昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
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広島 カープ、新 ユニフォーム を発表!

2008-11-26 | 広島 カープ
広島カープは、新球場の完成する来季から新しいデザインのユニホームでプレーすることが、明らかになった。今回は、過去5度の優勝を飾った75年から88年のユニホームに採用された濃紺色を21年ぶりに復活したモデルチェンジだ。  
 広い新球場で機動力野球を推進するカープにとって、常勝軍団復活を予感させるユニホームが誕生する。02年から7年間続けていたユニホームは、「赤い縦縞」が消え、ホーム用は上下 白ベース、ビジター用は球団史上初となる上着が赤、パンツが白のツートンカラーへとリニューアルされる。さらにチームカラーでもある濃紺のラインが21年ぶりに復活。新球場元年を迎える来期から、かつて黄金時代を築いた「縁起色」とともにカープの新しい歴史が幕を開ける。
    
 今回の「色」には黄金時代復活への思いが込められている。もともと、広島カープのチームカラーは、球団旗にも使われている紺色である。創設期から広島カープのユニフォームには、チームカラーの紺色を主体としたデザインを採用していた。

 広島カープの歴史を紐解くと、1950年代後半以降、カープはメジャーリーグのエッセンスを取り入れたスタイルのユニフォームを導入してきた伝統がある。

 広島市民球場の完成した翌年の1958年、真新しい球場のグランドには、紺色のキャップ、白地に「CARP」の赤い花文字を紺で縁取ったロゴと、袖と胸元に赤いダブル・ラケットラインの上着、紺色のアンダーシャツ、赤/白/紺のソックスを組合わせたボストン・レッドソックスにソックリなユニフォームが登場した。以後、この「CARP」の赤い花文字ロゴは、2001年に現行の「Carp」筆記体ロゴが採用されるまで、40年以上の長期にわたり使われ続ける。
        
        ■週刊ベースボール50yearsⅡより転載
帽子のマークは、当初Hの中心にCを組合わせたデザインだったが、他球団と似通った意匠のため、写真のようにドイツ文字(Fraktur / 亀甲文字)と呼ばれる独特の書体を使い、小文字のcとhを組合わせたデザインに変更された。分野は異なるが、デザイナーの立場で考察すると、このchマークは、"躍動する鯉" にも見える極めて優れたデザインです。
        
 ビジター用も当初はホームと同様にレッドソックスのデザインを模倣し、グレー地に紺色のゴシック体で綴られた「BOSTON」の文字を、そのまま「HIROSHIMA」に入れ変えたシンプルなスタイルだった。
60年、胸番号の導入にあわせ、ビジター用は左下に赤い番号を付けたドジャース型に変更され、新たに躍動感溢れる筆記体ロゴが採用された。この筆記体ロゴは73~88年と昨年シーズン(07年~)からのビジター用、来シーズンのビジター用新ユニフォームにも使われている。ただし60~62年の綴りは、「Hiroshima」ではなく「Hirosima」・・・つまり英語表記ではなく、sとiの間のhが抜けたローマ字表記だったのは、ご愛嬌?(笑)

 1963年にフルモデルチェンジされたユニフォームは、帽子のマークは白いHに変更され、白地のホーム用は「CARP」、グレー地のビジターも「HIROSHIMA」の花文字ロゴを使い、帽子、上着の胸マーク、背番号、ベルト、ストッキング、アンダーシャツすべてが紺一色の、極めて地味な色で統一され、マイナーチェンジを重ねながら72年まで10年間使われる。
 1968年、経営母体が東洋工業(現マツダ)に一元化され、初めて球団OB以外の外部から招聘された根本監督が就任。その年から使用されたユニフォームは、前年までのユニフォームよりもラインの幅が太くなり、同じ紺色だがやや緑がかった濃いターコイズ・ブルーに変更され、一年目は開幕から快進撃。オールスターゲームの少し前まで首位の座につき、万年Bクラスだったカープが、最終的には球団創設いらい初めてAクラスの3位となり、70年まで使われた。
        
        ■週刊ベースボール50yearsⅡより転載
 71年、かって最下位から初の世界一に輝いたニューヨーク・メッツの「ミラクル・メッツ」を意識した、マイナーチェンジを行なった。それはカラーテレビの普及に伴ない、テレビ映えするよう帽子マークと濃いターコイス・ブルーのロゴ、背番号、ライン周りにはオレンジの縁取りが施されたワケだが、センスの良さは垣間見れるものの渋い雰囲気は変わらず、その年もトホホな最下位に終わる。
        
 このように球団設立以来、カープの帽子やロゴ、アンダーシャツには紺系色が使われていたが、1973年からクリーブランド・インディアンスを手本に、帽子のマークをHから横長のCに変更。またユニフォームの基調も濃紺にアクセントの赤を加えたニットのプルオーバー&ベルトレスタイプへと、大幅なモデルチェンジを行なった。しかしながら73、74年ともにダントツの最下位。3年間で3名の監督交代という前代未聞、最悪の状況が続いた。
        
 ところが1975年、監督に就任したジョー・ルーツは、前年までのユニフォームをベースに、かって自身の在籍したインディアンスが採用し、改革と闘争の象徴として、帽子を濃紺から赤色へと変更し、オールスター戦ではカープの選手が大活躍。その余勢をかってカープは接戦が繰り広げられるペナントレースを勝ち抜き、前年までの3年連続最下位から球団創設26年目に初優勝を遂げ、日本全国に「赤ヘル旋風」を巻き起こした。
        
 その後、77年からはアンダーシャツやロゴまで濃紺から赤に変わり、帽子のマーク、袖や襟のラインなどへ濃紺のアクセントが入ったユニホームで5度のリーグ優勝、3度の日本一を達成。当時の赤いユニホームに織り込まれていた「濃紺」は、強いカープの象徴だったとも言える。
        
 1989年、山本浩二監督の誕生と同時に、袖などの細かい部分から濃紺が消えて「赤のみ」の配色になる。左胸にはシンシナチ レッズを意識した「C」マークとCARPの文字、右胸に番号がレイアウトされたユニホームにモデルチェンジ。しかしレッズとは似て非なる凡庸なデザインであり、91年、最後のリーグ優勝を果たしたものの、93年には74年以来19年ぶりとなる最下位に転落、山本監督は辞任。ホーム/ビジターが同じデザインになったため、16年間使われた「Hiroshima」の筆記体ロゴは廃止された。なお94年ホーム用の袖に、同年開催されたアジア大会広島大会マスコットキャラクターのワッペンが入った。
        
 94年からは三村監督が就任、翌95年にモデルチェンジしたユニホームは60年代から70年代前半に使われていた「HIROSHIMA」の花文字タイプのロゴがビジター用に復活。後年各球団が採用する襟から胸元のラケットラインをいち早く取り入れ、躍動感を表現している。
        
 01年の第2次山本政権誕生とともに球団創設期に使われていた縦縞が復活し、今シーズンまで使われたユニフォームとなった。ロゴも花文字から、ホーム用は筆記体に、ビジター用はブロック体にデザイン変更。
        
また袖(左投げ選手/右袖、右投げ選手/左袖)にエンブレム(炎のボールマーク)を付けて、“ 燃える赤ヘル ”の再興を期したが、チームは長期低迷から脱していない。
        
今年は勝率5割、クライマックス・シリーズ進出を賭けて最後まで三位争いを演じたものの、最終的には11年間連続のBクラスでシーズンを終えた。

そして来季、広島にとって「強い時代を象徴する色」の濃紺が21年ぶりに復活するというワケだ。

 今回発表された新ユニホームは、一見しただけでは目立たない部分にこだわりが隠されている。ベースとなる「赤」の輝度を変更。帽子のマーク、胸のロゴ、背番号などを「濃紺」で縁取り、上着の袖とパンツのサイドにも赤/紺のラインを効果的に使っている。
また上着に立て襟を採用したクラシカルなデザインは、オープンエア型天然芝の新球場にピッタリ。第一ボタンを外すと、立て襟の内側に入れた 赤/紺タインがチラッと見える仕掛けは、" Good Job ! " と叫びたくなるオシャレ心のある仕上りだ。
    
 ホーム用は清涼感溢れるデザインもさることながら、機能性も優れている。上着は特殊なメッシュの編み込みで作られて軽量化され、通気性、伸縮性も向上。北京五輪野球日本代表と同じ作製法を使った最新技術の結晶だ。
 ビジター用は上が赤、下が白で球団史上初となるツートンカラーが採用され、インパクトのあるデザインに仕上がった。赤は膨張色だけに選手が一回り大きく見え、相手に与える威圧感は増すことになりそうだ。
    
 来春オープンする新広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)は左翼101m(91,4 m)、中堅122m(115,8 m)、右翼100m(91,4 m)と、数値では左翼が広いが、ほとんどの地点は右翼側が広くなる。ファン感謝デーで公開された実物は、写真のようにロングサイズのパンツになっているが、赤松、天谷といった俊足選手を揃えた布陣となるカープは、ストッキングを見せるスタイルの着こなしをする選手も増えるだろう。
        
その場合は、真赤なストッキングより、MLBカージナルスのように赤×白×紺×白×赤のコンビネーション・ラインが入ったストッキングがオシャレと思うのだが・・・・。
        
 原爆投下から12年目の1957年7月24日、完成したばかりの広島市民球場の第1戦から3182試合目、老朽化により今季限りで閉鎖し51年の歴史を終える9月28日、広島市民球場でのリーグ最終戦。市民球場は広島市の復興のシンボルとして原爆ドームの真横、市の中心部に誕生し、希望の灯をともし続けてきた。カープの苦しみ、喜び、そのすべてを見つめてきた黒土のグラウンドがついにその役目を終えるときが来た。
将来のエース前田健太投手が投打に活躍、4番栗原健太内野手が有終の21号2ランを放ってヤクルトに勝った。このまま3位以上を死守してクライマックスシリーズに出場して勝てば、日本シリーズで戻って来られる。セレモニーではアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が流れ、スタンドを真っ赤に染めた観客と選手は「必ず帰ってくる」の思いで1つになった。
    
 新ユニホームで新しい歴史を築けるかは、チームとファン全員の総力にかかる。
市民球場で行われたファン感謝デーで栗原、大竹が着用し、ファンに初披露されたニューモデル。新しい歴史は数々の名勝負を刻んだ場所、満員の観衆の前で、力強く幕を開けた。
新球場元年となる来季、広島カープは11年連続Bクラスという“過去”を脱ぎ捨て、新たな黄金期へ歩み始める。

ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-41G Sky Rider Jr. (3)

2008-11-16 | アメリカ製真空管ラジオ
Hallicrafters S-41 Sky Rider には、S-41Gの他にS-41Wというキャビネット全体をホワイトに塗装したモデルが存在する。第2次大戦が終わり、平和が訪れた世相を反映したためなのか、思い切った塗装を施した点が興味深い。 
        
 '40年前後から70年代前半の通信機や受信機は、Military仕様の影響を受けているのか、ブラックやダークグレー系のカラーリングが主流であった。
民生用入門短波受信機 ECHOPHONE EC-1シリーズのキャビネットは、ライトグレーのカラーリングだったが、第二次大戦の終了した ’46年 に、ブランドをECHOPHONE からHallicrafters へ変更して発売されたS-41は、赤味がかったグレー/ワインレッドに塗装されたS-41Gと、全面ホワイトに塗装されたS-41Wの2タイプがリリースされている。
        
 すでにこの時代の米国では、洗濯機や冷蔵庫といった白物家電の属する家事用具を指したホームアプライアンス(Home appliance)と呼ばれるマーケッティング分野が確立していた。
            
上の写真は、大東亜戦争前の'40年代初頭に雑誌に掲載されていた、アメリカの家庭用冷蔵庫の広告である。清潔そうで堅牢な真っ白い筐体の2ドア冷蔵庫の中に、ギッシリ詰まったゴージャスな食料品の数々! こんな国と戦った当時の日本は、たまりません。。。
        
 民生用入門短波受信機にHallicrafters ブランドの使用を躊躇いECHOPHONE ブランドを使った同社だが、終戦とともに平和へと移行する世の中の空気を敏感に感じ取り、マーケティング戦略をシフトしたのであろう。 当時の米国は、マーケティングとデザインの重要性がすでに確立しており、短波受信機も、"情報ツール" という一般家庭のホームアプライアンスの一部として位置づけようとされていたのかもしれない。

 EC-1からEC-1AおよびB、S-41Gを経てS-38に至るまで、Hallicrafters の入門用受信機は、高価なトランスを使わないトランスレス電源回路と中間周波数455kHzのシングル・スーパーヘテロダインにモールス信号を復調するためのBFO回路を加えた6球構成のシンプルな回路である。つまり家庭用5球スーパーと同じ回路構成でありながら、利得重視のIFT(中間周波トランス)の設計に助けられて世界中からの電波を聴くことができるパフォーマンスは本当にすごい。

National RADIO NC-60 - NC-Sixty Special - (1)

2008-11-10 | アメリカ製真空管ラジオ
大ヒットした入門用受信機Hallicrafters S-38シリーズの最終モデルS-38Eに対抗して発売された、米国National Radio社 NC-60 "NC-Sixty Special" (’59-64年製造)を入手したのでご紹介する。
    
    ▲National RADIO Co., INC.  NC-60 "NC-Sixty Special"(1959)
 Hallicrafters S-38シリーズは、’46年から仕様の変更を重ねながら’61年まで、15年間にわたり生産され続けるほど大ヒットした入門用受信機であり、日本製の受信機にも大きな影響を与えた。通常の製品は、後期の方が改良・改善されるものだが、本機の場合は、'46年に発売された最初の S-38 から徐々に機能の省略化とコストダウンが行われていった点が興味深い。S-38の爆発的ヒットに影響を受けた National Radio社は、’50年に入門用短波受信機 SW-54(’50-58年)を発売し、そこそこ売れたようである。
    
    ▲(左上)S-38  (左下)SW-54      (右上)S-38E  (右下)NC-60
 一方、Hallicrafters 社の S-38は、そのアイデンティティとも言える、左右向い合わせの半円形状周波数インジケータがレイアウトされた秀逸なフロントパネルデザインをS-38Cで終了した。S-38Dからは大型横行き形状の周波数インジケータがフロントパネルを占めるデザインへ変更し、大幅なイメージチェンジが行なわれた。
Hallicrafters 社 S-38の大幅なモデルチェンジに伴い、National Radio社は、SW-54の後継機として、’59年に大型横行き形状の周波数インジケータを採用したNC-60(NC Sixty Special)を発売。これを追うように、日本製受信機も横行き周波数インジケータ・タイプの9R-59などの機種が相次いで発売された。まだこの時代の日本は、工業先進国アメリカのデザインに追従しつつ、機能と品質向上を重視する時期だった。
    
    ▲落札したNC-60は天板と側面に錆が浮いている・・・・残念!
 National Radio社NC-60 "NC-Sixty Special"は、すべての真空管にミニチュア管を採用したトランスレス5球スーパにBFO回路を加えたシンプルな回路で、中波540kHz~31MHzを4バンドに分割・連続カバーする。短波帯のデリケートな選局微調整を容易にするスプレッド・ダイヤル機構、モールス信号を受信するBFO回路を搭載し、世界各地からの電波をキャッチする受信機として登場した。なおSW-54は、’50年の発売時点で既にHallicrafters 社に先駆けミニチュア管が採用され、整流管のみGT管35Z5だったが、NC-60では整流管もミニチュア管35W4に変更されている。
    

  メーカー  : National RADIO Co., INC.  NC-60 "NC-Sixty Special"(1959)
  サイズ   : 高さ(約195mm)×幅(約343mm)×奥行き(約220mm) 5 .4kg
  受信周波数 : 中波 540~2000kC/2.0~8.0MC /8.0~30.0MC
  使用真空管 :
  12BE6   局部発振・周波数変換
  12BA6   中間周波数増幅・BFO
  12AV6   検波・初段低周波増幅
  50C5    低周波出力
  35W4    整 流
  電 源  : AC 110-120V/50-60cycles
  スピーカ: Permanent Magnet Dynamic Loudspeaker (moving coil)

 ヤフオクに出品されていたNC-60は、ブルー/ブルー・グレーのコンビネーション・カラーのスチール製キャビネットの天板と側面に錆が浮いている。フロントのプラスチックパネルには一部ひび割れがあるが、比較的キレイな状態である。通信型短波受信機というより、盆踊りの時に拡声器と一緒に使われるチューナー・アンプ・・・?! に似てると感じるのはボクだけだろうか(笑)
    
    ▲お洒落なブルー/ブルーグレーのカラーリングのキャビネット
NC-60 "NC-Sixty Special"のキャビネットは、①ブルー/ブルーグレー、②ブラック/グレーのコンビネーションおよび③ブルー単色の3種類のヴァリエーションがあったようだが、その仕様の詳細な違いは不明。
    
    ▲(上)ブラック/グレーのコンビネーションおよび(下)ブルー単色 のキャビネット
 インダストリアル・デザイナーの視点で見た場合、同じ横行きダイヤルの短波受信機でも、ライバルであるHallicrafters S-38Eは、造形美も含めて "大人の短波ラジオ" としての趣が醸し出され、無骨なNC-60と比べ断然スマートだ。
    
    ▲ライバルであるHallicrafters S-38Eは、NC-60と比較すると断然スマート
 戦後、高級通信型受信機が続々と市販されている米国で、「手軽に短波放送を味わってみよう」という人々にとって、ブルー/ブルーグレーの明るい色調にカラーリングされたNC-60は、"通信機の重さ" を感じさせず、入門者に敷居の低い短波受信機として提供されていたことが、当時の広告から推察できる。
        
 NC-60の特長でもある大型横行き形状のメインダイヤル周波数インジケータには、marine(船舶無線)、aircraft(航空無線)、amat(アマチュア無線)、foreign(海外放送)、wwv(標準電波)といった短波帯を使用する電波の業務区分別の帯域表示が細かく印刷され、世界各地から届く微弱な電波に乗った "情報" に浸る楽しみが、この箱にギッシリ詰まっていることを物語っている。
    
 世界中を駆け巡る微弱な電波は、季節や時間帯、電離層のコンディション、受信機やアンテナの機能などの様々な要因により、キャッチできたり、できなかったり日々変動する。そうした不確定要因の中から、偶然の延長線上として思わぬ遠方の電波を捉えたとき、受信者は発信元に手紙で受信状況をフィードバック(報告)し、発信者はその報告へのお礼を込めて「報告された電波が自分が発信したものに間違いない」ことを確認する証であるVerification Card(受信確認証)が発行される。こうして世界各地から届く業務無線の電波を傍受するSWL(Shortwave Listening / Listener)や、遠隔地の放送局の番組をキャッチすることに勤しむBCL(Broadcasting Listening / Listener)たちにとっては、受信した証をコレクションすることも楽しみの一つなのである。

ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-41G Sky Rider Jr. (2)

2008-11-04 | アメリカ製真空管ラジオ
短波帯の受信を主目的としたラジオや受信機では、十分な感度や選択度に加え、チューニングダイヤルをごく僅か動かしただけで周波数が大きく変化する特性にどう対応するか、という点も重要だ。S-41G "Sky Rider Jr."の周波数同調回路について検証する。
 この問題をクリアするために、S-41G "Sky Rider Jr."にも周波数同調回路のメイン・バリコン(MAIN TUNINGダイヤル)に、電気的な周波数微調整を行なうバンド・スプレッド用回路(FINE TUNINGダイヤル)を装備している。
 S-41G "Sky Rider Jr."やS-38の元祖と言われるEchophone EC-1 のバンドスプレッド・ダイヤルのスケールは左右に動く横行きタイプだった。
    
    ▲Echophone EC-1 の横行きタイプのバンドスプレッド・ダイヤルスケール
EC-1A以降、メインダイヤルとバンドスプレッド・ダイヤルの周波数スケールを左右対称に配置した特長的なレイアウトを採用。以後、S-41GやS-38シリーズへと受け継がれ、Hallicrafters 入門用短波受信機のアイデンティティとなる。
    
    ▲S-41G "Sky Rider Jr." の左右対称タイプのバンドスプレッド・ダイヤルスケール
    
    ▲レイモンド・ローウィによりデザインされたS-38のバンドスプレッド・ダイヤルスケール
 通常、短波受信機の周波数同調回路には、メイン・バリコンの横へバンド・スプレッド用バリコンが取付けられているか、またはS-38のようにメイン・バリコンと一体型のバンド・スプレッド用バリコンを糸掛けドライブで駆動する方式が採用されている。 ところがS-41Gのキャビネットの中を覗いて見たところ、バンド・スプレッド用バリコンが見当たりません・・・!
    
 ウェブサイト Noobow System Lab. の記事を拝読すると、EC-1/EC-1A とEC-1B/S-41Gとでは、バンドスプレッド機構が大きく異なることが判明した。
EC-1/EC-1Aは、メイン・バリコンと一体型のバンド・スプレッド用バリコンを オーソドックスな糸掛け方式で左右のチューニングつまみから駆動します。
    
これに対しEC-1BやS-41Gは、周波数スケールを左右対称に配置したレイアウトは同じながら、 バンド・スプレッドはシャーシ下の局発コイルの中にあるコア棒を移動させる方式へ変更されている。この方式は、下記 ①、② の2連タイプの糸掛け方式であり、各糸掛けの途中にはロードスプリングが入っています。

① バンド・スプレッドつまみのシャフトとダイヤル指針のついたシャフトが糸掛けでつながれ、シャーシを垂直に貫通するシャフトを回す
②シャーシ下面の糸掛けにより、局発コイルの中にあるコア棒を往復作動させる
    
 複雑な機構でフリクッションロスが多く、ダイヤル操作感も良くないこの方式は、バンド・スプレッド機能としては不利である。なぜこうした複雑な機構を採用したのかは不明ですが、コストダウンを図ったのか、一体型バンド・スプレッド用バリコンの供給が滞っていたのか、その背景は定かではない。 いずれにしてもユーザーから不評だったため、 S-38 ではメイン・バリコンと一体型のバンド・スプレッド用バリコンに戻されています。

 出品者の方によってあらかじめ電源平滑用の電解コンデンサ3個とPHONEジャックの抵抗を新品に交換されています。またIFT(455kHz)の調整も行なわれているとのこと。S-41Gは60年以上の時間を経過しても、これだけの部品交換だけでちゃんと動作する当時のアメリカ製製品の品質には敬服してしまう。
    
 電源プラグを家庭用の100Vコンセントにつなぎ、BAND SELECTスイッチを「1」(中波)に切替え、電源スイッチ付音量調整ヴォリュームをONにすると、フロントパネルの半円形周波数表示部にオレンジ色のパイロットランプが点灯する。裏蓋の無いリアパネルからは、GT管のプレートが灯り、部屋の電気を消すと幻想的な世界がそこに広がる。
ん・・・・・?? S-41Gのスピーカーから僅かなハム音は聞こえるが、空電ノイズは聞こえない。 そうだ、アンテナを繋いでなかった!(笑)
    
 しばらくするとスピーカーから静かに空電ノイズが聴こえ、左側にあるMAINダイヤルのチューニング用ツマミを回すと、ノイズから浮かび上がるように放送が聴こえてきた♪  短波帯の低域付近でチューニング用ツマミを回すと、何故かバリコンにガリがあります。バンド・スプレッドつまみを回すと、確かに周波数の微調整は行なえますが、可変範囲は狭く、フリクッションロスが多く、ダイヤル操作感もS-38と比べると不満が残る。ただ短波帯域の感度はイマイチながら、中波の感度はバッチリ!(^-^)v  所詮は5球スーパーと言いながら、感度や選択度は、あきらかに国産の家庭用5球スーパーと異なる。世界中からの電波を聴くことができるパフォーマンスは本当にすごい。

 S-41G "Sky Rider Jr."のチューニングダイヤルをアメリカ合衆国政府(USIA:合衆国情報庁)が公式に運営する国営短波ラジオ放送局、ボイス・オブ・アメリカ (The Voice of America 略称:VOA) の強力な電波に合わせ、彼らの主張する国際情勢やアメリカ国内の話題、歴史や文化・音楽などのプログラムに耳を傾けながら、日本とアメリカの関係に思いを巡らせた。

 戦後、日本は、アメリカの開発したラジオや通信機、家電あるいは自動車・産業機械といった様々な分野の工業製品の基礎技術を吸収し、発展してきた。また"アメリカ製"の堅牢な品質を分析・取捨選択することで、 "ビジネス" として改善・進化してきた "日本人のモノづくりへのこだわり" こそが、アメリカを凌駕し今日の日本の繁栄を支えているのだと思う。  
その反面、戦後、食料をはじめ教育、文化等あらゆる物質的あるいは精神的価値観がアメリカから流れ込み、それらを何疑うことも無く受け入れてきた自分自身を含めた日本のあり方に疑問を抱いた20代・・・ 
ボクは、アメリカや東南アジア、中東からヨーロッパを旅する中で、 "日本人としての何か" が自然派生的に芽生えていることに動揺を隠せない自分と対峙していた。
    
 バブルの終焉と自分の生き方の微妙なすれ違いに微妙な違和感を感じていた最中(さなか)、ブルース・スプリングスティーンを真似る悲しい日本人に扮したジャケット、浜田省吾のアルバム「Father's Son」に収録されている唄に出会った。
ボクに一つの答えを与えてくれた 『Rising Sun~風の勲章~』 は、戦後の焼け野原からバブル経済に辿り着くまでのこの国の姿が歌われている。

  焼け野原で学んだものと、経済大国になって忘れてしまったもの。

 真の国力とは、国家資産や経済力、軍事力などではなく、その国が培ってきた普遍的な価値観、歴史、文化である。
にもかかわらず、我々は  「日本とは何か」  「日本人として何を誇るのか」 という自らの問いかけすら忘れ、唯一の精神的支柱とも言える『恥』という概念さえも捨て去り、世界に向け主張できる価値観など、無くしてしまった。 それが国としての存在に関わる根源的な問題であることに、誰も気づこうとすらしない。 今、この国は、すでに国家としてのありようを完全に失ってしまっている。 日本はもはや、「亡国」と化してしまったのだろうか。本来、日本人の持つ "精神的価値観" さえも捨て去り始めた'90年代のバブル崩壊以降の "脆さと危さ" を、仕事やプライベートで日本を離れるたびに感じずにはいられない。
    
    ▲浜田省吾Father's Sonのジャケットはブルース・スプリングスティーンを真似る悲しい日本人
 『Rising Sun~風の勲章~』で時折流れるシーケンスのフレーズが心地良く、80年代のロック・サウンドのお手本になるようなアレンジ。深いディストーションでありながらも粒子の細かいギターサウンドは、理想の音の一つだ。
 いみじくもの今日、ダンスミュージックに乗せたギリギリの高音域の女性ボーカル-という新しいエンターテインメントで頂点に上り詰めた、某超大物音楽プロデューサーが大阪地検特捜部に巨額詐欺容疑で逮捕された。音楽プロデューサー、作曲家として、彼は時代に愛され、時代から見放されたのだろう。人々が真に求めていたものは、虚しいトランス状態ではなく、 "心に触れる音楽" だったのではないだろうか?

 時代認識や世相を歌うことに対して懐疑的なアーティストやオーディエンスも多い昨今、浜田省吾のそれは決して政治やイデオロギー的な立場からのものではなく、「君が好きだ」という感情も、この国の行方を憂う気持ちも、極めて個人的な感情から生まれている。
浜田省吾の歌う曲の主人公は常に迷い、もがき抗いながら生きていることが殆んどだ。だからメッセージは、いつもその背景の向こう側にある。そのメッセージを受け取れる人は、同じようにもがき苦しんでいる人だろう。だからこそあれだけ多くの人に届き、30年間を経てもなお多くのファンに支持され、共感を得ているのだと思う。

 日本敗戦の翌年に生まれたS-41G "Sky Rider Jr." から聞こえる、アメリカ合衆国の国営ラジオ放送局The Voice of America の論調に、親しみと敬愛するアメリカではあるが、彼の国の大義へ追従するだけの日本に疑問を抱く自分の中のDNAが葛藤するの夜、S-41Gのスイッチを切り、久しぶりに愛用のBOSEオーディオシステムで浜田省吾のアルバム「Father's Son」に聴き入った。

でもよく考えれば、このBOSEオーディオシステムも、しっかりアメリカ製じゃん!・・・・・などとどうでもいいことを "文化の日" に思う、店長の "憂い" はいつまで続くのやら・・・です(笑)

■前回の記事 ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-41G Sky Rider Jr. (1)
■次回の記事 ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-41G Sky Rider Jr. (3)