「養命酒」のHPをのぞくと
養命酒発祥は慶長7年(1602年)
信州伊那の谷・大草(現在の長野県上伊那郡中川村大草)の
塩沢家当主、塩沢宗閑翁によって製造されたそうな~
「シオザワ」さんとは読めるが…「宗閑」ってどうやって読むん?(笑)
1600年って言えば…日本の歴史でも比較的年号の覚えやすい「関が原の戦い」
その前年のある大雪の晩…。
塩沢翁は雪の中で倒れておる老人を助けるのだ
ナゼ塩沢さんも老人なのに大雪の中、夜道を歩いておったのかは不明(笑)
多分…寄り合いでもあって…飲みすぎた帰りじゃなかろうかね~(ハハハハ)
大雪の降る中…老人が、行き倒れた老人をどうやって助けたのかってところには
少々疑問が残るが、その時に助けられた老人は瀕死の重症だったのか…?
ナゼか3年間も塩沢家でやっかいになったらしい
ほいで塩沢家を去る時に「自分はいわれある者にて薬酒の製法を心得ている」
っと意味深な言葉と薬酒の製造方法を伝授し去って行ったのであった~
で、塩沢翁が薬草を採取し薬酒を作りこれを「養命酒」っと名付けたのである
人に歴史あり、物にも歴史あり…オモロイの~(笑)
私が養命酒と出会ったのは…子供の頃である
少年サンデーや少年マガジンの広告に「養命酒」っと載っておったのが記憶にある
だいたい私らの年代は、
父母が1~3歳の大事な時期に戦時中だったもんで
その父母らから生まれた子供も、虚弱体質の子が多かった
なので滋養を付けるためか、養命酒を薄めたものを飲まされたり
学校配布の「肝油」を食べさせられたりしたもんだった
この脳天気ブログを発信している私も…実は虚弱体質であった(アハハハハ)
意味もなく熱は出るし、腹痛はおこすし…で、
病院の先生にも「この子は20歳まで生きられないかもしれない」
な~んぞと言われておった
もちろん、この医者は「ヤブ」である。
すでに、しっかりとこの歳まで生きておるでの~~~(ガハハハハハハ)
ところでこの養命酒を私に飲ませようっと言い出したのは、バー様であった。
なんでも…戦時中に少ない食い物を貯蔵しておった納屋に
泥棒が入ったことがあったらしい
その泥棒を見事に撃退した時に使ったのが…この養命酒の「瓶」であったそうな
病気だったのが「養命酒」を飲んで治った、とか言う話ではない。
大勢の腹をすかした子供等の命綱である食い物を守った「養命酒の瓶」に
バー様は、強い信頼感を抱いたらしい(アハハハハハハ)
ま、「養命酒」は値段の高いものだったので、1日3回も飲める訳もなく
家族全員が寝る前にチビっと飲んでいた程度であった
だから、コレが効いて私が長生きしているとは言いがたい(笑)
最近、ど~も歳のせいか…(笑) 手足が冷えて困る(ハハハハハハ)
冷え性ってのは、美容と健康の大元にある「新陳代謝」を悪くする
腹巻(笑)ババシャツ(笑)五本指ソックス(笑)なんぞを駆使しても冷える
また、「養命酒」を飲んでみようかな~~~
なんてったって…「養命酒の瓶」は、我が一族を救った救世主だからの~
私もバー様の血をシッカリと受け継いでおる
な~んか困ると、フと養命酒の「瓶」が頭に浮かぶからである
(ガハハハハハハハ)