「'M/Y/D/S ペット&動物図鑑・イラスト集」より
イラストはアメリカ北東部に生息する「グリズリー」なんだども…
北海道に生息しておるのは「ヒグマ」(笑)
同じ種類なんで許して欲しい(ハハハハハハハ)←相変わらず笑って誤魔化す
私が子供の頃に住んでおったのは、札幌市でも山の際だったもんで
時々、山菜採りに出かけた人が「ヒグマ」に出会ってしまい
「誰かがやられた~」ってな話になると
猟銃を持ったオジサン達が山へ向うのも珍しいことではなかった
昭和40年代頃まではチョクチョク出没していたが
山の奥深くまで人が住むようになって、だんだん里までは降りてこなくなった
ヒグマの絶対数も可なり減ってしまったと聞いている
子供の頃はヒグマを「山親爺(やまおやじ)」っと呼んでいたので
あの怖いものの羅列「地震・雷・火事・親爺」の親爺はクマの事だと思っておった
小学校に入ってヒグマってクマは、日本では北海道にしか居ないっと知り
ミョ~な優越感に浸り…ナゼか誇らしく思ったりした(笑)
この頃、山で親爺に出会った時の対処法として
「死んだフリ」が一番じゃ~ってなウワサが広まり
誰が一番「死んだフリ」が上手か競ったものである
が…子供は動くのが商売なもんで「死んだフリ」は難しかったし
「死んだフリ」をしているうちに、寝てしまう子が後をたたなかった(笑)
そんなアホな子供を見かねて、バー様がクマの話をしてくれた
明治の頃にクマ穴を狙ったマタギ(猟師)がクマを仕留めるのに失敗してしまい
怒ったクマが札幌市内を駆け回り、炭火小屋の戸を蹴破り家族を襲い
ガツンと一発で子供と父親を殺してから、ゆっくり食ってしまったらしい
「死んだって食われるんだぞ、死んだフリなんぞ何の役にもたたん」っと
教えてくれた。大きくなってから知ったのだが…本当にあった話らしい…。
1976年公開の映画「グリズリー」でも
死んだように気を失った男が目覚めるまで、クマはジッと側で待機しており
やおら男が気が付いた時に襲い掛かっていた映像があった
バー様の話はあながちウソではないと思う
防衛対策として山へ入る時は腰に鈴を付けたり歌を歌ったりして
「オラはココに居るど~」っとクマにアピールするのが効果的なのだが
いきなり出会うこともある
遠くに見えた時は背中を見せないように後ずさり逃げる
コチラに攻撃をしかけて来た時は…
近場の岩などの上に登り「君より僕はデカイ」っとアピールしながら
大声で喚く(笑)
それでも襲って来た時は…
ある意味、覚悟をしながら腹を下にして丸くなる
背中にリュックを背負っておって助かった人も居る
ただしリュックが「アダ」になってしまった話も聞いた事がある
登山中の学生さんが山中でクマに出会ってしまいリュックを放り投げて逃げた
クマはリュックに気を取られたので、その場は助かったのだが…
リュックの中に缶詰以外の食べ物が入っていた為に
「人間を追いかけるとエサが食える」っと思ったクマは
学生が下山するまでズーっと追いかけ回し何人かは死んでしまった事件があった
北海道でキャンプをする時は、テント内に食べ物は絶対に置かない事
食べ物はあえてテントよりも100m以上離れた所に埋める
さもないと夜、寝ている時にテントごと襲われる可能性が高い
食べ物を持ち歩く時は、ニオイが漏れないように完全密封する事をオススメする
小学生の時に一度だけクマと接近遭遇したことがある
私が住んでいた地域は山の裾野で、山際にはリンゴ園が広がっておった
時々、子供等はリンゴを盗みにリンゴ園へ入っていたのだが…
そこで同じくリンゴを盗みに入っていたクマと泥棒同士出会ったのである
出会った距離数百メートル。
向こうは既に私等に気が付いていた
木の幹に手を掛け立ち上がった姿でコチラをジッと見据えるクマが居た
自衛隊官舎に住んでいたガキ大将が「静かに!止れ!」っと小声で言ったのだが
誰一人、動くことも声を出すことも出来なかった
その場に居たクマも子供も凍りついたように動けなかった
やはりガキ大将が「走るなよ」っと言いながら一歩一歩後退していくのを見て
全員がマネをしながら一歩、また一歩と後退した
ある程度の距離を置くと、クマは手を掛けていた木の幹から離れ
ノソリっと山へ向って帰っていった
皆で相談した結果、リンゴ園のオジサンへ正直に告白することになり
その後二度とリンゴ泥棒は出来なくなった
夏にリンゴ園の隣の畑からスイカを盗んだのも我等だとバレたしの…(笑)
クマがどうなったのかは不思議と覚えていない
あまりに色々な罪状で叱られたので前後の記憶が消去されておる(ハハハハハ)
しかし、クマへの対処法をバー様に聞いていて良かった
でなければ全員で死んだフリなんぞしてクマに襲われていたかもしれん(笑)
それから5年も経たないうちにリンゴ園は消えて、畑も消えた
人の波が押し寄せ今では住宅地になっておる
北海道の先住民族でる「アイヌ民族」はヒグマを神と崇めておった
肉や毛皮を採ったあとはイオマンテ(クマの魂を神の国へ送る)という儀式を行う
アイヌの人々はクマとの共存を目指しておった
最近は人間が捨てたゴミなどを漁り人間の作り出したモノの味を覚えたクマが
あえて自分から人間に近づいてくるという現象が起きている
どうか山へ入ったらゴミを密封して家に持ち帰って欲しい
山に捨てたりはしないで欲しい
自然は我等人間のモノだけではない
地球に住む生き物全てで大事にしなければ
何れ人間も地球に追い出されるかもしれん
そうなった時に泣いたり謝ったり死んだフリをしても
誰も助けてはくれないのだから(笑)
イラストはアメリカ北東部に生息する「グリズリー」なんだども…
北海道に生息しておるのは「ヒグマ」(笑)
同じ種類なんで許して欲しい(ハハハハハハハ)←相変わらず笑って誤魔化す
私が子供の頃に住んでおったのは、札幌市でも山の際だったもんで
時々、山菜採りに出かけた人が「ヒグマ」に出会ってしまい
「誰かがやられた~」ってな話になると
猟銃を持ったオジサン達が山へ向うのも珍しいことではなかった
昭和40年代頃まではチョクチョク出没していたが
山の奥深くまで人が住むようになって、だんだん里までは降りてこなくなった
ヒグマの絶対数も可なり減ってしまったと聞いている
子供の頃はヒグマを「山親爺(やまおやじ)」っと呼んでいたので
あの怖いものの羅列「地震・雷・火事・親爺」の親爺はクマの事だと思っておった
小学校に入ってヒグマってクマは、日本では北海道にしか居ないっと知り
ミョ~な優越感に浸り…ナゼか誇らしく思ったりした(笑)
この頃、山で親爺に出会った時の対処法として
「死んだフリ」が一番じゃ~ってなウワサが広まり
誰が一番「死んだフリ」が上手か競ったものである
が…子供は動くのが商売なもんで「死んだフリ」は難しかったし
「死んだフリ」をしているうちに、寝てしまう子が後をたたなかった(笑)
そんなアホな子供を見かねて、バー様がクマの話をしてくれた
明治の頃にクマ穴を狙ったマタギ(猟師)がクマを仕留めるのに失敗してしまい
怒ったクマが札幌市内を駆け回り、炭火小屋の戸を蹴破り家族を襲い
ガツンと一発で子供と父親を殺してから、ゆっくり食ってしまったらしい
「死んだって食われるんだぞ、死んだフリなんぞ何の役にもたたん」っと
教えてくれた。大きくなってから知ったのだが…本当にあった話らしい…。
1976年公開の映画「グリズリー」でも
死んだように気を失った男が目覚めるまで、クマはジッと側で待機しており
やおら男が気が付いた時に襲い掛かっていた映像があった
バー様の話はあながちウソではないと思う
防衛対策として山へ入る時は腰に鈴を付けたり歌を歌ったりして
「オラはココに居るど~」っとクマにアピールするのが効果的なのだが
いきなり出会うこともある
遠くに見えた時は背中を見せないように後ずさり逃げる
コチラに攻撃をしかけて来た時は…
近場の岩などの上に登り「君より僕はデカイ」っとアピールしながら
大声で喚く(笑)
それでも襲って来た時は…
ある意味、覚悟をしながら腹を下にして丸くなる
背中にリュックを背負っておって助かった人も居る
ただしリュックが「アダ」になってしまった話も聞いた事がある
登山中の学生さんが山中でクマに出会ってしまいリュックを放り投げて逃げた
クマはリュックに気を取られたので、その場は助かったのだが…
リュックの中に缶詰以外の食べ物が入っていた為に
「人間を追いかけるとエサが食える」っと思ったクマは
学生が下山するまでズーっと追いかけ回し何人かは死んでしまった事件があった
北海道でキャンプをする時は、テント内に食べ物は絶対に置かない事
食べ物はあえてテントよりも100m以上離れた所に埋める
さもないと夜、寝ている時にテントごと襲われる可能性が高い
食べ物を持ち歩く時は、ニオイが漏れないように完全密封する事をオススメする
小学生の時に一度だけクマと接近遭遇したことがある
私が住んでいた地域は山の裾野で、山際にはリンゴ園が広がっておった
時々、子供等はリンゴを盗みにリンゴ園へ入っていたのだが…
そこで同じくリンゴを盗みに入っていたクマと泥棒同士出会ったのである
出会った距離数百メートル。
向こうは既に私等に気が付いていた
木の幹に手を掛け立ち上がった姿でコチラをジッと見据えるクマが居た
自衛隊官舎に住んでいたガキ大将が「静かに!止れ!」っと小声で言ったのだが
誰一人、動くことも声を出すことも出来なかった
その場に居たクマも子供も凍りついたように動けなかった
やはりガキ大将が「走るなよ」っと言いながら一歩一歩後退していくのを見て
全員がマネをしながら一歩、また一歩と後退した
ある程度の距離を置くと、クマは手を掛けていた木の幹から離れ
ノソリっと山へ向って帰っていった
皆で相談した結果、リンゴ園のオジサンへ正直に告白することになり
その後二度とリンゴ泥棒は出来なくなった
夏にリンゴ園の隣の畑からスイカを盗んだのも我等だとバレたしの…(笑)
クマがどうなったのかは不思議と覚えていない
あまりに色々な罪状で叱られたので前後の記憶が消去されておる(ハハハハハ)
しかし、クマへの対処法をバー様に聞いていて良かった
でなければ全員で死んだフリなんぞしてクマに襲われていたかもしれん(笑)
それから5年も経たないうちにリンゴ園は消えて、畑も消えた
人の波が押し寄せ今では住宅地になっておる
北海道の先住民族でる「アイヌ民族」はヒグマを神と崇めておった
肉や毛皮を採ったあとはイオマンテ(クマの魂を神の国へ送る)という儀式を行う
アイヌの人々はクマとの共存を目指しておった
最近は人間が捨てたゴミなどを漁り人間の作り出したモノの味を覚えたクマが
あえて自分から人間に近づいてくるという現象が起きている
どうか山へ入ったらゴミを密封して家に持ち帰って欲しい
山に捨てたりはしないで欲しい
自然は我等人間のモノだけではない
地球に住む生き物全てで大事にしなければ
何れ人間も地球に追い出されるかもしれん
そうなった時に泣いたり謝ったり死んだフリをしても
誰も助けてはくれないのだから(笑)