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★「自由」は終わってる雑誌-by西尾幹二

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扶桑社の中学歴史・公民教科書は有識者グループ「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会、屋山太郎代表世話人)の支援を受けて、扶桑社の子会社「育鵬社」から引き続き発行されます。一方で、扶桑社から絶縁されて異端となった「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)は扶桑社に代わる発行元として「自由社」(東京都文京区、石原萠記社長)という会社を決めました。その自由社はどんな会社かという調査報告★「つくる会」と「自由社・石原萠記」と「ソ連」と「中国」と「社会党右派」と「創価学会」を掲載したところ、大きな反響がありました。

 
さて、おちょくり塾という素晴らしい掲示板があります。そこでキルドンムさんという方が書き込んでいたことを原典に当たって確認してみました。つくる会元会長の西尾幹二さん自身が、自由社の変質を認めているのです。
 
〈日本文化フォーラムは70年代に入って財政基盤を失って解散し、雑誌『自由』から編集委員の知識人たちが手を引いた。そのため雑誌はがらっと姿を変えた。『自由』という雑誌は残ったが――1973年10月から株式会社となった――それまで果たしていた文化史的役割は性格を大きく変えた。『諸君!』が登場するまで果たしていたあの雑誌の知的に潔癖な保守文化色の香りの高い業績は、60年代の思い出の中にのみ生きつづけている〉(『西尾幹二の思想と行動1』503ページ)
 
9月9日のつくる会総会で藤岡信勝会長は「自由」について「戦後の保守系言論雑誌の草分けで、その意味で最も由緒ある保守系の言論誌です」と述べましたが、西尾さんは“保守文化色はなくなり、60年代で終わった思い出の雑誌”と認めているのです。
 
★「つくる会」と「自由社・石原萠記」と「ソ連」と「中国」と「社会党右派」と「創価学会」で、自由社の社員は2人(東京商工リサーチのデータ)と紹介しました。教科書発行者の条件とはどのようなものでしょうか。
 
■文部科学省「教科書制度の概要」
義務教育諸学校用教科書の発行者は、教科書を安定的に発行する必要があることから、昭和38年度以来、発行者の指定制度が採用され、欠格事由に該当しない者(破産者や受刑後間もない者などでないこと。)について、次のような基準に該当する場合にのみ、申請に基づき指定を受け、教科書を発行することができるとされています。
1.資本の額(出資の総額)又は資産の額が1,000万円以上であること。
2.もっぱら教科書の編集を担当し、これを適切に行いうると認められる者が5人以上置かれていること。
3.図書の出版に関する相当の経験を有する者がいること。
4.図書の発行に関し、著しく不公正な行為をしたことがないこと。

 
著作権侵害なども「図書の発行に関し、著しく不公正な行為」にあたるでしょう。より詳しくお知りになりたい方のために関係法令を紹介します。教科書発行者になろうとする会社は、いろんな資料を文科省に提出しなければいけないようです。 
 
■義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律
(発行者の指定)
第十八条
 文部科学大臣は、義務教育諸学校において使用する教科用図書(学校教育法第百七条に規定する教科用図書を除く。以下この章において同じ。)の発行を担当する者で次の各号に掲げる基準に該当するものを、その者の申請に基づき、教科用図書発行者として指定する。
一 次のいずれかに掲げる者でないものであること。
  イ 破産者で復権を得ないもの
  ロ 次条の規定により指定を取り消された日から三年を経過していない者
  ハ 禁錮以上の刑に処せられ、又はこの法律の規定に違反し、若しくは義務教育諸学校において使用する教科用図書の採択に関し刑法(明治四十年法律第四十五号)第百九十八条若しくは第二百三十三条の罪、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(平成十一年法律第百三十六号)第三条第一項(同項第七号に係る部分に限る。)若しくは同条第二項(同条第一項第七号に係る部分に限る。)の罪若しくは公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律(平成十二年法律第百三十号)第四条の罪を犯して罰金の刑に処せられ、その刑の執行を終わつた日又は執行を受けることがなくなつた日から三年を経過していない者
  ニ 法人で、その役員のうちにイからハまでのいずれかに該当する者があるもの
  ホ 営業に関し成年者と同一の行為能力を有しない未成年者又は成年被後見人で、その法定代理人がイからハまでのいずれかに該当するもの
二 その事業能力及び信用状態について政令で定める要件を備えたものであること。
2 前項の指定を受けようとする者は、文部科学省令で定めるところにより、申請書に必要な書類を添えて、文部科学大臣に提出しなければならない。
 
■義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律施行令
(発行者の指定の要件)
第十五条  法第十八条第一項第二号 に規定する政令で定める要件は、次のとおりとする。
一  会社にあつては資本金の額又は出資の総額が一千万円以上、会社以外の者にあつては文部科学省令で定める資産の額が一千万円を超えない範囲内において文部科学省令で定める額以上であること。
二  専ら教科用図書の編集を担当する者について文部科学省令で定める基準に適合しているものであること。
三  法人にあつては一人以上の役員(その法人の業務を監査する者を除く。)、人にあつてはその者が図書の出版に関する相当の経験を有する者であること。
四  法人にあつてはその法人又はその法人を代表する者、人にあつてはその者が図書の発行に関し著しく不公正な行為をしたことのない者であること。
 
■義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律施行規則
(発行者の指定の申請書の提出)
第七条
 法第十八条第一項の教科用図書発行者の指定を受けようとする者は、発行しようとする義務教育諸学校の教科用図書(学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第百七条に規定する教科用図書を除く。以下同じ。)が採択されることとなる年度の前年度の一月三十一日までに、第八号様式による申請書を文部科学大臣に提出しなければならない。
2 前項の申請書には、次に掲げる書類を添付しなければならない。
一 発行しようとする教科用図書の製造及び供給の計画を記載した書類
二 法人にあつては定款又は寄附行為及び法人の登記事項証明書、人にあつてはその者及びその法定代理人の戸籍謄本
三 申請者(法人にあつてはその役員、営業に関し成年者と同一の能力を有しない未成年者又は成年被後見人にあつてはその法定代理人を含む。)が、法第十八条第一項第一号イからハまでのいずれかに掲げる者でないことを明らかにした書類
四 法人にあつてはその法人の最近三年間における損益計算書及び事業の状況を記載した書類並びに申請の日の属する事業年度の前年度末現在における貸借対照表及び財産目録、人にあつては財産目録その他資産の状況を証する書類で最近三月以内に作成したもの
五 法人にあつてはその役員、人にあつてはその者の履歴を記載した書類(図書の出版に関する履歴については、関与した出版に係る図書の名称、従事した職務の内容等を詳細に記載したものを含む。)
六 教科用図書の編集を担当する者の氏名及び履歴を記載した書類
七 法人にあつてはその法人又はその法人を代表する者、人にあつてはその者が図書の発行に関し著しく不公正な行為をしたことのないものであることを明らかにした書類
 
(会社以外の者の資産の範囲)
第八条
 令第十五条第一号の規定により会社以外の者について文部科学省令で定める資産の額は、現金、預金、有価証券等の流動資産の額及び土地、建物等の固定資産の額の合計額から負債の額を控除した額とする。
 
(会社以外の者の資産の額)
第九条
 令第十五条第一号の規定により会社以外の者について文部科学省令で定める額は、一千万円とする。
 
(編集担当者の基準)
第十条
 令第十五条第二号の規定によりもつぱら教科用図書の編集を担当する者について文部科学省令で定める基準は、教科用図書の編集を適切に行ないうると認められる者が五人以上置かれていることとする。
2 発行しようとする教科用図書の種目等により編集の業務の適切な遂行に支障がないと認められる特別な場合は、前項の規定にかかわらず、教科用図書の編集を適切に行ないうると認められる者が前項の数を下る数置かれていることを基準とすることができる。

 
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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★つくる会を軍国主義と批判する月刊「自由」(自由社発行)

扶桑社の中学歴史・公民教科書は有識者グループ「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会、屋山太郎代表世話人)の支援を受けて、扶桑社の子会社「育鵬社」から引き続き発行されます。一方で、扶桑社から絶縁されて異端となった「新しい歴史教科書をつくる会」は扶桑社に代わる発行元として「自由社」(東京都文京区、石原萠記社長)という会社を決めました。
その自由社はどんな会社かという調査報告を掲載したところ、大きな反響があり、つくる会の地方幹部やマスコミ関係者、公的機関などから問い合わせを受けました。一方で「あら探し」「悪宣伝」「政治謀略的な誹謗中傷」などと批判しながら具体的根拠を示せない人もいます。
調査報告の中で、自由社が発行する月刊誌「自由」10月号に昭和天皇や皇太子ご夫妻を誹謗する文章があることを紹介しましたが、「10月号には、つくる会にふさわしくない記事がまだあるぞ」という指摘を、つくる会内部の方からいただきました。
それは、「自由」の常連執筆者である田駿という人の「21世紀への初仕事-荒廃に対する責任を誰も取らない日本」という文章で、なぜか10年前の平成9年執筆のものを今載せています。大変な悪文で論旨がよく分かりませんが、要するに、つくる会の運動は「軍国主義」「浅薄な言動」だというわけです。
以下に引用します。つくる会の会員の方で、これを読んでまだ事態を把握できない方がいるとすれば、よほど頭が悪いのだと思います。
 
自由社発行「自由」平成19年10月号
「21世紀への初仕事-荒廃に対する責任を誰も取らない日本」
  
(前略)まずはいまの日本が如何に軍国主義体制にはまり込んでいるかの自覚からはじめなくてはならないが、驚くことに日本国民にはこの自覚がない。むしろ自分たちは軍国主義はとうの昔にすぎたことであり、いまは新しい民主体制であると大いなる錯覚、幻想を抱いているということである。はっきりいって今の日本は軍国主義その本来の状況にあるということである。このことを真剣に考えないことには「明日の日本」はあり得ない。
戦後日本の人々は「日本は唯一の被爆国」というスローガンで世界に呼びかけた。しかし現実にはその効果は思ったほどではなかった。なぜか。日本の国が被爆したということを強くいい過ぎたからである。国と国が戦争をし、爆弾を投下されたのである。それが原爆であれ、爆薬であれ、同じことであって、他国の人々がこの犠牲に関心を持つことはない。
(中略)いわば一国主義の考え方で、世界に訴えたのであるから、ここには人間の尊厳、神々の畏怖感などが殺がれてしまい、そのアピールはただの軍国主義者の恨みとしか聞こえなかったのである。
(中略)昨年(引用者注・新しい歴史教科書をつくる会発足の動きが起こった平成8年)から日本の教科書問題を持ち出して、一部の人たちが言勢や行動で日本社会に問題を呼びかけ、「自歴史観」(ママ)に対する攻撃の形でキャンペーンを張った。
(中略)この自歴史観攻撃派の言い分は、ある本では東郷元帥だとか、広瀬中佐とか、明治天皇とかを持ち出している。これではまさに「複合調」(ママ)である。日本も歴史の流れは復古調の中に光るものがあるとしても、それらを押し流し、全く次元の違う方向へとすすんでいるのである。これでは国民の意識として支持するわけにはいくまい。
日本の教育改革というか、復古に何か新しいものを捜し出そうとすることは無駄なような気がする。それは明治維新からはじまった日本の軍国主義が作り、培ったものであり、如何に他人を、他の国を他の民族を攻撃し、征服し、略奪するかを目途として考えられたものであり、いま新しく求められているのは、地球を如何に保全し、人類が如何に共同して、生きるかということである。
(中略)このことをしっかり認識すること、国民がこのことを体でもってわかることが軍国主義を止揚する鍵になるのであるが、残念なことにいまの日本国民にこのことが完全には理解されていないといえる。その証拠には国会議員選出の選挙を幾度重ねても、いままでの復古調の人たちが、ぞろぞろと顔をそろえて当選するという事実からしてわかるのである。
(中略)いま一度、真面目に、真剣に、日本人たる原点を問い、恥を知り、慈愛を知る昔日の日本の大丈夫の姿を思うのである。民族の犯した罪をかくしたり、それを正しかったといい張ったりする、浅薄な言動は見苦しい。これで子や孫たちにウソを伝え、胸を張って見ても、その虚勢は必ず反動となってやってくるのである。風格のある民族のするべき姿勢ではないのである。
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★「つくる会」と「自由社・石原萠記」と「ソ連」と「中国」と「社会党右派」と「創価学会」 (最新版)

扶桑社の中学校歴史・公民教科書は「教科書改善の会」(屋山太郎代表世話人)の支援を受けて、扶桑社の子会社「育鵬社」から引き続き発行されます。一方、扶桑社から絶縁されて異端となった「新しい歴史教科書をつくる会」は別の発行元を探していましたが、このほど「自由社」(東京都文京区、石原萠記社長)という会社に決まりました。以下は自由社とはどんな会社かという調査報告です。
   
▼自由社社長の石原萠記さんは社会民主主義者
 
自由社の社長、石原萠記(いしはら・ほうき)さんは、大正13年11月5日、山梨県生まれの82歳です。昭和19年、早稲田大学在学中に応召。21年、中支・漢口から復員。東洋大学で考古学を学び、共産党を除名された渡辺恒雄(現読売新聞社主筆)らと学生運動をしていました。マルクス主義の学者でつくる「民主主義科学者協会」(民科)の歴史部会に出入りしていたこともあります。その後、公職追放が解除になった右派社会党の衆議院議員、三輪寿壮の下で政治運動を行い、山梨県から衆院選に出馬すべく準備をしていました。
 
そうした中、米フォード財団の資金で1950年(昭和25年)に設立された反共文化団体「文化自由会議」(The Congress for Cultural Freedom =CCF、本部パリ)から破格な好条件を提示され、昭和30年に日本駐在員になりました。翌年、その友好団体として、やはりフォード財団の支援で、高柳賢三、木村健康、竹山道雄、平林たい子、林健太郎、関嘉彦ら知識人のサロンである「日本文化フォーラム」を設立しました(デビッド・コンデという元KGB映画演劇課長は日本文化フォーラムを「CIAのフロント組織」と決め付けました。日本文化フォーラムはともかく、文化自由会議がCIAの支援を受けていたことは事実のようです)。
 
保守運動を進める一方で社会党関係者との親交は続き、東海大学の創立者で社会党衆議院議員も務め、親ソ派として知られた松前重義を「現代の巨星」と絶賛しています。
昭和41年、松前らと日本対外文化協会(対文協)を設立し、今は副会長を務めています。対文協についてはここに出ています(最後にある1996年は1966年の誤記です)。つまりソ連政府の提案で設立された日ソ(露)友好団体です。米国に亡命したKGB工作員、レフチェンコが1980年代前半に対日工作の実態を明らかにしましたが、彼がKGBのエージェントとして名指ししたリストの中には、当時の対文協事務局長(コード名・サンドーミル)も含まれていました(エージェントとされた人は全員が事実無根と否定しています)。
対文協や日ソ親善協会など対ソ関係5団体が「両国間の理解と友好を増進し現状を打開するため」昭和54年から63年まで開いた「日ソ円卓会議」では、政治部会の座長を務めるなど中心的にかかわりました(石原萠記さんは「KGBの手先」と批判されたそうです。CIAと言われたりKGBと言われたり大変ですね。共産主義国との論争は大切です)。
 
中華人民共和国とも関係があります。昭和63年に中国との親善などに取り組む「情報化社会を考える会」をつくり、代表になっています。中国共産党中央対外連絡部副部長、中日友好協会副会長など中国の対日工作の責任者を長く務めていた張香山の著書『日本回想-戦前、戦中、戦後想い出の記』を監訳し、平成15年に自由社から出版しています(だからといって「石原萠記氏はすでに中共の対日工作の窓口だった」と言うつもりは毛頭ありません。中国と意見交換したって構いません)。
 
日韓親善にも尽くし、本人が何度訪韓したか覚えていないほど、韓国を訪れています。「韓国・北朝鮮統一問題資料集」という本の編者でもあります。自由社は月刊「韓国文化」という駐日韓国大使館の広報誌の発行を引き受けていたことがあります(石原萠記さんが日本の朝鮮統治をどう見ているかは後述します)。
 
石原萠記さんの著書・編著には『江田三郎』『三宅正一の生涯』『裏方政治家に徹した松井政吉先生』など社会党右派の政治家に関する本が多くあります。特に江田三郎については「革新のスター」と持ち上げています。交際は息子の江田五月に引き継がれ、資金管理団体「全国江田五月会」に献金するほどの仲です。
平成13年の江田五月の活動日記にはこんな記述があります。
「今日は、14時55分発のCA926便で、北京へ。中国人民対外友好協会のお招きで、3日間の日程で行ってきます。当初はもっと長かったのですが、国会情勢が緊迫しており、ゆっくり出来ません。中心となる石原萌記さんが顧問、私が団長です。日本の政治情勢は混沌。中国は全国人民代表大会(全人代)が終わったばかり。そこでどういう人に会えるか、行ってみなければ分からないところがあります。しかし、教科書問題をはじめ、日中間に問題山積です」
 
平成2年には松前重義とともに、土井たか子社会党委員長、永末英一民社党委員長、江田五月社民連代表や山岸章連合会長らに対し、西欧型の社会民主主義政権の樹立を目指す「社会民主主義研究会」の設立を呼び掛けました(この構想は頓挫しました)。
 
以上見てきたように、石原萠記さんは、構造改革派など旧社会党右派(社会民主主義)と、林健太郎、猪木正道に代表される「リベラル保守」に足場を置いて共産主義と闘ってきた方です。
 
▼不敬ではありませんか、石原萠記さん
 
私たちは、冷戦期に共産主義の直接・間接の侵略から日本を守り、自由と民主主義を擁護してきた石原萠記さんや自由社の業績を賞賛し感謝します(今の「つくる会」会長はそのころ向こう側にいました)。しかし共産主義と戦うなら勝共連合にだってできます(勝共の皆さんごめんなさい)。保守を名乗るなら、皇室や神道、靖国神社、先の大戦の歴史認識などにどのような見解を持っているかが問われます。
  
「自由」最新号(平成19年10月号)の「巻頭言」を読みましたが、怒りがこみ上げてきました。
 
「今の日本は狂っている。戦後の日本は何故こんなに狂ってしまったのか。敗戦の1945年8月15日を境に、敗戦という日本人としての屈辱に何の反発もみせず、また歩みを反省することなく、敗戦を受け入れてしまった。(中略)要は天皇以下、当時の指導者たちには、国民に対する責任感が全くなかった。この無責任な人間としての心を失った姿が、戦後日本の狂いの初めであると思う。苦境に際して、己の責任を回避して、他に責任を転嫁、己の生き残りを優先する。迷惑をかけた人々に対し、何らの責任を取ろうとしない。この無責任体制が、今日の日本をもたらしたと言えないか。(中略)先の参議院選挙で、戦後最強の保守勢力・自民党が歴史的大敗北をした。その時とった、安倍総理の姿勢をみて、思わず敗戦時の昭和天皇のことを想い出した。安倍総理も彼を支える側近の人たちも、終戦時の天皇同様、責任を回避する言動に終始し、党・支持者に対し、責任を取る発言をしなかった。そして世論の過半数が辞めるべきだというなか、総理は内閣続投の意思表示をするだけだった。敗戦時に天皇や側近者たちが、敗戦の責任を国民に詫びることなく、天皇制度の維持画策に狂奔したのと全く同じである。日本の最高指導者たちが、国の危機に際して取る思考態度は、常に自己保身であるとは、全く情けない。敢えて訴える。礼の国・日本再生の道を考えたいものである」

  
終戦後、昭和天皇が戦争について全責任を負うと述べられ、マッカーサーを感激させた話は、良識ある日本国民なら皆知っている事実です(扶桑社の歴史教科書にも人物コラムに明記されています)。巻頭言は無署名で、石原萠記さんの執筆とは断定できませんが、当然、社長である石原萠記さんに全責任があります(編集委員会代表は加瀬英明さんです)。天皇や皇族に対して「己」とか「狂奔」とは普通言わないものです。昭和天皇が「責任感が全くなかった」「無責任な人間としての心を失った姿」「己の責任を回避して、他に責任を転嫁、己の生き残りを優先する。迷惑をかけた人々に対し、何らの責任を取ろうとしない」「責任を回避する言動に終始」「敗戦の責任を国民に詫びることなく、天皇制度の維持画策に狂奔した」という根拠を、石原萠記さんと加瀬英明さんは国民に対して示していただかなければなりません。それにしても、このような会社から「つくる会」の教科書が出版されるとは。
 
この号には、石原萠記さんの連載「天皇制度形成の100年 その歩みにみる歌謡の変遷(下)-明治維新から昭和天皇の死まで」も掲載されています。昭和天皇の「死」…。天皇や皇族に対してはそういう言葉遣いはしないものです。
本文の書き出しを見てまたびっくり。「敗戦で明治以来の絶対天皇制度は崩壊した」。絶対天皇制度って…。この人は講座派でしょうか? もし自由社の教科書ができるとしたら、大日本帝国憲法の項目に「絶対天皇制度が確立した」と記述されることでしょう。
 
さらに、皇太子同妃両殿下について「お二人には公私を区別する心がない。全生活を日本の象徴として保証されている以上、行動に対する制約があるのは当然であり、それを人格否定、人権侵害というのであれば、その地位を辞する以外ない。生活を保証され気儘に生きられる“職”など、この世にはない」「失礼ながら、徳仁親王が“妻”を愛する思いやりは微笑ましく、それに甘えている妃の態度は、平凡な市井の主婦としては許されようが、一国の祭祀宗家を継ぐ人として国民の尊敬をうるにはふさわしくない」などと批判しています。
ここ数年、皇位継承や宮中祭祀、ご公務などのあり方をめぐって、両殿下に諫言する保守派の論考が発表されていますが、石原萠記さんの場合、諫言を通り越して明らかに不敬です。
 
▼石原萠記さんの「昭和天皇戦争責任論」
 
石原萠記さんの天皇観や歴史認識をさらに確認するため、自由社から刊行されている『戦後日本知識人の発言軌跡』という9450円もする著書をパラパラめくってみました。
 
例えば、昭和天皇崩御に際する報道について「天皇の事績をたたえる内容一色でぬりつぶされた」「厳しい反発の声があがった」とした上で、「私自身、韓国の友人に、われわれは『天皇の名』によって絶対服従を強いられ、戦争に『召され』、戦野に散った多くの戦友を忘れることは出来ない、君はどうかと問われ返答に窮した。確かにこの他国民の感情無視の崩御報道は、常軌を失したものであり、思慮に欠けたもので、詰問されても仕方ないと思う」(p51~52)と書いています。
海外の反応に関して、「ご逝去に関する世界の主な新聞論調をみると、戦争とその責任の問題に言及し、厳しい指摘をしているものも少なくない」などとした上で、「歴史的事実や現実は、たとえつらいことであっても認めるべきは認め、この傷をいやしていく努力を今後も続けていかなければならない。とくに一方的な日本の侵略を受けたアジアの国々の見方は、いっそう厳しいものがある。肉親を殺されたり、言葉や名前を奪われたりした人々からすれば、その暗い思い出が忘れられないのは当然だろう」(p55)と、日本はアジアに一方的に侵略したという歴史認識を示しています。
 
「戦時下、『天皇の御名』によって戦場で斃れ、また犠牲を強いられた人々が内外にいる事実は否定出来ない。そしてその責任が曖昧のまま、一般日本人は敗戦国民として、指導部の戦争責任を問うあまり、加害者意識をもたず、被害者意識のみを強調し、国際社会に登場する。そのような今日の姿勢では、他国民に理解されないのではないか」(p20)
 
「天皇をはじめ、戦時指導者に対する責任が明確になされなければ、大宅壮一のいう総ザンゲ論になりかねない。また、諸外国に対する“日本”の責任は忘れてはならぬにしても、国内での公的責任者不在のままでは、戦争を知らぬ世代は納得しないだろう」(p76)
 
昭和天皇の戦争責任を曖昧にしているから日本人は被害者意識ばかりになっている。一億総懺悔ではなく責任者を明らかにしなければならないというわけです。さらに次のように述べています。 
 
「昭和日本の頂点にあった天皇の崩御によって、問われてきた天皇の戦争責任問題は未解決のまま消滅し、新しい平成時代に入ってしまった。しかし、諸外国からいえば、天皇の崩御は日本の『象徴』が代替わりしただけのことで、『戦争責任』の問題は、問いつづけるという姿勢に変わりはない以上、わが国は国としての責任問題解決の対応を迫られよう。この果てしない他国の追及に対して、わが国は、戦争の因をめぐって明治以降の立場を明確にしつつ、第二次大戦中に行った非道は非道として決着をつける要はあるといえる。それだけに、国際的に注目された『大喪の礼』に際し、竹下総理がその弔辞のなかで、この問題にふれ、明確な立場をとっていたならばと、惜しまれてならない」(p84)
「日本は前大戦に至る国際政治を公正に明確にしたうえで、第二次大戦で犯した非道に対する戦争責任を潔く認めて、問われている問題に決着をつけ、平和宣言を一日も早くする必要があるように思う。そのうえにたって、初めて他国の戦争責任を問いうるし、『象徴天皇制』度も存在するといえよう」(p87)
大喪の礼の弔辞で、首相が昭和天皇の戦争責任問題について解決する言葉を述べるべきだった。戦争責任を認めて「平和宣言」をしないと「象徴天皇」は存在できない、というのが石原萠記さんの戦争責任論です。 
 
▼竹島を「独島」と呼ぶ親韓派・石原萠記さん
 
石原萠記さんのアジアへの贖罪意識、特に朝鮮半島に対するものは並々ならぬものがあります。
 
「同胞がこの国に三十六年間にわたり醜い爪跡を残したことに、日本人の一人として少なからぬ心の重荷を感じていた」(p289)という石原萠記さんは、朝鮮統治と支那事変での中国人の被害とを比べて「私は植民地として戦時、平時を問わず支配下においた韓半島住民にたいする責任の方が、はるかに重く、わが国のとるべき態度も重く在るべきであると思う」(p327)との持論を展開します。
 
そして「半島の人々の神経をさかなでする『信念なき』不用意な政治家たちの発言が相次いでなされ問題視されているのは羞かしいことである」として、奥野誠亮、渡辺美智雄、島村宣(ママ)伸、村山富市、江藤隆美の発言を挙げています(p259)。藤尾正行元文相が「日韓併合は韓国側にも責任がある」という趣旨を述べたことも「日本の責任ある立場の人間がいうべき言葉ではなかった」(p203)と批判します。
 
日韓基本条約締結に関する文章(昭和40年執筆)では、韓国側の日本不信を述べたくだりで「管轄権、李ライン、独島問題も、こうした不信感を払拭しない限り、常に紛争の種になるだろう」「石ころや魚の問題を論議しその不明な点を明らかにする態度は、よいとしても、中心は、あくまで、人間、文化の問題を中心に討議されなければならないのだ」(p305)と書いています。見間違いかと思って何度も確認しましたが、わが国固有の領土である竹島を韓国名である「独島」そして「石ころ」と表記しているのです。もし自由社の教科書ができるとしたら、竹島のことはそう記述されるのでしょうか。
   
▼「自由」の創価学会連載
 
自由社の設立と月刊誌「自由」の創刊は昭和34年です。当初は「世界」に対抗する保守派月刊誌でしたが、昭和40年代後半から徐々に部数は減っていきました。石原萠記さんは、日中友好を推進してきた平岩外四と長いお付き合いで、東京電力のバックアップを受けていた時期もあるそうです(今でも「自由」には東京電力や他の電力会社の広告が載ります)。
 
しかし平成8年8月号から創価学会擁護の記事が毎号載るようになりました。坂口義弘というジャーナリストが連載しています。最近のタイトルは次の通りです。
平成19年10月号「晩節を穢した矢野」
       9月号「矢野ファミリーの豪華な旅」
       8月号「信平、裁判所に出廷」
       7月号「原野商法の被害」
       6月号「日顕、日如批判の声」
       5月号「強欲の暴走人生」
       4月号「晩節を汚した富への執着」
       3月号「矢野蓄財への原風景」
       2月号「矢野の原野商法を斬る」
       1月号「日顕院政交代から1年」
平成18年12月号「矢野の資産十億への道」
      11月号「矢野の錬金術を追う」
      10月号「矢野絢也まさかの疑惑」
       9月号「クマが出没する、『新幹線』!?」
       8月号「熊の出る山を売り逃げ」
       7月号「東京地裁が矢野と乙骨を断罪」
       6月号「矢野一族に怒りの声」
       5月号「矢野一族が“原野商法”」
       4月号「いいかげんにしろ矢野、乙骨」

國民新聞の山田恵久社主はこんなコメントをしています。
自由社は5年前には、創価学会副会長が書いた『人間失格こんな悪い奴はいない―裁かれた山崎正友の正体』というおどろおどろしいタイトルの本も出版しました。まとまった冊数を関係者が購入しているのでしょうか。経営難からの措置であることは同情しますが(あるいは、お金ではなく信念なのでしょうか)、離れていった執筆者や読者も多かったようです。
 
自由社の所在地は東京都文京区水道2-6-3の「TOP江戸川橋」という賃貸マンションの2階です(「つくる会」の藤岡信勝会長のご自宅と直線距離で150メートルほどのご近所です)。東京商工リサーチのデータによると、資本金は2400万円、従業員は2人。平成18年4月期の売り上げは4800万円となっています。
 
▼おわりに
 
「つくる会」の西尾幹二元会長は自分たちを「近代保守」、八木秀次さんたちを「神社右翼」と呼んでいるそうですが、今回の出版社選びを調べてみて、その区分けもあながち間違いではないと感じました。もっと正確に言うと、つくる会首脳・自由社は「天皇なき保守」、改善の会・育鵬社は「伝統保守」なのではないでしょうか。「つくる会の理念」とはこういうものだったろうか。調査を終えて、悲しい気持ちになりました。
 
※転載・盗用自由。石原さんについて検索するときは「石原萠記」と「石原萌記」の両方で検索してみてくださいね。
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★渡部昇一、小堀桂一郎、中村粲…教科書改善の先達を大事にしましょう


扶桑社の中学歴史・公民教科書は有識者グループ「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会、屋山太郎代表世話人)の支援を受けて、扶桑社の子会社「育鵬社」から継続発行されます(類似品にご注意ください)。
教科書改善の会がこのほど発行したパンフレット「教科書改善宣言!」(教科書改善の会
http://kyoukashokaizen.blog114.fc2.com/に申し込めば、1部300円で買えます)を手に入れました。内容は豊富ですが、私が一番注目したのは下記の資料です。教科書改善運動は、この10年やそこらの動きではなく、多くの先達が戦後ずっと努力してきたのです。転載させていただきます。
 
《教科書改善の先達たち》
 
■保守政党
 昭和30年、保守合同で自民党が結成される前の日本民主党がパンフレット「うれうべき教科書の問題」を発行し、教科書の左翼偏向に警鐘を鳴らす。執筆したのは、元日教組本部書記の石井一朝氏で、石井氏は54年にも旬刊『世界と日本』に「新・憂うべき教科書の問題」を掲載。55年には自民党機関紙『自由新報』に「いま、教科書は…教育正常化への提言」が連載され単行本になるなど、心ある保守政治家は教科書問題に取り組む。また、民社党の塚本三郎書記長は56年の衆院予算委員会で教科書の反権力ぶりを取り上げ「世間では言っているんですよ。教科書は共産主義の先生方がおつくりになるのです、教えるのは社会主義の先生方が教えるのです、金を出して一生懸命に配るのは自民党の先生方がやられるんです」と追及。
 
■侵略→進出誤報事件
 昭和57年、高校社会科教科書の検定で、日本軍の華北への「侵略」を「進出」に書き換えさせたとマスコミが報道したことを受け、中国が反発し外交問題に。しかしこの報道は誤報で、検定で華北への「侵略」を「進出」と書き換えさせたケースはなかった。渡部昇一氏はフジテレビの番組「竹村健一の世相を斬る」でこの事実を発表。『諸君!』誌上に「萬犬虚に吠えた教科書問題」を書く。新聞では産経新聞だけがお詫び記事を掲載。それ以降、産経新聞は一貫して教科書問題に取り組む。
 
■教科書正常化国民会議
 侵略→進出誤報事件の前にも『疑問だらけの中学教科書』(森本真章滝原俊彦著)、『戦後教科書の避けてきたもの』(名越二荒之助著)など有識者による問題提起が行われた。こうした動きを結集する形で58年、「教科書正常化国民会議」(気賀健三議長)が結成される。同会議は翌年、モデル教科書『これが正しい小・中学校教科書だ』(福田信之監修、小堀桂一郎編集)を出版するなど活発な運動を展開。
 
■もう一つの教科書訴訟
 教科書訴訟といえば「家永裁判」というイメージだが、自虐教科書を検定合格させた国の責任を追及する裁判も行われた。田中正明氏らは59年、教科書の北方領土や南京事件、「侵略」表記で精神的苦痛を受けたとして国を訴えた。田中氏はその後「教科書を正す親子の会」を組織して、中学生や父母を原告に履修義務不存在の確認を求めて提訴するなど精力的な運動を行う。これらの訴訟を中村粲氏が学術面で支援した。中村氏は名著『大東亜戦争への道』を著したり、慰安婦や沖縄戦などに関して正しい歴史認識を示し続ける。
 
■新編日本史
 昭和50年代後半の教科書改善の集大成として、日本を守る国民会議(加瀬俊一議長、黛敏郎運営委員長。現在の日本会議)が高校教科書『新編日本史』を文部省に検定申請。執筆者は小堀氏や村松剛朝比奈正幸村尾次郎の各氏ら。新編日本史は翌年、検定合格後に異例の4度の修正を経て最終合格したが、批判だけでなく自分たちで教科書を発行するという初めての試みは成功した。新編日本史の後継本『最新日本史』は現在も発行されている。
 
■扶桑社教科書
 平成8年、翌年春から使用される中学歴史教科書7社すべてに慰安婦についての記述が登場することが判明。残虐イラストなど問題記述も検定をパスした。これを受けて翌年、小林よしのり坂本多加雄高橋史朗西尾幹二藤岡信勝の各氏らが呼びかけ人となって「新しい歴史教科書をつくる会」が発足。中学歴史教科書の発行を提唱。扶桑社が発行元となり中学歴史・公民教科書を検定申請、13年と17年に合格し、供給が続いている。
  
教科書改善の会は、これら先達たちの志を受け継ぎます。
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