墨汁日記

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平成マシンガンズを読んで 9

2006-08-29 21:00:33 | 

 小学生の頃の夏休みといえば、立川の直美おばさんにどこかへ連れて行ってもらうのが恒例だった。直美おばさんは美人なんだけど、ずっとおばあちゃんちに居座っていて結婚しない。

「みのりちゃん、女の幸せは結婚だけじゃないのよ! なんてねっ」

 とか言っていつもヘラヘラ笑っていた。

 お母さんは、私が小学生の頃から入退院を繰り返していて、薬のせいか常に体調も良くない。
 お父さんはお母さんの体を気づかって、春休みと夏休みの時はお父さんの実家であるおばあちゃんちに私を預けた。

 おじいさんは、私が幼稚園に入園する前に亡くなられたので私はよく知らない。おばあちゃんちは迷路みたいなへんな家で、いきなりへんな置物や掛け軸とかが意外な場所に飾ってあったりして大好きだった。お風呂場にエントツがついてたりするのも何かふしぎで面白かった。
 小学生のときの夏休み春休みは、ほとんどおばあちゃんちですごした。毎日、おばあちゃんのソバでぼんやりすごした。おばあちゃんは無口でなんにも言わないけど、いつもニコニコして働き者だった。不思議とおばあちゃんの炊くごはんはおいしくて何杯でも食べられた。
(私の炊くごはんはなぜだかまずい)
 退屈すると亡くなったおじいちゃんの書斎にこもって、昭和時代の古い本とかながめていた。

 直美おばさんが仕事から帰ってくると家がパッと明るくなる。3人で食卓をかこみ笑いながらごはんを食べた。
 そのうちに直美おばさんは私にきまって言うんだ。

「みのりちゃん、毎日クソババァのおもりで飽きたでしょ。なんだったら私がいいとこ連れてってやろうか?」

 ここで、私がくいつかないと直美おばさんはすねちゃうんで、すかさず答える。

「いいとこってどこ?」

「いいとこはいいとこさ。行きたいか?」

「うん、行きたい!」

「よーし、みのりは素直ないい子だ。次の休みに連れて行ってやろう!」

 それで、京都・奈良・北海道・鎌倉・千葉の九十九里海岸。あるいは香港・オーストリア。なんか知らないけどいろんなとこに連れていってもらった。

 ところが、小学校6年生の冬におばあちゃんが転んで骨を折り、その手術を境に寝たきりになってしまった。直美おばさんは、自分の仕事と寝たきりのおばあちゃんの看護で手一杯だし、おばあちゃんももう前のおばあちゃんじゃない。私が居候したら迷惑だ。

 それで、中学1年の夏休みに、はじめて母と我が家ですごした。
 居間の前を通る度に母に物を投げつけられた。目障りだ失せろというサインだ。なんだかわからないけど、母はそれでも掃除洗濯に朝食昼食夕食の支度だけはかかさない。母が用意した食事を食べないと「何様のつもりだっ!」と部屋に怒鳴り込んで来るので、食事の時間だけはキチンと守った。
 夏休みに学校がない事をどれだけ恨んだことか。学校さえあれば、母は私がいないうちに呑んだくれて寝ていてくれるのでほとんど問題はない。
 たまに夕食の支度が出来ていない事もあったが、母はそういうとこはマメな人で、常になんらかの調理せずとも食べられる食品がストックしてある。もしかしたら、母の飲酒のおつまみであったのかもしれないが、家にある物を勝手に食べて怒られた事はなかったから、母的には OK な行為であったのだろう。

 お父さんさえいれば、お母さんも切れずにおとなしくしているのだが、私と2人きりでいるとどうしても私がかんにさわるらしい。
 いきなり「なんであんんただけ生きてんのよ!」と平手打ちされたこともある。物を投げかけられるのは毎度の事だ。
 中1の春休みに、つい夜更かししたせいで朝食の時間に遅れて寝過ごしてしまった事がある。
 その朝、母は2階の私の部屋に飛び込んで来て、無言で寝ていた私の髪をつかむと、目を覚まし泣いて謝る私を部屋から引きずり出し階段から突き落とした。
 全身アザだらけになって泣いている私に母は「死ね」と言った。
 怖くて痛くて、とにかく2階の自分の部屋にはうように戻り、扉に鍵をかけて本棚をたおしてバリケードにして、尿意も便意も覚えずに(じつは、落とされた時にショックで漏らしていたけど)父が帰るまで固まったように寝ていたことがある。


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