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印刷図書館倶楽部ひろば

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女性名詞にふさわしいフィルムカメラを探る

2016-12-06 09:43:43 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
『女性名詞にふさわしいフィルムカメラを探る』

印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-26
印刷コンサルタント 尾崎 章


ドイツ語でカメラ(Kamera)は女性名詞である。イタリア語、スペイン語等でもカメラは女性名詞で、男性が好むメカニカルなカメラにはふさわしくない女性名詞適用である。
カメラが女性名詞であることを意識してかの判断は出来ないが、当該各国が製品化した小型カメラには柔らかな曲線を多用したスタイリッシュな製品を多く見ることが出来る。


コダック製品に見る米・独のデザイン差

ドイツ・コダックが製品化した「レチナ」「レチネッテ」等々の小型カメラシリーズは、丸みを帯びたスタイリッシュな製品が多く、「カメラは女性名詞」が当てはまる製品展開が見られた。
筆者が好きな「レチナ」カメラは、1959年発売の「Retinette 1A」。丸みを帯びたボディと逆三角形のエプロンデザインが秀逸で女性需要家を意識したスタイリッシュカメラである。
一方、米国・コダックはメカニカル面を強調したデザインの製品を数多く市場に投入、代表例として1951年発売の「シグネット Signet35」がある。
「Signet35」は、機械堅牢性・メカニカル面を強調した外観で、もともと米国陸軍通信部隊用としてコダックに発注した軍用カメラをベースにした製品の為に当然といえるデザインである。Signalを語源とするダイカスト仕様の重厚カメラは、「男のカメラらしさ」に溢れ、搭載レンズの優秀性もあり国内でも人気商品になった時期がある。
男らしさに溢れた重厚カメラではあったが、正面からのイメージがミッキーマウスに似ていたことより想定外に女性カメラファンの人気を集めた経緯もある。


コダックRetinette 1AとSignet35




国内初の女性向けカメラ、ミノルタ・ミニフレックス


1950年に発売された二眼レフ「リコーフレックス」を契機にブローニーフィルム(J120フィルム)を使用する二眼レフカメラはカメラ構造が簡単であった事も加わり一気に市場が拡大、アルファベットのAからZ迄の製品が販売された経緯がある。
しかしながら、ブローニーフィルムを使用する画面サイズ6×6cmのカメラはカメラ本体の大型化(W10cm D10cm H15cm程度)を余儀なくされ「ゴロゴロ」した大型カメラは携行性に大きな問題を有していた。
1952年に二眼レフのマーケットリーダーであったドイツ・ローライ社がJ127フィルム(ベスト版フィルム)を使用した画面サイズ4×4cmの「ローライフレックス44」(ベビーローライ)を発売すると国産各社もこれに追随して「ベスト版二眼レフ市場」が創生される事になった。
千代田光学・ミノルタカメラ(当時)は、ヤシカ、東京光学、リコーに続いて1959年に「ミノルタ・ミニフレックス」(W8cm D8cm H12.2cm)を発売してベスト判二眼レフ市場参入を行っている。ミノルタカメラは、「ミノルタ・ミニフレックス」を女性市場向け製品に設定、マリンブルーのボディカラー、グリーンアクリル・金文字表記の銘盤、深紅のシンクロ切り替えレバー、レンズ鏡胴部のマリンブルー塗装、ボディ同色の皮ケース等々、マリンブルー・アクアブルーを基調とする女性向けカメラ第一号にふさわしい大変お洒落なカメラであった。

ミノルタ・ミニフレックス 




当時のミノルタカメラは、「オートコード」ブランドで二眼レフ市場をリードしており、この「ミノルタ・ミニフレックス」も新型ガラスを採用したロッコール60nn f2.8レンズを搭載する等、性能面でも他社をリードしていた。しかしながら、女性向けカメラ市場は、午前二時・黎明期前の状況にあり700台余の生産に止まった事が記録されている。



宝石で着飾ったコンパクトカメラ・フジカミニ

1964年に富士写真フィルム(当時)が発売したハーフサイズカメラ「フジカミニ」(価格9600円)は、発売当時世界最小のカメラで東京芸術大学・田中芳郎教授(当時)がデザインを担当した大変お洒落なカメラである。


フジフィルム フジカミニ



スタイリッシュでキュートなデザインはもとより、フィルムASA感度設定に宝石カラー表示(ルビーASA25,サファイヤASA50,トパーズASA100等)を採用、フィルム巻上げも親指と中指でフィルム巻上げダイヤルを挟んで、カメラボディをスウィングさせる「スウィング機能」を採用して注目を集めた。
「着飾った素敵な女性がハンドバッグから取り出して撮影する」というシーンにピッタリ適合するカメラであった。当時、田中芳郎教授は、フジペットシリーズ、フジカラピッドS,フジカ35M、等々の富士フィルムカメラ製品のデザインを多数担当して「田中ワールド」を造り出している。現在でも中古カメラ店で田中デザインの富士フィルムカメラを見る機会が多く、スタイリッシュなデザインは依然として人気が高い。


クレージュを着たミノルタカメラ


ミノルタカメラ(当時)は、1983年から1984年にかけてフランス・ファッションデザイナー:アントレ・クレージュのデザインによる女性向け「お洒落カメラ」をシリーズ展開、「ミノルタ・ミニフレックス」に続き二回目の女性向けカメラ需要拡大を図っている。
最初のクレージュ・カメラは、1984年発売の「ミノルタ・クレージュac101」でDisk Film使用の薄型カメラで、ピンク・グレー・グリーン・ベージュのパステルカラー・クレージュデザインを採用している。
女性ファンの人気に気をよくした?ミノルタカメラは、1984年に35mmフィルム仕様のオートフォーカス・コンパクトカメラ「ミノルタ・クレージュ AF-E クオーツデート」を発売、ピンクとブルーのクレージュデザインボディで女性カメラ市場拡大を図っている。
当然のことながら、男性向けの需要は想定外の商品設計である。


ミノルタ・クレージュ AF-Eクオーツデート




豊かなバストをイメージするロゴマークで注目されたコニカ・アイ


1964年に小西六写真工業(当時)は、同社初のハーフサイズカメラ「コニカ・アイ」を発売してハーフサイズカメラ市場への参入を開始している。
他社よりも当該市場参入が遅れた理由として同社は、感光材料メーカーとしてフルサイズよりも画質・粒状性の問題が生じやすいハーフサイズカメラへの見極めに時間を要した事を挙げている。


小西六写真 コニカ・アイ 




「コニカ・アイ」は同社が画質・粒状性問題を配慮したヘキサノンレンズを搭載した事より性能面で高い評価を得たが、同時にカメラ前面肩部にプリントされた「EYE」をデザインしたシンボルマークが「グラマラスな女性のバスト」をイメージすることより「オッパイマーク」として人気が出た経緯がある。改良型の「コニカ・アイⅡ」では、「残念ながら?」当該シンボルマークは省略されているが、「カメラは女性名詞」にふさわしい懐かしのカメラである。

コニカ・アイ オッパイマーク




カメラの女王、オリンパス・ペンF

オリンパス光学が1963年に発売した世界初のハーフサイズ一眼レフ「オリンパス・ペンF」(24.800円)は、金属ロータリー・フォーカルプレーンシャッター、ポロミラーファインダー搭載 等々のメカニカル面の特長もさることながら、工業デザイナーとしても著名な設計者・米谷美久氏によるコンパクトで美しいボディも世界の注目を集めている。


オリンパス・ペンF  



特にボディ右肩部のドイツ語風の花文字でデザインされた「F」文字が大変美しく、かつ印象的で「ハーフサイズカメラの女王」と称された経緯がある。
オリンパスは、2016年発売のデジタル一眼レフ「PEN-F」でも米谷デザインを継承、「永遠に語り継がれる逸品」としてセールストークを展開している。
フィルム一眼レフ同様に「デジタル一眼レフの女王」としての風格を見ることが出来る。


以上


      

風前の灯状況にある印刷製版用リスフィルム

2016-10-28 16:38:11 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-25
印刷コンサルタント 尾崎 章

印刷製版材料の主力的な存在であったリスフィルムが印刷デジタル化の影響を受けて“風前の灯”状況にある。コダックは2010年に全ての印刷製版用リスフィルムからの撤退を行っており、富士フィルム㈱の製品も2016年時点でカメラ撮影用リスフィルム「HS」と密着反転用・コンタクトフィルム「FKS」の2種4製品のみとなっている。

リスフィルム( Lith Film )とは

コダックが1929年に発売した「Kodalith Paper,」1931年に発売した「Kodalith Film」がリスフィルムのルーツとされており、「Lith」の語源としては石版を利用してスタートした平版印刷・Lithographyから採ったとする説が一般的である。
国内初のリスフィルムは、1939年発売の「フジリスフィルム」が最初とされているが、リスフィルム特有の伝染現像をベースとする正規のリスフィルムではなく、軍需・航空写真用の硬調フィルムであった。

 

リスフィルムのルーツ、Kodalith Film



[リスフィルムの特長]

リスフィルムの特長は次の通りである。

①塩化銀(Agcl)主体の写真乳剤でコントラストを高める為に、結晶サイズの微細化とサイズの均一化を図っている。

②塩化銀の結晶サイズは0.2ミクロン程度で、一般写真フィルム向けハロゲン化銀の結晶サイズ0.2~1.0ミクロンよりも小さい。

③感光材料特性曲線の直線部勾配(tanθ)で表すコントラストのレベル・ガンマ値は、リスフィルムの種類によって異なるもののガンマ8~16と極めて高い。ちなみに35mmモノクロフィルムのガンマは0.6前後である。



リスフィルムの種類

リスフィルムは用途に応じて下記の4タイプに大別することが出来る。

①網点撮影用リスフィルム
オルソクロマチックとパンクロマチックの感色性があり、連続階調写真原稿からの網点撮影(網撮り)に使用される最硬調リスフィルムである。モノクロ写真の網撮りに使用されるオルソリスフィルムに対して、パンリスフィルムはカラー原稿からの直接網撮り色分解(ダイレクトスクリーニング)に使用された経緯がある。網点撮影用リスフィルムの感度は、ASA4~60程度であった。

②線画撮影・ラインワーク用リスフィルム
線画撮影用のオルソリスフスルムで、網撮り用リスフィルムよりも感度・コントラストはやや低い特性を有していた。

③密着反転用・コンタクトフィルム
網点ネガ→網点ポジフィルム、線画ネガ→線画ポジフィルム等の密着反転用途に使用するフィルムでコンタクトフィルムの名称で呼ばれている。
レギュラー・青感性のフィルムが主流であったが、1975年頃より明光下での取扱いが可能なルームライト・コンタクトフィルム(明室コンタクトフィルム)が商品化されている。



業界標準となったKodalith PanとKodalith Ortho Type3 


主要リスフィルムの経緯、富士フィルム・古森会長が営業担当

写真製版全盛期にフィルム各社から発売された主力製品は下記の通りで当初は、コダック製品を富士フィルム、小西六写真(当時)製品が追随する状況であった。

1957年 コダック    Kodalith Ortho Type3 発売(TACベース)
1958年 富士フィルム  Fujilith Ortho Typo 0 発売(TACベース)
1959年 コダック    Kodalith Ortho Type3 発売(ポリエステルベース)
1960年 コダック    Kodalith Pan Type4 発売(パンクロマチック)
1961年 コダック    Kodalith Royal Ortho発売(高感度オルソフィルム)

1970年 富士フィルム  Fujilith Pan HP発売 (パンクロマチック)
1970年 富士フィルム  Fujilith High Speed Ortho HO発売 (高感度オルソフィルム)
1972年 小西六写真   Sakuralith Pan PH発売(パンクロマチック)

1980年 小西六写真   Sakuralith Ortho OA発売(汎用オルソリス)
1981年 富士フィルム  Fujilith Ortho TypeV発売



Kodak製品を凌駕したFujilith High Speed Ortho Film
  


小西六写真の代表的リスフィルム SAKURALITH OS Film




コダックが1960,1961年に発売したKodalith Pan,Kodalith Royal Orthoフィルムを利用した直接網撮り色分解(ダイレクトスクリーニング)は、カラースキャナー普及前の画期的カラー製版手法として広く普及、コダックに続いて富士フィルムもFujilith Pan,Fujilith Hight Speed Ortho Filmを発売してコダックを急迫している。
当時、富士フィルムの古森会長が印刷製版用フィルムの営業を担当されており、当該フィルムの商品説明を古森会長から受けた経験がある方も多いことと思われる。
ちなみに筆者も製版フィルム技術担当として都内数社へ古森会長と同行訪問を行った懐かしい経験がある。



伝染現像も死語?

リスフィルムの現像液は伝染現像効果による高い現像コントラストを有しており、リスフィルムの高コントラスト再現に大きく寄与している。
一般の現像液が急性現像主薬のメトールと緩性現像薬ハイドロキノンの配合比率によって現像コントラストをコントロールしているのに対して、リスフィルム用の現像液はハイドロキノン単薬とアルカリ(炭酸ナトリウム)を主体とする.組成であることが最大の特徴である。
「伝染現像」は、コダックの技術者J.A.C.Yale(ユーロ)によって理論的に確立された現像反応で、ハイドロキノンの中間酸化物:セミキノンの存在とセミキノンがハイドロキノン以上に強い還元能力を有している事による現像コントラスト拡大が図れる現象である。
各社のリス型現像液は、セミキノンの状態を長く維持する為に酸化防止剤の添加量等に配慮した製品が追加され、最終的にはフィルムと現像液をセットしたFuji HSLシステム、Kodak MPシステム等のシステム展開が加速するに状況至った経緯がある。

デジタル化によってプリプレス工程から写真製版工程が消滅した今日、「伝染現像」は「リスフィルム」以上に死語となった感が大である。



米国Polychrome社を買収した大日本インキ化学(当時)が1979年に発売したDIC Graphic Film


以上

市場創生に至らず短期間に消えた音声ガイドカメラと音声感知シャッターカメラ

2016-10-05 16:00:14 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪

印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-24
印刷コンサルタント 尾崎 章


オートフォーカス、ストロボ内蔵、ズームレンズ搭載等々、各社の35mmフィルム・コンパクトカメラの新機能搭載が一巡すると「毛色を変えたカメラで少しでも多く販売したい」としてユニークな機能を搭載したカメラがミノルタカメラ㈱(当時)及びコニカ㈱(当時)から発売されている。ミノルタカメラが1984年に発売したユニーク機能搭載コンパクトカメラが音声ガイド付き「ミノルタAF-Sトークマン」、そしてコニカが1989年に発売した音声感知シャッターレリーズカメラ「コニカ・KANPAI」(カンパイ)である。

2機種ともカメラ業界及びカメラファンの間では話題にはなったものの後続機種も無く、他社参入による市場創生も図れずに短命商品で終わっている。
ユニークなカメラを発売したコニカ㈱と㈱ミノルタ㈱は2003年8月に経営統合を行い新会社:コニカミノルタホールディングス㈱を設立しており、ユニークなカメラを発売出来るフレキシビリティに富んだ2社の統合がデジタル印刷機等で業界をリードする等、大きく飛躍する一因になっていると推察する事が出来る。


松田聖子さんの声?と「聖子ファン」がブレークしたミノルタ AF-Sトークマン

ミノルタカメラは、1884年9月に「音声による御知らせ機能」付きの全自動コンパクトカメラ:ミノルタAF-Sトークマン(51.800円)を発売した。カメラ本体仕様は、35mm f2.8の広角レンズを搭載した単焦点カメラで、音声を使用した「お知らせ機能」がセールスポイントで有った。



ミノルタ・AF-S トークマン  


ミノルタカメラが当該カメラのTVコマーシャル及びカタログに松田聖子さんを採用したことからカメラ音声も「聖子ちゃんの声?」として松田聖子さんファンがブレークした経緯がある。
音声は「フィルムを入れて下さい」「フラッシュを御使い下さい」「撮影距離を変えて下さい」の3フレーズだけの寂しい内容であったが松田聖子広告効果は抜群であった。



ミノルタ・トークマン 音声ガイドスイッチ 


他の音声カメラとしては、1999年2月にPolaroid社が発売した「Polaroid 636 AF Polatalk」(16.800円)がある。
シャッターを半押しするとプリセットされた3パターンの音声が再生され、更に撮影者の音声も録音できる楽しいカメラであった。



Polaroid 636AF Polatalk


プリセット音声は、①「笑って、笑って」(女性の声)②「撮りますよ、はいポーズ」(男性の声)③「スリー、ツー、ワン」の男性声とドカーン(効果音)の3種類で更に、④撮影者の音声録音(何回でも録り直し可)の4パターンである。
撮影ガイドでは無く、シャッターチャンスのガイド機能付きのカメラで有った。いずれにしろ、音声カメラの後続機種は無く「最初で最後」のカメラとなった。

スマートフォンのカメラ撮影を音声でサポートする視覚障害者サポートスマートフォンは、2014年にサムスンより「Galaxy Core Advance」が発売されている。テキストを音声読み上げする機能の他にカメラ撮影を音声サポートする機能が付加されていた。


世界初、音声感知シャッターレリーズ機能搭載のコニカ・乾杯「KANPAI」

変わり種のカメラを得意?とするコニカ㈱が1989年11月に発売した世界初の音声に感知してシャッターが切れる音声感知式シャッターシリーズ機能を搭載したカメラが、コニカ「KANPAI」である。



コニカ・KANPAI


カメラ前面スイッチによって音声マイクが作動、音量が設定値を超えるとシャッターが切れる方式で、宴会時の「かんぱ~い!」等の大声に反応して撮影できる楽しいカメラである。
カメラ本体は、34mm f5.6 トリプレット(3群3枚)の広角レンズを搭載、固定焦点、シャッター速度も1~1/200秒の低価格仕様(28.000円)であった。
音声感知は3段階切換え、専用小型三脚がセットされておりカメラのフレーミングフリー機能を使用すると撮影毎に40度の角度でカメラが首をふり、最大100度迄の範囲を撮影できる宴会・パーティ向けカメラであった。



専用三脚にセットしたコニカ・KANPAI マイクスイッチはレンズ脇)   
 


専用小型三脚は石突き部にスニーカーを履かせる遊び心が満載の仕様で、「設計者の顔が見たくなる」様なスペックで有った。
筆者は、コニカ「KANPAI」を2005年に東京駅八重洲地下街の大手写真チェーン店の中古カメラコーナーで未使用に近い新品同様品を3.000円で購入したが、残念ながらスニーカーはロスト状態であった。
「KANPAI」購入後、テストも兼ねて何回か宴会に持参したがカメラセット適した棚等がある宴会場が少なく「乾杯!撮影」は未実現のままである。以前の保有者が「東京駅周辺企業の宴会仕切り屋社員で、女性社員の注目を集める目的で購入?」等 勝手な想像も出来るカメラである。


以上






新市場を創生した懐かしの全天候型コンパクトカメラ

2016-08-18 16:00:44 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
新市場を創生した懐かしの全天候型コンパクトカメラ

印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-23
印刷コンサルタント 尾崎 章

1979年に富士写真フィルム(当時)が発売したコンパクトカメラ「HD-1フジカ」は、世界初の全天候型EEカメラで「汚れたら水で洗ってください!」のキャッチコピーが注目を集めた。

HD-1フジカのシリーズ展開

富士写真フィルムが1979年6月に発売した「HD-1フジカ」(33.800円)は、ブログラムEE機能を搭載したコンパクトカメラでカメラボディにポリカーボネート樹脂を採用して強度を高め、レンズ前面には4mm厚の保護ガラスを装着、特殊ゴムパッキンにより耐水性強化を図った世界初の全天候型カメラである。更に手袋をしたままで操作できる様に操作ダイヤルを大型化する等のハンドリング面の配慮により機能性を高めていた。
 

フジフィルム HD-Rフジカのカタログ  

カタログ表紙に「カメラを水洗いする」シーンの写真を採用した「HD-1フジカ」は、ヘビーデューティ需要を的確に捉えて短期間でヒット製品になり、富士写真フィルムは半年後の1979年12月にストロボ搭載の「HD-Sフジカ」、水深2mの水中撮影対応モデル「フジタフガイHD-M」(44.800円)、1984年11月にはHD-Mの普及型「フジHD-R」(36.800円)を発売してバリエーション強化を図っている。
更に35mmカメラによるパノラマ写真ブーム対応して1990年に最終モデルとなるパノラマ仕様モデル「HD-Pパノラマ」(34.800円)の追加発売を行っている。
当時、カメラの大敵とされていた「雨・水」「砂塵・埃」「高熱」「振動」等への配慮・保護問題を一掃した「HD-1フジカ」の功績は業界内でも高く評価されている。


フジフィルム HD-R 


フジフィルム HD-R のレンズ鏡胴部

水中撮影を可能としたミノルタ「ウェザーマチック」シリーズカメラ

ミノルタカメラ(当時)は、110フィルムを使用するポケットカメラがブームとなった1980年に全天候型110フィルムカメラ「ウェザーマチックA」(28.800円)を発売、デザイン性に優れた鮮やかなイエローボディの「ウェザーマチックA」はマリンスポーツ必携カメラとして人気を博した経緯がある。


ミノルタ ウェザーマチックA 

「ウェザーマチックA」の防水機能は、JIS日本工業規格・8級の防水性を有し水深5m迄の撮影を可能とした事よりマリンスポーツ需要を創生、イエローボディの可愛らしさは若い女性から支持も受け110フィルムカメラのヒット製品となっている。
「ウェザーマチックA」のヒットに気をよくしたミノルタカメラは、1987年に得意とするオートフォーカス・2焦点レンズ搭載の35mmフィルムカメラ「ウェザーマチック デュアル35」(39.800円)を発売、更にAPSフィルムの発売に合わせて1997年に「ベクティス・ウェザーマチック」を発売している。


ミノルタ ウェザーマチックデュアル35



ミノルタ ベクティス・ウェザーマチック

35~50mmのズームレンズを搭載したストロボ内蔵、オートフォーカス仕様の「ベクティス・ウェザーマチック」は、防水機能を更に高め水深10m迄の撮影を可能として水中写真マニアのサブカメラとしての支持を得る事にも成功している。

110フィルム、35mmフィルム、APSフィルムに対応した「ミノルタ ウェザーマチックシリーズ」は一貫したイエローボディのカメラデザインも高く評価され、APSフィルム仕様の「ベクティス・ウェザーマチック」は1998年のグッドデザイン賞を受賞、更に110フィルム仕様の「ウェザーマチックA」は、工業デザインの傑作製品例としてニューヨーク近代美術館に常設展示された輝かしい経緯を有する等、国内外で高い評価を受けたスタイル自慢のカメラでも有った。



業務用カメラとしての地位を確立したコニカ・現場監督

富士写真フィルム、ミノルタカメラ(当時)が全天候型カメラによるアウトドアスポーツ市場でのビジネス展開を図ったのに対して、コニカ(当時)は業務用カメラとしての市場創生を図っている。
建築・土木工事等の工事現場で工事記録用として撮影されるフィルム量が多いことに注目したコニカは、1988年に工事用カメラ「現場監督」(36.800円)の発売を行っている。
「現場監督」は、40mmの準広角レンズを搭載した単焦点コンパクトカメラで防水・防塵・耐衝撃性を備え、軍手をしたままで取り扱いが出来るハンドリング性にも優れていた。
工事写真を撮影する現場監督向けのカメラとして「現場監督」のネーミングも絶妙で短期間に産業用カメラとしての地位を確立している。



コニカ現場監督

「現場監督」は個人需要とは異なり会社経費で工事事務所単位に大量購入される事より収益性が高く、コニカのカメラ事業収益に大きく貢献したことが報じられている。
一部のマニアがアウトドア用として購入した経緯があるが、主要需要が建築関連企業に集中したユニークな全天候型コンパクトカメラであった。


北米・ナイアガラ瀑布観光船・霧の乙女号

筆者は、ミノルタ「ウェザーマチック」で小笠原及び沖縄のサンゴ撮影に挑戦した経緯があるが水深10m迄の水泳対応力が伴わず断念、当該カメラの防水機能を活用事例としては、残念ながら北米・ナイアガラ瀑布の観光船「霧の乙女号」での船上撮影程度であった。



     
 以上
 



 
 

フジフィルム、コニカ、アグファ  フィルム3社のフィルム一眼レフ・ビジネス展開

2016-07-20 16:08:13 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-22
印刷コンサルタント 尾崎 章


フィルムカメラが全盛期を迎える1950年から1985年にかけてコダック、アグファ、富士フィルム、コニカの写真フィルム4社は、写真フィルム市場拡大もターゲットとしたカメラビジネスを積極に展開、コダックを除く3社はフォーカルプレーンシャッター一眼レフ市場に自社ブランド製品の投入を行っている。
しかしながら、各種交換レンズはもとより、種々のアクセサリーを揃えたシステム構築が要求される一眼レフ市場はカメラ各社との競合が激しく製品群維持の採算性問題も加わりフィルム各社の一眼レフ・ビジネスは低迷を余儀なくされた。この問題に終止符を打った画期的新製品が1985年に発売されたオートフォーカス一眼レフ「ミノルタα7000」で、競合各社に与えた影響は「αショック」と称されて今日まで語り継がれている。


 
「αショック」で業界に激震を与えた「ミノルタα7000」



カメラ各社の一眼レフは迅速なオートフォーカス対応を余儀なくされたが、市場シェアの低いフィルム各社の一眼レフはオートフォーカス対応を見送り、前後して当該市場からの撤退を行っている。



コニカの一眼レフ最終製品は、「プラスチック最中構造」の安価製品

1985年4月にコニカ㈱(当時)はフィルム一眼レフ最終製品となる「TC-X」を発売した。機械式シャッター(1/8~1/1000秒)前後2枚のプラスチック成型板を張り合わせた「最中(もなか)構造ボディ」の普及型カメラで、AF・オートフォーカス一眼レフ市場参入予定無を意思表示する製品であった。



「コニカ最終製品「TCX」

 

カメラ本体価格30.000円の「TC-X」は、1989年7月に最終製品を出荷、1960年の「コニカF」以来30年に及ぶフィルム一眼レフ・ビジネスに幕を下ろしている。
「コニカF」は、プリズムファインター交換式、セレン露出計内臓、1/2000秒の最速シャッター搭載 等々、当時の一眼レフ・標準スペックを大きく凌駕する性能で注目を集め、世界初・自動露出制御一眼レフ「コニカオートレックス」(1963年)、世界初のフィルムワインダー搭載一眼レフ「コニカFS-1」(1978年)「コニカFT-1」(1983年)等々、市場をリードする製品を発売した経緯がある。しかしながら、ニコン、キャノン、旭光学ミノルタカメラのカメラ4社との競合は厳しく好調なコンパクトカメラへの軸足シフトを余儀なくされている。



ワインダー搭載・コニカ「FT-1」



コニカの最終製品「TC-X」は、マニアルフォーカス、手動フィルム巻き上げ、機械式シャッター等々 時代を逆戻りしたスペックの製品で、新規機能としてコニカ一眼レフ初の「フィルムDXコード」に対応した製品で有る事が特記される状況であった。
コニカ「TC-X」は、TTL露出計以外に電池を使用しない為に電池供給不安問題のある後進国向けの輸出用としての需要が有った事が記されている。


フジフィルムの国内向けフィルム一眼レフ・最終製品は1980年発売の「フジカAX-3」

1970年7月に富士写真フィルム㈱(当時)は、TTL測光のコンパクト一眼レフ「フジカST701」を発売してフィルム一眼レフ市場参入を開始している。
「1970年発売」「一眼レフ1号機」から「ST701」とネーミングされた同機は、カメラ愛好家をターゲットに商品化され、カメラ本体のダウンサイズ化により当時「世界最小・35mmフィルム一眼レフ」であった。



「フジカST701」



「ST701」のカメラ横幅は133mmで1972年にオリンパス光学が発売した小型一眼レフ「オリンパスOM-1」の横幅136mmを下回っていた。「ST701」はダウンサイズ志向が見られない当時の一眼レフ市場に大きなインパクトを与える事に成功している。
また「フジカST701」は、低照度感度・対応力が低いcds(硫化カドミウム)に替えてシリコン・フォトダイオードをTTL露出計受光素子に業界初採用する等、スペック面でも注目を集めている。
富士写真フィルムは、「ST701」以降、「レンズマウントの変更」「絞り優先AE対応」「絞り/シャッター速度・両優先AE対応」等、改良製品の市場投入を実施したが、カメラ専業各社による市場シェア拡大に劣勢を余儀なくされている。
同社は、1980年3月に国内向けの最終製品「フジカAX-3」を発売、輸出仕様の「フジカSTX-2」は1985年11月まで販売を行っているが、オートフォーカス一眼レフ・ミノルタα7000による「αショック」に前後してフィルム一眼レフ・ビジネスの幕を閉じている。




フジフイルム最終製品「FUJI STX-2]



フォトキナ展に突然登場したアグファのフィルム一眼レフ


1980年秋に開催された世界最大の写真機材展「フォトキナ」(開催:ドイツ・ケルン市)にアグファが予告無で「アグファ初の近代型35mmフィルム一眼レフ」を出展して来場者及び業界関係者を驚かせた。
アグファは、1960年代に当時ヨーロッパで流行していたレンズシャッター一眼レフ製品を数機種発売しているがフォーカルプレーンシャッター搭載の一眼レフ市場には未参入で有った事より「予告無の突然発表」のインパクトは大であった。
アグファ製一眼レフの商品名は、「セレクトロニック・SELECTRONIC」で下記3機種のバリエーションが有った。

①SERECTRONIC 1  TTLマニアル測光
②SERECTRONIC 2  絞り優先AE専用 
③SERECTRONIC 3  マニアル・絞り優先AE兼用


    
オレンジシャッターが印象的なアグファ「SERECTRONIC 1」 



3機種はいずれも㈱チノンによるOEM製品であったが、アグファのヒットカメラである1977年発売の「オプチマ1035」と同様にアグファのトレンドになっていた「オレンジカラーのセンサーシャッター」と「艶消しブラックボディ」を採用、1980年代の国産一眼レフとは異なる魅力的な「ヨーロピアン・デザインカメラ」に仕上がっていた。
しかしながら、後続機種が無く前述の「ミノルタα7000」を契機とするオートフォーカス一眼レフ時代の到来前に市場から姿を消し「最初で最後のアグファ一眼レフ製品」となっている。
筆者は、海外製カメラを得意とする銀座の中古カメラ店でTTLマニアル測光仕様の「SERECTRONIC 1」を偶然見つけてその場で購入、製造元㈱チノン製のパンケーキレンズ・AUTO CHINON45mm f2.8を付けて楽しんでいる。