印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

月例会報告 ≪2016年4月度≫

2016-04-27 13:30:44 | 月例会
≪印刷の今とこれからを考える≫ 

「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成28年4月度会合より)

●フレキソ印刷の将来を切り開く“切り口”を

 紙器・段ボール、包装紙、紙袋などによく使われる「フレキソ印刷」――象徴的な凸版印刷方式に属していながら、一気に適用領域を拡げるといった様相にはなっていない。弾力性のある版材や流動性に富む液状のインキを使用しているせいか、要求品質の水準が高い日本の印刷ニーズのなかで、もう一つの感が否めない。規模は小さいながらフレキソインキの出荷量は毎年、大きく伸びているのだから、ステップアップする“切り口”が欲しいところだ。その一つとして、網点の形成、インキの転移、色の再現性といった印刷ならではの固有技術に科学的な“メス”を入れ、納得いく数値的な解析をおこなって、それを顧客と印刷業界との共通言語にしていく必要があるだろう。隆盛を迎えたオフセット印刷の経緯をみれば、すぐ分かることだ。そんな視点からの問題提起が印刷業界の専門雑誌に掲載され、注目されている。


●特性を掴み切った科学的な解説が見当たらない

フレキソ印刷の強みは、さまざまな素材に印刷可能なことにあるが、印刷機や製版材料の性能向上、印刷プロセス自体の進歩・発展で、グラビア印刷やオフセット印刷に近い印刷品質を実現できるまでになった。比較的低コストで印刷できること、環境にもやさしいことなどメリットは少なくない。問題は、フレキソ印刷に本格的に取り組んでみたいと思っても、どんな特性をもっているのかを物理的・科学的に解説した教科書がそもそもないことである。解析の切り口はどこにあるのだろうか? フレキソ印刷に用いる刷版は、画像のデジタルデータ化、出力手段のCTP化によって、網点再現のレベルがオフセット印刷並みとなり、高線数化、高画質化がはかられた。また版の表面に微細な凹凸の形状をつけることで、インキの横移動を防ぎ、ベタ部と階調部とのインキ転移を同条件にする工夫もなされている。


●網点を制御できれば、普及に大きな弾みが……

 このように、科学的に画像品質と再現性を安定にする技術開発が続いている。あとは、ドットゲインの制御をどうするかが残る。フレキソ印刷の場合、版上でインキがつぶされて網点が大きくなるという物理的ドットゲインが起こりやすい。アルコール系溶剤を使って直刷りしているためで、版上でインキがどう挙動しているかを捉え切っていない。被印刷素材の種類が多様なこともあって、とくに管理が難しい。刷版上の網点%を把握できたとしても、素材上の%がどうなっているかを意味しない。濃度計測で得た値=網点階調の面積率がもつ物性について、科学的な裏付けがほしいところである。版上と素材上に形成される網点の大きさの関係が理論的に解明されれば、一貫した生産技術が確立されてフレキソ印刷の領域拡大につながるはずだ。 


●印刷文化を顧みなければ印刷産業の発展はない

 関連業界を含めた、いわゆる印刷人はこの20年間で実に30万人も減少した。ピーク時の50万人と比べると見る影もない。そのためか、せっかくの印刷文化が継承できていない。何よりもったいないのは、世代間がリンクされていないことだ。いざというとき(まさに“今”)にルネッサンスができない。電子メディアが行き渡って紙メディアは確かに圧迫されているが、それ以前に紙メディアは、今という時代には情報伝達の有効手段としてモノ足りないとみなされてしまっている。紙メディアの文化的な意義が印刷業界内、そして社会に向けてきちんと伝え続けられていれば、電子メディア以上の価値が認められていたに違いない。非常にもどかしい。個人として活版印刷を楽しむ趣味のサークルが盛んになっているが、そのような工芸(=文化)が土台となって高度な技術(=文明)を駆使する産業は発展する。前者の伝承なくして後者はあり得ない。それにも関わらず、後者ばかりに関心がいく。やはり「文化」と「文明」を並び立てながら前進させたいものである。印刷文化学という学問領域がないのは、まことに残念だ。


●印刷メディアの役割、価値を社会に伝え続けたい

 印刷の良さをもっと社会に向けて伝えていく機会がなさ過ぎる。印刷産業全体で行動していくべきで、そうすれば印刷に対して“日が当たる”はずである。そのなかに、伝統的な活字の話題が含まれていてもよいだろう。印刷の文化に対する興味が印刷産業のなかにないような気がする。話題づくりも下手だ。30万人の印刷人が突然消えるほど産業構造が激変したので、見直す情熱がなくなってしまったのかも知れない。独自性を見せる余力もなくなったのかも知れない。しかし、継続は力なりである。つなげていかなければ意味がない。ビジネスに取り組む印刷人であるからには、紙メディアがもつマーケティング上の機能や価値を伝えていくことが有効だろう。印刷メディアは社会を結ぶ効果的な媒介物であり、そうした役割を広く、永く伝えていくのは文字どおり印刷産業の責任である。生産技術はその後に伴う従属的な手段であって、見た目の製品品質よりサービス品質が重視される時代に、主客を逆にしてはならない。


●マーケティングの視点で印刷ビジネスを組み直そう

 印刷産業は長い成熟期を経て今や転換期にある。日本の産業構造、市場環境がすっかり変わってしまったのに、当の印刷産業だけが「変わりたくない」と思っているようだ。これまでの事業形態をそれなりに維持できてきた成功体験もあって、それに“安住”している嫌いがある。繰り返し指摘されていることだが、マーケティングの視点から自らのビジネスを組み直してほしい。印刷固有の基本機能ではなく、ソフト・サービス面での副次的機能から考え直してほしい。これまでの印刷業は、品質・コスト・納期というハード面で自分たちの仕事を評価してきたが、今では印刷する前の段取りが全体の80%を占めるくらい重要になり、現にその工程の方が付加価値が高い。前工程といっても決してプリプレスのことではない。マーケティング視点でのメディア設計が必要である。メディア製作の前に情報加工サービスをミックスさせると、お金が取れるようになる。そのとき顧客との間で交わされる双方向のコミュニケーションこそ、顧客が印刷メディアに求めるニーズの把握と課題解決策の提供を可能にする。


●何が真の印刷付帯サービスかを見つめ直したい


 印刷メディアを使ったマーケティングといっても、究極の成果は「
文字」がもつ力が担う。その文字は印刷技術がないとつくれない。写真画像はアマチュアの人が撮れたとしても、そこに本格的なテキスト情報を載せられるのは、やはり印刷の専門家である。印刷技術はハードの要素だと直感的に考えがちだが、顧客に印刷メディアならではの価値を提供するという意味からすれば、逆に印刷産業だけが実現し得る立派な付帯サービスとなる。そうした成り立ちを自分自身で分析し評価していないのだとしたら、マーケティング視点での設計・管理が欠けていたということになる。ソフトな顧客価値創造のサービスを堂々と請求書に載せ、利益を上げるべきだと思う。産業の知識化が叫ばれている以上、知識の産業化があって然るべきである。知識サービス業がこれ
からの主要な産業となることだろう。


●特殊印刷物をなぜ未だに「特殊」と呼ぶのだろうか?

 印刷市場を特化している特殊印刷物が、コモディティー化するようになればいいと思う。少し逆説的ないい方だが、決して特殊ではない、普遍的な役割をもっていることを一般の人びとにもってもらいたいと願うからである。素材を重視する各種の特殊印刷物は、紙メディアならではの特性を発揮している。印刷産業が伝えたいと希求している紙メディアの重要性を、特殊印刷物はその昔から体現している。それなのに、印刷産業のなかで「特殊」と称するのだろうか? 製造業としてやってきたなかで必然的に名付けたのだろうが、印刷生産方法で区分するのはもう止めた方がよい。特殊が特殊でなくなれば、印刷メディア全体に好影響をもたらすだろう。

(以上)