斎宮の、野宮におはしますありさまこそ、やさしく、面白き事の限りとは覚えしか。「経」「仏」など忌みて、「なかご」「染紙」など言ふなるもをかし。
すべて、神の社こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古りたる森のけしきもただならぬに、玉垣しわたして、榊に木綿懸けたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴布禰・吉田・大原野・松尾・梅宮。
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<口語訳>
斎宮の、野宮に御座います有様こそ、やさしく、面白い事の限りとは覚えた。「経」「仏」など忌みて、「なかご」「染紙」など言うのもおかしい。
すべて、神の社こそ、捨てがたく、なまめかしいものでないか。もの古びた森の景色もただならなくに、玉垣わたして、榊に木綿懸けるなど、すごくないか。殊におかしいのは、伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴布禰・吉田・大原野・松尾・梅宮。
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<意訳>
斎宮が、野宮に滞在しておられた様子は、優美でたいへん感心させられた。神域である野宮では、「経」や「仏」などの言葉を忌み「なかご」「染紙」などと言い換えられており趣きがあった。
すべての神社は、捨てがたい自然な美しさを持つ。うっそうと古木の茂る森はただならなく、玉垣はりめぐらし、榊に御幣たなびく風景は凄まじいほどだ。
特に趣きある神社は、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴布禰、吉田、大原野、松尾、梅宮。
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<感想>
兼好の時代。新しい天皇が即位する度に、皇族の若い未婚の娘から「斎宮」が選ばれた。斎宮は、京都から伊勢に下り、伊勢神宮で天皇にかわり朝廷の平安を祈り天照大神を祭った。
伊勢神宮にこもる前の斎宮が、一定期間、身を清める為にこもるのが「野宮」である。
兼好は、京都の吉田神社に仕える卜部一族の出身であった。父や兄弟は朝廷で神祇官を勤めていた。「神社の子」は、兼行を理解するキーワードの一つである。
神や天皇を敬うように教えられて育った子供が、神や天皇を敬うのは当然のこと。しかし、この文章を書いた時の兼行は、たぶんだけど、すでに法師なのである。神社の子だったんだけど、この段を書いた時には仏門の人。だから、この段を書いた時には、今の自分は一歩離れて神や天皇を見ていますよというポーズが必要だった。坊主にもポーズが必要だ。
神道の基礎知識を持つ兼行は、神道の神域内で仏の教えは「邪教」として忌み嫌われていたのは当然に知っていただろう。
だから、わざと間違えて逆に書いたのではないだろうか。
本当は、「仏」が「なかご」で、「経」を「染紙」と言い換えていた。だけど、この24段の本文ではそれを逆に書いてある。どっちがどっちなんだか、よく分からないようにはぐらかしている。
説明の為に、テキストとしている『新訂 徒然草』(岩波書店)にある解説を引こう。
『およそ、忌みことば、うち七言、仏は中子(ナカゴ)と称し、経は染紙と称し、塔は阿良良岐(アララギ)と称し、寺は瓦葺きと称し、僧は髪長と称し、尼は女髪長と称し、斎(イモヒ)は下膳(カタシキ)と称す(以下略)』(『延喜式』第五)
そういった忌み言葉を、神社の子である兼好は良く知っていたはずだ。
でも、今は仏門の人間であるから、神社の事なんか詳しくないよという態度を示したくて、わざと間違えて書いた可能性もある。
だがまぁ、なんだろうとも、神社は「捨て難く、なまめかしき」神域に思えると兼好は書いている。
まぁ、とにかく、兼好にとって神や天皇は信仰そのものだったのだろう。
そして、どうやら、兼好は実際に斎宮が野宮にこもっているのを実際に見た事があったらしい。
その記憶を元に、慣れ親しんだ神社の風景を思い出しつつ、昔をセンチメンタルに懐かしんで書いているのがこの段だ。
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<丸写し解説>
『斎宮』(さいぐう)
天皇の即位の度に選定され、伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女。
『野宮』(ののみや)
斎宮が伊勢神社に御仕えする前に心身を清め、けがれをさける為に一定期間こもった仮宮。
『玉垣』
神社の周囲にはりめぐらした垣。材木を組み合わせて造り、屋根がついている。
『木綿』(ゆふ)
木の繊維で造ったひも状の布。神に祈る時に供える。現在の紙製の御幣の元祖。
『伊勢』
伊勢市の伊勢神宮。(←斉宮の目的地)
『賀茂』
京都市の賀茂別雷神社と賀茂御祖神社。
『春日』
奈良市の春日大社。
『平野』
京都市の平野神社。
『住吉』
大阪市の住吉神社。
『三輪』
奈良県桜井市三輪町の大神神社。
『貴布禰』
京都市の貴船神社。
『吉田』
京都市の吉田神社。(←兼行の本家)
『大原野』
京都市の大野原神社。
『松尾』
京都市の松尾神社。
『梅宮』
京都市の梅宮神社。
参考「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波書店
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<読解のために>
占いで斎宮に決まると宮中内に設けられた初斉院で約一年間、つづいて嵯峨野の野の宮で約一年精進潔斉し、決まってから三年目の九月に天皇に「別れの」をさしてもらい、伊勢に旅立った。『源氏物語』<賢木>では、六条御息所の娘が斎宮になり、親子で野の宮で潔斉しているところを源氏が訪ねる場面や、「別れの」をさしてもらい出発する場面などが語られている。
伊勢では、斎宮寮に居住し、天皇に代わって天照大神を祭った。日常生活は、仏事を避け、斎宮忌詞という特殊な言葉遣いをし、潔斉に務めた。『伊勢物語』<六九>では、斎宮と昔男との恋が語られている。
天皇の交替か両親の死、および本人の過失などがあると任を解かれて帰京した。帰京後に入内して女御になった場合に斎宮女御と呼ばれることもあり、『源氏物語』では六条御息所の娘が、史上では徽子女王が村上天皇に入内してこの名で呼ばれた。
なお、斎宮制度は天武天皇の時代に整備され、後醍醐天皇の時代に廃れた。
「全訳読解古語辞典」 三省堂 より抜粋。
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