式はシャーシタイプへと戻っている。 
        
 中波専用ラジオである かなりやX~Zのプリントパターンを流用したためか、かなりやVSでは基板上に短波受信関連のパーツを強引に追加した部品配置に無理があり、12BA6など抜き挿し不可能なレイアウトだ。
        
 電子回路のプリントパターン設計などという難しい世界とは無縁な店長だが・・・インダストリアル・デザインの立場でこのプリント基板を見る限り、当時は人の物理的な形状や動作、生理的な反応、心理的な感情変化などを研究し、道具や機械などを人間に適したデザインにする人間工学的な設計手法は、まだ認知されていないか、発展途上段階だったと思われる。
        

 この赤いキャビネットのかなりやVSを眺めていると、まだ学生だった頃、店長が在籍していた研究室(国際関係近代史)にやってきたロシアからの留学生を思い出す。 
その日、教授に連れられ教室に現れた彼女は
  「ハジメマシテ! ワタシ サンクトペテルブルク カラキマシタ ターニャ デス♪」 
とたどたどしい日本語で挨拶したが、あまりの突然の出来事に研究室のメンバーはただただ呆然・・・・。   
たまたま空いていたボクの隣に座り、ロシア語で「ヨロシク~」らしき言葉を交わしてきたのだが、焦った店長は、
  " Ca・・・ Can you speak Japanese or English ? "
ロシア人相手に思いっきり英語で尋ねてしまいました。
  "Извините.Я не говорю по-русски." 
 「ターニャは、"ごめんなさい、ワタシ日本語は分っかりませーん"と言ってるぞ!
  彼女、英語は少し分かるはずなのに、君の英語の発音は全然通じてないみたいだなぁ」
老教授のコメントと店長の間抜けな応対に、研究室のメンバーは苦笑・・・・ それがターニャとの初めての出会いだった。 
        
        ▲(-_-;)/(+_+;)\(-_-;) オイオイ 昔の写真見て、ナニ黄昏てんだよぉ~
 翌日校内を歩いていると、
" Доброе утро. Как дела? " (おはよう!元気?)
外国語で呼び止められ、振り返ると身の丈170cmはありそうな彼女が笑顔で立っていた。
" グ... Good morning. 違った...Таня,Доброе утро." (ターニャ、おはよう)
" Очень! Вы говорите по-русски? " (すごい!ロシア語喋れるの?)
" No ! ・・・Нет.Я не могу говорить по-русски. " 
 (No!・・・ニエット。俺はロシア語が話せません)
        
        ▲モスクワ放送から送られてきたベリカードとペナント