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徒然草 第百三段

2005-10-28 20:08:50 | 徒然草
大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作りて解かれける処へ、医師忠守参りたりけるに、侍従大納言公明卿、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐医師」と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退り出でにけり。

<口語訳>
大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作って解かれますところへ、医師忠守参りますに、侍従大納言公明卿、「我が朝廷の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられましたのを、「唐医師」と解いて笑いあわれませば、腹立てて退出しました。

<意訳>
 大覚寺。法王の御所にて、法王のお近くに仕える側近たちがなぞなぞを作って遊んでおりますところに、忠守という医師が通りかかりました。
 さっそく侍従大納言の公明卿が「我が朝の者とも見えぬ忠守かな?」となぞなぞにしました。
「おやおや、大和朝廷の者とも思えぬ忠守とは、中国からいらした、かの先生のことですかな。ならば答えは『唐医師』でしょうな」
 などと言って笑いあうので、忠守は腹を立てて退出した。

<感想>
 兼好本人の書いた「徒然草」は現存していない。現在伝わるのは写本だけである。
 他人の書いた文章を正確に書き写すのは大変な作業である。最初のうちは緊張して何度も見直して正確に書き写すが、中程になるとだれてきて、だんだん書き写している人間のクセが出る。ようするに、思わぬ書き間違いをする。
 この段は写本により、なぞなぞの答えが違う。
 「唐へいじ」という写本と「唐いし」という写本がある。どちらが正しいのかは兼好でないと今になってはわからない。どちらの写本を基にするかで、この段の内容はがらりと変わってしまう。
 ただ、忠守は中国からの帰化人であった。
 俺は、学者でないので、どちらの答えが正しいかと突っ込んで考えてみる基礎がない。でも、どちらの答えでも共通なのは、忠守は中国人の子孫である事を笑われて、腹をたてて退出したという事だ。
 現代の医者ような、有効な薬も、ろくな検査道具も持たず、さらに外科手術も出来ないこの時代の医師は、普段は偉そうなことばかり言うくせに、いざとなったら何にも出来ない奴と、さぞやからかいがいがある相手であったのだろう。
 しかし、どんなにからかいでがあるような人間であろうと、俺は、人の生まれや個性をみんなで笑いモノにする人間たちが許せない。その感性を憎悪する。
 なぞなぞを出題した侍従大納言の公明は詩人であったらしいが、どうせろくな詩なんか詠めなかったのだろう。中国出身の忠守を馬鹿にするなぞなぞをひねり出すのがやっとの人間だったんだろうと思う。
 なんてこと書きながら思うのは、木村の事だ。
 ごめんな、福島出身をからかったのは愛情表現のつもりだったんだよ。
 と言うかだ。愛がなけりゃアソコまでふくらませなかっただろうとでも今更ながら開き直っておこう。

原作 兼好法師 


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