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徒然草 第二十五段 飛鳥川

2006-07-02 20:55:52 | 新訳 徒然草

 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび・悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃李もの言はねば、誰とともにか昔を語らん。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。
 京極殿・法成寺など見るこそ、志留まり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂殿の作り磨かせ給ひて、庄園多く寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門・金堂など近くまでありしかど、正和の比、南門は焼けぬ。金堂は、その後、倒れ伏したるままにて、とり立つるわざもなし。無量寿院ばかりぞ、その形とて残りたる。丈六の仏九体、いと尊くて並びおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、未だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから、あやしき礎ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。

 されば、万に、見ざらん世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ。

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<口語訳>

 飛鳥川の淵瀬 常ない世であるから、時移り、事去り、楽しみ・悲しみ行き交いて、華やかであった辺りも人住まぬ野原となり、変わらぬ住家は人改まる。桃李もの言わねば、誰とともに昔を語ろうか。まして、見ぬ古の止むことなかっただろう跡のみが、いたく儚い。
 京極殿・法成寺など見ると、「志留マリ、事変」であった様子は哀れである。御堂殿の作り磨かせられて、荘園多く寄せられ、我が一族のみ、御門の御後見、世の固めにて、行末までと思われおかれた時、いかなる世にも、こればかりあせ果てるとは思われたか。大門・金堂など近くまであったが、正和の頃、南門は焼けた。金堂は、その後、倒れ伏したままで、とり建てる事もない。無量寿院ばかりが、その形として残る。一丈六尺の仏九体、いたく尊く並びおられます。行成大納言の額、兼行が書いた扉、なお鮮かに見えるのが哀れである。法華堂なども、まだあるようだ。これもまた、いつまでかあろう。そればかりのなごりすらない所々は、おのずから、粗末な礎ばかり残るもあるが、さだかに知る人もない。
 然れば、全てに、見れぬような世までを思い定めるのこそ、儚かろう。

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<意訳>

 飛鳥川の淵瀬のように常などない世であるから、時は移り、事は去り、楽しみ悲しみが行き交う。
 華やかであった辺りも人の住まない荒れ野となり、変わらずにある家は住む人が改まる。
 桃李もの言わねば、誰とともに昔を語ろうか。
 まして、遠い過去の止むことのなかったはずの繁栄の跡はとても儚い。

 御堂殿が、贅を尽くして造らせた京極殿や法成寺などを見ると、その志は残るのに荒れ果てた有様は哀れである。荘園を多く寄進され、我が一族のみが天皇の後見役にして天下の固めである、その行く末までもと思われていた繁栄の時、いかなる時代にこのように荒れ果てると思われただろうか。
 大門や金堂などは最近まであったが、正和の頃に残っていた南門も焼けた。金堂はその後も倒れ伏したままで、再建するすべもない。
 無量寿院ばかりがその形を残し、一丈六尺の仏が九体とても尊く並んでおられる。行成大納言の額、兼行の書いた扉などが、なお鮮かに残っているのは哀れだ。
 法華堂なども、まだ残っているようだが、これもまたいつまで残るだろう。
 そのような痕跡すら残せなかった所は、自ずから朽ち果てた礎ばかりをさらしている。その由縁をさだかに知る人もいない。

 だから、すべてにおいて、見果てぬ先まで思い定めて生きるのは儚い事なのだろう。

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<感想>

 この第25段の兼好もちょっぴりおセンチが入っている。
 おセンチ混入のおセンチ法師で、そのおセンチはすでにメートル級!
 もはやこのおセンチぶりに対抗できるのは、ミリ単位のミリ法師ぐらいではなかろうか?
 ぶっちゃけここまでおセンチだと、もはや兼好法師ではなく「おセンチ法師」と改名しても特に何ら別に問題すらないようにさえ思われる。俺が高校生なら、「古典」の答案用紙に『徒然草』の作者は「おセンチ法師」と解答したいぐらいだ。まぁ、確実にバツだろうけど。

 ところで、この段に登場する京極殿や法成寺を建てたという「御堂殿」とは誰であろうか?

「この世をば わが世ととぞ思ふ 望月の 欠けたることの なしと思へば」で有名な、そう、今まで内緒にしてきたが、「御堂殿」の正体は「藤原道長」である。最高に栄華を極めた史上最高の朝臣、その藤原道長が御堂殿なのである。
 道長は出家した後、「御堂殿」とか「御堂関白」などと呼ばれた。
 かなり仏教に入れこんでいたらしく、死後は私有財産として持っていた荘園のほとんどを寺に寄進した。
 兼好は、この段で平安時代に繁栄のかぎりを極めた「藤原道長」の住居跡の衰退した様子を哀れに語る。
 この段の舞台のひとつ「京極殿」は道長の邸宅。「法成寺」は、出家した道長が自分のために開いたお寺で、壮大な敷地を持つ豪華な寺であったらしい。しかし、その法成寺もすでに兼好の生きた時代には寺門は全て焼け落ち、本堂も崩れ落ちたままで再建のメドすらたってはいなかった事が、本文から読み取れる。
 さらに兼好の時代から600年以上もすぎた現在の京都には、もはや京極殿と法成寺は残っていない。寺町通りに「法成寺跡」の石碑だけが残るそうだ。
 ちなみに、藤原氏は「吉田神社」の氏子で最大のスポンサーだった。そういう関係からも、藤原氏の衰退は兼好にとって全くの他人事とは思えなかったのだろう。

 第25段は、詩歌からの引用が多くかなりおセンチな描写で、栄華を極めた者の衰退をもの悲しく語る。『徒然草』後半の兼好と比べるととても解りやすい無常観でやや物足りなくも感じるが、『徒然草』は兼好の精神的な成長の物語でもある。だから、この段はこれでいいのだろう。

 行け兼行!
 進め兼行!
 明日はどっちだ!
 あぁ、そっちは昨日だよ。

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<解説>

『飛鳥川の淵瀬』
 奈良県にある川の名前。語呂が良いので良く歌に詠まれた。
 淵瀬は、川の深いところと浅いところ。
 飛鳥川は、流れが速くてしょちゅう流れを変えていたらしい。

『桃李もの言はねば』
 漢詩からの引用。桃や李は、毎年咲くのになんにも語らないよねということ。

『京極殿』
 藤原道長の邸宅。道長が死んで13年目に焼失したと伝えられる。

『法成寺』
 藤原道長の建てた寺。出家後の道長が住んでいた。
 この世に出現した「極楽」とまで言われたほどすごい寺であったらしい。

『志留まり、事変じにける』
 漢文からの引用なので解りにくい一節。
 志はとどまり、状況は激変してるみたいな意味か。

『御堂殿』
 藤原道長。

『正和の比』
 正和の頃(1312年~1317年)、正和は年号。

『無量寿院』
 阿弥陀堂、道長はここで亡くなったと伝えられる。

『丈六の仏九体』
 一丈六尺(約4・8メートル)の仏像が9体、無量寿院に安置されていた。

『行成大納言の額』
 藤原行成の書いた額、行成は能書家。

『兼行が書ける扉』
 源兼行が扉に書いた書、兼行も能書家。

『法華堂』
 法華ざんまいする場所。


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