山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

言葉

2011年04月02日 | つぶやき
東日本大震災で大津波に襲われ大きな被災を受けた、亘理町の知人と会いました。

あの日、友人は会社で地震を体験し、直後に会社の屋上で全員の無事を点呼で確認されて後、それぞれ帰宅に至ったそうです。
それなのに、あの点呼の後から自宅に戻った社員の中では、未だに連絡がつかなくなった方々がいるとか…

そういう知人も帰宅途中、海側の幹線道路を通ってしまったため、橋の上で車が津波を被ったそうです。
すぐ前に津波が見えているのに、一台前の車は、強引に橋を渡りきろうとし…多分水没。
橋の一番高いところでは、多くの人が欄干につかまり、津波の一撃に何とか耐え、大丈夫だったとか。
後ろの車は橋の低い場所だったため、多分…。

津波の一波が引いたところで、消防車の適切な示唆により、帰り道を確保してもらい、一命を取り留めたそうです。

あの地震の後、自宅に戻ったことで命を落とした人も。
自宅ではなく、入院中の親のため病院に行った方は助かったとか。
誰も予測不能だった、あの津波の悲惨。

知人は言います。
同じ亘理町に住んでいた住民なのに、あの津波の後から亘理町は何もなかったように普通な暮らしができている家族と、家も何もかも流されてしまって避難所で惨めに暮らしている家族と、立場が二分されてしまった。
こんなに滅茶苦茶になってしまったのは、土地だけではなく、人の気持ちもそうかもしれないと。

……

何とも痛ましい事実…言葉がでない。

(苦しいね。本当に、苦しいね…)

けどさ…
3・11以来変わったよね。
どこかに行ってはじめて会った人にでも、どこかに電話した時でも…
言葉の最後に「あの地震で、被害はなかったですか?」と。

それに、どこか外出先で余震がした時でも…
「揺れていますよね」「大丈夫でしょうか?」「怖いですね」と。
知らない人同士が言葉を通じて、痛みや悲しみや不安を共感しあっています。

失ったものは大きい。
けれど、私の町では、同じ被災者として自分以外の人を思いやる心、それを思いやる言葉に優しさが、溢れています。