昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
アンティークなラジオを中心とした、自由でお洒落な、なんちゃってワールド♪

ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-38 受信機 (3)

2008-08-31 | アメリカ製真空管ラジオ

S-38は、大変有名な受信機であり、米国は勿論、日本にも多くのファンがいる往年の名機だ。この世に送り出され、60年もの時を経て、今なお現役であり続けるアメリカ製受信機の “ 魅力 ” を探る。 
 S-38は、GT管とメタル管を使った真空管5球シングルスーパーヘテロダインに、モールス信号を受信するためのBFO (Beat Frequency Oscillator) 回路を加えた中波帯から30MHzを4バンドでカバーする6球構成の通信型受信機である・・・が、しかし所詮は、トランスレス5球スーパーラジオだ。 
ただ往年の名機と呼ばれていても60年前の代物ですから、はたしてどの程度使い物になるのか、不安は隠せません。
        
        ▲厚紙でできた裏蓋を外すとRCAやGE製のGT管、メタル管が整然と並ぶ

  メーカー: Hallicrafters社 S-38 (No letter / Early models : ‘46)
  サイズ : 高さ(約178mm)×幅(約327mm)×奥行き(約184mm) 5 kg
  受信周波数 : 中波 540~1650kC/1.65~5 MC /5~14.5 MC / 13.5~32 MC
  使用真空管 : V1 12SA7 (Converter:局部発振・周波数変換)
            V2 12SK7 (IF amplifier:中間周波数増幅)
            V3 12SQ7GT (Detector/AVC/AF:検波・初段低周波増幅)
            V4 35L6GT  (Audio output:低周波出力)
            V5 12SQ7GT (BFO / ANL)
            V6 35Z5GT  (Rectifier:整流)
  電 源 : AC 105-125V/50-60cycles
  スピーカ: Permanent Magnet Dynamic Loudspeaker (moving coil)

ヤフオクに出品されていた前オーナーのコメント欄には
「SSG&VTVM等を使って可能な範囲で調整を実施済み。中波ローカル放送ならアンテナなしでも十分受信可能ですが、良いアンテナをつなげば、BCLもそれなりに楽しめると思います。」
と書かれている。
        
        ▲こんなアンテナを張るのが理想だが、現実は・・・(TρT)
マニュアルによるとアンテナは、50~100 feetのLong-WireかDipoleアンテナを推奨している。しかし実際は、2階のテラスに張った僅か3mほどのShort-Wireをキャビネット背面の端子に接続してみた。
        
 電源プラグを家庭用の100Vコンセントにつなぎ、BAND SELECTスイッチを「1」(中波)に切替え、電源スイッチ付音量調整ヴォリュームをONにすると、フロントパネルの半円形周波数表示部にオレンジ色のパイロットランプが点灯する。
しばらくするとスピーカーから静かに空電ノイズが聴こえ、左側にあるMAINダイヤルのチューニング用ツマミを回すと、ノイズから浮かび上がるように放送が聴こえてきた♪ 
        
 日本の家庭用電圧100Vのせいか感度はやや抑え気味、高感度とは言いがたいものの、選択度や安定度は適度で、海外からの放送を受信するには十分実用的だ。前オーナーが何点かの部品交換と調整後発送していただいたため、全バンド受信可能である。操作時に多少ガリが出ることもあるが、60年以上前に製造された受信機であることを考えると感慨深い。

周波数の微調整を行なうためのBAND SPREADバリコンはMAINバリコンと一体となっており、ごくオーソドックスな糸掛け方式で左右のチューニング用ツマミから駆動され、選局時の同調操作はきわめてスムース。
        
        ▲ステータを共用し、ローテータが左右にある一体型バリコン
周波数直読は困難ですが、右側にあるBAND SPREADダイヤルのチューニング用ツマミを回し、バンド内を「探る」楽しみを十分に堪能できる。 
        
 誰もが寝静まった深夜、S-38のスピーカーから流れる優しく乾いた音が、疲れた心を癒してくれる。真っ暗な部屋で、キャビネットの隙間から漏れる真空管とパイロットランプの灯り、そしてフェージングとともに聞こえてくる外国の民族音楽が何とも幻想的な空間を醸し出す。
        

■過去の記事 ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-38 受信機 (1) 2008年07月25日

■過去の記事 ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-38 受信機 (2) 2008年08月17日


ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-38 受信機 (2)

2008-08-17 | アメリカ製真空管ラジオ

名機と呼ばれ、戦後日本の民生用受信機や通信機の開発にも大きな影響を与えた Hallicrafters社 S-38 シリーズの中でも、大変貴重な初期モデルであるS-38(No letter/前期タイプ '46年製)を入手して約1ヶ月が経過した。
 ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-38 受信機 (1) でも書いたとように、第二次大戦の終了した翌年、EchoPhone EC-1B/Hallicrafters S-41G SkyRider Jr.をベースにレイモンド・ローウィのデザインと再設計を加え、初心者向け民生用受信機として登場した S-38は、大ヒット商品となり、戦後日本の民生用受信機や通信機の開発にも大きな影響を与えた。
        
        ▲Hallicrafters社 S-38 初期型で眠れぬ夜にジャズやR&Bを聴く
数年後、 S-38のデザインをコピーした、より高性能な受信機が日本の通信機メーカーから相次いで発売されている。
        
        ▲S-38をコピーし、高性能に進化させたデリカCS-7('59~)
それは60年以上前、『インダストリアルデザイン』という新しい価値観の重要性を日本人が無意識のうちに感じ取り、後年、アメリカの開発した通信機・家電をはじめ自動車・産業機械といったあらゆる分野の工業製品に “ 機能 ・品質・安価 ” という高い付加価値を与えることで AMERICA を凌駕し、彼らのマーケットを席巻する胎動期であったと考えれば、この S-38は “ 戦後の日本 ” を象徴する意味深い受信機である。
        
        ▲トリオは9R-4JをアメリカでLafayette KT-200/HE-10の名前で発売
 今回落札したS-38は、スチール製ケースの塗装色がダークグレー、底蓋もスチール製を採用しているS-38(No letter)前期型モデル。小キズ・汚れは多少ありるが、目立つへこみやひどい錆はなく、下の写真のとおり大変キレイな状態だ。
 レイモンド・ローウィによるデザインは、 S-38の立方体のキャビネット・ケースのエッジに柔らかな丸みを持たせ、フロントパネに専門用語で言うところの黄金比(最も美しいとされる線分比率 Golden ratio)に従ったレイアウトを採用している。 黄金比とは、線分を a, bの長さで 2 つに分割するときに、a : b = b : (a + b) が成り立つように分割したときの比 a : b のことであり、植物の葉の並び方や巻き貝、純結晶といった自然界にも見られる。黄金比は、神のもたらした神秘的な規則であるとも言われ、歴史的建造物、美術品は最も美しいとされるこの線分比で構成されていることが多い。
        
        ▲レイモンド・ローウィがデザインしたHallicrafters社 S-38 初期型('46年製)
 またS-38のデザインで目を引く特長は、左右向い合わせの半円状周波数インジケータにある。向かって左側がメインダイヤル、右側がスプレッドダイヤル表示だが、通常はスプレッドダイヤルの表示位置を「0」にして、メインダイヤルで大まかなチューニングを行ないます。
        
 このようにケース塗装、各ツマミ・スイッチ、裏蓋まですべてオリジナルのままの S-38は、60年以上前の受信機であることを考えると、極めて良好なトップレベルのコンディションではないかと思います。
        
 底蓋に貼ってある、むやみな調整を戒める警告ラベル(紙製)もきれいに残っている。ちなみにS-38A以降のバージョンの底蓋には、コストダウンのためにスチールではなく厚紙が使われており、アメリカらしい合理主義を垣間見ることができる。
        
 厚紙で出来た裏蓋を外し、キャビネットの内部を確認する。基本回路はトランスレス5球スーパ+BFOなので、シャシ上面は非常にスッキリしている。ほとんど錆のないシャーシ上には、RCAやGE製のGT管、メタル管が整然と並ぶ。スプレッドダイアル用に2軸方式となっているバリコンは、60年以上前の受信機とは思えないほど、輝きさえ放っている。シャーシに貼られたシリアルNo.ラベルがそのまま残っているのも嬉しい。
        
 近代の日本と最も関わりの深い国がアメリカであることに、誰も疑う余地はないだろう。ペリー来航による開国、明治におけるハワイ・西海岸への入植・移民、欧米列強のアジア支配に国家の存亡を賭けた闘いに敗れ焦土と化した日本・・・そこへアメリカが圧倒的な力とともに携えてきたのは映画と音楽にチョコレートだった。 彼らのもたらした文化の中で、物質的な豊かさを追い求めていた昭和世代の日本人にとって、AMERICA は “ 特別な国 ” なのかもしれない。
        
 20歳を過ぎた頃、自分の中に流れるその “ 特別な何か ” を知りたくて、シアトル郊外のSea-Tac空港に降り立った。小さなリズムボックスとカセットレコーダーをカバンに詰め込み、ギターを抱えてグレイハウンドバスに揺られながら、ラスペガスを目指した。 だが憧れの国だったはずのアメリカにボクの求めた居場所はなく、結局、AMERICA にたたずむ自分は “ 黒い瞳を持つただの日本人 ” であることを、思い知らされる旅だった。
        
 バブルがはじけて意気消沈したままの日本と自分自身の人生観との微妙なすれ違いに苛立ちを感じ、心の空白を埋めようと仕事にのめりこんでいた30代前半・・・ロサンジェルス郊外の工場に据え付けた産業機械のPRビデオ撮影現場に1週間立ち会った。
荒野に建つ真新しい広大な工場内で、汗にまみれて黙々と単純な肉体作業にいそしむヒスパニック系労働者と監督役のフィリピーナ。せわしなくフォークリフトを操るアフロ・アメリカンたちを横目に、電動カートに乗った白人エンジニアは日本からの撮影チームに気安く声をかけてくるが、経営陣とおぼしき白人は、決して目を合わせようとせず、ただ黙って横を通り過ぎる。 
“人種の坩堝(るつぼ)” と言われるアメリカの完璧なまでのヒエラルキーと、いわゆる “高品質なモノづくり” のみがこの国での日本人の存在意義である現実を肌で体感した。
        
 勤務先では毎年、7月下旬に9日間の夏季休業がある。今年は シアトル - ポートランド - サンフランシスコ - サンノゼ へプライベートの旅に出る予定だったが、諸般の事情でやむなく出勤。屋外は連日35℃を越える猛暑の中、オフィスのデスクに向かい「暑い~!・・・」と連呼するトホホな羽目になってしまった。

 蒸し暑い夜の続く深夜、浅い眠りから目覚めたボクは、ベッド脇に置いた S-38の電源スイッチを入れて、チューニングダイヤルを回す。ある日は雑音交じりに聞こえてくるジャズやR&Bに指を止め、また別の日にはどこの国からの電波ともわからない伝統音楽に耳を傾けているうち、いつのまにか眠りに落ちてしまう日々を過ごしている。

■過去の記事 ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-38 受信機 (1) 2008年07月25日


夢のせて ― 日本一の天然芝球場へ 広島新球場

2008-08-13 | 広島 カープ
来年3月開業予定の広島新球場の輪郭が見え始めてきた。博多へ出張する新幹線に乗ると広島駅到着までの約30秒間、内外野オール天然芝のグラウンドを包むスタンドの建設の様子が見える。広島市民球場を引き継ぐ「夢のボールパーク」の全容に迫る。 
 日本一の“ボロ球場”から日本一の天然芝球場へ・・・・来年3月、広島に待ちに待った新球場が誕生する。右翼100メートル、左翼101メートルの広さのフィールドは、現在の広島市民球場より10メートル近く広くなり、センター122メートルも7メートル近く広い。「バットにかすっても入る」と投手から怖がられていた日本一狭い球場ともおさらば。セ・リーグでは最も広い球場となる。
      
        ▲来年3月開業予定の広島新球場(下のコンペ作品と比較してください)
 新球場建設の機運は1994年、広島商工会議所が現地にドーム球場建設の「ネオひろしま構想」を発表して高まった。2002年にはドームを前提にした複合型球場建設に向けて日米企業体「チーム・エンティアム」と合意したものの、翌03年には事業化を断念。
 ところが04年、球界再編の動きが起き、広島を本拠地とするカープと他球団の統廃合が報道されるやいなや広島県民や市民、地元経済界は、球場建設の早期実現に向けて立ち上がった。
広島カープは市民が支えてきた歴史を持つ。敗戦と原爆のつめ跡が色濃く残る1950年、親会社を持たない球団として誕生。だが1年目から選手の給料さえも捻出できない資金難で解散の危機に陥ったことを知った市民の間で「カープを救え!」との声が上がった。本拠地だった広島総合球場に寄付を呼びかける四斗だるが置かれ、人々は身銭を樽に入れ、愛するカープに夢を託したのだ。
      
        ▲元祖たる募金('51年)と'04~'05たる募金  ▲CHEMISTRY堂珍嘉邦も参加
 2004年11月、広島の「たる募金」が復活した。老朽化の進む広島市民球場に代わる新球場の建設資金集めが目的だった。県内外の約1200か所に、たるや募金箱が置かれ、1年間で目標を上回る約1億2000万円が寄せられ、新球場建設の機運を高めた。現球場の全面改築か、現在の建設地への移転か、紆余曲折を経て、06年に一般公募によるコンペの末 総工費約90億円をかけた新球場建設が決定。
      
        ▲選考委員会(コンペ)の最終審査に残った4作品
 一般公募全20作品の中から、
  ・レフトスタンドが新幹線側に大きく開かれ、新幹線の乗客も球場の観客ととらえている
  ・いろいろな観戦スタイルを可能とするような工夫を凝らし、多彩な観客席
の内容が評価され、21世紀の新たな広島のシンボルとして、市民・県民が誇りの持てる球場にふさわしい提案であるとして、最優秀案は決定された。
      
        ▲選考委員会(コンペ)で最優秀案とされた作品
 昨年10月に着工したアメリカンスタイルのボールパークとなる新球場の特色として、左右対称でないことが挙げられる。カープファンでぎっしり埋まる予定の一塁からライトスタンドは、広く感じるが、レフト後方は少し低く感じる。「グラウンドの開放感、通風、街との一体感を確保するため」といわれている。
グラウンドの広さも立派なら、観客席(3万350席=立ち見、芝生等を除く固定席数)も大きく変身する。狭くて階段の段差がまちまちでつまずくシーンがよく見られた現球場に比べ、観客席は緩やかな傾斜で、全面バリアフリーになる予定。大リーグの球場並みの横幅50センチ、奥行き85センチを確保。「砂かぶり席」も、本塁後方の一塁、三塁側両方と一、三塁の内野席に設置して、選手と同じ目線で臨場感を楽しめる。
      
        ▲内野2階席前方のテラスシートでは、テーブルを囲んで観戦できる
 新球場は、外野席にいろいろな工夫が凝らされている。
カープファンで埋め尽くされるライトスタンドには、現市民球場と同様に観客が一体となって思いっきり応援できるパフォーマンスシートが設置される。
ライトポール際に3段式に並べられたテラス状の「びっくりテラス」と呼ばれる観戦スペースやライト後方のスタンド下には細長い窓から観戦できる「のぞきチューブ」があり、センター後方の2階席には、レジャーシートを広げて団体観戦ができる芝生席も設けてある。
レフトスタンド後方にはスポーツバーやパーティーフロアがあるほか、レフトスタンド下には「砂かぶり席」、さらに「ただ見エリア」という入場券なしでも観戦できるスペースまであるのだ。
      
        ▲ライト側パフォーマンスシートからの眺め
 1階観客席の最後部には球場を眺めながら周回できる幅12m(内野)~8m(外野)の広いコンコースがあり、売店やトイレ、授乳室などを配置し、試合のない日もイベントスペースとして活用できる。
新球場のコンセプトとして「いつでもだれでも試合がない日もコンコースからスタジアムを見ることができるのが理想」と思われるが、野球だけでなく、ちょっとしたコンサートもできる広いコンコースや、「ただ見エリア」の設置などはそのひとつ。
      
        ▲コンコースからはグラウンドを眺めながら、球場を周回することができる
 レフトスタンド後方から100メートルも離れていない所をJR山陽本線の電車が、その先には新幹線が走っている。球場の雰囲気、楽しさ、素晴らしさを新幹線などの車窓から感じ取れるロケーションは、広島の新しい顔にもなるだろう。
      
        ▲JR広島駅東側から見える夜景
 広島市は、新球場周辺の施設充実にも力を入れている。新球場をボールパークとしてとらえ、緑地作りやスポーツクラブなどの誘致を決めている。広島新球場が、広島駅周辺の再開発に果たす役割は大きい。かつての「復興のシンボル」は、ファンの思いを背負う「新たな発展のシンボル」に、その役割を変えようとしている。単なる施設でなく美しい街の一部として、そこにプレーヤーがいなくても、野球観戦の想像力がかき立てられるような球場作りを目指してほしい。
      
        ▲広島駅から東へ約1,000m、徒歩でいける新球場の正面エントランス
 広いフィールドでは、攻守ともにスピードが生命線となる。広い球場では、守りを固め、少ないチャンスを生かす野球が勝つ。すべての選手が次の塁を狙う意識を持つ、カープ伝統の機動力の復活が低迷脱出のカギになる。今季は、走塁と守備に力点を置き、東出・赤松・天谷といった俊足強肩の選手を並べ、昨年までとは違う戦いを繰り広げ善戦している。

 都市再生の起爆剤という使命を担う新球場。求められるのは、経営と野球の新たなスタイル。
真っさらなキャンバスに、球団とファンはどんな絵を描くのか・・・・カープ ファンの夢は、膨らむ。