ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

極楽山浄土寺 ~重源・快慶の極楽浄土がここに~

2017-11-10 20:25:51 | 仏教彫刻探訪

兵庫県小野市にある浄土寺は山号を極楽山と称し
重源(1121-1206)が東大寺再興の際に拠点とした七別所の一つで「播磨別所」と呼ばれ
その所在地は当時の地名にして播磨国大部荘(おおべのしょう)といい、東大寺領であった。
開山は重源で、創建当時の姿を残す浄土堂(阿弥陀堂)には
快慶作の阿弥陀三尊像が安置されている。
以前から、この地を訪れたいと強く思ってきたが、やっと叶う日がやって来たのだ
11月4日(土)・5日(日)に京都で開催される第11回日本禁煙学会学術総会に参加するため
なにがなんでもダーリンに三連休を確保してもらい、3日(金)に出発。
小野市内を走る公共交通のらんらんバスを利用して浄土寺に行くには
家を7時15分に出て、東京駅・新大阪駅・加古川駅・粟生駅で乗り換える。
途中ハプニングもあったが、やっとの思いで13時14分に小野駅に到着。
13時31分発のらんらんバスに乗り、14時2分に浄土寺バス停で下車。

ああここに、ここに重源さんはいらしていたのだ~~~っ

そう思っただけで興奮(変態)。

境内に向かう坂道を上がり、左手に回り込んで石段を上がる。

最初に目に飛び込んで来るのが、創建当時の姿を今に伝える浄土堂だ。
1192(建久3)年の創建当初から約770年風雪に耐え
1957(昭和32)年に創建後初めての解体修理が行われた。

宋の建築技術を習熟していた重源は、東大寺南大門と同じ大仏様(天竺様)の技法を用い
この浄土堂を建設した。
小野市へ事前に問い合わせたところ、11月の場合15時から16時が参拝のベストタイムとのことで
それまで境内を散策することにした。

鐘楼は1632(寛永9)年もので、和様建築ではあるが、部分的に唐様を混合しているらしい。

境内の中ほどに南面して鎮座している八幡神社。
聖武天皇(701-756)が発願した東大寺盧舎那大仏の造立は
宇佐八幡神の神助によって成し遂げることができたといわれており
以来、八幡神は東大寺の守護神として多くの尊崇を集めてきた。
重源も八幡神の重要性を深く認識していたと考えられ、南都焼き討ち後
大仏殿に続いて鎮守八幡宮(現在の手向山八幡宮)の再建に着手したことや
ここ浄土寺に八幡神社を勧請したことからも、そのことが窺える。

境内にあった板碑。
へ~、板碑は鎌倉時代から室町時代を中心に関東に多く建てられたが、こちらにもあったとは。
関東の典型的な緑泥片岩を用いて種子が刻まれている物と、ずいぶん趣が異なる。

こちらは南に背を向けて建つ経蔵。
ガラス越しに中を覗くと、儒学者のような風体の彫像が安置されていた。

こちらの開山堂は、東大寺俊乗堂の重源さんを模したと思われる重源さんがおわす場所。

こちらが奈良・東大寺俊乗堂におわす重源さん(運慶作の可能性が高いと考えられている)。

こちらが、俊乗堂の重源さんを模したと思われる、浄土寺開山堂におわす重源さん。

浄土寺は浄土堂があまりに有名で、まるで浄土堂が本堂のようだが
実はこの薬師堂が本堂で、元は浄土堂と同様に天竺様で建てられていたが室町時代中ごろに焼失し
1517年に再建されたのが現在の建物といわれている。

薬師堂の前を通り、不動堂が建つ左手の道を山に向かえば
石仏を参拝しながら四国八十八箇所めぐりの写しができるようになっている。

2座が共通の台座に乗り、さらに新しい台座に乗っているものが多い。

覆い屋が設けられていないことがほとんどだが、数箇所では覆い屋が設けられている。

こちらは左の一群が役小角と前鬼後鬼、真中が持ち物から地蔵菩薩、右が不動明王だろう。

四国八十八箇所めぐりは、さらっと歩いて25分ほどで開山堂の脇に下りられる。
時刻はちょうど15時。
いよいよ浄土堂へ。
浄土堂は境内の西、極楽浄土の位置する側に建てられており、阿弥陀様は東向きに立っている。

堂内に足を踏み入れ、阿弥陀様の前に進むと、背後から

オオーッ

という、ダーリンが思わず発した歓声が聞こえた。

フフフ、しめしめ…

阿弥陀様のお顔は写真よりもずっとうつむき加減で
足元で見上げる参拝者を穏やかに見つめ返してくれるように感じる。

阿弥陀様、長谷寺の観音様に似ていらっしゃる

そう感じた瞬間、1219年の火災で焼失した長谷寺の本尊十一面観音像の再興において
仏師集団を率い、大仏師として造立にあたったのが快慶であったことを思い出した。
現在の十一面観音菩薩像は快慶が造立した当時のものではないが
佇まいのどこかから、共通した特徴を感じ取ったのかもしれない。


恐らくダーリンも感じただろうが、さらにぴすけが驚嘆したのは
四方八方に後光が伸びる光背の阿弥陀三尊像が、見事に屋根の勾配や構造材の間に
嵌め込んだかのようにすっぽり納まっていることだった。
納まらなければ大変なことになるので、当たり前といえば当たり前だが
光背のデザインといい、屋根の構造材の配置といい
快慶の美の基準がいかに高いものであるかを改めて感じることができる配置である。
面白いことに、堂内の床は一面板張りで段差がないばかりか
阿弥陀様は円柱の須弥壇上におわすものの内陣はなく、自由にどこからでも参拝できる。
重源が建立した建物に実際に足を踏み入れ、皆が同じ高さで思い思いの場所に座り
阿弥陀様のお姿を眺める光景は、阿弥陀様の本願に目覚めることによって
どのような人であれ、分け隔てなく平等にブッダとなる浄土がここにあるかのようだった。
特筆すべきは、安藤忠雄による設計の兵庫県淡路市本福寺本堂の水御堂
西から入る光が極楽浄土を現出させる、この浄土寺での重源の手法を踏襲したものである。


15時30分過ぎ、徐々に西日が低くなると、薄赤い光が堂内に射しこみ
阿弥陀様の胸の辺りを明るくした。

こ、こ、これぞ御来迎

浄土寺は、かつて浴場施設などを備え、病人を入浴させることもあったと伝わっている。

重源さん、お風呂好きだな。私もお風呂、大好き~(変態)

7月に、重源が作った東大寺大湯屋の大湯釜を見たことを思い出す。
あの時も、一人で盛り上がって興奮したのだった


弱い立場の人々に手を差し伸べ、浄土堂で極楽浄土を目の前に具現化されたら
当時の人々は極楽浄土を信じて「南無阿弥陀仏」と称する重源に帰依し
重源のためならなにがなんでも、という気持ちになったっだろう。
そうして民衆の力を得た重源は、見事に東大寺復興を成し遂げたのだ。


10月から3月末までの参拝時刻は9時から正午と13時から16時。
15時50分に浄土堂を後にする時、係の方とお話しすることができた。

堂内の写真(上の写真と同じ)のように光が射しこむ時季を尋ねてみた。

「あー、これはあくまで写真ですから。
  光が強いのは7月から秋のお彼岸くらいまでです。
  でも、毎日ここにいる私たちが、いちばん良いねと話すのは、初冬の柔らかい光です。
  光は強くないけれど、優しい光にほんわかと包まれて、穏やかな気持ちになるんです。
  夏だとちょっと光が強すぎて、ちょっと、こうね。まあ、好みでしょうけれど」

たしかに。
初冬には日の傾きも早くなり、西日が射しこむ角度や時間がまた異なってくるはずだ。
初冬には早かったが、柔らかい光に包まれ、阿弥陀様の眼差しに見守られて
快慶作の仏様に特有の崇高オーラが、我が身に降り注ぐのを感じることができた

こ、こ、これが極楽浄土の法悦か…

800年の時を超えて、人々が目にし、感じた極楽浄土が
ここ浄土寺にあることを体感したぴすけであった。


諸像の写真は、寺院パンフレット及び運慶展チラシから転載しました



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2 コメント

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私も兵庫にいました。 (芝刈り爺さん)
2017-11-14 20:58:41
10日、人混みの中、運慶展に。まあいいんでしょうが,やっぱり仏様、仏像などは,お寺さんで,,拝みたいと思っていました。いいですねやっぱりお寺のたたずまい。神奈川や,静岡のお寺にも行きたくなりました。兵庫は竹田城を見に行きました。まあよかったですね。いいお寺ですね,このお寺。
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お祀りされているその地にあってこそ (ぴすけ)
2017-11-16 20:33:48
芝刈り爺さん、遠かったですが、良い所でした。
3日は陽射し溢れる上天気で、15時30分ごろから西日が射しこむ堂内で、阿弥陀様の胸の辺りが明るくなってきたのを見た時に、「ああ、800年以上前から、多くの人がこの光景を見て胸を熱くしたのだろう」と感じました。

仏像は、文化財という側面もありますが、やはりそれ以前に人々の思いを一身に背負う信仰の対象です。
やはり、お祀りされているその地にあってこそのものだと思います。
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