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印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

女性名詞にふさわしいフィルムカメラを探る

2016-12-06 09:43:43 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
『女性名詞にふさわしいフィルムカメラを探る』

印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-26
印刷コンサルタント 尾崎 章


ドイツ語でカメラ(Kamera)は女性名詞である。イタリア語、スペイン語等でもカメラは女性名詞で、男性が好むメカニカルなカメラにはふさわしくない女性名詞適用である。
カメラが女性名詞であることを意識してかの判断は出来ないが、当該各国が製品化した小型カメラには柔らかな曲線を多用したスタイリッシュな製品を多く見ることが出来る。


コダック製品に見る米・独のデザイン差

ドイツ・コダックが製品化した「レチナ」「レチネッテ」等々の小型カメラシリーズは、丸みを帯びたスタイリッシュな製品が多く、「カメラは女性名詞」が当てはまる製品展開が見られた。
筆者が好きな「レチナ」カメラは、1959年発売の「Retinette 1A」。丸みを帯びたボディと逆三角形のエプロンデザインが秀逸で女性需要家を意識したスタイリッシュカメラである。
一方、米国・コダックはメカニカル面を強調したデザインの製品を数多く市場に投入、代表例として1951年発売の「シグネット Signet35」がある。
「Signet35」は、機械堅牢性・メカニカル面を強調した外観で、もともと米国陸軍通信部隊用としてコダックに発注した軍用カメラをベースにした製品の為に当然といえるデザインである。Signalを語源とするダイカスト仕様の重厚カメラは、「男のカメラらしさ」に溢れ、搭載レンズの優秀性もあり国内でも人気商品になった時期がある。
男らしさに溢れた重厚カメラではあったが、正面からのイメージがミッキーマウスに似ていたことより想定外に女性カメラファンの人気を集めた経緯もある。


コダックRetinette 1AとSignet35




国内初の女性向けカメラ、ミノルタ・ミニフレックス


1950年に発売された二眼レフ「リコーフレックス」を契機にブローニーフィルム(J120フィルム)を使用する二眼レフカメラはカメラ構造が簡単であった事も加わり一気に市場が拡大、アルファベットのAからZ迄の製品が販売された経緯がある。
しかしながら、ブローニーフィルムを使用する画面サイズ6×6cmのカメラはカメラ本体の大型化(W10cm D10cm H15cm程度)を余儀なくされ「ゴロゴロ」した大型カメラは携行性に大きな問題を有していた。
1952年に二眼レフのマーケットリーダーであったドイツ・ローライ社がJ127フィルム(ベスト版フィルム)を使用した画面サイズ4×4cmの「ローライフレックス44」(ベビーローライ)を発売すると国産各社もこれに追随して「ベスト版二眼レフ市場」が創生される事になった。
千代田光学・ミノルタカメラ(当時)は、ヤシカ、東京光学、リコーに続いて1959年に「ミノルタ・ミニフレックス」(W8cm D8cm H12.2cm)を発売してベスト判二眼レフ市場参入を行っている。ミノルタカメラは、「ミノルタ・ミニフレックス」を女性市場向け製品に設定、マリンブルーのボディカラー、グリーンアクリル・金文字表記の銘盤、深紅のシンクロ切り替えレバー、レンズ鏡胴部のマリンブルー塗装、ボディ同色の皮ケース等々、マリンブルー・アクアブルーを基調とする女性向けカメラ第一号にふさわしい大変お洒落なカメラであった。

ミノルタ・ミニフレックス 




当時のミノルタカメラは、「オートコード」ブランドで二眼レフ市場をリードしており、この「ミノルタ・ミニフレックス」も新型ガラスを採用したロッコール60nn f2.8レンズを搭載する等、性能面でも他社をリードしていた。しかしながら、女性向けカメラ市場は、午前二時・黎明期前の状況にあり700台余の生産に止まった事が記録されている。



宝石で着飾ったコンパクトカメラ・フジカミニ

1964年に富士写真フィルム(当時)が発売したハーフサイズカメラ「フジカミニ」(価格9600円)は、発売当時世界最小のカメラで東京芸術大学・田中芳郎教授(当時)がデザインを担当した大変お洒落なカメラである。


フジフィルム フジカミニ



スタイリッシュでキュートなデザインはもとより、フィルムASA感度設定に宝石カラー表示(ルビーASA25,サファイヤASA50,トパーズASA100等)を採用、フィルム巻上げも親指と中指でフィルム巻上げダイヤルを挟んで、カメラボディをスウィングさせる「スウィング機能」を採用して注目を集めた。
「着飾った素敵な女性がハンドバッグから取り出して撮影する」というシーンにピッタリ適合するカメラであった。当時、田中芳郎教授は、フジペットシリーズ、フジカラピッドS,フジカ35M、等々の富士フィルムカメラ製品のデザインを多数担当して「田中ワールド」を造り出している。現在でも中古カメラ店で田中デザインの富士フィルムカメラを見る機会が多く、スタイリッシュなデザインは依然として人気が高い。


クレージュを着たミノルタカメラ


ミノルタカメラ(当時)は、1983年から1984年にかけてフランス・ファッションデザイナー:アントレ・クレージュのデザインによる女性向け「お洒落カメラ」をシリーズ展開、「ミノルタ・ミニフレックス」に続き二回目の女性向けカメラ需要拡大を図っている。
最初のクレージュ・カメラは、1984年発売の「ミノルタ・クレージュac101」でDisk Film使用の薄型カメラで、ピンク・グレー・グリーン・ベージュのパステルカラー・クレージュデザインを採用している。
女性ファンの人気に気をよくした?ミノルタカメラは、1984年に35mmフィルム仕様のオートフォーカス・コンパクトカメラ「ミノルタ・クレージュ AF-E クオーツデート」を発売、ピンクとブルーのクレージュデザインボディで女性カメラ市場拡大を図っている。
当然のことながら、男性向けの需要は想定外の商品設計である。


ミノルタ・クレージュ AF-Eクオーツデート




豊かなバストをイメージするロゴマークで注目されたコニカ・アイ


1964年に小西六写真工業(当時)は、同社初のハーフサイズカメラ「コニカ・アイ」を発売してハーフサイズカメラ市場への参入を開始している。
他社よりも当該市場参入が遅れた理由として同社は、感光材料メーカーとしてフルサイズよりも画質・粒状性の問題が生じやすいハーフサイズカメラへの見極めに時間を要した事を挙げている。


小西六写真 コニカ・アイ 




「コニカ・アイ」は同社が画質・粒状性問題を配慮したヘキサノンレンズを搭載した事より性能面で高い評価を得たが、同時にカメラ前面肩部にプリントされた「EYE」をデザインしたシンボルマークが「グラマラスな女性のバスト」をイメージすることより「オッパイマーク」として人気が出た経緯がある。改良型の「コニカ・アイⅡ」では、「残念ながら?」当該シンボルマークは省略されているが、「カメラは女性名詞」にふさわしい懐かしのカメラである。

コニカ・アイ オッパイマーク




カメラの女王、オリンパス・ペンF

オリンパス光学が1963年に発売した世界初のハーフサイズ一眼レフ「オリンパス・ペンF」(24.800円)は、金属ロータリー・フォーカルプレーンシャッター、ポロミラーファインダー搭載 等々のメカニカル面の特長もさることながら、工業デザイナーとしても著名な設計者・米谷美久氏によるコンパクトで美しいボディも世界の注目を集めている。


オリンパス・ペンF  



特にボディ右肩部のドイツ語風の花文字でデザインされた「F」文字が大変美しく、かつ印象的で「ハーフサイズカメラの女王」と称された経緯がある。
オリンパスは、2016年発売のデジタル一眼レフ「PEN-F」でも米谷デザインを継承、「永遠に語り継がれる逸品」としてセールストークを展開している。
フィルム一眼レフ同様に「デジタル一眼レフの女王」としての風格を見ることが出来る。


以上


      

『印刷図書館のインキュナブラ』

2016-11-24 16:03:07 | エッセー・コラム
『印刷図書館のインキュナブラ』

松浦 広

          

写真誌『LIFE』の「ミレニアム特集号」

20年ほど前の1997年(平成9)にアメリカの写真誌『LIFE』は「ミレニアム特集号」を刊行した。Millenniumは千年紀という意味。東洋では十年が一昔、百年は大昔になるから、千年という時間の単位は馴染みがないが、1990年代に欧米の雑誌などでミレニアムという言葉が頻繁に使われると、日本でも俄かに使われだした。


『LIFE』ミレニアム表紙





『LIFE』の「ミレニアム特集号」は20世紀末にあたり、来たる21世紀からの未来を展望するため、この千年がどのような歴史を経て現在に至ったかを確かめようと、100件の重要な出来事(events)と100人の重要な人物(people)を選出するという壮大なスケールの企画であり、刊行されるとすぐに世界中のマスコミがニュースに取り上げた。

 その「出来事」の第1位が1455年の「グーテンベルクによる聖書の印刷(GUTENBERG PRINTS THE BIBLE)」であった。おそらく日本の知識人なら100件の圏外にしてしまう「活版印刷の発明」が、ほかの重要な発明・発見・事件などを抑えて1位となった意外性と、グーテンベルクという馴染みのある名前が印刷業界の人々に衝撃を与え、ほんの束の間であったが話題となった。


『LIFE』ミレニアム特集表紙





インキュナブラ


グーテンベルグが発明した活版印刷術は、次第にマインツ(ドイツ)からフランス・イタリア・イギリス・ネーデルランドを中心にヨーロッパ全土に広まった。活版による印刷物は1455年から1500年(精確にいえば1501年4月10日)までの45年間に、4万タイトル・1500万~2000万部が生産されたと推定されている。
 浸透のスピードは当初は「次第に」だったが、20年ほど経つと「急速に」、30年後には「瞬く間に」加速したのである。
 この15世紀の45年間に作られた活版印刷物を「インキュナブラ(incunabula)」と呼んでいる。incunabulaはラテン語のincunabulum(ゆりかご)の複数形、揺籃期印刷物と邦訳される。

 欧米の名だたる教会・大学(図書館)・博物館は、グーテンベルクの『42行聖書』に準じて、多くのインキュナブラを所蔵している。蔵書家にとっては垂涎の的であり、著名な図書館や博物館は、Christie’sやSotheby’sなどのオークションでインキュナブラが出品されると巨額を用意し、落札のために駆けつけるという。それは日本でも同様で東大や京大、慶応・早稲田・同志社・立命館など著名な大学の図書館は、欧米ほどではないが、多くのインキュナブラを所蔵しているにも関わらず、クリスティーズ(Christie’s)やサザビーズ(Sotheby’s)などのオークションでインキュナブラが出品されると聞けば、直ちに会場へ駆けつけるのである。



印刷図書館の『カトリコン』の謎

印刷図書館は1点だけインキュナブを所有している。グーテンベルクの『カトリコン』である。『カトリコン』は『42行聖書』に比べると知名度は低いが、グーテンベルクが印刷した最後の書籍として知られている。「Catholicon」はラテン語で万能薬のことだが、転じて万民必携という意味を持つ。1286年イタリア・ジェノヴァの僧侶ヨハネス・バルブスが著したラテン語文典付の神学辞典で、当時の百科事典に当たる。


グーテンベルクのカトリコン



印刷図書館所有の『カトリコン』は、残念ながら書籍ではなく「零葉(れいよう)」、つまり製本を解いて表裏2ページの1枚。これを、書誌学者がグーテンベルクの『カトリコン』の中の1枚であることの保障と『カトリコン』の解説をした小冊子を、立派な箱に納めたものである。


カトリコンの外箱




その解説小冊子の標題に「日本印刷学会之図書」という朱色の蔵書印が押されている。したがって、これは昭和22年(1947)に印刷図書館が設立された時、日本印刷学会より寄贈された多くの図書の中の一冊であると思われる。この『カトリコン』の来歴を示すものは、蔵書印のみで、いつ・どこで・だれが・何のために・いくらで購入をしたかは、下記の記録をもとに推理するしかない。






『印刷雑誌』昭和12年(1937)5月号に、この『カトリコン』であると推定される印刷物を紹介した記事が掲載されている。タイトルは「日本に来たグーテンベルグの作品」で、副題は「カトリコンの一葉」。
記事には「ニューヨークの著名な古書店、ブリック・ロウが2冊の『カトリコン』を所蔵していた。1冊は完本だが1冊は欠頁本だった。完本は373葉、1460年にマインツで印刷されグーテンベルクの名は記されていないがコロフォン(奥付)を持つ。ブリック・ロウは、欠頁本を解いて一葉ずつをケースに入れ、女性書誌学者マーガレット・ビンガム・スチルウェルによる解説書を付けた箱入りの立派な本に仕立てた。その1部が日本に来ており、或る篤志家の手に渡ろうとしている。」と書かれている。



印刷学会・矢野会長による「カトリコン」書評(學鐙)

文中には『カトリコン』に関して「矢野道也博士が最近の『學鐙』(丸善発行)に寄せられた文章では「15世紀中葉の刊行物は現存するもの極めて少なく、その売買の値も数十萬圓に達するものも珍しくない。わが国などで之を得ることは容易ではあるまいと述べている」ことも記されている。
この『學鐙』は昭和12年(1937)3月号で、矢野が書評として「カトリコンにつき」という題で2ページにわたり「カトリコン」の解説をした。その末尾に「編集者追記」つまり、丸善のPR文が付されている。「最近アメリカに於いてカトリコンの復刻版が出版されるのを機縁に、本文を頂戴致しました。該書はGutenberg and the Catholicon of 1460 : A Bibliographical Essay. With an Original Leaf. By Margaret Bingham Stillwell. $50.00 で限定出版であります。」
つまり『印刷雑誌』の記事は、限定出版として輸入された『カトリコン』を篤志家の某氏と共に閲覧した記者(印刷雑誌社の郡山幸男社長)が、いち早く報じ、併せて「カトリコン」の概要を説明し、印刷界のために某氏に購入を進言したものである。その後、この『カトリコン』を某氏が購入したか否かは『印刷雑誌』に書かれていない。だが、国会図書館で当時の諸資料を照合すると、昭和12年に「日本印刷学会」と「慶応図書館」「天理図書館」、ほか数社が丸善から『カトリコン』を購入したと推測できる。




印刷図書館所蔵の『カトリコン』

さて、印刷図書館の『カトリコン』だが、立派な箱から本を取り出すと、本体は女性書誌学者の解説書を赤い厚紙で包む形式になっており、この解説部を外すと裏表紙に相当する底部が『カトリコン』の原葉を納めるように凹んでおり、その上に保護用アクリル(硬質プラスチック)板が留められている。


カトリコンの零葉




オリジナル一葉(つまり表裏2ページ)のサイズは横28.2mm×縦36.6mmで、JIS規格に例えるとB4に近い。ちなみに『42行聖書』の原葉はA3に近いから、一回りほど小さい。活字は今日ではカトリコンタイプと呼ばれている丸味のあるゴシック文字で、『42行聖書』で使用されたゴシック活字(B42タイプ)とは明らかに別物である。


カトリコンと42行聖書の比較




文字サイズもB42タイプは20ポイント相当だが、カトリコンタイプは12ポイント相当で一回り小さい。『カトリコン』は、この小さな活字を使用して68行・2段組で印刷されている。グーテンベルクは、当時の写本をもとに、写本と同様の複製物を量産することに努めた。『カトリコン』を印刷するにあたり、多くの写本を参考にして、もっとも美しいものを手本として活字を創ったのであろう。『42行聖書』のように美麗ではないが、グーテンベルクが苦心して創りあげた作品であることを想うと奇妙に心を引き寄せられるのである。


以上




月例会報告 2016年11月度

2016-11-17 10:28:53 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

        「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成28年11月度会合より)

●メディア・リテラシーで出版産業を後押ししよう

 出版業界の現状をみると、厳しい経営環境にありながら、革新的な発想で自ら打開しようという意思があまりみられないような気がする。時代の流行を追った販売部数第一の姿勢が目につく。販売部数を重視してはいるもののベストセラーを達成できる本はごく限られ、返品率は相変わらず高い。手を携えているはずの印刷業界も、積極的に連携(コラボレーション)して企画面からサポートしようという姿勢が弱いようだ。両業界とも、市場や産業のかたちを変えてしまった情報のデジタル化についていけず、ビジネスの恩恵に預かれていない。コンテンツ・ファーストが重要であることに、もう一度、気づくべきではないか。コンテンツの内容がよければ、読者が欲している個々のニーズに的確に応えることもできる。印刷業界はコンテンツを加工、運用、管理して、メディアのかたちにして読者に伝えることに手慣れているはず。メディアとは、コンテンツの処理プロセスを表現したもの、読者とのつながりを可能にするものである。印刷業界特有のメディア・リテラシー機能を発揮して、出版業界の活性化を支援していってほしい。


●果たして顧客と消費者の間をとりもっているだろうか

 印刷会社にとってのマーケティング、コミュニケーションというと、ともすると直接の顧客との良好な関係を維持するものと考えられがちである。しかし本当の意味は、その顧客とその向こう側にいるエンドユーザー、消費者との相互関係を望ましい状態にするための支援を、後方からあるいは協働しておこなうところにある。日本では、かなり前から顧客のビジネスに役立つ“お手伝い業”に徹するようにと提唱されているが、そうした考え方は今や、取り扱っている製品・サービスが生産財か消費財かの如何を問わず、どの産業でも共通した認識となっている。印刷産業においてももう一度、原点に立ち返って、この言葉を見つめ直す必要がある。


●「カスタマー・コミュニケーション・パートナー」になれ

そんな折、消費者の購買行動を追跡しながら、クロスチャネルの機会を的確に捉えたマーケティング戦略を顧客に提案すべきだとの見解が、アメリカの有識者から示された。印刷会社は従来のビジネスモデルを自ら変革して「カスタマー・コミュニケーション・パートナー」になれ、というのだ。企業はこれまで、ターゲットとする消費者が何を購入するかを調査することで市場動向を探っていけば十分だったが、パーソナリゼーションの進んだ今、個々の消費者がどんな機会に触発されて買ったか(消費財)、取引先企業がどのようなプロセスを経て成約したか(生産財)を把握することが重要になっている――アメリカからの提言はこう前置きする。モバイルデバイスやソーシャルネットワークシステムが浸透した社会では、消費者も企業も豊富な情報入手手段をもち、念入りな調査の末に購入を決断している。こうした新しい時代における消費者/企業の購買行動を、深く理解することがマーケティング関係者に求められているとしている。


●購買行動の機会、段階ごとの購買体験のデータを

有名なAIDMAの法則では、購入者が注目-興味-欲求-記憶-行動という、購買決定に至る反応プロセスのどの段階にあるかを想定して、それに見合った有効なマーケティング活動を展開することの重要性を説いている。この提言ではさらに加えて、マルチメディアによる広告を含めた口コミから店頭での接客までの多様なチャネルでおこなわれる購買体験を、全て把握すべしだと強調する。そうすることによって、どこに購買決定の動機、ビジネス上の付加価値があるかがわかってくるという。購買行動を段階ごとに把握し予測するためにはどうしたらよいのか? 提言では、消費者や取引企業とのあらゆる顧客接点での、いつ・どこで・何を・なぜといった顧客体験をデータとして収集し、顧客を次の段階へ導くために活用する必要があるとしている。その際、生きてくるのがパーソナリゼーションの推進者ともいえるモバイルデバイス、SNSツール、Webサイト、DM類などである。良質なデータを集めて分析すれば、ターゲットとする個(・)個(・)客の購買行動を予測できる明確な基準が得られる。購買の経緯が掴めれば、的確なマーケティング用のコンテンツを作成でき、マーケティング戦略の策定が可能になる。


●マルチチャネルを通してどのように支援していくか

 印刷会社はこれまでとは異なったビジネスモデルを探っている真っ最中だが、実は顧客企業も同じように新しいビジネスモデルを模索している。個々の消費者や取引先に有効な製品情報・サービス情報を伝え、好ましい関係を築くことに追われている。だからこそ印刷会社は、顧客企業のさらに先にいる“顧客の顧客”を見通さなければならない。「直接の顧客に販売促進のための情報・メディアを提供するだけでなく、顧客と“顧客の顧客”の間で交わされるコミュニケーションをいかに円滑にするのか、その負担を軽くするためにマルチチャネルを通してどんな支援をしていくかに力を注ぐ必要がある」と提言は主張するのだ。データにより購買行動の推移が把握できれば、それぞれの顧客接点に適したコンテンツを作成していくことが可能になる。これこそ、印刷会社が提案すべき「クロスチャネルキャンペーン」ということになる。


●クロスメディアでマーケティング戦略を提案しよう

 企業は、消費者や取引先に連続した購買体験の機会を与えることがきわめて重要になっている。顧客企業は今こそ、カスタマー・コミュニケーションを後押ししてくれる戦略的なパートナーを求めている。データ分析に基づいて作成したクロスメディアを武器に、購買行動の段階ごとのカスタマー・コミュニケーションを支援できる印刷会社の出番がやってきた。データ管理やコンテンツ加工などを加味した高付加価値型サービスで顧客支援する――そんなビジネスチャンスが到来しているのである。アメリカ発の今回の提言はしつこいくらいに、「印刷会社が差別化によって競争を勝ち抜こうと望むからには、顧客企業が展開しようとしているマーケティング戦略を“お手伝い”できるよう、自らの印刷製品/サービスのあり方(ポートフォリオ)を変えなければならない」と繰り返し力説している。
※参考資料=What They Think? 2016.8/9; Barb Pellow、Group Director, InfoTrends


●顧客視点、顧客基点に問題はないのだろうか?

 社会の仕組みや市場構造が変わったことを理解するのは重要だが、変化のなかで多様化し流動化してしまった個々の顧客ニーズに対応しようとするなら、自社が変身するところからスタートすべきである。自ら変わらずして、市場の要望に応えることはできない。世の中の動きを“ハッと”気づく必要があるのだ。「印刷会社はいわれたことしかしない。頼みたいことをやってくれない」という恨み節?が、一般の人たちから聞こえる。どこの印刷会社も“本当の”顧客目線で仕事をやってこなかったのではないか? 「印刷会社は顧客と真剣に向き合っているのか」という指摘もあるが、深く考えれば、顧客視点、顧客基点が問題になっている間は、印刷会社が望まれている真の仕事は達成できないのではないか。顧客の先にある消費者が一番欲しいと思っていることをいかに見つけ出し、顧客のビジネスをどう支援するか――手がかりはそこにある。


●印刷文化の育成を今も担っているだろうか?

 印刷文化の重要性については、これまでもあらゆる機会に叫ばれてきた。しかし、当の印刷産業が日々、これを意識して仕事をしているかというと甚だ疑問である。文化といっても歴史回顧型のものだけとは限らない。現在とり扱っているコンテンツは何の目的があり誰に伝えたいのか、何に役立ってどのようなかたちで保存されたいのか――こんな意識をもって印刷メディアを作成しているだろうか。感動と期待をもってもらえる製品をつくることが、豊かな社会や産業、生活、教育に貢献して、将来の文化として蓄積されていくことを再認識したいものである。


以上

風前の灯状況にある印刷製版用リスフィルム

2016-10-28 16:38:11 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-25
印刷コンサルタント 尾崎 章

印刷製版材料の主力的な存在であったリスフィルムが印刷デジタル化の影響を受けて“風前の灯”状況にある。コダックは2010年に全ての印刷製版用リスフィルムからの撤退を行っており、富士フィルム㈱の製品も2016年時点でカメラ撮影用リスフィルム「HS」と密着反転用・コンタクトフィルム「FKS」の2種4製品のみとなっている。

リスフィルム( Lith Film )とは

コダックが1929年に発売した「Kodalith Paper,」1931年に発売した「Kodalith Film」がリスフィルムのルーツとされており、「Lith」の語源としては石版を利用してスタートした平版印刷・Lithographyから採ったとする説が一般的である。
国内初のリスフィルムは、1939年発売の「フジリスフィルム」が最初とされているが、リスフィルム特有の伝染現像をベースとする正規のリスフィルムではなく、軍需・航空写真用の硬調フィルムであった。

 

リスフィルムのルーツ、Kodalith Film



[リスフィルムの特長]

リスフィルムの特長は次の通りである。

①塩化銀(Agcl)主体の写真乳剤でコントラストを高める為に、結晶サイズの微細化とサイズの均一化を図っている。

②塩化銀の結晶サイズは0.2ミクロン程度で、一般写真フィルム向けハロゲン化銀の結晶サイズ0.2~1.0ミクロンよりも小さい。

③感光材料特性曲線の直線部勾配(tanθ)で表すコントラストのレベル・ガンマ値は、リスフィルムの種類によって異なるもののガンマ8~16と極めて高い。ちなみに35mmモノクロフィルムのガンマは0.6前後である。



リスフィルムの種類

リスフィルムは用途に応じて下記の4タイプに大別することが出来る。

①網点撮影用リスフィルム
オルソクロマチックとパンクロマチックの感色性があり、連続階調写真原稿からの網点撮影(網撮り)に使用される最硬調リスフィルムである。モノクロ写真の網撮りに使用されるオルソリスフィルムに対して、パンリスフィルムはカラー原稿からの直接網撮り色分解(ダイレクトスクリーニング)に使用された経緯がある。網点撮影用リスフィルムの感度は、ASA4~60程度であった。

②線画撮影・ラインワーク用リスフィルム
線画撮影用のオルソリスフスルムで、網撮り用リスフィルムよりも感度・コントラストはやや低い特性を有していた。

③密着反転用・コンタクトフィルム
網点ネガ→網点ポジフィルム、線画ネガ→線画ポジフィルム等の密着反転用途に使用するフィルムでコンタクトフィルムの名称で呼ばれている。
レギュラー・青感性のフィルムが主流であったが、1975年頃より明光下での取扱いが可能なルームライト・コンタクトフィルム(明室コンタクトフィルム)が商品化されている。



業界標準となったKodalith PanとKodalith Ortho Type3 


主要リスフィルムの経緯、富士フィルム・古森会長が営業担当

写真製版全盛期にフィルム各社から発売された主力製品は下記の通りで当初は、コダック製品を富士フィルム、小西六写真(当時)製品が追随する状況であった。

1957年 コダック    Kodalith Ortho Type3 発売(TACベース)
1958年 富士フィルム  Fujilith Ortho Typo 0 発売(TACベース)
1959年 コダック    Kodalith Ortho Type3 発売(ポリエステルベース)
1960年 コダック    Kodalith Pan Type4 発売(パンクロマチック)
1961年 コダック    Kodalith Royal Ortho発売(高感度オルソフィルム)

1970年 富士フィルム  Fujilith Pan HP発売 (パンクロマチック)
1970年 富士フィルム  Fujilith High Speed Ortho HO発売 (高感度オルソフィルム)
1972年 小西六写真   Sakuralith Pan PH発売(パンクロマチック)

1980年 小西六写真   Sakuralith Ortho OA発売(汎用オルソリス)
1981年 富士フィルム  Fujilith Ortho TypeV発売



Kodak製品を凌駕したFujilith High Speed Ortho Film
  


小西六写真の代表的リスフィルム SAKURALITH OS Film




コダックが1960,1961年に発売したKodalith Pan,Kodalith Royal Orthoフィルムを利用した直接網撮り色分解(ダイレクトスクリーニング)は、カラースキャナー普及前の画期的カラー製版手法として広く普及、コダックに続いて富士フィルムもFujilith Pan,Fujilith Hight Speed Ortho Filmを発売してコダックを急迫している。
当時、富士フィルムの古森会長が印刷製版用フィルムの営業を担当されており、当該フィルムの商品説明を古森会長から受けた経験がある方も多いことと思われる。
ちなみに筆者も製版フィルム技術担当として都内数社へ古森会長と同行訪問を行った懐かしい経験がある。



伝染現像も死語?

リスフィルムの現像液は伝染現像効果による高い現像コントラストを有しており、リスフィルムの高コントラスト再現に大きく寄与している。
一般の現像液が急性現像主薬のメトールと緩性現像薬ハイドロキノンの配合比率によって現像コントラストをコントロールしているのに対して、リスフィルム用の現像液はハイドロキノン単薬とアルカリ(炭酸ナトリウム)を主体とする.組成であることが最大の特徴である。
「伝染現像」は、コダックの技術者J.A.C.Yale(ユーロ)によって理論的に確立された現像反応で、ハイドロキノンの中間酸化物:セミキノンの存在とセミキノンがハイドロキノン以上に強い還元能力を有している事による現像コントラスト拡大が図れる現象である。
各社のリス型現像液は、セミキノンの状態を長く維持する為に酸化防止剤の添加量等に配慮した製品が追加され、最終的にはフィルムと現像液をセットしたFuji HSLシステム、Kodak MPシステム等のシステム展開が加速するに状況至った経緯がある。

デジタル化によってプリプレス工程から写真製版工程が消滅した今日、「伝染現像」は「リスフィルム」以上に死語となった感が大である。



米国Polychrome社を買収した大日本インキ化学(当時)が1979年に発売したDIC Graphic Film


以上

月例会 2016年10月度報告

2016-10-25 14:42:35 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

        「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成28年10月度会合より)

●ダヴィンチはなぜヴェネツィアに引っ越したか?

ルネッサンスを牽引した一人、レオナルド・ダヴィンチは、1500年にミラノから出版の中心地だったヴェネツィアに移り住んでいる。出版界の革命児、革新者といわれているアルド・マヌーツィオ(1450~1515)に会いたかったからだろうか? 芸術だけなく科学、医学分野でも異才を発揮した自身の理論を、印刷物として広く社会に知らしめたかったから?? マヌーツィオは16世紀のヴェネツィアで活躍した印刷・出版人で、「出版界のミケランジェロ」あるいは「出版界のラファエロ」と称された。1489年頃に、ローマ郊外からヴェネツィアに移っているが、ドイツからイタリアに印刷技術を伝えたとされるドイツ人の修道士たちとの親交から、印刷や出版に興味をもつに至ったとしても不思議ではない。彼の現れる以前、本は祈祷のためであったり、学習用の堅苦しいもの、真面目腐ったものであったりと、今日のような読書の楽しみとは無縁の存在だった。そんな時代に、マヌーツィオが親しみやすい本の出版を初めて手掛けて、読書を娯楽の一つに数えられるようにした功績は大きい。ほんの憶測に過ぎないが、ダヴィンチは本当にマヌーツィオを訪ねたかも知れないのだ。


●ルネッサンスを支えた印刷・出版の始祖は……

マヌーツィオが最初に出版したのはギリシャ語の文法書であったが、やがて自分の印刷所をつくり、マヌーツィオ文庫など数多くの名著を送り出すようになる。3,000部も売れた詩集でベストセラーの元祖にもなっている。数々の功績を拾い上げると,①机や書見台でしか開けないような重い本を文庫本にした(文庫本の生みの親)、②美しいローマン書体を新規に考案し、またイタリック体にも貢献、③句読点を開発して“ピリオとコンマの父”ともいわれた、④ノンブルをつけることを最初に考えた、⑤1ページを2段組にしてページ数を減らす工夫を最初にした――など。とくに私たちが記憶にとどめておきたいのは、①出版のかたちを一新した、②印刷と出版両方に着目し新境地を開いた、③開発した活字がフランスで新しいフォントになった――点である。亡くなってからちょうど500年、現在でも彼の出版・印刷活動がルネッサンス時代の学芸に大きな影響を与え,とくに印刷面から文芸復興を後押ししたことで注目されている。出版と印刷が別々に発展した日本で、果たして彼と同じような功績を残した出版人はいるだろうか。


●デジタルサイネージ市場が印刷業界を待っている

 顧客接点マーケティングの一環として、最近、印刷業界がにわかに関心を寄せ出したものに「デジタルサイネージ」がある。2020年には、その市場が2,700億円を突破するとの予測も出されており、デジタルコンテンツを扱える強みを発揮できる印刷会社にとって、またとないビジネスチャンスが到来している。全国の同業者同士でネットワーク組織をつくり、販促企画からコンテンツ制作、配信、メディアそのものの管理・運用まで支援していこうという動きも出ているくらいだ。地域に根ざしたサイネージ事業を全国規模で展開し、クライアント企業の販促活動をトータルに貢献していくビジネスだという。配信サービスまで手がけることにより、次々と最新のコンテンツを表示できるようになる。その分、販促効果が高まるだけに、クライアントから寄せられる期待も大きいそうである。


●パーソナルな顧客情報と組み合わせることで……

大手の印刷各社からも、このデジタルサイネージを活用したマーケティング戦略が競って提案されている。POSデータ(購買履歴)の分析システムやスマートフォンの専用アプリと、デジタルサイネージを組み合わせることで、よりパーソナルなニーズに沿った“お勧め商品”の販促情報を、店頭でリアルタイムに表示することが可能だとしている。Eコマースと電子看板が上手にコラボレーションすることになる。印刷業界がこのようなデジタルサイネージに力を入れ出した背景には、元々、販促用印刷物のためにデジタルデータの管理、加工をおこなってきた印刷会社ならではの実績がある。広告情報を心理的に抵抗感なく扱える土台がある。他産業と比較してはるかに有利な立場を生かしながら、今後、どのようなビジネスモデルを構築していこうとしているのか、大いに注目されるところである。


●アメリカの印刷産業はなお順調に推移している

 経済の上昇期には、発注を待たなければならない印刷産業の景気回復は遅れ、下降期には真っ先に発注を抑えられる印刷産業は早めに低迷してしまう。それでも上昇し切った成熟期には、どの企業も市場シェアを維持したいがために広告メディアを多用することから、一定の期間、印刷産業が恩恵に預かれるときがある。経済が下降に向かい始めたときでも、印刷産業は成熟期を引き延ばすことができる。「Sweet Spot」と呼ばれるこの現象をどう捉えて、今後の印刷市場を予測すべきか――アメリカの印刷産業団体PIAが恒例の特別サポートを公表している。北米の印刷市場でも例外ではなく、この2年間は、価格設定、利益とも上昇傾向にあった。経済回復期の7年目に当たる今年は、まさにベストな「Sweet Spot」にいるとしている。デジタルメディアへの置き換えでビジネスチャンスを探ると同時に、高付加価値型の付帯サービスを加味した独自のビジネスモデルに改良した時期でもあり、「印刷産業は順調だ」とさえ分析している。


●持続的な低成長を維持できる間に次の準備を

 経済回復期の“寿命”が近づいているなかで、PIAは今年の印刷市場の動向について①低成長の持続、けれどもムラのある成長(確率50%)、②穏やかな平均的な景気後退(同30%)、③成長の加速(同20%)――と見通している。さらに2018年までの予測では、もっとも可能性の高い経済シナリオとして、出荷額で年率約2%増の継続的な拡大(低成長持続型)を挙げている。もっとも楽天的なシナリオは0.5%増の成長加速型、極端な対立的見解は2~4%減(利益なし)の景気後退シナリオを列挙しているが、遅くとも3年以内には、穏やかな平均的な景気後退が25%の確率で「本当になる」とみている。印刷企業はどう対応すべきか? PIAは以下のように提言する。「すでに堅実な事業戦略計画をもち、印刷市況を先行学習しているなら、自社のマネジメントを大きく変更する必要は全くない」「計画立案上、もっとも重要なリスクは次の景気後退だが、その後退が続いている間に、(来るべき)健全な印刷市場で持続的な競争優位を構築できるよう、柔軟な姿勢で準備(体制づくり)しておくことが、実行すべきマネジメントの戦略課題である」。
※参考資料=「FLASH REPORT」Aug. 2016; Center for Print Economics and Management, PIA


●人材を招き入れるために教育界と連携を深めて

プレプレスの主要技術としてDTPが普及し出した1990年代中頃から、大学をはじめとする日本の教育機関から「印刷」という学科名が消えてしまっている。新しいビジネスモデルを模索しているこの時期に、優れた人材の育成、供給がないことは印刷産業にとって大きな問題である。それにも関わらず、印刷産業からは教育制度の改革についての動きがみられない。学生が集まらないせいなのか、どこの教育機関も印刷科、印刷工学科、写真印刷科といった名称を一斉に避けるようになった。それでも教育内容をみると、印刷工芸あるいはグラフィックアーツ、画像工学的な色彩が残っているようである。印刷産業から方策を提案するとしたら、①画像系の教育のあり方について印刷産業の業界団体と教育界が対話を深めていく、②教育機関では対応し切れない授業に、印刷業界から講師を派遣する――などが考えられる。そのなかで、画像技術とDTPシステムの全体像を教えられる教育プログラムの確立が可能になると思われる。両者がもっと連携を強め、社会のニーズに役立つ印刷メディアの魅力を学生たちに伝えていく必要がある。マーケティング機能と結びつけるという意味で「メディア工学科」と呼称したらどうだろうか?

以上