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徒然草 第三十五段 手

2006-08-02 19:52:55 | 新訳 徒然草

 手のわろき人の、はばからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。
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<口語訳>

 手がわるい人が、はばからず、文書き散らすのは、よい。見ぐるしいとして、人に書かせるのは、うるさい。
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<意訳>

 字の下手な人が、はばからず、字を書き散らすのは、よい。
 字が下手だからと、人に書かすのは、うざい。
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<感想>

 生きていた時の兼好は、『徒然草』の作者としてよりも歌人として有名であった。遁世歌人として周囲の人々に理解されていた。
 『徒然草』は、兼好が死んだずっと後の、江戸時代になって書籍の流通が発達してから多くの人に読まれるようになった。兼好が生きていた時代の人々は、よほど兼好と親しい人間でもなければ『徒然草』の存在すら知らなかったであろう。ようするに兼好は「ただの歌人」であった。しかし「徒然草』が人々に読まれるようになると、兼好は歌人としてよりも、「徒然草の作者」として有名になる。

 歌人であった兼好は、また「能書の遁世者」として『太平記』に名を残している。この場合の「能書」はラブレターの代筆の事である。
 身分はあるんだけど教養に自信のない人に頼まれて、兼好は恋文の代筆などしていたらしい。
  ただ、恋文代筆の成果はあんまりかんばしくなかったようだ。『太平記』は、代筆に失敗して依頼主の武士に怒られてスゴスゴ引き下がる兼好法師の姿を伝えている。

 だから、この段は、恋文の代筆をしていた兼好の、恋文の書き方教室とでも理解すれば良いかなと思う。
 で、男である兼好が恋文を送るのは女のもとだ。
 だから、この段も女がらみの話だ。
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<解説>

『手のわろき人』
 字をうまく書けない悪い手の持ち主。
 字の下手な人という意味。

『はばからず』
 はばからずの「はば」は阻む。はばまれることなく。意に介せずの意。

『文』
 広く手紙や書物を指すが、この段ではたぶん恋文のこと。

『うるさし』
「ウルはウラ〈心〉の転。サシは狭しの意で心持ちが狭く閉鎖的になる意が原義か。」岩波古語辞典より。
 兼好の時代「うるさし」は、耳がうるさいと感じる聴覚的にうるさいという意味ではなく、気分的にうるさいという意味で「うるさし」を使っていたようだ。聴覚的にうるさい時は「やかまし」と言っていた。「ウザイ」が、現代語でこの時代の「うるさし」の意味にやや近いか。


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