コメット・ルシファー 第12話 星と少年 とまとめ △+
「ロボットを動かす」ってのは世界を強大にかつ乱暴に切り取る行為で
「女の娘」といちゃつくっていうのは世界と戯れ、いつくしむ行為なわけで
それを1つにまとめると「ロボットを動かせる女の娘といちゃつく」という結論になる
と、まあこれだけいうなら簡単ではあるな、あとは実践あるのみで
「星と星がキスする」のを止めるのが納得いくぐらいに「石の娘」と
親交が取かり結べたかどうか、ちょっと足りないかんじがあるね
かといってロボットが世界を切り拓いたのかというとこれもちょっと足りない
別にやっていることが悪いことではないのね、見栄えうるわしく
アニメーションとして十分に楽しくはあったのね
ただ、それが心にすとんと落ちるぐらいに達成したかといわれるとどうかな、と
ドモンのとこが引っかかってるんだよねえ、物語の「説明」と骨をつくっておいて
さっくり都合のために排除されたような、そんな冷たさを感じる
そういう「残酷」なのにハナシが「暖かさ」によって救うような、そういう欺瞞が
あるような気がするのね、もうちょっと余裕があればそれらが分からなくなるぐらい
消化されたかもしれないけど、かといって余裕ぶっこいてればよい作品に必ず
なるわけでもなく、なんかもどかしい物言いだけど、そういう感じとしか
言いようがないのよなあ、ただ「新しい冒険」のむずかしさよな。
櫻子さんの足下には死体が埋まっている
第12話 櫻子さんの足下には… とまとめ △++
アタマのいい人はその知力でもって普通の人には見えない
様々な事象を正確に分析・断定・預言するけれども
そのメソッドはさまざま、櫻子さんの場合は「骨」なんで
まさしく肝心な所を掴まえているので「犯罪」と向き合う時
アタマでっかちな心理判断とかに陥らないのが凄みになっていたかと。
あと「ご老人」が沢山でてくるのが印象ぶかかったね
ふつう自分がそういう歳に近づかないと彼等をリアリティをもって
理解できないから作中にあんまし関わらないようにする傾向があるけど
当作品はそういう傾向に真っ正面から逆らうかのように
年配のかたがたにスポットをあてていたかとおもう
まあ不躾を承知でいうなら相対的に彼等は「死≒骨」に近いわけで
それを入れても相当なチャレンジで、そして見事に描き出していたものだったかとおもう
しかしまあ「奔放なおねえさん」っていうのは惹かれる設定ですよね
ただ、それは「ただの馬鹿」ではなくて「深い」感じがあってのことで
「知」でそれを醸造するのが古典的で、それゆえ却って新鮮だったとおもう
あと、「旭川」という舞台設定の描き方もどぎつくなく、美しいものだったことを
つけくわえていいね、美しき北の地なら確かに「死体」が埋まっているかも、とおもわせる。
俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」としてゲッツ♥された件
第12話 不束者ですが、末永くお願い致します。 とまとめでございます △+
最後はドタバタコメディらしく、やりたいほうだいやっとったw
でもこの率直な「やりたいようにやる」なら気分がいいかもな。
一時期「お嬢様学校」を舞台にした設定のおはなしがはやっとって
こいつはそれが随分下火になってから投下された作品なんで
自分自身ではしゃがないとウケがよくなかろうというハンデがあったとおもう
まあそこを「ガチムチ」とか「ゲッツ」とか他いろいろな「ネタ」の
力を借りてうまくあっためていったような印象ではあるね。
そして「お嬢様学校」という「場」としてお高くとまった教育をひけらかすのではなくて
上記のある意味「使い古されたネタ」を真に受けるような「純粋さ」
を押し出すことによって好感度が高めに仕上がっていたとおもう
そしてその「代表」として配属された4人のヒロインもその役目を
見事にまっとうしていたといってよいのではないかと。
殊に、愛佳と麗子の友情はうるわしいものだったとおもうね
「コメディ」の名の下にこっそりつちかわれた美しいモノがボク達のココロを満足させたかと
それは太ももをこっそりと見てたのしむような
そういう奥ゆかしさの様な心映えといえんくもない(見られている側にはバレとるが)
アクエリオンロゴス 第26話 終わらない!アクエリオンロゴス
と じゃあいつ終わるんだよ!というまとめ △(+)
さあ、馬鹿だからなんじゃないか?
「最後は漢同士が殴り合って世界を救う」とか
本当に「アクエリオン」でしたw
しかしなあ「LOVE⇔EVOL」ってやったあたりから
「ロボットが世界を救う遊び」から「言葉遊び」になってるフシがあるからね
アニメーションとしてロボットがどつき合う世界なら漢同士の決闘も
意義をもつかもしれないけど、「言葉」が「概念」を歪めてしまうような
珍妙な世界観では本当にただの馬鹿のやる行為になってしまうよなあ。
そう、「言葉」確かにこいつは便利なツールなんだよね
でも「真実(ロゴス)」からは遠のいてしまうというのは作中でも
おっしゃられた通りなのよね、言葉で深淵に辿り着くのはまた別の
むつかしさがあって「アニメーション」という他にもいろいろな武器がある
分野でそれをやるのは、「出し惜しみ」のように受け取られて、損ではある。
とまあ厳しいことばっかりだけど「若人」にまっとうな試練を与える
お話としては良質なものだったかと思うね、「言葉」とも密接に結びついた
丁寧なおはなしづくりだったかと、ただそれが「神話」にまで辿り着くような
強さがあったかというと、流石に酷ではあったんじゃないかと
その辺で陽や統・舞亜が無茶なとこをひっかぶっていたような印象はある
ただ、彼等は総じてある意味「鈍感」だからね、それらに押しつぶされるような
のがなかったのが「アニメ的」な「救世主」たる資質の持ち主であったといえよう。
コンクリート・レボルティオ~超人幻想~
第13話 新宿擾乱 とまとめ △++
「ヤング・ブラックジャック」でもそうだったけど
学生運動と社会・メリケンへの「反抗」ばかりが描かれてるね
これは怠慢ってわけではなくて「時代」の「空気」を忠実に再現した結果
ってことなんだろうとおもう。
「自分のココロの思うままに自分自身の身を切る行為をなす」っていうのはまさしく
「超人」のあり方で、彼等が「リアル」にあったようななかったような事件の
中で右往左往する様が、「政治色」ってのを抜きまくった「平成」のアニメでは
実にまあ異色の存在であることではある。
そして「異色」であることを表現するために懐かしいような、スタイリーな画での
活劇は見事なものであったとおもう、1話で大体完結する形式だったけど
大概満足のいく速度がでていたと思う、政治の側も超人の側もみんな
やりたいことを乱暴にやっていたから、見栄えはいい
超人が「ヤバい」力を有しているけどそれを「人間」として「抑止」
しているところが物語の原動力になっているね、そこになまなましい苦悩とドラマがある
でもまあ実際に「学生運動」に参加していた人達が仮にこの作品を見たら
どういう感想を抱くのか、ちょっと興味はある、ありえないことだけど
彼等には「超人」も「あしたのジョー」もいなかったのだから。
ご注文はうさぎですか?? 第12話 宝物は君の決定的瞬間 とまとめ △++
シスト≒Sister
「奇跡の一枚」からハナシが転がっていくね
ふだんのやかまココアから不純物(そこも魅力だが)が一切取り払われて
「女の娘」としての魅力が切り取られたそういう出来映えの一枚。
妹分達とありそうでなさそうな木組みの街を冒険
こうやってじっくり見るとよく造り込まれた街並みだよなあ
下ごしらえば万全で、「奇跡の一枚」が常時あるような贅沢
そうね、なにも足りないところはない、これでBEST
だからココアが「姉としていたらない」と自分を卑下した時にチノが怒るわけだ
「反省する」と「怒られる」というのはまことに奇妙なはなしではあるけど
ここでは「失敗」することが「成功」であるかのように価値観が
見事に逆転しているのね、美しい街並み、優しいキャラクター
そう異邦人が旅をして歓迎されているかのような、そんな価値観の逆転だ
それは「成功」を目指して灰色な毎日を送っているオルフェンズなボク達にとって
実に甘美なティータイムであるにちがいない、目にしみるぐらいに。
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