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徒然草 第二百三十九段

2006-03-10 20:39:47 | 徒然草

 八月十五日・九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。

<口語訳>
 八月十五日・九月十三日は、婁宿だ。この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とする。

<意訳>
 八月の十五夜と、九月の十三夜は、婁宿の日だ。
 この婁宿の日、月は清く明るい。
 月を見るのに良い夜とする。

<感想>
「中国古代の天文学において、黄道に沿って、それに近い二十八の星座をもって、天球上の日・月の位置を示す基準とした。これを二十八宿(宿は星座の意)といい、「婁宿」はその一。当時行われていた宣明暦では、二十八宿のうち、牛宿を除く二十七宿をもって、一年中の日をこの二十七宿に配当しているが、それによると、八月十五日・九月十三日は婁宿の日に当たる。」(新訂 徒然草・岩波書店)

 俺は「サソリ座」の男なんだが、「婁宿(ろうしゅく)」は「婁座」とでも考えれば良い。
 古代中国の天文学では、黄道に沿って見える星座を月日の基準とした。
 これは二十八宿(宿は星座の意味)に分けられた。「婁宿」はそのひとつだ。
 兼好が生きていた時代に使われていた「宣明暦」という暦では、二十八宿のうち「牛宿」を除いた二十七宿で、一年を毎日、日替わりで二十七宿に分けていて。それによれば、旧暦の8月15日と9月13日は、婁宿の日となる。

 ようするに、西洋占星術では星座の巡りはひと月交代だが、中国占星術では毎日、日替わりでその日の星座が交代したのだ。

 ところで、この段の原文
『八月十五日・九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。』
を素直に解釈すると、
「八月十五日、九月十三日は婁宿である。この婁宿は清く明るい故に、月を見るのに良い夜とする。」
となる。
 これでも意味は通るけど、これではあまりに座りが悪い。星の清く明るい様子と月になんの関係があるのだろうか?
 たぶん、兼好はかなり省略して書いているはずだ。

 それで、俺はこう解釈してみた。
「八月十五日と九月十三日は、婁宿(の日)である。この婁宿(の日の)、(月が)清く明るいが故に、月を見るのに良い夜とする。」

原作 兼好法師


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