昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
アンティークなラジオを中心とした、自由でお洒落な、なんちゃってワールド♪

東芝(TOSHIBA) 「かなりやA」

2006-02-20 | 東芝 かなりやシリーズ
              

 東芝はmT管5球スーパーラジオに鳥名の愛称をつけて発売を始めた。
木製キャビネット大型高級機種を「めじろ・かっこう」、中型には「うぐいす」、小型卓上型タイプを「かなりや」と分類し、シリーズごとにアルファベットをつけて発売していた。
 その「かなりや」シリーズの第一号機が、昭和29年(1954年)に発売された『かなりやA』である。

              

 かなりやAが発表された時代は、茶の間の娯楽の中心がラジオからテレビに移行するとともに、ラジオがパーソナルな娯楽の道具へと移る時期である。機能・性能に関しては大差無いこのクラスのラジオ、特に東芝かなりやシリーズは、『デザインという付加価値』による消費者ニーズの掘起しを図った高度経済成長期の量産工業製品でもある。

 「かなりやA」の角張ったボクシーなフォルムと正面右の円形周波数表示板を配置したデザインは、好みの分かれるところ。
先に紹介した「サンヨーSS-60」のアールデコ調のシンプルでエレガントなキャビネットと比べ、かなりやAの「無骨な潔さ」にボクは惹かれてしまう。
ブリティッシュ・グリーンとゴールドの色合わせも、色彩学的にはマル印であり、かっての木製キャビネット製ラジオのイメージを払拭し、プラスチック素材の特長を活かしつつ落ち着きを求めて試行錯誤した選択だったのではないかと想像される。

              

 昭和29年(1954年)から40年(1965年)頃までの約10年間に約30種類以上製造された「かなりやシリーズ」はmT管トランスレス式5球スーパーラジオと思い込まれがちだが、第一号機である「かなりやA」は唯一電源トランスが使われている。

  メーカー:東京芝浦電気(TOSHIBA) 形式「かなりやA 5MB-42」

  受信周波数 : 中波 530KC~1650KC

  使用真空管: 6BE6(周波数変換)、6BD6(中間周波数増幅)、6AV6(検波&低周波増幅)、6AR6(電力増幅)、5M-K9(整流)

              

 かなりやシリーズの初号機「かなりやA」を手にすると、比較的小型だがトランスレス式と比べれば一回り大きく、電源トランスが装着されているため持ち上げるとズッシリと重い。厚目のプラスチック製キャビネットは、カッチリした作りだ。
 裏蓋を外すと50年間の埃が堆積したシャーシーの上には、マツダ製のmT管とマツダと刻印されたIFTが並ぶ。シャーシー中央に電源回路を配置したため、通常のトランスレス式と異なり写真中央のIFT左隣に整流管5M-K9が位置する。

              

 
 今回も自慢がてら、友人の事務所に持ち込み、一緒に症状のチェックを行なった。
キャビネットから取り出したシャーシーの中央には電源トランスが座り、減速機構付バリコンや大型スピーカーも取り付けられ、卓上ラジオとしては堅牢な作りであるが、パイロットランプは破損しており、手持ちの新品と交換した。

              

 シャーシー裏側は、埃も少なく意外とキレイだ。 目視点検のみで通電テストに移ることとした。毎度の事ながら緊張が走る一瞬だ・・・  意を決してスイッチON!! ん?PLは点滅せず、ウンともスンとも言わない・・・ ヒーターの灯りも灯らない。
 ヒューズは正常だったのに! ??何で??どーしてなの??
テスターでACプラグの通電はOKだったのに・・・ ヒューズフォルダーの接触不良でもなさそうです。

友人曰く「ヒューズ切れ寸前だと、目視では溶断してないようでも、ヒューズ管の根本が切れかかっており、テスターの電流だと導通しても100Vの電圧がかかるとそのショックで切れることがある」とのこと。ヒューズを交換すると、無事に電源は入りました。でもまだ音が出てきません。

              
 
 ヒーター、B電圧はOKなことを確認し、シャーシーをドライバーの柄で軽く叩いてみると雑音が出る。 昔の家電製品は故障を発見・断定するために「叩く」「ひっくり返す」「揺する」といった技を使うが、怪しい・・・ボリュームが交換されており、パーツの取り付け処理ミスか?
結局、AVC用コンデンサーのリード線に半田屑が付着し、他のパーツと接触していため音が出なかたことが判明。パーツの取り付け位置の手直し、電源回路とカップリング回路のペーパーコンデンサーも交換した。

              

 修復完了後、チューニングダイヤルを回してみても感度が今一歩。おかしいな・・・と思いつつアンテナ線を伸ばし、アルミサッシの窓枠アンテナ?!に接続すると急に感度が上昇した。
 当時のラジオは基本的に「アンテナ線をつなぐ」ことを前提に設計されていることを再認識した次第である。

              

 ブリティッシュ・グリーンに見えていたキャビネットをコンパウンドで研磨し、表皮を剥ぐことで、実は深みのあるミッドナイト・ブルーであることが判明した。
つまり元々ミッドナイト・ブルーのボディーなのにタバコのヤニの黄色でコーティングされていたため、青+黄=緑 と見えていたわけだ。
 一部消えかかっているゴールド部分を再塗装するか、そのまま50年前の「味」として残すかは、嬉しい悩みでもある。

 このラジオでNHK第一放送の毎週水曜21:30~放送されている「ときめきジャズ喫茶」を聴くと、いい雰囲気だろうなぁ・・・と考えてたところに藤岡琢也さんがご病気で長期療養に入られたニュースを知った。

              

 番組はスタジオをジャズのライヴ喫茶に見立て、俳優・藤岡琢也氏と写真家・浅井慎平氏が隔週でマスターを勤める。主として藤岡はスタンダードナンバーを、浅井はジャズをアレンジした曲を中心に選曲・構成しているため、スタンダードジャズファンのみならず音楽愛好家なら存分に堪能できる仕掛けが取り入れられている。

 ある新聞のインタビューに対し、
「NHKラジオで『ときめきジャズ喫茶』って番組もやってるんです。
 昔はミュージシャンになりたかったぐらいで、不遇、下積み時代もジャズを聴いてここまでやってこれたって感謝の気持ちもあるので、世の中に良質なジャズのサウンドを提供したい。
 大人が聞ける音楽が不足してますからね。 大人を音楽で力づけたい。形はいろいろあるけど4ビートのスタンダードジャズを聴かせたいんですわ。」
と熱く語っておられた藤岡さん。じっくり治療されてラジオの向こうから再びボクらに永遠のスタンダードナンバーを届けてくださる日をお待ちしております。
 
 その時はぜひこの50年前に世へ送り出され、今こうして甦ったミッドナイト・ブルーのかなりやAのスイッチを入れて、窓越しに夜空を眺めながら「大人のときめきの時間」を味わいたいものです。

三洋電機 サンヨー SS-60

2006-02-19 | サンヨー 真空管ラジオ
              
   三洋電機 サンヨー SS-60 アールデコ調のシンプルなデザイン

 真空管ラジオにおける真空管の種類は、ST管→GT管→mT管へと変遷するが、一家に一台から1人に一台の時代になるにつれ、キャビネットが木製からプレスチック製へ、また電源供給方式もトランス式から小型・軽量・安価なトランスレス式ラジオが主流になってくる。
 軽量なmT管トランスレス式へ移行する過渡期、比較的小型なプラスチック製キャビネットにオートトランスを使った機種が存在する。サンヨーSS-60は昭和29年(1954年)頃に製造された、中波(MW)のみに対応したmT管オートトランス式、5球スーパーヘテロダイン真空管ラジオだ。

 象牙色のキャビネットとゴールドのカラー・コンビネーション、アールデコ調のシンプルなデザインが気に入り、出品者のコメントに「通電はしておりますが受信ができません。以前は受信していたのですが(半年ほど前です)」と書かれているものの、オークションで衝動的に購入してしまった。

              
   キャビネット、裏蓋に大きな破損はないが・・・

 キャビネット内側に貼り付けてある「定格表」には、下記の表記がある。

 型式 サンヨー SS-60
  5球スーパーヘテロダイン
  製造者:三洋電機(株)
  受信周波数:中波 535~1605kc
  中間周波数:455kc/s
  使用真空管:6BE6, 6BD6, 6AV6, 6AR5, 5MK9
  感度:80μV/(極微電界級)
  電気的出力:最大1.5W 無歪 1W
  電源:85V~100V(ヒューズ切換式) 50~60c/s
  消費電力:38VA
  スピーカ:サンヨーSPD~50 5吋パーマネント ダイナミック

   サイズ:横約30cm×高さ約16cm×奥行約14cm

              

 デザインの面白さからつい入札してしまったこのラジオ、オートトランス式のため比較的小型だがトランスレス式に比べれば一回り大きく、持ち上げるとズッシリと重い。厚目のプラスチック製キャビネットは、カッチリした作りだ。
 底板にあるネジを外してシャーシーを取り出すと、中央にオートトランスが鎮座し、ダイヤル指針、スピーカーまで取り付けられた一体型。バリコン、IFTはサンヨー製、電源トランス・ケミコン・ペーパコン・抵抗の一部も自社銘柄を使用している。シャーシーやIFTなど金属製パーツは前オーナーにより丁寧に清掃・研磨されている。しかし電源周りの配線をはじめ、ハンダ付け不良やパーツの欠落などかなりマズイことは素人目にもわかるほど。

 今回はいつもお世話になっている友人が「ラジオ病」に感染しかかってるため、このラジオをプレゼントし、より重症のラジオ病患者になっていただくことにしました!(笑)
・・・と言っても彼は若い頃から真空管アンプの自作に手を染め、音響スタジオでPAをされたり、カーオーディオのコンサル&メンテナンス、チューニングをされるコンサルタントエンジニア。ありがた迷惑を承知で、到着した荷物をさっそく彼の事務所に運び込み、無理矢理プレゼントして帰りました。

              

 診断した結果、次の不具合が判明した。

①プレート電圧がかかっていない。
  アウトプット・トランスが断線しています。電源トランスは生きていました。
②バリコン不良
  バリコンを取外し清掃後、再度取付けた時に壊したのか、配線が3箇所もショートしていた。(まったく・・・)
③電解コンデンサー不良
  ブロックコンデンサをはじめ、爆発寸前?のコンデンサー類は要交換です。 

              

 電源周りのチェックを終え、B電圧、ヒーター電圧はOKになった。
断線しているアウトプット・トランスの2次側のオーム数が今まで聞いたこともない2.6Ω・・・。とりあえず手持ちの4Ωタイプと交換し、急場をしのいでいますが、問題ないであろうとのこと。
 劣化している不良コンデンサの交換、配線の手直しをすすめ問題箇所はとりあえずクリアし、無事に鳴りだしました。

              
   断線していた2.6Ωのアウトプットトランスと交換したコンデンサー類

              
   レストアしたサンヨー SS-60 

 何とか無事に修復を終えたサンヨーSS-60を一旦持ち帰り、テストを兼ねて毎晩深夜、今開催中のトリノ冬季オリンピックの中継を聴いている。

 しっかりした作りのキャビネットとダイナミックスピーカーとあいまって、トランスレス式真空管ラジオと比べ音に厚みと臨場感がある。またアールデコ調のシンプルで落ち着いたデザインはどこへ置いても違和感がなく、すんなりと馴染む。
 今大会の日本人選手は惜しくもメダルを逃しているが、手に汗握ることなく、各国の代表選手たちの健闘を悠々とした気持ちで聞ける「大人のラジオ」だ。

アメリカンな真空管5球スーパー・ラジオとインダストリアルデザイン

2006-02-12 | ラジオ歴史
 ボクが真空管5球スーパー・ラジオ、特にトランスレスタイプの5球スーパーに魅かれた理由の一つは、その「デザイン」にある。
 デザインに限らず、ある特定の技術・技能は、社会がそれを必要としたときに見いだされ、発展していく。
 戦後の混乱期を抜けだそうとする時期に、それまでなかった技術として注目され、主にアメリカから輸入されるというかたちでスタートした「商品づくりを担うデザイン」-『インダストリアルデザイン』の黎明期、人々から愛された『ラジオ』に魅了されたからでもある。

               

 1951年、 松下電器の松下幸之助氏がアメリカ視察を終えて帰国した際、羽田飛行場に着くやいなや「これからはデザインや!」で叫んだという、エピソードはあまりにも有名である。

 その考えのもとになったのは、アメリカのメーシー百貨店での体験であったという。売り場に並んでいた2つの真空管ラジオは、大きさ、機能、性能とも似通っていて、スピーカーが多少違う程度であったのに、一方は29ドル95セントで、もう一方は39ドルと値段が10ドル近く違っていた。創業者が不思議に思って店員に尋ねると、「これは、キャビネットのデザインが違うから高いのです」との返答だった。そこで創業者は、デザインで付加価値が高まるということに、はたと気づいたのである。
 当時は、日本人全体が食うや食わずやの状況にあり、とてもデザインどころではなかった。しかしそうした日本がアメリカに追いついていく手段が、何はともあれ「デザインだ」という意味かと思います。「経営の神様」の直感的な思いこみから、デザインが選ばれ実践されていったことは、それ以降の日本の『商品・モノづくり』の発展を大きく方向付けたと言われている。

              

 松下幸之助氏の「水道哲学」と呼ばれる独特の思想は、『価値あると思われているものも、安価に普及させることができれば誰もが手に入る、皆が平等に平和に暮らしていける、企業にはそれを実現する使命がある』といった内容です。

 アメリカの繁栄を象徴する「50年代」の最初の年に訪米した松下氏は、そこに「庶民生活の理想」と「企業の使命」をかいま見たのかもしれない。それを実現する手段として、デザインに白羽の矢がたてられ、まずはラジオの「お化粧直し」から着手されたそうだ。

 60年代に入るとアメリカのホームドラマが日本のTVでも放映され始める。
 一家に一台の自家用車、きれいな芝生、寝室のベッドとクロック・ラジオ、台所も家中も全部明るい。奥さんや娘も美しい。ドラマの内容はごく平凡なものだが、4 人家族(夫婦と子供二人、つまり核家族)が毎日のように本音で話し合い、問題を解決していく家族関係も驚きであった。

               

 この結果、日本人全員が「アメリカン・ウエイ・オブ・ライフ」を夢見てしまい、それを体感できる一番身近なモノが『ラジオ』だったのではないかと思うわけです。
また50年代後半から60年代にかけて、自動車ほど機能や性能、価格に差がない『ラジオ』は、デザインという付加価値のフィールドで競い合うことができたコンシューマ向け量産工業製品であったことを垣間見ることができる。

               

  日本の産業界は近代的な生産性向上の手法と共に、インダストリアルデザインを米国に学び、その成果 を踏まえて、生産性の向上を図る目的の一つとしてデザイン手法を発展させてきた。
振り返ってみると、企業経営者がデザインをビジネスの武器として位 置付けし、品質とコスト面の競争力の強化だけでなく、商品作りの手段に役立て高く評価したことは正解であったといえる。

               

 デザインと芸術は基本的に異なる。創作を必要とすることでは共通するが同質のモノを数多く、間違いなく生産することがデザインの絶対条件であり、芸術作品は世界における唯一の存在である。したがって両者の違いは明確である。
 それはともかく、計画、創造、良い性能と品質が加味されてはじめて良質のデザインが生まれ、グッド商品の開発につながる。その意味からも、デザインの重要性は形態の整理だけでなく、経営資源としてなくてはならない重要なファクターとなっている。