墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

2004-09-06 17:42:07 | ケツ
 俺のバイト先のパン屋では、自店で、パン生地をこね、成形し焼き上げて、お客様にできたてのパンを提供させていただいている。
 が、今日の主題は自分のバイト先の話ではなく、女性観察の話である。俺のバイト先での女性観察の成果を皆様に発表させていただく。
 実は、女性観察においてコスチュームは重大な要素である。
昨日も話した様に女性観察における、最大の醍醐味は生の女性の観察にある。
その為にも、女性のコスチュームは、生の太ももや生の二の腕などが露出してたり、胸元なんかも大きく生っぽく開放的であることが生を観察するのには、望ましい。
むしろ、コスチュームなんか、なんにも身につけていなくても、俺はぜんぜんかまわない。
 しかし、残念ながら俺の勤めるバイト先は、飲食業。パン屋さんだ。
はだかでパン作って、パンの中に陰毛なんぞ混入させた日には、たちまち営業停止だ。
 パン屋の製造のコスチューム、製造服は男女とも同じだ。
白いコックコートに、ダボダボの白いズボン。
それに、白いまえかけ。
アタマには電石帽をつけ、その上から白いコック帽をかぶる。
全身真っ白のマッシロシロスケだ。ちなみに靴も白い運動靴だ。
とにかく、生の人体が露出するのは、顔と手ぐらいのもんである。
当然、若いはりさけんぐらいにピチピチの女の子達にさせていいような格好なんかじゃない。見ている俺のほうが不憫になってくるぐらいだ。だが、彼女らはそんな事にも負けず今日も健気にはたらいている。俺もがんばらねば。なんてこと言ってんけど実はこの白ってんのが意外とクセモンなのだ。
 そんな色気のまっくないコスチュームでも俺ぐらいの女性観察者になると、ほとんど問題にしない。観察すべきはコスチュームではなく、生の女の子そのものであるという、女性観察の本質をけっして忘れたりしないからだ!
 俺の作文はすぐ本質を忘れて、あっちへブラブラ、こっちへブラブラとしてしまうけど、我が女性観察者魂はたとえ彼女らが小錦の着ぐるみに身を包んでいようとも、彼女らのもつ真の美しさを容易に発見するはずである。
 彼女らの生の肉体が放つ生オーラの匂いを俺の必殺の観察眼は絶対に見逃しやしないのだ!
 ところで、さっき白がクセモンだと言ったけど、本当に白はクセモンである。なんたって、透けちゃうんですもん。透けて見えるんですもん。
 例えばブラの線とか。
 あれって色っぽいよね。
 もちろん、白もんでブラが透けるなんてのは、常識なんで、見せたくない女の子はシャツかなんかで自衛しているけど、それはそれで、なんとなくいじらしくて、可愛らしくて好き。
 でも、うちの製造服は厚手で丈夫な木綿の生地だからブラの線はなかなか透けません。
 しかし、うちの女の子達は大事な何かを忘れてる。
 実はブラ線なんて意外にどうでも良かったりする。
 どうせうちの製造服じゃ透けないしさ。
ズボンも白なんだよ。
女の子が、かがむなどの動作で、臀部と製造服の生地を密着させた時、パンツが透けて見えるのだ!意外なあの子が、実は真っ赤のパンツだったたりして~~!!
 あれ、女性の生な美しさって話のはずが、下着の話に。
下着は生の女性か?いや、ちがうべ。
仕方ない、続きはまた明日。


お父さんは心配症

2004-09-06 16:54:10 | マンガ
 1、紹介用創作劇「お父さんは心配症」

 びゅるるりうる~。バサバサ。
 台風接近中。強い風がふいている。
どこかの架空の街、そこの街外れにある空き地。
その空き地で向かい合う、みすぼらしい会社員風の中年親父と、学生服の男子高校生の二人。中年男の名前は佐々木光太郎。ボサボサの髪とメガネがトレードマークの40才のサラリーマン。通称パピィ。学生服の高校生の名は北野。少しハンサム。下の名は不明だ。

「ふっふっふっ、北野、よく逃げずに来たな。」
 こぶしを下にむけた両腕を腰につけ、偉そうに含み笑いの佐々木光太郎。
「典子さんの事を、お父さんに認めてもらうまで、僕はあきらめません!」
 自分と、光太郎の娘である典子との交際を認めてもらおうと必死に訴える北野少年。
「なにをっ。お前なんか嫌いだ!くらえっ!父の愛情パンチ!」
 親父はいきなり暴力でけりをつけようとする。親父の今年の目標は愛娘の典子に近づく北野少年を亡き者にすることなのだ。
 少年は観念したかのように目を閉じる。
親父のパンチが少年の顔面に炸裂という、まさにその瞬間。強い突風が二人を襲う。
 ビュオー。
風にあおられ足がもつれる親父。
「おっとっと。」
 そこへ、さらなる強風が。ビュギャオォ~。
「うわっ。」
 ガゴ~ン!
 あろうことか、親父の体は強風にふき飛ばされて、頭から空き地に放置されている土管に激突。親父は頭から血をドクドクと流しヒクヒクと身もだえる。
 そこへ、親父の娘、高校生の典子が登場する。
「二人ともやめて! あ。 ひどい北野君。お父さんをこんなにも激しく突き飛ばすなんて!」
重傷の父に駆け寄る典子。
「そうだ!ひどいぞ北野!」
親父も血を流したまま、猛烈に抗議。出血量の割にはぜんぜん元気だ。
「お父さんが、勝手に風に飛ばされたんでしょ!」 
北野少年がそう言い返した、その瞬間、三度目の突風が三人を襲う。
とっさに典子をかばう北野少年。
ビュガビュルビュラララララ~ビュギュオ~。
親父一人、強風に吹き飛ばされ、はるか上空へと糸の切れた凧の様に飛んで行ってしまう。
「お父さ~ん!」
 叫ぶ少女。空を見上げる少年。 (完)


 2、約束

 さて、お約束どーり「お父さんは心配症」の紹介文を書く。律儀に約束を守る俺、偉い?ほめてもいーよ。 え、そんな約束してたのか?だって。覚えてない?したじゃん、だいぶ前。本当はすぐにでも即座に紹介文を書きたかったのだ。でも、状況がそれを許さなかった。しかし、こんなブログに何度も足をはこんでいただいているYOT様の為にも約束は守らねばならん。いくら、辛かろーが、きつかろーが、約束だけは、守らなきゃなんないんだ。俺は嘘つきだけども、自己保身の為にうそを利用するのは、何より嫌いだ。それはうその価値をおとしめる行為だ。

 と、このまま、言い訳を書き続けてもいいんだが、俺の言い訳は本文より長くなるからもうやめておく。
 そんで、上の作文は、岡田あーみんの「お父さんは心配症」を読んだ事のない人の為に、その雰囲気を少しでも伝えようと俺が創作した「お父さんは心配症」の架空の一場面である。
 本物の「お父さんは心配症」はもっとたくさんの異様なキャラクターが入り乱れ、時には作者の岡田あーみん自身も登場し、もっとかなり、しっちゃかめっちゃかの内容である。俺の書いた作文なんてぜんぜん甘いのだ。流血あり、嘔吐あり、バイオレンスありの完全有害コミックスなんである。ただし、殺人だけはない。この漫画の登場人物はなにがあっても死なないんだもん。
 「お父さんは心配症」の最大の特徴は、ぶっとんだギャグと荒くて汚い絵にある。こんな話で、なおかつこんな雑な絵で、よく少女漫画誌の「りぼん」なんかに掲載されていたよなと感心する。でありながらも「お父さんは心配症」は、当時の純真な少女や一部の少年達に、取り返しがつかない程のギャグの洗礼とトラウマを与えた奇跡と伝説の漫画でもあるのだ。
 

 3、二十代にとっての「マカロニほうれん荘」

 今さ、「お父さんは心配症」の正確なプロフィールを書こうと思って、何年何月から連載されて、どんな賞でデビューしたのかとかさ。そんな詳しい事を書きたくてGoogleで検索して岡田あーみんのファンサイトとかをのぞきに行ったんだけど、いやー、濃いね。岡田あーみんのファンは。この量を見ればいかに岡田あーみんが当時の一部の子供達に莫大な影響を与えていたのかが良くわかる。それにしても、岡田あーみんについての情報は大量すぎる上に雑多すぎて、正確なプロフィールなんて書けそうもない。「お父さん心配症」の単行本を全巻持ってたんだけど処分しちまったからな。原典にあたる事もできんし。まあ、いいや。うろ覚えの記憶とネットから拾いだした情報で紹介文を書いていこう。
 まず、「お父さんは心配症」の連載は少女漫画誌の「りぼん」で行われた。時期的に、さくらももこの「ちびまる子ちゃん」が「りぼん」で始まる少し前ぐらいから連載が始まっている。多分1984年から連載を開始したはずだ。そして、連載終了は「ちびまるこちゃん」のTV放送開始以前だったはずなので、1989年頃と思われる。単行本は全6巻が発売された。
 1984年というと、現在35才の俺が中学校2年生の時だ。「りぼん」の読者を、小学生の高学年から中学生に限定すると、(少年誌と違い、大人はあまり「りぼん」を読まない。)1984年から1989年の連載期間に「お父さんは心配症」を読んでいた子供達は、現在では36才くらいを上限とした20才代後半ぐらいの年齢層になるであろう。
 ただし、岡田あーみんの活動時期は、彼女の後の作品「こいつら100%伝説」「ルナティック雑技団」を含めると、1984年から1995年頃までとなる。この岡田あーみんの活動時期に小中学生で、影響を受けた子供は、現在の20才代をほぼ完璧にカバーする。20才代の全般と30才代前半が、子供のころに岡田あーみんの漫画を読み影響を受けたファン層になる。(ネットで調べてみたところ、岡田あーみんの絶筆は1997年だそうだ。)
 さて、今日の話の中心は「お父さんは心配症」の紹介と、いかに岡田あーみんが当時の子供達に影響を与えたかという事である。
 岡田あーみんのファンでも、30代の人と、20代の人では、若干とらえ方が違う。30代の人間にとり、「お父さんは心配症」はむかし面白かった漫画のひとつにすぎない。現実、20代の人ほど熱心には読んでいなかっただろう。だが、現在20代で、小中学生の頃にトラウマになるほど熱心に「お父さんは心配症」を読んでいた人間にとり「お父さんは心配症」はバイブルなんである。そして、今でも熱烈に「お父さんは心配症」を支持しているのも、やはり現在の20代だ。
 この関係は、30代の「マカロニ」ファンなら理解できるかもしれない。「マカロニほうれん荘」連載の当時に小学生で何度も何度もボロボロになるまで読み返した人間にとり、「マカロニほうれん荘」はバイブルである。俺自身、「お父さんは心配症」は処分できても、全巻ぞろいの少年チャンピオン・コミックスの「マカロニほうれん荘」だけは手放せない。また、作者の才能が特異すぎて後続が生まれなかったという点も「マカロニ」と「お父さん」は似ている。


 4、世代論なんて嫌いだが

 世代論は嫌いだ。個人を世代に当てはめて、どうこう言うのは良くない。世代とその世代に属する個人とは関係がない。同じ年の同じ誕生日に生まれた二人でも、長く生きてきゃ当然、趣味、嗜好は異なってくる。大体、俺自身「最近の30代は。」などと、ひとくくりにされたらむかつく。俺は俺なのだ、そこらの30代と一緒にするな。
 では、あるんですが、岡田あーみんの「お父さんは心配症」という作品を説明するには、時代背景が重要になる。そして、時代背景を語るには、世代論は非常に有効な手段となる。てなわけで、無粋な俺の思い込みによる世代論を展開しよう。
 まず、2004年9月6日の今日現在時点で、20才代と30才代は別々の世代に位置しているという事にする。「おーい、今日の誕生日で、30才になる、僕はどうすんのさ。」と言う、そこのあなた。あきらめなさい、もう君も俺らの仲間だ。
 では、世代名をつけよう。やはり現在の30代は「テレビっ子」で決まりだろ。20代は「ファミコン世代」だ。もちろん、ぜんぜんテレビなんて見なかった30代もいるだろうし、ファミコンなんて触った事もないという20代もいるんだろうが、だから世代論なんて、最大公約数的な目安でしかないのだ。だまって、くくられてなさい。


 5、変わるのは子供でなく環境

 良く言われる事だが、変わるのは子供でなく環境のほうだ。子供の生きる環境は後の人格形成にも影響を与える。そして、大人が子供に与えるゲームやテレビ番組などの娯楽も子供にとり大事な環境のひとつである。 
 では、「お父さんは心配症」の生まれた1984年を振り返ってみよう。実は、この近年には、子供の娯楽文化を変える重大な出来事がふたつ起こっている。

1983年 任天堂よりファミコンが発売。

1985年 ドリフの「八時だよ!全員集合」が終了。

 ファミコンは発売当初はソフトのタイトルも少なく、子供達の認知度も低かった。タイトルが増えるにつれ、人気があがる。ファミコンの普及には、当時おそろしい勢いで増加した中古ソフト屋のおかげもあると思う。当時の中古ソフト屋はゲーム好きの少年達のコミュニティの場所として機能していた。そして数年でファミコンを含む、テレビゲームは子供達の娯楽文化の中心として根をおろしたのだ。今、子供達と言ったが、実はテレビゲームのブームの初期の頃はかなり男の子中心の文化だった。女の子が普通にテレビゲームをやるようになるのはポケモン以降じゃないかと俺は観察している。ところで、今でも覚えてるのは、1990年頃の人気中古ソフト屋の活気だ。市内中の男子小学生をぜんぶ店内に集めたんじゃなかろうかという勢いだった。

 1985年にドリフの「八時だよ!全員集合」が終了している。この番組以降、子供向け、子供を対象とするお笑い番組は、ほぼ消滅する。ビートたけしの登場によって、テレビは子供の物から大人の物へと性格を変え始めたのだ。
 1960年~70年代のテレビは、子供のものだった。大抵の番組は子供も楽しめる様にとつくられていた。子供も一緒に家族全員で楽しめる内容ということを意識して番組がつくられていたのだろう。この時代の子供達にとりテレビは最高の娯楽だったのだ。まさに「テレビっ子」である。それに比べ最近の子供は生のテレビ番組なんてアニメぐらいしか見ないんだろうな。ビデオでお気に入りの番組が何度でも見れるし、ゲームだってある。
 でも、子供がテレビからそっぽを向いた訳ではない。テレビが子供からそっぽを向いたのである。
 
 テレビが子供からそっぽを向き、代わりにテレビゲームが子供の娯楽文化を担うようになった転換期が1994年である。そして「お父さんは心配症」の生まれた年でもあるのだ。


 6、コギャル

 「お父さんは心配症」及び岡田あーみんの最盛期は「お父さんは心配症」の単行本が全巻でそろい、二本目の連載「こいつら100%伝説」が連載中だった、1990年頃だと思う。
 1990年頃、岡田あーみんの最盛期の時にファン層だった小中学生女子は、いったい何者なんだろうか?答えはコギャルである。この時代の小中学生女子の全員が「りぼん」の愛読者でも「お父さんは心配症」のファンなわけでもないが、かってコギャルと呼ばれていた女の子達の一部は確実にあーみんファンだったはずなんである。
 コギャルなんて言われて女子高校生がマスコミにクローズアップされチヤホヤされてたのは、1990年代の後半ぐらいなので計算は合っている。実は、この事を発見して俺自身すこし驚いた。では、後にコギャルと呼ばれる1990年代の女子小中学生は、当時どのような環境に置かれた子供達であったのだろうか。
 1980年代末期から1990年代はじめの頃の子供達。
 男の子の娯楽の中心はテレビゲームと「少年ジャンプ」である。現在、25才前後の男達がこいつらだ。彼らはゲームとジャンプで、ずいぶんと楽しく幸福な小学生時代を過ごしてきたはずである。
 それに比べ、その当時の女の子達は子供向け娯楽文化の空白期間に位置してしまった。前にも書いたように、すでにテレビは子供からそっぽを向いているし、テレビゲームもジャンプも男の子のものだ。女の子達が普通にゲームをするようになるのは、この先の「ポケモン」登場からのはずである。
 たぶんなんだが、多分、この当時の女子はゲームとジャンプにあけくれる男子が羨ましくてしょうがなかったんでなかろうか。女の子向けの娯楽はアイドルと少女漫画ぐらいである。男の子ばかりが、楽しんでいる。たぶん、娯楽の発信者である大人を恨んだ事であろう。
「男子ばっかり大人はひいきしてる。女子が遊べるゲームも女子のジャンプもないじゃん。大人は女子のこと無視してる。」
 そういう思いが、後にコギャルという過激な自己表現に、この時代の女子を、おいやったのかも?なんてことを想像する。


 7、伝道者としての岡田あーみん

 30代の「テレビっ子」は、豊富なお笑い番組の中で育ったため、かなりギャグ慣れしている。それに比べると、テレビのお笑い番組はすでに大人のものとなっていた20代の「ファミコン世代」は、ギャグの無菌室に近い環境に置かれていたと思う。この状況は年々悪化していて、今や子供向けのお笑い要素のある番組は、アニメと「おはスタ」ぐらいであろう。教育テレビをのぞいて、完全にテレビが子供からそっぽを向いてるのが良くわかる。
 では、テレビのかわりに細々とながらも、子供にお笑いを提供しているのはなんであろうか。それはマンガである。マンガのみが今だに子供向けのお笑いを提供している。
 子供にお笑いは必要だ。できれば、できるだけ毒毒で、馬鹿らしくて、食べ物が粗末にされてて、おっぱいなんかポロリだと、更に良い。でも、一番、重要なのは声に出して大笑いできる内容であるということである。
 ドヒャハハハハハハッと大爆笑出来る事が大事なんである。じつは、子供を爆笑させるのは、まだテレビの仕事だと思うのだ。ゲームにゃ、少々、荷が重いし。それに爆笑できるゲームてどんなんだよと思うし。マンガはすでに「表現」の世界に入っている。本当はもう、むりむり子供を笑わせるような真似をする必要はないのだ。
 だが、テレビがそっぽむいてる以上は、マンガが子供達にギャグを提供しなくてはならんのだ。

 岡田あーみんは「ファミコン世代」の子供達へのギャグの伝道者であった。

 これが結論だ。実はこれ以上の語る言葉もないのだ。長々と年や世代にこだわり今まで作文を書き続けてきたのは、ただこの事が言いたかったからだけである。要領が悪くて長い文章が俺の特徴だ。

  
 8、最後に

 ギャグを面白いと感じるには愛が必要だ。愛なきところに笑いは生まれない。岡田あーみんは特異の才能であり、彼女のギャグで笑えるには愛が必要だ。見かけの絵の汚さや、内容の過激さに引いてしまうと、もう岡田あーみんは理解できなくなる。
 例えば、大嫌いな会社の上司が、いくら親父ギャグとばしたって「うぜーんだよ!馬鹿!」と思うだけだろう。だが、大好きな人のさりげないジョークや、可愛い息子の一発芸ならば間違いなく面白いに決まってる。
 岡田あーみんには人に好かれる才能があった。だから、いまだにこれだけの人気を保ち、伝説にすらなったのである。まさに100%伝説なのだ!

 と、言う事で、いちおう落としたし、終了します。「お父さんは心配症」はあの時代の子供達の為のマンガです。現在の大人が読んで面白いと思うかどうかは、愛しだいです。