先日出かけた先で思いがけない人に出会った。
別にめずらしい人ではないのだが、まさかここで会うとは思わなかったので驚いた。相手も同じで、なんでここでと言う出会いだった。一通り挨拶した後、私にはとても気になることがあったので、それを聞いてみた。随分ぶしつけで礼儀知らずなのだが、それはとても気がかりなことであった。
職業柄、人にものを話すことは多い。その話は必ず幾ばくかの真実を含んでいる。創作やでっち上げの話は、どんなによくできていても人の心の琴線に触れることはない。真実や本当に感じた気持ちは、例え話すのがヘタであっても必ず人の心に残るものだ。だから、多少はぼかしたり(個人)情報が漏れないように配慮することがあっても、私の話すことはいつも本当のことである。実際にあったことしか言わない。でも今まで誰にも言ってないこともある。言うことが出来なかったことがある。
私の田舎は鉱山の町だ。「やまおとこ」なんて言うとたいそう男らしい荒くれた職業に感じるかも知れないが、実際の彼らはサラリーマンだ。会社に着いて、服を着替えて坑内に入る。鉱石を掘ってドロドロの体をお風呂できれいに洗い流して会社を出る。そこまでが8時間。実際の仕事は6時間ぐらいだろうか。それでも高給取りだ。20代でも普通の40才の人がもらうぐらいの高給をもらっていたらしい(と聞いた)。命がけの仕事だからね。
実際、友人の父親は落盤で命を落とした。落盤で死んだ人なんて悲惨よ。大きな重い石や泥でぐちゃぐちゃになる。おかあさんに死体の確認をしてもらった時、目も飛びだしぐちゃぐちゃの、人間かボロ雑巾かわからない姿を見て、「こんなのおとうさんじゃない」と決して認めようとしなかったと言う話を聞いた。命をかけている分、もらえる見返りが多い。それが自分の住んでいた鉱山の町だった。
そんな人たち、彼らは格安の社宅に住み、専用の安いスーパーで買い物して大きな銭湯に出入りしていた。お金を持っているから、基本的には母親は働いていない。おとうさんの給料だけで十分だ。うちの家は鉱山とは関係なく、手取りも大したことがない普通の貧乏人だった。家のことはおばあちゃんに任せて、父の手伝いをしながら母も働いていた。小さな時はそんなことはわかりもしなかった。
ある時、それは幼稚園のお遊戯の時だった。参観日で、母親たちがやってきて、みんなで手を繋いで踊った(らしい)。子どもが輪になり、その外側に母親たちが輪になり、フォークダンスのようにパートナーチェンジしながら踊った(のだと思う)。その後、母親たちは帰ったのかな、、子どもどうして何かの会話をした。ある子が言った。
「どこのおかあさんか知らないけど、すっごい手がざらざらの人がいたよ」
男の子が言うと、別の女の子が「私もわかった。誰のおかあさんかなぁ」
私は知っていた。鉱山で働いている家の母親の手はみんなきれいだ。すべすべしている。そんなざらざらの手はうちの親しかいない。私は、その母親が誰かわからなかったことに感謝した。
今から考えたら随分ひどい話だ。自分のために働いてくれている母親の手が荒れているなら、それは愛のおかげだ。胸張ってもいい。だけど、小さな子どものことだ。そんなことは思いもしなかった。隠したかった。
今の私はそうは思ってない。母親の荒れた手は誇りでもある。だけど彼女、若くてきれいな時でさえそんな手でなければいけなかったのは、嬉しいことではなかっただろう。それを思うと胸がチリチリする。
こんなことで、自分にとって、出来ることなら母親の手はツルツルふっくらと美しくあって欲しい。それは彼女のためではなく、子どもたちのためだ。そして、ひいては母親自身のためでもある。きれいな美しい手のままでいたら、それだけで幸せで良かったねと言いたくなる。
出会った人、その人はたぶん私の考えは知らないだろう。一体何でこの人は手にこだわるのかと訝しく思ったかも知れない。その通りだと思う。それは妙で、無作法で、礼儀知らずな行動なのだ。だけど今自分はすごく満足している。おかあさんの手は常に柔らかくきれいであって欲しい。それがわかっただけでとても幸せな気分である。
時には写真がないのもいいでしょう。今日はこれでおしまい。