ご記憶に残っている方がいらっしゃると思うのですが…
2000年(平成12年)3月8日 9時1分頃
営団地下鉄日比谷線で「列車脱線衝突事故」が起こりました。
死者5名、負傷者64名を出した大惨事です。
日比谷線の東横線直通電車が、中目黒駅付近の
急曲線部分で脱線。
対向電車の側面をえぐる形で衝突
日比谷線の03系1両が廃車となる程の衝突でした。
この衝突した電車の後続電車に私は乗っておりました
間違わないで下さいね~衝突した電車の次の電車に乗っていたんですよ~
当時、中目黒・渋谷・恵比寿の丁度真ん中くらいの会社に勤務し
出社時間が10時だった私は、毎朝この時間帯の電車に乗って通勤しておりました
その日は運良く座席に座るコトが出来た私は
本を読むのに没頭しておりました~
車内がザワザワと落ち着かない状態になり
私は始めて本から顔を上げ、周りを見まわしました
満員の乗客を乗せた状態で電車が止まっています。
携帯電話もまだそんなに普及していない頃です
数人のサラリーマンの方が携帯電話で状況の確認をとっていました
「えっ!中目黒で脱線事故!!」
車内の空気が一変します
中目黒の駅に入る手前で何時も電車はスローペースになるか
もしくは止まってしまい、前の電車が駅より出発するのを待ちます
何時もの状況で止まっているのだろうっと思っていた乗客達は
混雑した車内でも文句も言わずに黙って耐えておりました。
ところが何時もなら5分も待てば動き出す電車が
10分待っても動き出さないので、車内もザワザワと…
ざわめきたっていたのです。
携帯電話を持っていた方が、会社の人に連絡を取り
TVなどのメディアによる報道を伝えてくれたので
車内に居た人々も、ある程度の状況を把握する事が出来ましたが…
電車内部での車掌さんからの状況説明は一切なし
30分以上経過した頃に
「前方、中目黒駅付近にて車両事故の為、停車しております
今、しばらくお待ち下さい」とのアナウンスが一本あったのみでした
車内では具合が悪くなる方達が続出し
席に座っていた男性の方が女性に席を譲ったり
しゃがみ込む方も数人出ていました。
かれこれ1時間以上も缶詰状態を経験させられたのち
やっと電車が動き出しました
車内に「ホ~」っと安堵のため息がもれる中
動き出した電車の窓の外に信じられない光景が流れて行きました
まるでアルミの缶詰の側面をエグリ取ったかのような車両が横たわり
その電車の床一面が、赤黒くエンジ色に染まり
その周りを慌しく動きまわる人、人、人。
上空よりヘリコプターの爆音が響く中
安堵のため息を一瞬のうちに飲み込んでしまった車内の乗客達は
物も言えずに、ただ流れ行く景色を見つめておりました。
それから数週間で東京都内も桜の季節を向かえました
私はと言うと…
同じ時間の同じ電車に乗る事が出来なくなっておりました。
どうしてもあのカーブを通る時に、あの線路を見つめてしまい
ありもしない電車の残骸が目に浮かぶのです。
そうした時に目をフッと上に向けますと
その線路の土手の上に一本の桜の木がありまして
満開の桜の花びらをチラチラと線路に降り注いでおりました。
5人の尊い命が失われた事故現場に葬送の意味での桜の花びらの様で
胸が締め付けられる思いが致しました。
パニック障害のせいなのか…
電車に乗る度に下痢と腹痛に襲われる
緊張性の下痢に悩まされてしまった私は
その後、都会の会社を辞めて現在の会社に転職いたしました。
あの時、私は座席に座っていて、立っていた訳でもなく、
事故をおこした電車に乗っていた訳でもないのに…
ナゼ???…との思いがありますが…
転職して通勤電車に乗らなくなり幾分治ってまいりました~
今でも早朝に乗り物に乗ると
キュルキュル~っとなってしまう時があるのですが…
焦らずにノンビリと治して行きたいっと思っております
今でも一本ポツンと咲いている桜の木を見ると
亡くなられた5人の方のご冥福を祈り、心の中で合掌してしまう私です。
2000年(平成12年)3月8日 9時1分頃
営団地下鉄日比谷線で「列車脱線衝突事故」が起こりました。
死者5名、負傷者64名を出した大惨事です。
日比谷線の東横線直通電車が、中目黒駅付近の
急曲線部分で脱線。
対向電車の側面をえぐる形で衝突
日比谷線の03系1両が廃車となる程の衝突でした。
この衝突した電車の後続電車に私は乗っておりました
間違わないで下さいね~衝突した電車の次の電車に乗っていたんですよ~
当時、中目黒・渋谷・恵比寿の丁度真ん中くらいの会社に勤務し
出社時間が10時だった私は、毎朝この時間帯の電車に乗って通勤しておりました
その日は運良く座席に座るコトが出来た私は
本を読むのに没頭しておりました~
車内がザワザワと落ち着かない状態になり
私は始めて本から顔を上げ、周りを見まわしました
満員の乗客を乗せた状態で電車が止まっています。
携帯電話もまだそんなに普及していない頃です
数人のサラリーマンの方が携帯電話で状況の確認をとっていました
「えっ!中目黒で脱線事故!!」
車内の空気が一変します
中目黒の駅に入る手前で何時も電車はスローペースになるか
もしくは止まってしまい、前の電車が駅より出発するのを待ちます
何時もの状況で止まっているのだろうっと思っていた乗客達は
混雑した車内でも文句も言わずに黙って耐えておりました。
ところが何時もなら5分も待てば動き出す電車が
10分待っても動き出さないので、車内もザワザワと…
ざわめきたっていたのです。
携帯電話を持っていた方が、会社の人に連絡を取り
TVなどのメディアによる報道を伝えてくれたので
車内に居た人々も、ある程度の状況を把握する事が出来ましたが…
電車内部での車掌さんからの状況説明は一切なし
30分以上経過した頃に
「前方、中目黒駅付近にて車両事故の為、停車しております
今、しばらくお待ち下さい」とのアナウンスが一本あったのみでした
車内では具合が悪くなる方達が続出し
席に座っていた男性の方が女性に席を譲ったり
しゃがみ込む方も数人出ていました。
かれこれ1時間以上も缶詰状態を経験させられたのち
やっと電車が動き出しました
車内に「ホ~」っと安堵のため息がもれる中
動き出した電車の窓の外に信じられない光景が流れて行きました
まるでアルミの缶詰の側面をエグリ取ったかのような車両が横たわり
その電車の床一面が、赤黒くエンジ色に染まり
その周りを慌しく動きまわる人、人、人。
上空よりヘリコプターの爆音が響く中
安堵のため息を一瞬のうちに飲み込んでしまった車内の乗客達は
物も言えずに、ただ流れ行く景色を見つめておりました。
それから数週間で東京都内も桜の季節を向かえました
私はと言うと…
同じ時間の同じ電車に乗る事が出来なくなっておりました。
どうしてもあのカーブを通る時に、あの線路を見つめてしまい
ありもしない電車の残骸が目に浮かぶのです。
そうした時に目をフッと上に向けますと
その線路の土手の上に一本の桜の木がありまして
満開の桜の花びらをチラチラと線路に降り注いでおりました。
5人の尊い命が失われた事故現場に葬送の意味での桜の花びらの様で
胸が締め付けられる思いが致しました。
パニック障害のせいなのか…
電車に乗る度に下痢と腹痛に襲われる
緊張性の下痢に悩まされてしまった私は
その後、都会の会社を辞めて現在の会社に転職いたしました。
あの時、私は座席に座っていて、立っていた訳でもなく、
事故をおこした電車に乗っていた訳でもないのに…
ナゼ???…との思いがありますが…
転職して通勤電車に乗らなくなり幾分治ってまいりました~
今でも早朝に乗り物に乗ると
キュルキュル~っとなってしまう時があるのですが…
焦らずにノンビリと治して行きたいっと思っております
今でも一本ポツンと咲いている桜の木を見ると
亡くなられた5人の方のご冥福を祈り、心の中で合掌してしまう私です。