ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

日々の記録。見たり、聞いたり、買ったり、食べたり。

今日の見もの(衝撃のヴァイオリン・ソナタ)

2012年03月12日 18時24分44秒 | 見もの

フランク:ヴァイオリンソナタ
ブラームス:ホルン三重奏曲
イツァーク・パールマン,ヴラディーミル・アシュケナージ
市立図書館蔵

衝撃的な曲だ。素晴らしい。

例によって、NHK-BSの名曲探偵アマデウスで教えてもらった曲だ。それまでは全く知らなかった。フランクという人さえ知らなかった。自分の知識なんてその程度だ。ここによくCDのことを書いているが、その程度の人の書き込みだと思って読んで欲しい(笑)。

さて本題に戻るが、アマデウスは録画しているが、仕事もたくさんあるからいつでも見る時間があると言うことではない。撮りためたものでも、時間がないからもうこれはやめようなんて消してしまう物だってある。アマデウスに関しては基本的には見るようにしているが、タイトルによってはさほど興味がわかないものがあるのは事実だ。このタイトルはそんなニオイのしたものだった。それでも折角録画したのだから見てみるか、途中でつまらなかったら止めればいい。そんな気持ちで見始めた。

番組はいつものように大仰なアクションと、わざとだろうが、イモっぽい演技で進行していく。今回は、可愛らしい花を持った記憶喪失の男との出会いから始まる。彼が来るととてつもなく寒い風が吹いたのが展開への暗示だった。NHKは何度も再放送してくれるし、オカネモチはビデオ・オン・デマンドなんて使っている人もいるだろうからこれ以上は書かない。各自で楽しんでくださいね。

曲に戻るが、冒頭から不思議な旋律が流れる。水の中をユラユラ漂っているような曲。ヴァイオリンがそれを奏で、ピアノは出しゃばらず音を出す。時にはヴァイオリンが音を消し、ピアノの独奏がある。いずれにしても大きく自己主張をする壮大な音ではなく、控えめというか、とにかくユラユラ、ボーッと気を失いそうな不可思議な音が続く。聴いていて、とにかく即欲しかった。すぐに図書館のHPに繋ぎ検索した。県立にはたくさんあるのだろうが、現在予約中のものがありこれ以上は予約できない。うまい具合に市立には空きがあったので検索して1枚だけ出てきたのがこれだった。即予約してすぐ届いた。さすがにマイナーな曲なのだろう、誰も予約してなくて在庫中。ありがたいことだ。

このCDだが、曲は素晴らしい。たぶん演奏も素晴らしいのだろう、なんせ大物演奏家のものだから。惜しむらくは音が悪い。CD裏面には「ADD」の表記がある。アナログ録音をデジタル化したものだ。1968年の録音だから、アシュケナージ若かりし頃のもの。その頃でもとても良い録音状態のものもあるのだが、これはそうでもない。悪くはないにしろ、聴いていていいなとは思えない。少しいらつくのは事実だ。まぁマスタリングのせいかも知れないけど。

廉価版のCDの再発では往々にしてこう言うことがある。製盤の悪さが音に出る奴だ。そんな理由でのこの音質なのか、元々この程度の音質だったのかは判断できない。もし音がよく演奏もよいCDがあるなら買いたいものだ。CDはもうあまり買わないようにしようとは思っているのだが、だからといって絶対買わないわけではない。いいものにはお金を出すし、売れるものだ。私も喜んでお金を払うだろう。

このブログ、ありがたいことにかなりの人が訪れてくださる。その中には随分よくご存じの方もいらっしゃるのではないか。教えていただけたら幸いである。

ランク:素晴らしい曲だ。こんな曲を知らなかったとは・・。
    出会えたことにとても感謝している。

アマゾンで調べると、これと同じCDもあるが、更に曲の加わったものもあるようだ。

こちらには「ホルンとピアノのためのアダージョとアレグロ変ホ長調op.70(シューマン)  」と「ホルンとピアノのためのロマンスop.67(サン=サーンス)」が加わっている。別録音ではなく、フランクと ブラームスは同じ物ではないかと思う(確証はない)。買う人がいるならこっちの方がお得かもね。

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今日の見もの(涙そうそうプロジェクト;広島)

2012年03月11日 15時06分21秒 | 見もの

涙そうそうプロジェクト 広島・昭和20年8月6日

この映画を見るのは二度目だ。見るべき映画で大切であるとも思うが、見ていて気分が明るくなるわけでもなく、もう見なくていいやと思っていた。しかしもう一度見るべきチャンスがやってきて、ほぼ義務感のみで見たわけだ。結果、見直してよかったと今思っている。

内容については、原爆の日の少し前から当日までをえがいたもので、実話かフィクションかわからないが、老舗旅館を切り盛りする3姉妹と弟の4人をえがいたものだ。弟のみ助かったが、3姉妹はいろいろな形で死んでいった。出演者に松たか子など大物がいたが、なんと言っても生き残った弟の成長した役の西田敏行がすばらしい。彼がいなかったらずいぶんこの映画の印象が変わっただろう。この映画は特番として流されたものと思う。今でも手にはいるのかどうかわからないが、一度は見て欲しい映画でもある。ちなみに近所のTSUTAYAには置いてなかったようだ。ネットで取り寄せることができるなら見られるのかもしれない。

ここから先は書こうか書くまいかと悩んでいるのだが、書き残しておきたい気が強いので書いておくことにしよう。

被爆直後の写真はあまりない。多くの写真は人体実験の結果を調べたいアメリカ軍が来てから撮られたものだ。今見られるのは、被爆者が自分の目で見た光景を絵にして残してある物ぐらいだ。その中にこんな一枚があった。皮膚が剥けて唯一爪のところで止まって垂れた人の絵、そんな人の横に泣きながら立っている幼い男の子が描かれていた。

『その子は、「痛いよう、痛いよう、おかあさん・・」と言いながら腕を抱えていました。その腕は自分のちぎれた手だったんです。』

絵を描いた人の言葉だ。

その子はすぐに死んでしまったらしい。私は聞きながらこう思った。「良かったね。もう痛くなくなったでしょ。お母さんに会えるね。あの世できっと待っててくれるから抱いてもらってね。」

小さな子がこんな仕打ちを受けていたことは、決して許せることではない。激しい憤りと悲しみを感じる。

知り合いに40歳ぐらいの人がいるのだが、彼は被爆二世らしい。お父さんは2歳の時に被爆したと言っていた。と言っても離れたところだったので、体は無傷。残留放射能は浴びたのだろうが、未だに体の不具合もなく元気だそうだ。本人も「8月6日が来るたびに、あぁオレって被爆二世なんだ・・」と思い出すぐらいで、普段は「覚えてすらない」と言っている。

そんな彼の結婚が決まったとき、今でもある広島の本家に電話した。結婚の話を聞いて、叔父は最初にこう言ったそうだ。

「どこの人間じゃ!?」

彼は驚きながらも、意味が分からず沈黙した。叔父は言った。

「アメリカ人か!!」

イヤ違う。普通の日本人だ。

彼がそういうと、叔父は一言言った。「それならいい。」

彼は思いだした。広島の本家で聞いた言葉だ。

「何を言おうと、何があろうと、アメリカ(が原爆を落としたこと)だけは絶対にゆるさん」

憎しみは破壊を生み、その連鎖は永遠に終わらない。終わらせるのは「許す」ことだ。

そんな意味のことを立派な人(か宗教家か)が言っていた。そうだと思うが、現実とはかけ離れているものでもある。今それを痛感している。

ランク:見てください。

1つだけ難を指摘しておくと、老舗旅館でお金やものもあったのはわかるが、着ている服がきれいすぎる。例えばセーラー服にしても白くてピカピカだ。いくら清潔好きの日本人とは言え、当時としてはきれいすぎるだろう。これは他の女学生にしても同じで、そのあたりに違和感を感じる。昔戦国自衛隊という映画を作った時、戦車があまりにもピカピカで笑っちゃったことがあったけど、それと同じ。NHKの大河ドラマの絵を「汚い」と言っているお人がいるが、華やかな貴族と実際にあんな格好だった武士を対比して描いているのは明白だろうに。全員がピカピカの服を着ていたらただのつくりもんじゃんか。私には理解できない。

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おチビの大冒険(警察出動大騒動編)

2012年03月10日 10時46分06秒 | 日記

写真は関係ありません 

これは実話である。 

 子どもが気づいた。チビ用のミルクが切れている。近所に買いに行こうと思ったが、チビは「一緒に行かない」とダダをこねる。まぁ近所だしすぐ帰るからと玄関やあちこちに施錠して出かけた。 

 帰宅すると玄関の鍵が開いている。中にはいるとクローゼットは開きっぱなし、庭に面したガラス戸は全開、タンスには物色したあとがある。チビの姿はどこにもない。靴もそのまま置いてある。まさか素足で外に出ることはないだろう。子どもはパニクった。 

 最近チビは自分でドアの鍵を開け外に出ることがあった。出て二階のお友だちの家で遊んだり団地内の公園に行ったりしていた。またそこかと二階に上がると、アパートの住人は外出中らしい。車がないから間違いない。公園にもいない。近所を探し回っても見つからない。考えたくないが、連れ去られたと子どもは判断した。110番すると、警察は「すぐ出動します」。不安な子どもは実家に電話しようとした。 

 その頃、実家にピンポンの音がした。家人が出ると、『ばぁーばぁー!!』明るい声が聞こえる。チビはピンポンに届かないから自分では押せない。あぁ娘がチビを連れてきたのだなと思って玄関に出ていくと、チビは『ここからは入っちゃダメ。ここはばぁーばぁーのおうちだから』なんて言っている。いつも散歩しているお年寄りが傍らにいて、まぁしっかりしたお孫さんですねぇなんて言いながら通り過ぎていった。家人が周りを見回しても子どもはいない。あれ、何でチビだけがいるの?? それに夏のような薄いトレーナー(寝間着用)一枚で、同じく夏の帽子とサンダルばき。足も手も凍えるように冷たい。チビはそんなことに頓着せず楽しく笑っている。子どもに電話すると、驚いたようなホッとしたような声が帰ってくる。すぐ警察に電話して「実家に一人で行ってました。大丈夫です・・。」と平謝り。 

 子どもの住まいから我が家までは、自転車で10分ほど。大人が歩けば20分から30分弱だろうか。歩くにはちょっと遠いかなぐらいの距離だ。そこを一人で歩いてきたらしい。 

 ママが出かけてしばらくはいい子していたようだが、庭で砂堀しているうちに実家に来たくなったのだろう。クローゼットを開け、踏み台を持ってきて帽子を探し、夏のを発見してそれをかぶると、庭にあったサンダルを履いて家を出たらしい。今まで歩いてきたことはなかった。いつも自転車に乗せられていた道だ。それをたぶん数十分かけて歩いたのではないか。子どもは案外速く歩くから、大人と同じぐらいの時間だったかもしれない。それでも30分ぐらいはかかるだろう。裏道を通れば信号はないが、間違いなく踏切は通らないといけない。最近信号を見て『赤だ。渡っちゃダメ。青になった。渡りましょ!』なんて言っていたから、信号は守れたのかもしれない。しかしいったいどこを通ってどうやって一人できたのか、未だに不明である。 

 後で「信号は渡ったの?」と訊くと、『信号無いから』と言う。と言うことは裏道を通り、踏切を渡ってきたのだろう。『ケーキ屋さんの前も通らなかった』と言うから、広い道に面した道も通ってないのだろう(チビの言葉を信じればだが)。ホント、よく事故にも遭わず、悪い人に連れ去られずに終わったものだと胸をなで下ろしている。 

 子どもの話によると、後で警察から電話があり、「(誘拐されて)身代金を請求されたから「大丈夫」と連絡したんじゃないの」と何度も訊かれたそうだ。子どもが本当に違うんですと平謝りして、出動が取り消されたらしい。警察の対応には感謝している。ありがたいことだし、そのような心配り、チェックをしてくれるのは、さすが専門家と言うことか。

 しかし子どもの能力というのはすさまじいものだ。誕生日が近いとは言え、まだ二歳だ。自転車に乗せられて上から見た風景と自分の目線の風景は随分違うだろうに、そこを迷いもせず一人でやってきて、知らないおばあさんに頼んで呼び鈴を押してもらって入ろうとするなど、いったい誰が想像できるだろうか。この歳だからこんなことは出来ないはずってのは絶対にないことだと改めてわかった。

 しかし本当に無事でよかったと神様に感謝している。ものすごい事件だった。

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おかあさんの手

2012年03月07日 19時00分50秒 | 日記

 先日出かけた先で思いがけない人に出会った。

 別にめずらしい人ではないのだが、まさかここで会うとは思わなかったので驚いた。相手も同じで、なんでここでと言う出会いだった。一通り挨拶した後、私にはとても気になることがあったので、それを聞いてみた。随分ぶしつけで礼儀知らずなのだが、それはとても気がかりなことであった。

 職業柄、人にものを話すことは多い。その話は必ず幾ばくかの真実を含んでいる。創作やでっち上げの話は、どんなによくできていても人の心の琴線に触れることはない。真実や本当に感じた気持ちは、例え話すのがヘタであっても必ず人の心に残るものだ。だから、多少はぼかしたり(個人)情報が漏れないように配慮することがあっても、私の話すことはいつも本当のことである。実際にあったことしか言わない。でも今まで誰にも言ってないこともある。言うことが出来なかったことがある。

 私の田舎は鉱山の町だ。「やまおとこ」なんて言うとたいそう男らしい荒くれた職業に感じるかも知れないが、実際の彼らはサラリーマンだ。会社に着いて、服を着替えて坑内に入る。鉱石を掘ってドロドロの体をお風呂できれいに洗い流して会社を出る。そこまでが8時間。実際の仕事は6時間ぐらいだろうか。それでも高給取りだ。20代でも普通の40才の人がもらうぐらいの高給をもらっていたらしい(と聞いた)。命がけの仕事だからね。

 実際、友人の父親は落盤で命を落とした。落盤で死んだ人なんて悲惨よ。大きな重い石や泥でぐちゃぐちゃになる。おかあさんに死体の確認をしてもらった時、目も飛びだしぐちゃぐちゃの、人間かボロ雑巾かわからない姿を見て、「こんなのおとうさんじゃない」と決して認めようとしなかったと言う話を聞いた。命をかけている分、もらえる見返りが多い。それが自分の住んでいた鉱山の町だった。

 そんな人たち、彼らは格安の社宅に住み、専用の安いスーパーで買い物して大きな銭湯に出入りしていた。お金を持っているから、基本的には母親は働いていない。おとうさんの給料だけで十分だ。うちの家は鉱山とは関係なく、手取りも大したことがない普通の貧乏人だった。家のことはおばあちゃんに任せて、父の手伝いをしながら母も働いていた。小さな時はそんなことはわかりもしなかった。

 ある時、それは幼稚園のお遊戯の時だった。参観日で、母親たちがやってきて、みんなで手を繋いで踊った(らしい)。子どもが輪になり、その外側に母親たちが輪になり、フォークダンスのようにパートナーチェンジしながら踊った(のだと思う)。その後、母親たちは帰ったのかな、、子どもどうして何かの会話をした。ある子が言った。

「どこのおかあさんか知らないけど、すっごい手がざらざらの人がいたよ」

男の子が言うと、別の女の子が「私もわかった。誰のおかあさんかなぁ」

 私は知っていた。鉱山で働いている家の母親の手はみんなきれいだ。すべすべしている。そんなざらざらの手はうちの親しかいない。私は、その母親が誰かわからなかったことに感謝した。

 今から考えたら随分ひどい話だ。自分のために働いてくれている母親の手が荒れているなら、それは愛のおかげだ。胸張ってもいい。だけど、小さな子どものことだ。そんなことは思いもしなかった。隠したかった。

 今の私はそうは思ってない。母親の荒れた手は誇りでもある。だけど彼女、若くてきれいな時でさえそんな手でなければいけなかったのは、嬉しいことではなかっただろう。それを思うと胸がチリチリする。

 こんなことで、自分にとって、出来ることなら母親の手はツルツルふっくらと美しくあって欲しい。それは彼女のためではなく、子どもたちのためだ。そして、ひいては母親自身のためでもある。きれいな美しい手のままでいたら、それだけで幸せで良かったねと言いたくなる。

 出会った人、その人はたぶん私の考えは知らないだろう。一体何でこの人は手にこだわるのかと訝しく思ったかも知れない。その通りだと思う。それは妙で、無作法で、礼儀知らずな行動なのだ。だけど今自分はすごく満足している。おかあさんの手は常に柔らかくきれいであって欲しい。それがわかっただけでとても幸せな気分である。

 

時には写真がないのもいいでしょう。今日はこれでおしまい。

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今日の買いもの(二種類の鞄)

2012年03月03日 17時57分15秒 | 買いもの

アディダスのリュックサック 3980円-10%
布っぽい紙みたいなバッグ 315円
イオン、イオンの300円ショップ

仕事で出かけなければいけないことがあるのだが、多くの場合自分は機械を持っていかなければいけない。撮影用のビデオカメラや一眼レフ+重いズームレンズなんかだ。でもそれは肩からかければいいし、バッテリーや付属品もウエストポーチやカメラマンベストでどうにかなることも多々ある。しかし、書類や三脚まで重なるとそうはいかない。

先日もそうだった。私以外はほぼ手ぶら状態だが自分だけは大荷物。こう言う時に人に頼むのはイヤだから重くても自分でどうにかしている。重いのは我慢できるにしても、両腕が使えないのはいかんともしがたい。それとは別に、ちょっとしたお出かけ用の入れ物があってもいいなとは思っていた。横に飲み物を入れられるポケットが付いているのは必須。もう一つは軽いこと。高級な皮や分厚い布製の見た目の高級なのもよいが、今の自分の体力を考えたら軽いのがいい。ナイロン製なら防水にもなってよいだろう。そんなことを考えながら見つけたのがこのリュック。ファスナーのところに覆いがあって防水効果を高めているのもいい。値段も安いが、そのせいもあって薄く軽い。まさかこんなのを担いでお堅い会議に出ることもないだろうからこれでいいやと思った。アディダスなら若い子たちも知っていていいだろうと言うのもある。ちょうどイオンが10%引きで、家人が買おうというので決めた。

実はもう一つ疑問があった。陳列してあったのはこの黒が2つと青が2つ。たまたま青い服を着ていて、それには青は似合わないからと無難な黒にした。展示した時の美しさのためか、中にサッカーボールが入れてあった。先の4つに全部だ。家人は「(リュックが)膨らんでいた方が見た目がいいから入れてあるんでしょ」と言うが、自分にはそうは思えなかった。なら丸めた新聞紙でいいし、レジでこのボールを取り除いたら置き場所に困る。丸いから転がっていくからね。わざわざ入れてあるのはセットで売るからじゃないの?と思っていた。その通りで、ボールを含めて上の値段だった。

サッカーは好きだが、もっぱら見る方で、するわけではないからまともなボールは持ってない。チビと玉遊びをするならこれで十分。いいおまけだった。

もう一つは上の右のバッグ。布のような紙のような、なんという名前か知らない素材で出来ている。本や簡単な書類を車に入れて運ぶ時、面倒だからと紙袋を使うことが多かったのだが、すぐ破れる上に見た目が悪い。それ用にこれを買ったのだが、取っ手の部分がとても太く頑丈に出来ていて値段以上の感じがする。300円だからそうは長持ちしないにしても、大きさも色も軽さも強さも気に入った。リサイクルを選ぶか死かなんてロゴはともかくとしてね(笑)。

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今日の買いもの(人気のパン)

2012年03月01日 22時17分01秒 | 買いもの

行列のできる店、八天堂のパン(?)
アリオ倉敷 各210円(たぶん)

 アリオ倉敷も落ち着いてきた。という言い方でいいのかな、明暗が分かれてきたと言った方がいいのかも知れない。開店当初はどこも人だらけで、店という店に行列ができていて、我が家は近所だからいつでも行けるので並んでまで買おうとは思わず、まぁこの地域の特性としてしばらく経ったら落ち着くからそれから買えばいいやと思っていた。

 1月末には落ち着くだろうと思っていたが、さらに1ヶ月経った今、さすがにどの店でも行列ができるなんてことは起こらなくなった。中には閑古鳥の鳴いている店もあり、客のニーズに合っているかどうかが如実に表れている。

 この地では、うまいか安いかいい物があるか、そんなとこでないとダメだ。このあたりはラーメンが美味しく、ちょっとでも不味ければすぐ客足が遠のく。かつて美味しいラーメン屋があってよく行っていたのだが、ある時「これ味を落としたね(チャーシューの薄さとか、汁の濃さとか、合理化(笑)の結果だ)」と感じたことがあり、半年後にはつぶれて他の店に変わっていた。どんなに繁盛していた店でもあっという間に人は寄りつかなくなる。たとえどんなにいい立地条件でも同じ。東京のように美味くも無い店に人が押しかけるなんて酔狂なことは無い。味がわかるというのかシビアというのか冷たいというのか、、、まぁこの県民性で長くやっていっている店ならたぶんどこの地でもやっていけるんじゃ無いかな。私はいつもそう思っている。食べ物に限らず電気屋でも百均でも同じ。立地条件で客が来るなんてお大名商売をしている店じゃぁダメなんだよ・・。

 さてそんなシビアな県のアリオで未だに行列ができるのがドーナツ屋とこのパン屋だと家人が言っていた。ドーナツは何回か食べたことがあり、確かに美味しいから並んでない時には買ってもいいかなって思っている。こっちのパンは食べたことが無く、人が並ぶぐらいだから美味しいんだろうと思っていた。家人もそう思っていて、今日はたまたま朝早い時間帯に行ったので並んでまで買ったのだそうだ。

「お一人様10個までの制限があるんだけど、みんな10個買っていくのよ」だそうだが、「10個も食べられないから一つずつ3種類だけ(全5種類)買ってみた」と彼女は言う。要冷蔵のもので、ちゃんと保冷剤まで入れてくれ、このように一個一個がハンバーガーみたいに包まれている。買ったのは抹茶や小倉なんかなんだけど、クリームの入った生地の柔らかいパン(?)と言えばいいんだろうなぁ、ずいぶん期待して口にしたのだが、私はもうこれで堪能した。

 たまたまこの日の夕方にアリオに行ったのだが、完売だった。それぐらいなんだから一般的な評価ではとても美味しいのだろう。私のはあくまで個人の感想で、おまえが味オンチなんだと言われるならそれでいい。買ってすぐ食べていたらずいぶん印象が違っていたのじゃ無いかと思うが、今日食べた印象を素直に書くと、「私と家人は今回でもう満足しました」と言うことでした。

ランク:クリームたっぷりの特殊なパン。ケーキっぽい感じ。
    いつも行列 -> 完売なので好きな人は多いのだろう。
    我が家では十分堪能したからもういいや。

もし今度あまり人が並んでない時があったら、買って、すぐ食べてみたいと思ってます。その評価が一番正しいだろうからね。期待してます。並んで買いたくなるかもね。

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