昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
アンティークなラジオを中心とした、自由でお洒落な、なんちゃってワールド♪

アンティーク・ラジオのネットオークションに思うこと

2006-10-30 | 昭和三丁目の真空管ラジオ
 先日の記事でもご紹介した かなりやYSと同機種(ただし元箱付)がオークションに出品され、な、な、何と¥32,600(!)の高値で落札されていた。
最近のオークションにおける真空管ラジオの価格の高騰には、ホント驚愕するばかりです。

          

モノの価値観は人によって異なるとは言いますが、¥32,600・・・ ド━(゜ロ゜;)━ン

・ ソニーの最新式PLLシンセサイザー・ワールドバンド・レシーバーICF-SW7600GRの新品が買えちゃいます 

 ・ 居酒屋に5~6回も繰り出して、腹いっぱい飲み喰いできちゃいます

 ・ お気に入りのアノ娘を、5つ☆ホテルのフルコース・ディナーに誘えます 

 ・ 老舗の温泉旅館で豪華食事付のまったりとした週末を過ごせます

 ・ キャバ嬢にビトンは無理でも、プラダ、コーチやグッチ程度のブランド財布ならプレゼントできます

 ・ HISの激安ツアーなら、バンコク、グアム、ソウルに海外旅行できちゃいます

 ちなみに店長保有のかなりやYSの落札価格は、例のごとく居酒屋1回分の¥5,000程度・・・。まだレストア未着手ですが、目視点検を行なった限りでは、パーツの欠品、致命的な故障、デタラメな調整や配線などの痕跡は見あたりません。
この価格差は何なんでしょう?!

 友人の話によるとYahooオークションの始まった2001年、mT管トランスレスラジオで1,000円~2,000円台で落札出来たのが、5年経った今ではその5~10倍程度の価格で取引されるようになっています。

 ・・・で彼の考えた、その対策は、

1.オークションで熱くなるのは止める。
   まずはしばらく様子を見て、どんなラジオがいくら位なのか、相場を知ってから。
2.高くなりそうだったら、早めに諦める!
   同じラジオはそのうちまた出てくるので別の掘り出し物を捜しましょう。
3.外観と中身をよくチェックし入札する。
   改造されたラジオ、変にいじられたラジオは買ってから大変です。
4.自分で修理するのなら、まず腕に見合ったラジオから!
   自分のスキルもわきまえず、つい熱くなってしまう店長も反省・・・
5.オークションの安い時期を狙う。
   お盆や年末年始は、帰省等で競合相手が少なく、安く落札できる場合が多い。
   狙い目です!
6.いつも出てくる競合相手の傾向と対策を練る。
   特に競合相手は、この人の予算だとか、強気だとか、何時位に出てくるとか・・・。
   過去の落札評価も参考にしましょう!
7.真空管ラジオは、1人で何台も集めない様にしましょう!
   ラジオばっかりそんなに集めても聞くのは1台で十分です。
   家族の人達にイヤミを言われます。
   真空管ラジオは大きくて場所を取ります。邪魔になります!
   お金も掛かります。小遣いが減ります。電気代も掛かります!
   良い事は何も有りません!

 真空管ラジオの愛好者が増えることは、決して悪いことではありません。ただ冷静に節操を持った「大人の対応」を心がけ、末永く楽しむことが大切と感じつつ、まだ修理しかけのラジオをどう弄ろうかと思いを巡らす、楽しくもちょっぴり虚しい秋の夜長である。

オークション負け犬日記 Vol.2 ~捕り逃がしたカナリヤたち~

2006-10-16 | 東芝 かなりやシリーズ
 ボクが真空管ラジオのコレクション&レストアを密かな趣味としていることを知っている知人から、「かなりや何羽になりました?」と、からかい気味に尋ねられる。いつもこのブログをご覧いただいている方々は、ピン!とこられたはずだ。 

 そう、ワタクシ、何気に東芝製真空管ラジオ かなりやシリーズを集めているのですが、この1~2ヶ月の間、かなりやシリーズの中でも比較的珍しい機種が相次いでオークションに出品された。

          

 左上から、かなりやH、その下がかなりやD、右上がかなりやの前身である5LA-28、下はかなりやF。どの機種も昭和29年~30年前期にかけて発売された、AM中波専用ラジオである。所謂、かなりやシリーズ初期モデルであり、デザインもクラシカルな雰囲気が漂い、コレクターには堪らない一品であろう。 そのため価格も高騰し、いずれも¥10,000以上。¥20,000前後で落札された機種もある。

              

 かなりやシリーズと同時期に発売された、このマツダ(東芝)製の「地球儀ラジオ」などと言う、ふざけた名前の変な形のラジオは、なんと!¥32,500の値をつけた。

 いつもボヤくのだが、こちらは少ないお小遣いをやり繰りする関係上、最高入札額を¥5,000に自主規制しており、送料、振込手数料を加えると、さらに¥1、500程度加算されるため、貧乏っちゃまサラリーマンにはこの金額が限界だ。オークション終了10分前後から繰り広げられるバトルを指をくわえ、眺めているだけである。

 「¥5,000?何をしみったれたこと言ってるの!」と思ったアナタ!!・・・考えてもみてほしい。居酒屋1回分、キャバクラ1セット分の金額である。

壊れた真空管ラジオを1台買うお金があれば・・・
  ・オネーちゃんを引き連れて、それなりのお店でランチを楽しめます。
  ・デート代を割り勘にしようなどと、年下の女性に気を遣ってもらわなくてすみます。
  ・出張帰りの度に、美味しい駅弁と缶ビールを心置きなく、楽しめます。
  ・ファミレスへ仲間数人で行き、ドリンクバーも付けて奢り、株が上がります。
  ・マクドナルドで「ポテトはいががですか?」と勧められても、断わりません。

 冗談とも本気とも取れぬ話はともかく、最近、真空管ラジオの取引価格の高騰が気になるこの頃。自由主義経済の原則からして、可処分所得の多い人ほどオークションは有利なのだが、「自分のポリシーを守りつつ、細く長く付き合っていくことが、King of the Hobbyの道だ!」と今日も自分自身に言い聞かせる、妙にウラ淋しいトホホな秋の夜である。

広島市民球場には22940人が“集結”、ファン絶叫…黒田よ残ってくれ!

2006-10-15 | 広島 カープ
 FA権を取得し去就が注目されている広島・黒田博樹投手(31)のチーム残留を願うファン22,940人が、10/14(土)対阪神戦の行なわれた広島市民球場に集まり、熱い思いを伝えた。

 10月中旬の消化試合としては異例試合の人数だ。開始前、私設応援団が右翼席のファンに配った6000枚の赤いカードが一斉に掲げられた。4メートル四方のメッセージフラッグや巨大横断幕も初登場した。巨大横断幕には、我らファンの偽らざる気持ちを見事に表現したメッセージが書かれていた。

   我々は共に闘ってきた  
   今までもこれからも・・・  
   未来へ輝くその日まで  
   君が涙を流すなら  
    君の涙になってやる   
   Carpのエース黒田博樹   

     全国広島東洋カープ私設応援団連盟

          

 二回裏終了後だった。残留の願いを込めて、応援団は行動に出た。黒田投手がベンチを出てブルペンへ向かうときだ。黒田はファンの声援を全身で浴びた。7回表が始まる前「黒田!」の大合唱が起きた。
試合開始前、三回表後、六回裏の後、八回裏後…そして試合終了後。残留へのメッセージを込めた大小の旗が振られた。そして、赤いボードをファンの一人一人が握り締めて高く掲げ、絶叫した。

 全国広島東洋カープ私設応援団連盟会長も、「最低限のことはしたかった。金本(現 阪神)が移籍したときは何もできなかった。8月末から週末を使って準備してきました。この熱情は見てくれたはず。応援合戦はあるけど、こういうことをするのは初めてです」と祈るように話す。
 広島カープは財政的には恵まれない、弱小球団だ。どこかの球団と違って、選手を育て上げるのは以前から定評がある。その代わりに年俸が高くなると、他球団に選手が流出してしまうのも仕方のないことだ。選手一人にに3億や5億の報酬は支払えない。
今季、阪神の3・4番、シーツも金本も元広島の主力選手だった。
金の有るところが戦力を集め、いい成績を出してまた金を寄せる・・・自由経済であるが故に仕方の無いところだが、巨人に代表されるように大金で集められた実績ある選手は、一概にいい成績を残せなくなってきた。だからプロ野球は面白い。
視点を変えれば、仮に黒田投手が抜けた後の広島カープは戦力ダウンをどう若手の台頭・新戦力で補うかも、「プロ野球」をマクロで考えた場合、興味深いポイントでもある。

 FA問題はこの日も白紙を強調した黒田投手。 エースもファンの気持ちはよく分かっている。「(今後の)判断材料に入ってくると思う。ブルペンからもよく聞こえたし、よく見えました。伝わるものがあった」。
今季、FA権を取得し、行使は決定的。阪神、巨人などが調査に乗りだしている。阪神が「4年13億円」の好条件でアタックを検討していることが、明らかになった。同投手はシーズン終了後に結論を出すが、FA宣言に踏み切れば阪神は全力で獲得に向かう方針。02年オフにオファーした金本の総額4年12億円を超える条件で争奪戦を勝ち抜く構えだ。
 広島もエースの残留に全力を注ぐ。ブラウン監督もこれまでに何度か残留交渉を行ってきた。フロントもシーズン終了後には本格的に交渉を開始する。過去、川口(巨人)、金本(阪神)、江藤(巨人)らには認めてこなかったFA権行使後の残留を認める方向へ、球団方針も転換した。
 「実力はもちろんだが、精神的にもチームの中心。09年に完成する新球場のマウンドにも上がってほしい」と広島球団関係者。選手会長であり、投手のキャプテンも務める黒田が流出するとなれば、大きな痛手となる。


その中で、この日の応援団やファンの行動は、黒田の身の振り方を決める一つの要因になるだろう。

ここは「男、黒田博樹の心意気」に賭けるしかない。
我ら赤ヘル・ファンの気持ちをどう受け止めるかは、彼次第なのである。

カープ本拠地、広島新球場の計画設計案 決定~!

2006-10-12 | 広島 カープ
 広島市は10月2日、老朽化の激しい広島市民球場(中区)に代わる新球場の設計案コンペの当選作品を発表した。やっとここまでたどり着いた。しかし困難はむしろこれからだ。厳しさを承知の上で、広島が踏み出した夢である。二〇〇九年春の完成に向け一つずつ乗り越える第一歩を踏み出した。 

          

 当選作品は、Ω型をした屋根のうねりが躍動するコイを表現しており、レフトスタンド側が大きく開け、球場北側の新幹線の乗客からもグラウンドが見えるユニークな球場。多様な観客席が用意されているのも特徴だ。広島駅から続く通路は、段差なしに球場を周回する広いコンコースにつながる。パフォーマンスシートや、パーティーしながら観戦できるパーティーフロア、選手のベンチと同じ高さで迫力満点の「砂かぶり席」など計3万500席。運動しながら観戦できる世界初のフィットネス観客席も。周辺に商業施設などを設置、試合のない日もにぎわうよう工夫されている。天然芝のオープン球場で、事業費は89・1億円。

 なお決定に先立ち9月28日、市民の見守る中、1次選考で20作品の中から選ばれた4作品の考案者による公開プレゼンテーションが行なわれた。

第①案:緑の丘・ビッグマウント「丘の上に新しいシンボルとなるような光の輪が私達のデザインのテーマです」

          

○ヤード跡地周辺を緑の丘として整備して、その上に楕円形の球場建設
○球場上部を1周する光のリングは、普段は半透明で様々な光の演出が可能
 (赤く光らせることも可能、うっすらと浮かび上がる「HIROSHIMA TOYO CARP」のロゴ)
○1塁側の2階席は、フィールドに向かってせり出している
○外野席の最前列はフィールドから30センチの高さ(当然フェンスはあるが)
○球場1周するカフェテリア、VIP席の計画もありそう
●ただし、光るリングを稼働させるための費用は90億には盛り込まれていない

*堅実だがイマイチ面白みがなく、他の3案と比べると魅力の点で劣る。
*シースルー席はいいアイデアだがこれはどの案にも流用できうる。

第②案:ダイナミックボールタウン 「シンボルは、すなわち鯉の躍動です」

          

○真上から見ると、カープのシンボル、鯉が泳ぐ姿をイメージしている。
○スタンドは1塁側をかなり大きく取ったデザイン
○さまざまなタイプのシートを提案
(内野にはグラウンドと同じ目線の砂かぶり席、外野の一部にはカフェテリアやパーティーエリア、テラスを設置)
○内野席のコンコースはかなり大きい、大リーグ並
○スポーツジムも併設
○提案者は野球をとことん楽しむための球場とアピール
●課題は運営面

  外野1F席6000、2F席3000
  内野1F席14000、内野2F席7000
*レフト席がほとんどないので現状だけを考えるなら阪神戦で困りそうだが、ビジターの皆さんは内野3塁側にでも行って頂こう。
*形状は基本的に初期エンティ案に丸みを持たせた感じ。稼動用に10mの余白をもたせてある。内野2F席のカバー部分の最後部で30m、西日対策か? 尚、この案だけがグランド軸が理想に近い南北方向、他は東西方向。
*屋根は球場外部に覆い被せる可動式、ヤードの形状に合せ西側が三角、東側が平行四辺形。

第③案:野球場からボールパークへ 「市民共有球場です、開放的で楽しめる球場を目指しました」

          

○特徴は外野近くにあるボールの形をした建物、その名も「ボールレストラン」、球場のシンボルであり1年中営業する。
○ボールレストランは84席、その他球場内のスイートルーム:10席、フィールドシート:1084席、VIPルーム(キャッチャーの真後ろ):定員10名
○内野の2階スタンドは宙に浮いたような構造
○外壁は6角形を組み合わせた構造で、そこにカープや企業のPRを流すことができる。
○バックスクリーンの裏には芝生シアターを設置、試合がない日でもさまざまなイベントを開催可能
●2階内野席が宙に浮くので、一体感に欠けるとの指摘あり

  内野1F19000、2F5000、外野5000、芝生1000(レフトの半分)
*上の画像の左下でわかるように完全な円形。2階席の裏側をハニカム構造のスクリーンにするという奇抜なもの。
*委員は1F席との一体感を気にしていたが、コンコースの階層が複雑で、屋根としても機能しそう。またBOX席はネット裏、内野両翼に設置。
*VIP用の他、家族が記念日に使えるよう一般開放するBOX席も設置。席のすぐ裏側が飲食設備になっておりケイタリングを実施。あと座席にも非常に気を配っていた。ただ、座席配分がよくわからないし、ちょっと問題。
*球形レストランはなくてもよかろう、これは蛇足っぽい。
*内野の桟敷席の横にブルペンがある。屋根は固定式だが、一体感のあるハムカム構造で透明な特殊樹脂で作られる模様。屋根自体は固定だが、パネル一つ一つが稼動するのか?一部のハニカムパネルは密閉はせず通風させるらしい。

第④案:カープフラッグスタジアム 「水の都広島に、よそにはないアミューズメント施設を作ることを目指しました」

          

○水の流れや波をイメージしたプランです。
○球場を覆う波のようなデザインは、「カープウェーブ」と呼びます。
○セールスポイントは、グラウンドの近くで観戦できること。2万5千席以上を確保しました(つーことは2階席は5千くらいかな?)
○さらに飲食施設を多く設置して、女性やお年寄りなど幅広い観客を集める。
○グループ席や親子席など、さまざまなタイプの席を提案します。
●他にアピールする点はないが、まあソツのない球場つー感じ、予算内でカープの要望をストレートに反映させた球場って感じかな。

  内野1F16000、内野2F5000、外野9000。
*バックスクリーン周辺が芝席で両翼が非対称でまんま翼のように広がっている。委員からはしきりとミッキーマウスのようと評されていた。
*③案に対して細かい質問が多かったのに比べ、単なる感想と抽象的なことばかり話していた。
*屋根についての説明は殆どなし。図をみてもよくわからなかった。

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<店長の辛辣・コメント>

第①案・・・ビッグアーチみたいで空撮するときれいだが近くに行くと棒だらけ、・・ったく!
第③案・・・第①案と同様。福岡系斬新派。サッカー的・・・ふざけるな!
第④案・・・宮城フルキャストのパクリ。屋根もない。ホントにミッキーマウスだ・・・なめてんのか!

 第②案・・・やはり、なんてったって第②案である! 
建物の中にいろいろ店が出せる。新幹線へのアピールで集客効果抜群。一見斬新に見えるが実は球場自体シンプル。鯉の形をしていて、遊び心もしっつかりあり、カッコいいし愛着が湧きそうな雰囲気。まさに広島人的なフィールド・オブ・ドリームじゃ。


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新幹線でUSJに行く家族のこんな光景が目に浮かぶ・・・・
 車内アナウンス 「次は広島~」
 息子 「ん?なんだありゃ?新井がホームラン打ったぞー!すげー広島」
 娘  「ママ連れってって」
 ママ 「しょうががないわね」
 パパ 「じゃあ予定を変更して広島にするか!」

 やっぱ球場で一番大事なのは安い席でも高い席でもその一人一人が満足して、リラックスでき、またも一度足運ぼうと思わせる工夫、そのあたりの各案の設計の違いも知りたかったですけどね。最低一人当たりのスペースは決められてるでしょうけど、グランドを見渡して見やすく、すばらしいと思える球場(経験上メジャー球場、エンジェルスタジアム等)もあれば、やけに遠くて視界も悪いという既存の日本の球場の違いと言うものは確実にあって、そのあたりがどう反映されてるのか単純に興味が湧きますね。 (簡単な設計図で見てわかるようなものじゃないと勝手に思ってますが。)
今回最優秀作品に決定した第2案のプレゼンしてた人が、球場によく足を運んでいて野球好きだということも聞いたので、そのあたりも大いに期待したいと思います。

 なおこの新球場が完成した暁のオープニングセレモニーでは、広島出身のアーティストによるセットリストを次の通りを予定しています。

 1.君が代 (矢沢永吉)
 2.燃える赤ヘル僕らのカープ (ポルノグラフティ)
 3.Baseball Kids(浜田省吾)
 4.勝て勝てカープ (奥田民夫)
 5.ヤングマン (西城秀樹)
 6.それ行けカープ (3万5千人の観衆全員で大合唱)
 (司会・進行) 城みちる、アンガールズ 

 ワシらみんなで、やっちゃるけんのぅ!

東京芝浦電気(TOSHIBA) 「かなりやTS」 5YC-311

2006-10-09 | 東芝 かなりやシリーズ
 機能的に差異のない5球スーパーラジオに「かなりや」という愛称をつけ、外観デザインに工夫を凝らしてシリーズ化した東芝は、ピーク時の昭和36年(1961年)には8機種を発売している。その中でもデザイン的に機種が、かなりやTSである。

          

 この年の かなりやシリーズは、コンパクトなOS、標準的なNS、ZS、US、デザイン性に凝ったPS、TS、2スピーカータイプのRS、YSの8機種が発売されたようで、型式の示すとおり全機種とも中波/短波をカバーする2バンドタイプである。
個性的なデザインの多い かなりやシリーズの中で、かなりやTSも破綻の無い範囲の自己主張と造形美を感じさせる1台だ。

          

 キャビネットは、逆台形のフォルムの上面に穏やかな曲面処理と「切り欠き」が施され、キャビネット正面に対し凸型状に取り付けられた周波数表示用の異型フロント透明パネルが特長的だ。また円錐状に形成加工された3つのツマミ、スピーカーグリルの楕円状スリットなど、楔形(くさびがた)をテーマにした、デザイナーの先鋭的な意匠コンセプトをうかがい知ることができる。
その反面、ライトグレーとパールホワイトの落ち着いたカラーコンビネーションを採用することにより、アグレッシブな造形のみを追求することなく、「デザイン」としてのトータルな落とし所をシックな雰囲気へと導く、絶妙なバランス感覚だ。

 メーカー:東京芝浦電気(TOSHIBA)『かなりやTS 5YC-311』

 サイズ : 高さ(約15cm)×幅(約31cm)×奥行き(約11.5cm)

 受信周波数 : 中波 530KC~1605KC/短波 3.9MC~12MC

 使用真空管 :12BE6(周波数変換)、12BA6(中間周波数増幅)、12AV6(検波&低周波増幅)、30A5(電力増幅)、35W4(整流)

          

 半年以上前に宅配便で届いていた かなりやTSのプラスチック製キャビネットの外観は、45年の間に付着した汚れ、黄ばみ、軽い擦り傷があるものの、裏蓋止めネジ以外にはパーツの欠品も無く、程度は悪くない。ところが熱溶着されているはずのフロント透明パネルが外れており、危うく落として割るところであった。取外して清掃する手間は省けるが、落としたらシャレになりません。
 裏蓋を取外すと、年代相応の埃とクモの巣が張っている。その昔、修理を行なった名残なのかスピーカーへの配線が途中で切断後再接続してあり、12BA6はナショナル製に替えられている。
少しばかり怪しげな かなりやTSを目の前にして、レストア経験の浅い自分で無事に修復できるのか、一抹の不安を隠せない。

店長愛用グッズ~CALVIN KLEINのメガネ~ 

2006-10-06 | 昭和三丁目の真空管ラジオ
店長愛用こだわりグッズの一つに、カルバンクラインCALVIN KLEINのメガネがある。カルバンクラインといえば、ラルフ・ローレンやダナ・キャランと並んで、アメリカを代表する3大ブランドとも言われている。
 カルバン・クライン(Calvin Klein)は、1942年ニューヨーク生まれ。1962年にニューヨーク・ファッション工科大学(FIT)を卒業した後、1968年に主にコートを扱うアパレル会社を友人のバリー・シュワルツと設立。カルバンクラインのアパレルの特徴は、アメリカントラディショナルをベースにしたカジュアルな作風だ。1970年代になると、カルバンクラインは、経営の多角化に乗り出し、スポーツウェア、化粧品、香水の分野にも進出した。
 ジーンズの広告にブルック・シールズを起用して、大きな反響を呼んだのもこの頃の出来事だ。カルバンクラインといえば、セクシーで刺激的な広告が色々と物議を醸し出しているが、それもまた注目されているということの裏返しなのかもしれない。

          

カルバンクラインは、シンプルかつシャープなシルエットが、飾らない自然体の作品を作り出し、「全てはカッティングから始まる」と言った彼の言葉は今でも名言として語り伝えられている。このメガネ、モデル5729もシルエットは、フレームラインを強調しつつ、それでいて洗練されたスタイリッシュな作品に仕上がっている。

          

 カルバンクラインの商品ラインは多彩で、アパレルから、時計、アクセサリー、スポーツウェア、サングラス、下着、バッグ、財布、ネクタイなど全身コーディネイトが可能な程である。キャリアウーマン御用達ブランドとして人気が出て以来、女性憧れのブランドだったが、今では、メンズラインも充実している。時計・サングラス・香水、この3つがカルバンクラインの中でも人気のアイテムなのです。

          

 女性から男性への贈り物に選ばれることが多いらしく、このモデル5729もプレゼントしてもらったメガネだ。 伝統的なオーバルフレームを踏まえつつ、リムの下1/3の位置に智(リムとテンプルの接合部)を配置したデザインの斬新が気に入り、ここ2年ほど愛用している。ちなみにメガネを購入する時に、このカルバンクライン・モデル5729をチョイスしてくれた眼鏡店の女性店員さんとは、今でもずっとお付き合いを続けている。

 前回の記事でご紹介したレイバンのサングラスをはじめ、ボクのニーズをしっかり把握してベストな提案をしてもらっており、数日前にもカルバンクラインのセルフレーム・モデル5732(定価税込¥15,750)を注文してしまった。

          

このモデル5732は、トラディショナルな雰囲気を保ちつつ、バーガンディのカラーリングと、セルフレームにメタル素材を融合させた質感、ちょっとだけ挑発的なデザインに仕上げた、カルバンクラインらしさ溢れる意欲作の一品である。
 写真では少々判りづらいが、リム・ブリッジ・智からテンプルにかけてシャープな一体感を持たせ、ブリッジには波打った造形美を織り込んでいる。
「バーガンディの赤は若々しい明るさと躍動感がありますし、全体的なフォルムもシャープで嫌味のない自己主張がありますよね。店長のクレバーな雰囲気と優しいお人柄を損なわないデザインだと思いますよ。メーカーでIT系のクリエイティブなお仕事をされている店長には、私も個人的にこのくらいのアピールしてほしいですし、・・・絶対にお洒落ですよ♪」と件(くだん)の女性店員嬢。

          

 しかし、俺は・・・決して彼女が思うようなクレバーな雰囲気と優しいお人柄じゃないし、クリエイティブなお仕事ってより、クリエイターを取り纏めてるだけの、世に言う「労多くして報われない、夢を諦めかけた、窓際中間管理職」だしなぁ~。 
 レンズの加工を終え、このメガネをかけたボクの姿をジ~っと見つめる彼女の口から「似合いますよー! やっぱ店長って、カッコいいですよ!! うん、最高~♪」と自分の仕事を自画自賛、満面の笑みで納得している姿に、もう後戻りはできません。

 俺、知らないうちにM嬢の迫真の演技と笑顔と口車に乗せられてるんじゃない?、という疑念と一抹の不安に駆られつつ、店内の鏡に“ちょいナル気分の自分”と、“達成感に浸ったご機嫌な店員”の2人の姿が映し出されていることに気付き、凹んでしまった。

この真新しい赤いメガネをかけて、うつむき加減で足早に、店を後にした次第である。

東京芝浦電気(TOSHIBA)『かなりやY 5LP-160』

2006-10-05 | 東芝 かなりやシリーズ
 昭和32年(1957年)、東芝はmT管トランスレスラジオ かなりやシリーズに、当時の新技術であったプリント基板を採用した かなりやKを発売。さらに、かなりやX、かなりやY、かなりやZの3機種を相次いで世に送り出した。
          
 
 大正14年、我が国でラジオ放送が始まり、鉱石ラジオからスタートしたラジオ受信機は、周波数変換しないいわゆるストレート方式と呼ばれる極めて性能・効率の低い真空管ラジオを経て、昭和21年頃から現代のラジオの基本形である受信周波数を一度変換するスーパーヘテロダイン方式の真空管ラジオへと発展した。
 一方、1955年頃から低電圧・低消費電力・迅速な立ち上がりを特長とするトランジスタ・ラジオが発売され始めた。しかしながら、開発当初のトランジスタは価格が高い上、雑音は多く、高周波特性も極めて悪く、多くの技術者は使用できるのか懐疑的でさえあり、真空管ラジオからトランジスタ・ラジオへ完全に切り替わるまでさらに約10年間の歳月を要した。

           
             
 登場以来40年、真空管ラジオの回路を構成する実装は、シャーシと呼ばれるアルミ製やスチール製のボックス形状の躯体に、真空管をはじめとする主要パーツを配置し、コンデンサー、抵抗等はラグ板を介して空中配線する方法が基本とされていた。
ところがトランジスタの開発・実用化と同時期、配線作業効率が高く、品質も安定する「プリント基板」の量産技術が実用化され、従来のシャーシを使った実装方式に代えて、プリント基板を採用した真空管ラジオが各社から登場し、東芝の「かなりやY」もその1台である。
 当時のパンフレットには、「完全印刷配線で全製品が高度に均一化されています」
と謳われているが、プリント基板製造技術も未熟だったため、部品交換時にプリントパターンの剥離が生じやすく、後に発売された東芝かなりやシリーズをはじめ各社の真空管ラジオはシャーシタイプの実装方式へと戻っている。

          

 メーカー:東京芝浦電気(TOSHIBA)『かなりやY 5LP-160』

 サイズ : 高さ(約17.6cm)×幅(約30.6cm)×奥行き(約11.5cm)

 受信周波数 : 中波 530KC~1605KC

 使用真空管 :12BE6(周波数変換)、12BA6(中間周波数増幅)、12AV6(検波&低周波増幅)、30A5(電力増幅)、35W4(整流)

          

 宅配便で届いた かなりやYのプラスチック製キャビネットは、50年の間に付着した汚れ、黄ばみ、軽い擦り傷があるものの、パーツの欠品も無く、外観はかなり程度の良い部類である。
裏蓋を取外すと、清掃された形跡がないにもかかわらず、埃の堆積は少なく、使用環境がよかったのか、大切に保管されていたものと推察される。真空管は、すべてマツダ・ブランドの東芝純正品が使われており、目視点検する限りではブロックコンデンサほかプリント基板、パーツ類の劣化は見受けられない。

 オークションの出品者の方も、「動作確認済み。電源、スイッチを入れしばらくすると動きます」とコメントされていたので、意を決して電源を入れてみた。パイロットランプが点灯しない・・・嫌な記憶が、一瞬、頭をかすめる。
しばらくするとスピーカーから受信ノイズが聞こえはじめた。パイロットランプは、球が断線していただけのようだ。

          

 簡単な動作確認後、詳しい状態確認と清掃のため、キャビネットからプリント基板とスピーカー、イヤホンジャックを取外したのだが、かなりやYは、キャビネット内上部に裏蓋と同じ素材の断熱板(8cm×30cm)が取り付けられている。断熱効果は高く、真空管の熱からプラスチックキャビネットを守ってくれる設計仕様だ。
後のかなりやシリーズなど、多くのmT管トランスレスラジオに見られる、厚紙に銀紙を貼った断熱片(板?)では効果が低く、キャビネット上面が真空管の熱により変形しているラジオをよく見かける。

          

 キャビネットからプリント基板とスピーカー、イヤホンジャックを取外し点検したところ、修理した痕跡もなく、真空管に長年の埃が付着している程度で、各種電圧も正常であった。

          

 真空管の汚れをウェットティッシュで拭き、OA用エアクリーナーを吹きかけてプリント基板、スピーカーに付着している埃を取り除いた。

          

 50年の間にキャビネットへ付着した汚れ・黄ばみを取り除くために、いったん水洗い洗浄後、泡状のマジックリンでさらに洗浄すると、茶色味おびた黄色い汚れが流れ出る。さらによく水ですすぎ洗いし、乾燥後、いつものようにコンパウンドとプラスチッククリーナーで研磨すると、新品の輝きをとり戻す。

          

 本来なら安全のためにコンデンサー類は交換するところだが、この かなりやYは大変状態がいいため、パイロットランプの交換を済ませ、オリジナルのまま使用することにしたが、市内にある民放中継局(1kW)からのイメージ混信が若干発生している。オーディオ機器チューニング歴数十年の友人に測定・調整をお願いしたところ、30A5(電力増幅)と35W4(整流) のエミ減が発覚。この真空管2本とコンデンサー4個を交換後、測定器を用いた調整を行なってもらい、新品のラジオのように高感度で安定した受信ができる状態へ見事に復活を遂げた。ボクのような素人ではIFTをはじめとする中間周波や高周波回路の調整は恐くて手を出せないのだが、プロの腕と技にかかるとここまで性能を再現できることに驚きを隠せない。
まだまだ修行が足りないボクの未熟さを実感した次第でもある。

          

 一通りのレストアを完了し、見事に甦ったカナリアYを眺めながら、煙草に火を点けた。
かなりやYというだけあって、デザインも Y をモチーフにしてるのか、一見シンプルでありながら、フロント右側にレイアウトされた大型選局ダイヤルと相まって醸し出される非シンメトリックな造形美から、デザイナーの力量が感じとれる。選局ダイヤル後ろに配置されたパイロットランプの灯りが、暗闇の中ではフロントパネルのクロムメッキのモールに反射し、幻想的な世界を演出してくれる。

 時計の針は、深夜の1時半を指している。ラジオから流れるジャズピアノの音色に、ボクの孤独を重ね合わせる。 揺れる煙の向こうに、暖かくも懐かしい昭和の息づかいが聞こえてくるようだ。
(-。-)y-゜゜゜

店長愛用グッズ~レイバン サングラス RayBan~ 

2006-10-03 | 昭和三丁目の真空管ラジオ
サングラスといえば RayBan。1930年、「Rai(光線を)Ban(遮断する)グリーンレンズ」が米空軍に採用され、翌年サングラスブランドとしての「レイバン」が誕生。当初パイロットやハンターなどのプロ仕様を中心に普及していたが、70年代より映画のタイアップや銀幕スターの愛用をきっかけにファッションアイテムとしての位置へと君臨し、現在世界の一流ブランドとして名を馳せている。

          

レイバン RB4063-623-40(Made in Italy 定価18,900)の特長は、フロントをハーフ・スケルトンにし、アームをブラックで決めたフレームと、フラッシュミラーで目を完全に隠す、ワイルドなレンズが融合したデザインにある。

          

またレンズ縦幅の狭い素直なスクェアのレンズシェイプでありながら、全体に曲線を多用したモデルでもある。写真のように正面から見るとスクエアな印象があるものの、フレームはサイドに大きくラウンドしており、全体的にボリューム感とシャープな雰囲気があい交わり、独特のインパクトを与える。

          

 ボクの場合、近視が酷く、度入りサングラスを着用しなければならない。最近では、OAKLEY(オークリー)やPOLICE(ポリス)、KILLER LOOP(キラーループ)なども人気が高いが、ボクとしては、「サングラス=レイバン」の公式・定理は崩せません。

ここでレイバンにまつわるウンチクを少々・・・

<レイバンの誕生> 1923年5月、米国陸軍航空隊のジョン・マクレディ中尉は、フォッカーT2型輸送機による北米大陸無着陸横断飛行に成功。彼は、飛行中の強烈な太陽光線による視力の消耗、頭痛や吐き気に悩まされた経験からパイロットの目を保護するサングラスを依頼した。これを受けて、幅広い分野から優秀な技術者を動員し、6年もの長期にわたって徹底研究した結果 、ボシュロム社は紫外線を99%、赤外線を96%カットという世界初の光学的裏付けを持つレンズ、”レイバングリーン”を完成させた。今日でも定評のあるこのレンズは当時の米国政府規格を大幅に上回る画期的な機能を備え、1930年「アビエーター・モデル」と称されたサングラスは米空軍に正式採用された。

          
         1930年アメリカ空軍に採用された「アビエーター・モデル」

1937年、ボシュロム社は「光を遮る」という意味を込めた「Ray-Ban」ブランドを誕生させるとともに、米空軍に採用された優れた光学レンズとティアドロップ型のフレームからなるサングラス「アビエーター」モデルの市販バージョンを「クラシックメタル」のモデル名で販売開始した。このスタイルは、後にレイバンのベストセラーとなり、サングラスの模範的スタイルとなり、以後60余年を経たRay-Banは、サングラスの代名詞となっている。

          
          1937年発売ティアドロップ型フレーム「クラシックメタル」

さらに1938年には日本で爆発的なブームとなった「シューター」が登場し、イエローのレンズ「カリクローム」もこの時に生まれた。そういえば、射撃手達に人気のあった「シューター」のブリッチ部のO型リングには沢山の説がある。有名なところでは、射撃手達に広く愛用された理由としてその昔、ブリッチ部のリングにタバコを差しておくと、「立ち昇る紫煙によって風の向きが分かる」と言われたものではあったが、実は純粋にフレームの結合をより強化するためのパーツである。

          
          1938年発売の「シューター」とイエローのレンズ「カリクローム」 

発売当時アメリカでは、各種射撃雑誌に説得力のある広告が掲載された。その中でも銃のトラブルによる機関部破裂で顔面 を負傷した射撃手が「私はレイバンを掛けていたことで、アクシデントから目を守る事ができた」というコメントは世界中のシューター達を感銘させた。

<レイバンのアドバンテージ> 1956年、レイバンのマーケティングに大きな転機が訪れた。サングラスをファッションやアクセサリーとする風潮が目覚めたのだった。これをとらえレイバンの製品ラインを大幅に拡大し、毎年多数の新製品を導入するようになる。これらのサングラスは、従来の機能重視のサングラスにファッション性も加味して開発されたため、フレームのデザインや飾り、カラーにおいて、画期的なものだった。
1987年、レイバン誕生50周年を記念し、日本人とは様々な意味で縁の深いマッカーサー将軍にちなんだ、「クラシックメタル」に風格を持たせた「ザ・ジェネラル」が発売された。
レイバンサングラスは、本来、目を保護するために開発されたものだが、その究極の機能性から生まれたファッション性も、いまや世界中から多大な評価を得ている。それを象徴するように、この年、A.F.D.I.(アメリカンファッション・デザイナー評議会)から、ファッション界におけるレイバンの貢献に対して名誉ある賞を贈られている。ただのファッショナブルサングラスに対し優れた光学技術のアドバンテージに裏付けされたレイバンサングラスは、アイデンティティ・アイテムとして、愛用者はますます増え続けていくことになる。

<映画の中のレイバン>  機能に重点を置いたレイバンサングラスは、以後実用的なプロフェッショナル・アイテムとして定着していく。パイロットのみならず、ハンター、ヨットマン、フィッシャーマン、ドライバー、警察官などのあいだで、急速に普及していった。

          
          1950年代半ばに登場した「ウェイファーラー」 「キャラバン」

50年代半ばアメリカの市民生活にもようやく余裕が出始めた頃新製品「ウェイファーラー」が発売される。クラシックでシンプルなデザインとカラー、丈夫な構造、優れた装着感などを持つこのサングラスは、発売以降40年間の長きにわたって、着実な販売実績を維持した。このころ、レイバンは様々映画のシーンに登場することになっていく。「ゴーストバスターズ2」「ダイハード2」「ハードウェイ」「オールウェィズ」「ブルース・ブラザース」とその数は数えきれない。不良っぽいイメージのあったウェイファーラーはこの映画デビューをきっかけに人気が急上昇した。珍しいモデルも登場した。「バックドラフト」ではシグネット。「トータル・リコール」ではデコのブラックが採用されている。映画の中のレイバンを見ているだけで、このレイバンというサングラスは、アクション映画からミステリー、そしてSFまでおよそありとあらゆるジャンルの映画において、主役を引き立てるスパイスの役目を果 たしていた事が見てとれる。

 この夏のある日、知人の女性から「店長~、そのサングラス・・・長瀬智也がかけてたのと一緒ですね! 似合いますよ~♪」と。

思わず赤面し、うろたえるボクの表情を、このレイバンは見事に隠してくれた。