昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
アンティークなラジオを中心とした、自由でお洒落な、なんちゃってワールド♪

春日無線工業 トリオ(TRIO) 5M-2

2009-01-12 | トリオ 真空管ラジオ
トリオ TRIO というメーカー名を目にされ、「懐かしいなぁ~」と思わず反応されたアナタ・・・は、35才以上の立派な中高年!(笑) FMチューナーのトリオとも呼ばれていた同社から、昭和31年(’56年)に発売された中/短波2バンドラジオ5M-2をご紹介する。  
トリオ TRIO と言われてもピンとこない世代の方でも、「今のケンウッド KENWOOD の前身の社名」と聞けば、納得いただけるはずだ。ヤフオクでアンティーク・ラジオのカテゴリをウィンド・ショッピング(ディスプレイ・ショッピング?)していて、このラジオを見つけ、“ トリオが発売していた珍しいラジオ ” という理由だけで落札したのだが、デザイン的な魅力はとぼしい。
        
        ▲昭和31年 発売の中/短波2バンドトランスレスラジオ トリオ5M-2
 ケンウッド KENWOOD の前身であるトリオは、昭和21年(’46年)長野県駒ヶ根市に有限会社春日無線電機商会として産声を上げ、当初、ラジオ受信機の部品である高周波コイルの製造からスタートした。
        
        ▲TRIOの商標で製造されていた高周波コイル
 “トリオ”の商標を使っていた同社は、その後 ’50年、春日無線工業株式会社と社名を変え、受信機の開発を始め、’52年に発売した第1号の受信機が6R-4Sである。
写真のように、Hallicrafters S-38を模倣したデザインと回路構成であり、同年に再開されたアマチュア無線や漁業無線をターゲットにしていたため、短波のハイ・バンドやモールス信号受信に対応することで、人気を集めてた。その後さらに高性能な9R-4シリーズを発売するなど、山に囲まれ放送波などの微弱な電波環境である伊那谷で培った高周波技術がFMチューナ、無線通信機器の礎となっている。
        
        ▲春日無線工業(現ケンウッド) 第1号の短波受信機 6R-4S
 オーディオブーム全盛の頃、トリオ(TRIO)は、山水電気、パイオニアと並びオーディオ御三家とされ、特に“チューナーのトリオ”とも呼ばれ、’86年には同社が海外ブランドとして使っていたケンウッド(KENWOOD)へと社名変更した後は、家庭用オーディオ機器、カーオーディオ・カーナビゲーションなどカーマルチメディア機器、無線通信機器を主力製品としたメーカーに発展し、現在に至っている。
        
        ▲往年の名機トリオFMユーナKT-9700と現行のケンウッドKseries
 現在では当たり前のプロ野球ラジオ中継だが、この時代はラジオ東京(現TBS)やニッポン放送といった既存の中波ラジオ局では行なわれず、NSB日本短波放送(現在のラジオNIKKEI)のみが、連日中継を行なっていた。今では考えられないことだが、昭和20年代後半、ラジオ放送でのプロ野球中継は、スポンサーの付いた他の人気番組が多く編成されていた中波ではなかなか放送されず、僅かに特番枠でナイターが一時間放送される程度であった。
しかし昭和29年('54)8月に開局したNSB日本短波放送は、従来の中波ラジオと異なった番組構成と昼夜全国で聴取可能な短波帯の特徴を生かし、昭和31年('56)に連日ナイター中継の放送を開始。
昭和34年('59)には中波でも、神奈川のラジオ関東(現在のラジオ日本)が連日ナイター中継の放送を開始したが、これらのラジオ局はゴールデンタイムでもあまりスポンサーが付いていなかったため、思い切った編成ができたのである。1960年代以後はテレビに押された中波各ラジオ局でも連日ナイター中継放送を行なう局が増え、今日のプロ野球ラジオ中継が確立した。
        
        ▲昭和30年代のRCCラジオ中国 カープ野球中継(広島市民球場)
 このようにプロ野球中継を待ち望んでいた全国のファンの短波放送への関心が高まりったことが、トリオ 5M-2の開発・発売へとつながる。
 昭和31年(’56)当時、小型卓上中波ラジオで短波放送を聴くためには、NSBチューナーを接続する方法が一般的だったが、感度や安定度不足は否めなかった。本格的な受信機を供給する無線通信機メーカーだったトリオの創始者の一人であり、後に高級オーディオメーカー アキュフェーズを創設した春日二郎氏による雑誌広告記事に、その開発背景やコンセプトが書かれているので、ぜひご一読願いたい。
        
        
 またこの年を境に、各ラジオメーカーはプラスチックキャビネットを使った中波/短波2バンド対応の小型卓上真空管ラジオの量産を開始。電源回路もトランスレス方式が一般的となった背景を、5M-2を開発した春日二郎氏は広告記事で如実に著している。
        
 今ではKENWOODブランドで人気を集めるオーディオ&通信機メーカーに成長したトリオだが、大衆向け家電メーカーではなくマニアやプロ向けの通信機器関連の専業メーカーだった同社が、コンシューマに向けて開発・発売したという意味で、5M-2は大変興味深いラジオである。
        
 5M-2の設計コンセプトは、「小型、高感度、低価格、操作性、高音質」を目指し、以下の工夫により高性能化を図ったと、雑誌の広告記事に謳っている。
 ・コイルは、スチロール板トリマ付18mm径、発振コイルタップを最適な位置にすることにより
  高感度、安定した発振を行う(電圧が80Vまで低下しても作動)
 ・小型・省スペースの新型スライドスイッチを採用
 ・12BD6のカソードは直接アースされ、スクリーンとプレートは100Vの同電位でOKだが、
  専用IFTでQの低下をカバーする
 ・低周波増幅初段はリークバイアスで、出力管にカレーント・フィードバックをかけることで、
  電源リップルによるハムを防いでいる
 ・小型キャビネットでの低音不足を補正するために高音域をカット
 ・整流管35W4、PL(パイロットランプ)と並列に60Ωの抵抗を入れると、ランプ切れでも整流管
  に悪影響がない
        
 ヒューズを省略するなど、アメリカ製ラジオをリスペクトした5M-2は、品質面においても合理性を追求した、ある種の“先進性”を自負していたのだろうか。
 価格面では昭和31年(’56)当時に発売されていた他メーカーのmT管トランスレス式オールウェーブ(中/短波対応)ラジオと比較しても、確かに20~30%以上安い価格設定となっている。
  ■中波/短波2バンドラジオ
     シャープ   5X-105 (¥8,350) 
     ゼネラル   5A-301 (¥9,800) 
     オンキョー  OS-12  (¥7,980)
     サンヨー   SS-33TB(¥7,950) 
     トリオ     5M-2   (¥6,500) 

 昭和31年当時のラジオの価値を現在の物価水準に照らし合わせ、「今の物価は、昭和31年と比べてどのくらいの水準なのか?」という設問に置き換えてみた場合、昭和31年当時に1万円で取引されていた物が、現在は何円ぐらいなのか?ということから、大体の価値が見えてきます。  消費者物価指数で算出してみると・・・・
   (平成16年消費者物価指数)1776.7÷(昭和31年消費者物価指数)300.2=5.92
 当時の価格を現在の価値観に照らし合わせると、約6倍となる。 つまり当時¥7,950のmT管トランスレス式ラジオを、今の感覚に直すと¥47,700、そしてトリオ5M-2の¥6,500は¥39,000ということになり、他メーカーのラジオと比較してもかなりのお得感があることが想像できる。
        
 はたして今の時代に4~5万円も出してラジオを買うかどうかと考えた場合、50年前の人々の生活における “ ラジオ ” は手の届かない範囲ではないが、まだまだ贅沢な家電製品であったという訳だ。
        
 戦前からラジオを提供し続けてきたシャープやナショナルなどの家電メーカーの製品は、スマートなデザインが多い。その点トリオ5M-2は、エッジのきいた直方体の無骨なオフホワイトのプラスチックキャビネットと、ゴールド/ブラックに色分けされた円形周波数表示盤の組合せは、お世辞にも“オシャレ”とは言い難いデザインだ。当時他社は使わなかったオフホワイトのカラーリングを採用したキャビネットだけに、造形美の詰めの甘いデザインが残念である。
しかし肉厚の一体形成プラスチックキャビネットの作りはしっかりしており、スピーカーからは安定した音域でNHKや民放ラジオの音楽番組を奏でる。
        

新春の休日、歴史の街を散策

2009-01-04 | 昭和三丁目の真空管ラジオ
期間限定... 新春スペシャル 年末からの九連休も終わり、明日から職場復帰だ… そんな今日、当カフェの常連としてサポートいただいているかめ様とお会いすることになった。
 連休の最終日のため、車だと渋滞に巻き込まれる恐れもあるため、在来線に乗り、隣県へと向かった。最近、プライベートタイムでは在来線に乗った移動が、気に入っている。ちょっとした旅行気分だ。
電車の固いシートに腰掛け、車窓から差し込む冬の日差しが心地よい… 車内の乗客に目をやると、老若男女様々な人が乗り合わせているのだが、
  「この人はちょっとオシャレしてるけど買い物かな」
  「この男性の着てる服、センスいいなぁ~」
などと人間観察してみたり、乗客の話し声が漏れ聞こえてくる内容に「フムフム・・・」と頷いてみるなど、退屈しないでゆったりとした時間が流れる。
        
 お昼前に電車は到着し、改札口には、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』や『HERO』の名脇役を演じる人気俳優 角野卓造(失礼?:笑)の雰囲気を醸し出した紳士が立っておられ、直感的に かめ様と判った。すでに還暦を越えておられるとのお話だったが、角野卓造よりは頭髪も多く、50代半ば前後にしか見えない若々しさが第一印象♪ 
角野&キムタクのHEROコンビの誕生だ!(誰がキムタクだょぉ~[怒]!...影の声)
        
 かめ様お住まいの街は、古墳時代を経て奈良時代には国府が置かれ、室町時代には僧侶でもある水墨画の巨匠を生み出した土地である。
        
 古墳時代の伝承神話や、水墨画の巨匠が当地で幼少期を過ごした当地での逸話など、「その土地ならでは」のエピソードを聞きながら、のんびり散策していると年末から正月にかけての暴飲暴食・不摂生と世俗的煩悩が浄化されていくような気分になる。
        
 暖かい新春の日差しを浴びながら、それらの歴史を今に伝える寺社仏閣や古墳を案内いただいた後、地元では美味しいt評判の手打ち讃岐うどんの店へGo!
午後1時を回っているのに広い店内は、満席! 天ぷらうどん を注文し、しばし後に出てきた丼には、大きな海老の天婦羅が二本並び、うどん自体のボリュームもかなりある。大晦日からお正月にかけて放蕩三昧だった日々の最終日に、あっさりした うどん は、嬉しい限りだ。 

 まず麺を口に運ぶ・・・・ 美味い!!

表面は柔らかいのに腰のある手打ちうどん独特の食感と、薄口醤油を使いすっきりした辛目のダシ、海老の天婦羅の衣が混然一体となり、心地よい暖かさがお腹に染みわたる♪
        
 美味しいうどんに大満足のメタポ先輩@かめ様とメタポ予備軍@店長の二人は、かめ様邸へ移動し、しっかり整備されたSTORMBERG-CARLSON社 MODEL 1500HやZENITH MODEL H-615を拝見。
        
 両機を聞き比べてみたが、明らかにZENITH MODEL H-615のほうがダイナミックレンジが広く、厚みのある音を奏でている。出力管の違いか、スピーカーの違いなのか定かではないが、誰もが寝静まった深夜、このZENITH MODEL H-615でオールディーズやジャズを聴くと、疲れた心と身体を癒してくれること間違いなし!
        
 その他にも、かめ様の多彩な趣味の一つであるラジコン飛行機の数々や、アメリカからご自身の手で買い付けられたアマチュア無線用周辺装置など、興味深い品々を拝見した後、JRの駅までお送りいただいた。
 車中では混迷する経済情勢や日本的雇用システムの崩壊についての話題、さらには社会人・人生の先輩としてのご指南も頂戴し、大変有意義な時間だった。

 ブログを通じて知り合った先輩のご好意に感謝するとともに、人との出会い、「縁」の大切さを感じることのできた、充実したお正月休み最終日を終え、帰りの電車では心地よい揺れに身を任せ、帰路についた次第である。

新年明けましておめでとうございます

2009-01-03 | 昭和三丁目の真空管ラジオ
遅ればせながら... 新年 明けましておめでとうございます
四年目を迎えた、当「昭和三丁目真空管ラジオカフェ」も、のおかげ様で、一日200IP前後、アクセス数も一週間で1,500~3,000を超え、また多くのコメントを頂戴し、いつも皆様に支えていただいていることを実感、感謝しています。
 世界的な不況の嵐の中で、新しい年を迎えました。米国発の経済危機の大波は、あっという間に私たちの足元にまで押し寄せてきた。
どう立て直せばいいのか。厳しいときだからこそ、次の時代を見据えた新たな展開が急がれる・・・・的なご高説は、報道関係者やその道のプロにお願いするとして・・・
        
        ▲新春着用予定のネオ・クラシックデザインの英国調スリーピース
 自然環境は変化に富み、世界最先端の技術、“ものづくりの伝統”と“高い労働倫理”が息づく日本であることを、再認識する必要があるだろう。

 NHK-BSテレビで、アメリカで活躍する日本人メジャーリーガーの特集を観た。
なかでも印象的だったのは、1998年球団創設されたフロリダ州セントピーターズバーグに本拠地を置く、タンパベイ・レイズに所属する岩村 明憲(いわむら あきのり)選手の活躍だった。

 松坂大輔の契約金の大きさに日米のメディアが大騒ぎしているころ、岩村明憲の交渉権を落札した球団名が明らかになった。「タンパベイ・デビルレイズ」。新興球団で最下位が定位置というチームである。
        
        ▲交渉権を落札したタンパベイ・デビルレイズの入団会見
 10年間の通算成績は645勝972敗(勝率.399)という数字が物語るとおり、2004年の地区4位以外はすべてのシーズンで地区最下位。一昨年海を渡り入団した岩村明憲は、そんなチームに愕然とした。守れない、打てない、連係プレーはお粗末・・・・しかし、それは逆に、大きなチャンスが開けているということも意味する。岩村の課題は、いかに日本で培ってきた力を発揮できるかだ。3年連続打率3割、30本塁打を記録している攻撃力、ゴールデングラブ賞7回の堅実な守備力はチームの即戦力だ。

 一向に戦力の整わないレイズの唯一の救いは、25才以下の若い選手で占めるチーム構成だった。 逆にそれがウィークポイントでもあった。シーズン前、岩村は監督からサードしか守れない有望な若手のために、定位置を譲り、岩村自身は経験の無いセカンドへのコンバートを要請される。

 サラリーマンに例えるなら脂の乗り切った業績優秀な中堅社員に、「有望新人がいるのだが、彼は君の担当している仕事でしか能力を発揮できないので、別の部署へ異動してくれ」と上司から要請されたようなものだ。
あるいは、高い技術力を見込まれ、1年前から精密部品を納入していた取引先から、「貴社から納入いただいていた部品は、別の会社に発注する。新たに別の部品を発注するので、納入して欲しい」と、突然言い渡されたようなものだ。
        
        ▲岩村選手の「何苦楚(なにくそ)魂」がレイズを戦闘集団に変えた
 初めて体験するセカンドの守備をメジャーリーガー・クラスまで高めるには、相当の覚悟と努力が必要だ。下手をすると、自分自身がお払い箱になるかもしれない・・・そう考え、理不尽な要求には抵抗するのが一般的な反応だが、岩村はチーム全体の役割とバランスを考え、承諾したのである。 

   「滅公奉私」 「自己犠牲」 「何苦楚(なにくそ)魂」

 しかし岩村の『全体を優先する価値観と行動』と、何事も苦しむことが礎となるという意味の『何苦楚(なにくそ)』魂が、様々な壁を乗り越え、負け犬根性の染み付いたバラバラのチームを変えた。

   岩村は若い選手の先頭に立ち、試合に挑んだ。 

 チーム名もこれまでのDevil ray(エイ)から、Ray(光線)に変更され、ユニフォームやロゴも一新した。
投手陣と堅実な守備になった野手陣の「守りの野球」でレイズは開幕から好調を維持した。近年毎度のようにニューヨーク・ヤンキースとボストン・レッドソックスが優勝争いをしていた、メジャーで最もハイレベルな地区と言われるア・リーグ東地区で去年の覇者レッドソックスと首位争いを展開。春先の当初は昨年までのこともあって「春の珍事」・「勢いだけ」・「いつか落ちるだろう」などとレイズの突然の快進撃について周囲からは冷ややかな反応が多かったが、その後もそういった声をあざ笑うかのように着実にレイズは白星を積み重ねていった。
そしてとうとう球団創設初の地区優勝に加え、アメリカンリーグ優勝を成し遂げた。
        
 この奇跡の影には、「滅公奉私」 「自己犠牲」 「何苦楚(なにくそ)魂」といった岩村選手の日本的価値観と行動力があったことを、誰も疑わない。

 新年早々、つい熱く語ってしまったが、冒頭述べたとおり、日本には自然環境は変化に富み、世界最先端の技術、“ものづくりの伝統”と“高い労働倫理”が息づく。
我々日本人はただ自覚してないだけで、厳しい世界規模の危機的経済状況を、逆にチャンスとして活かし世界をリードする『逞しさ』と『知恵』があることを岩村選手から感じた、平成21年のお正月であった。
        
        ▲約2倍の重量を打ち上げる能力のある次期国産大型ロケットH2B


しかし、新春早々ラジオネタではない、スタートになてしまいました・・・トホホ