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徒然草 第二百三十八段<口語訳>

2006-03-08 23:16:17 | 徒然草

 御随身近友が自讃と言って、七箇条書き止めた事ある。皆、馬芸、さしたることない事どもである。その例を思って、自讃の事七つある。

ひとつ、
 人あまた連れて花見あったに、最勝光院の辺で、男が、馬を走らせるのを見て、「今一度 馬を馳せるものならば、馬倒れて、落ちるはず。しばし見給え」と言って立ち止ったに、また、馬を馳せる。止まる所で、馬を引き倒して、乗る人、泥土の中に転び入る。そのことばの誤りない事を人みな感ずる。

ひとつ、
 当今が まだ東宮坊でおられました頃、万里小路殿 御所であるに、堀川の大納言殿 伺候なされ御曹子へ用あって参られたに、『論語』の四・五・六の巻をくりひろげなされて、
「ただ今、御所で、『紫の、朱 奪うことをにくむ』という文を御覧なさりたき事あって、御本を御覧すれども、御覧せぬのである。『なおよく引き見よ』と仰せの事で、求めるのである」
 と仰られるに、
「九の巻のそこそこの程にです」
 と申したりしたらば、
「あら嬉しい」
 と言って、もって参らせた。これほどの事は、こどもでも常の事なれども、昔の人はいささかの事をもすごく自讃したのだ。後鳥羽院が、御歌に、
「袖と袂と、一首の中に悪いか」
 と、藤原定家に尋ね言われたに、
「『秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらん』と ありませば、何事かございますべき」
 と申された事も、
「時に当って本歌を覚悟する。道の冥加である、高運である」
 など、ことことしく記し置かれますのである。九条相国伊通公の款状にも、殊なる事ない題目をも書き載せて、自讃されてる。

ひとつ、
 常在光院の撞き鐘の銘は、在兼卿の草書である。行房朝臣 清書して、鋳型に模そうとするに、奉行の入道、その草書を取り出して見せましたに、「花の外に夕を送れば、声百里に聞ゆ」と云う句ある。
「陽唐の韻と見えるに、百里 誤りか」
 と言うと、
「よくぞ見つけられた。己れの高名である」
 と言って、筆者のもとへ言いやったに、
「誤りでございました。(百里を)数行と直されませ」
 と返事あり。数行もいかがか。もしや数歩の心か。おぼつかない。
 数行なお不審。数は四五である。鐘四五歩 幾ばくもない。ただ、遠く聞こえる心である。

ひとつ、
 人あまた伴って、三塔巡礼がございましたに、横川の常行堂の中、『滝華院』と書かれる、古い額ある。
「佐理か行成のあいだ 疑いあって、まだ決まらないと言い伝える」
と、堂僧ものものしく申しますを、
「行成ならば、裏書あるはずだ。佐理ならば、裏書あるはずない」
と言ったりするに、裏は塵つもり、虫の巣でいぶかしげなのを、よく掃き拭いて、各々見ますに、行成位署・名字・年号、さだかに見えませば、人みな興にはいる。

ひとつ、
 那蘭陀寺で、道眼聖 談義するに、『八災』という事を忘れて、
「これを覚えてられるか」
 と言ったを、弟子みな覚えてなかったのに、局のうちより、
「これこれでは」
 と言い出したらば、すごく感心された。

ひとつ、
 賢助僧正に伴って、加持香水を見ましたに、まだ終わらないないうちに、僧正 帰り出しますに、陣の外まで僧都 見えない。法師どもをひき返させて求めさせるに、 「同じ様な大衆多くて、求め逢えない」
 と言って、とても久しくして出てきたのを、
「あれ きびしい。おまえ、求めてござれよ」
 と言われたに、もどり入って、すぐ連れてきた。

ひとつ、
 二月十五日、月明るい夜、うち更けて、千本の寺に詣でて、後ろより入って、ひとり顔深く隠して聴聞しましたに、優な女の、姿・匂い、人より際なるのが、分け入って、膝に居かかれば、匂いなども移るばかりならば、都合わるいと思って、すり退いたに、なお居寄って、同じ様子ならば、(席を)立った。その後、ある御所あたりの古い女房が、そぞろごと言われたついでに、
「無下に色ない人にございますと、(あなたが)見下させられる事なんてあった。情ないと恨みます人なんている」
 と言われ出したのに、
「それこそさらに心得ません」
 と言って止めた。この事、後に聞きましたは、この聴聞の夜、御局の内より、人が御覧して(私を)知って、ひかえる女房を作り立てて出されて、
「都合よくば、言葉などかけるものだぞ。その有様 帰って申せ。興あろう」
 と言って、謀られたんだと。

原作 兼好法師

 すまないとは思っていない。眠いから、今日はもうこれ以上は無理。<意訳>は、また明日。

 ちゅーか、この段は以外に手間どるんだ。
 ただ長いだけでなく、なんだか短い段章を七つぐらいまとめて相手にしているような感じだ。これなら、一つの話題がダラダラ長く続いたほうが、まだ楽だ。


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