ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『岳 ―ガク―』 ~原作にも野田の登場を!~

2011-05-16 00:07:17 | 映画

5月13日(金)
仕事帰りにダーリンと待ち合わせをし、レイトショーで映画『岳―ガク―』を観てきた。
原作は石塚真一の『岳 みんなの山』(小学館・ビッグコミックス)で、最新14巻が発売中だ。
私は、第1巻から購読しているが、最近は「ちょっとな~」という感じになっていて
正直に言えば、半ば惰性で購入し、とりあえず読んでいるというところだ。


あらすじは…
日本の北アルプス山系を庭として生まれ育ち
世界中の巨峰を登り歩いて、高度な山岳技術とあらゆる山の知識を会得した登山家・島崎三歩。
彼は日本に戻ってから、その能力を生かして山岳ボランティアとして登山者達の命を守る。
そんな三歩のいる山で起きる出来事を、三歩を取り巻く人々との物語として描く。
というものである。


映画自体は、突っ込みどころは満載であるが、腹を立てずに楽しめる水準にはなっている。
キャスティングもうまくいっていると思う。
下馬評では三歩を演じるにあたっては、ちょっと線が細いのではなかとか
ちょっと若いのではないかとか、山より都会のにおいがするとか
あまり期待できないような感じを持たれていた小栗旬が、そこそこ良い線を行っている。
ほかのキャストも、設定が原作とかけ離れている阿久津を除けば違和感はない。
ストーリー展開も予測がついてしまうものの、『海猿』のように陳腐なお涙頂戴劇ではない。
音楽も、『劒岳 点の記』のように池辺晋一郎が音楽監督であるにもかかわらず
既存のヴィヴァルディやモーツァルトでお茶を濁すことはせず
佐藤直紀が多少松村崇継の『氷壁』サウンドトラックの香りをさせているものの
大変よく書いていると思う。
ただ、残念なことに、どんな音楽だったか思い出せない
『劒岳 点の記』には申し訳ないが、映画を総合芸術として新しく作ろうとしているならば
音楽にクラシックを持ってくる手法は、私にとって論外である。
すぐに思い浮かぶヴィヴァルディやモーツァルトの美しい旋律が
たとえその映画に相応しいものであったとしても
既存の音楽をあてがうような手法では、映画を総合芸術として捉え
その一部として音楽があり、その映画に相応しい音楽を作ろうとする意志や気構えを感じられない。
それであれば、どんな旋律だったか思い出せなくても
たとえ『氷壁』のかおりを漂わせていても、この映画のための音楽を作った(作らせた)
プロデューサーや監督、作曲家に軍配を上げたい。


さて、この映画の主人公は島崎三歩である。
原作での三歩の超人ぶりでは映画に馴染まないと悟った監督・片山修は
小栗旬に映画ならではの三歩を演じてもらうことで、三歩の持つ素直さや頓着のなさを殺すことなく
山を愛し、登山者を愛する三歩のメッセージを発することに成功している。
だが、敢えて私の主観を述べると
この映画の主人公は、長野県警北部警察署山岳救助隊隊長の野田正人だと思う。
佐々木蔵之介の好演も相まって、山の楽しさや厳しさを
野田が山岳救助隊隊長として語り、体現してくれていると感じるからだ。
野田は、原作では三歩のおさななじみという設定だが、映画では先輩として設定されている。
原作で野田は、椎名久美の上司として解説者のような役割を与えられており
地味で、あまり目立たず面白味もないので、だんだんと登場する機会も減り
最近はどこに行ってしまったんだろうと思っていた。
実は、私は原作でも野田に対して、少なからぬ興味と好意を抱いていたのである
その野田、映画では登場機会多数、「進む勇気より、撤退する勇気を持て!」と言う。
救助隊隊長という指揮官として、常に冷静であり鉄則を守り抜く姿勢は
我々1登山者も、そこに学ぶものが大いにある。
原作にも、野田の登場機会が増えることを切望する!



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