ヘンリー・ダーガーは、野菜で言うなら曲がったキュウリや歪んだナスビだ。
味は美味しいんだけど、形は歪んでいる。
見た目の悪い野菜は『商品』になれないように、ヘンリー・ダーガーも『商品』にはなれなかった。
もし、生前のヘンリー・ダーガーが、イラストレーターとして出版社に持ち込みをしたとしても、編集者には相手にもされなかっただろう。そのくらいに彼の絵はいびつで、商品になるような代物ではない。
だが、彼の作品は、彼の生き様と共に、死後『芸術』として開花した。
商品と芸術では、目のつけどころが違う。
新しい『価値』の発掘が『芸術』。
『価値』の再生産が『商品』。
何故、彼の作品は『商品』に成らないのか?
あまりに荒削りで雑すぎる。
イラストとしてなら、モノにはならない。
プロのイラストレーターの目から見たら、彼は全く基本すらできていない。
なのに、彼は芸術にまで昇華した。でも、プロのイラストレーターのイラストはイラストのままだ。
あまり彼を擁護するつもりもない。
芸術はそれほど崇高でもない。
味は美味しいんだけど、形は歪んでいる。
見た目の悪い野菜は『商品』になれないように、ヘンリー・ダーガーも『商品』にはなれなかった。
もし、生前のヘンリー・ダーガーが、イラストレーターとして出版社に持ち込みをしたとしても、編集者には相手にもされなかっただろう。そのくらいに彼の絵はいびつで、商品になるような代物ではない。
だが、彼の作品は、彼の生き様と共に、死後『芸術』として開花した。
商品と芸術では、目のつけどころが違う。
新しい『価値』の発掘が『芸術』。
『価値』の再生産が『商品』。
何故、彼の作品は『商品』に成らないのか?
あまりに荒削りで雑すぎる。
イラストとしてなら、モノにはならない。
プロのイラストレーターの目から見たら、彼は全く基本すらできていない。
なのに、彼は芸術にまで昇華した。でも、プロのイラストレーターのイラストはイラストのままだ。
あまり彼を擁護するつもりもない。
芸術はそれほど崇高でもない。