=規制緩和と安全=陸運業界①
◆ 交通産業を「金儲け第一」に変えた規制緩和
イギリス、米国に次いで1990年代から急速に進展した新自由主義政策は「企業間の競争を激化させ、価格が低下しサービスが向上する。その結果、消費者が恩恵を受ける」「規制緩和により新たなビジネスチャンスが生まれ、日本経済が活性化する」この政策のもとに数度の規制緩和は、近年まで4次にわたり延べ7千項目の「規制改革」が実施された。
規制緩和は、市場競争原理に基づいた弱肉強食政策のため、競争の激化に伴う激しいコスト削減競争が展開される結果、技術力の低下、安全性、欠陥商品などの問題が起こることが当初から問題視されていた。とりわけ交通運輸への競争原理は、安全運行を損なう事が危惧されていた。
4月29日未明に関越道藤岡ジャンクションで発生した「高速バスツアー」事故の直接原因は運転手の夜通し長距離運転に伴う居眠りにあったが、規制緩和以降の過当競争のしわ寄せが運転手への過重労働へと繋がり、結果として乗客の生命・財産を脅かし奪ったものと多方面から指摘されている。
過当競争が強まる中で中小零細ツアーバス会社にとっては法令順守どころか、問答無用の低賃金と過酷な労働環境での運営が続いていた。
結果として、利用者の利便性や快適性、市場の活性化など存在せず、「安かろう、危なかろう」という安全危機の淵での運行であり、働く側の生活も年収200万以下と破壊されていた。
事故を起こした事業者はもちろん社会的に非難を全面的に浴びるものの、この背後要因が国の新自由主義政策に基づく規制緩和にあることにメスを入れない限り、同様の事故が繰り返される。そして今回、再びその事故は起こってしまった。
交通運輸産業(バス・ハイタク・トラック・鉄道)の労働組合で構成する群馬県交運労協(5千名、事務局・国労高崎地本)も、県内で起きたあまりにも衝撃的な事故であることから、国交省群馬運輸支局に対し「規制緩和の見直し、事故の再発防止、安全対策」について要請行動を取り組んだ。
当時、マスコミもこぞってもてはやした規制緩和は、再び多くの人命を奪うという今回の大事故を受けて、国は果たしてその責任をどう考えているのか。事業者・運転手の法令違反問題にすり替えるだけでは、事故の再発は防げないということを追及していかなければならない。
今回のツアーバス事故を受けて国交省が緊急監査の実施を行った結果、全国の貸切バス会社298社のうち、8割を超える250社の法令違反が判明した。
このうち48社は、複数の運転手の日雇いや会社の名前を第三者に利用させる「名義貸し」などで、重大、悪質な違反として処分の厳罰化が進められて行くこととなる。
ようやくと言っていいほどの緩慢な動きであり、人命が奪われてからの対応では余りにも遅すぎるが、本質的な事故の背後要因にまでメスが入っていないことが、今後の問題となってくる。
競争とコスト削減の渦に巻き込まれた結果、取り返しのつかない甚大な被害となり、亡くなった乗客らの遺族の悲しみは消えることはない。
公共性と安全性を担保しなければならない交通運輸部門は、規制緩和の対象とすべきではなかった。安全輸送を担保させる法整備こそ行政の責任である。
◆ 安全より「稼げ」へ
05年4月25日、107名の命を奪ったJR西日本尼崎事故は、制限速度を大きく上回る時速100キロを超す速度で現場右力ーブに近づき、非常ブレーキを作動させたことで、車体が安定性を失い脱線につながった。
その後の事故調の最終報告は「ATS」(自動列車停止装置)の設置が指摘された。しかし、ここにも規制緩和の影響が及んでいる。
JR発足以降「鉄道に関する規制緩和」で、鉄道構造規則(曲線半径基準)条文のカーブ進入速度の具体的な数字が消え、事業者にとっては、スピードアップに対応できることとなった。
JR西日本では、発足以降関西私鉄との競合の中で、基本戦略として収益拡大、人件費を中心としたコスト削減、外注化、協調組合の育成をいち早く進めていた。
発足から2万人もの人減らしの中で、日勤教育に象徴される厳罰主義によってミスを許さないという体質は、必然的に安全をなおざりにした綱渡り的な運行となっていた。
その尼崎事故で、今年1月11日、神戸地裁は業務上過失致死罪に問われていた山崎前社長に対し無罪判決を言い渡した。
神戸地裁は被告の危険性の認識、注意義務などについて免罪し、事故の直接的な背景である懲罰的な日勤教育についても判断を退けた。JR西日本の経営陣の責任を免罪した判決に対し、遺族は「このままでは誰が責任を取るのか無罪のままでは終われない」と怒り、控訴を決めた。
独善的企業体質が、コスト削減で内部チェック機能を喪失、モラルを崩壊させ、法令違反、偽装・隠ぺいを繰り返している。労働組合も何をしているか、と社会非難を浴びるのは当然である。
◆ 求められる労組の存在価値
昨年3月11日の東日本大震災から1年5ヵ月経過したが、被災地では、現在も厳しい生活を強いられている。JR東日本では、100億とも試算されている地震と津波・原発事故による被害の復興費用を国に求めている。しかし、今回の大震災・津波で被害を被ったのはJR東日本だけではない。
昨年、JR東日本株主総会で、株主から「被害を受けた三陸鉄道への対応は」と質問が出された。取締役の回答は「株主様の利益にならないことはしない」と言い切った。
第三セクターは経営が別であるからJRは関与しないということだが、同じ被害に直面しながら痛みを共有しようともしないJR企業の体質が明確に現れた。これに対し株主からは「それなら高額な役員報酬をアップしないで被災地にカンパぐらいしてみろ」と痛烈なヤジが浴びせられた。
JRは、企業統治=コーポレート・ガバナンスを持ち合わせているのか。
社員に犠牲を強い、非正規労働者を拡大し、自らは高額な役員報酬を得るという典型的な「官僚体質」丸出しの企業感覚は今後許されなくなるだろう。
JR東日本は経営理念として「地域・社会との共生と持続的成長」などを掲げている。しかし、「信濃川違法取水問題」を見れば、その内実は利益・効率主義で公共交通としての社会性、地域経済との共生を軽んじてきた姿勢は明らかである。
「信濃川違法取水裁判」は、信濃川発電所に於いてJR東日本が02年以降、違法な取水を継続していたとして国交省から取水取り消しを受け、57億円の経営損失を出した社長以下経営陣に株主が、その損害賠償と経営責任を問う裁判である。
公判では、会社弁護士が会社に損失を与えた経営陣を擁護し弁明を行っている姿は滑稽である。「57億円は損失ではない。事件を通じて地元への説明不足を補うものとして地域共生の健全な支出だ。毎秒にすれば0.5トンの僅かなオーバーであり違法といわれるものではない」などと反論しているが、傲岸不遜も甚だしい。
これもJR東日本の収益重視の「コスト削減」の徹底が招いた事件であり、コンプライアンスの崩壊に繋がっている。
規制緩和は、大企業・中小・零細にかかわらず法の網をかいくぐり、あくなき「儲け」競争社会をはびこらせて行くことになる。
新自由主義勢力は、今もなお践雇しようとしており、私たちは私たちだけの枠内での議論や・主張や運動にとどまることなく、そして個別問題意識でなく、多方面から生活者の立場に立った世論形成と運動づくりに奮闘しなければならない。
3・11大震災で人々の価値観は変わった。そして私たち労働組合の運動も、どう社会の中で安全と安心の交通体系を整備確立していくのか、社会的労働運動として奮闘していかなければならない。その最前線である現場と地域から闘っていきたい。
『労働情報』(845・6号 2012/8/15&9/1)
◆ 交通産業を「金儲け第一」に変えた規制緩和
唐沢武臣(国労高崎地本書記長/群馬県交運労協事務局長)
イギリス、米国に次いで1990年代から急速に進展した新自由主義政策は「企業間の競争を激化させ、価格が低下しサービスが向上する。その結果、消費者が恩恵を受ける」「規制緩和により新たなビジネスチャンスが生まれ、日本経済が活性化する」この政策のもとに数度の規制緩和は、近年まで4次にわたり延べ7千項目の「規制改革」が実施された。
規制緩和は、市場競争原理に基づいた弱肉強食政策のため、競争の激化に伴う激しいコスト削減競争が展開される結果、技術力の低下、安全性、欠陥商品などの問題が起こることが当初から問題視されていた。とりわけ交通運輸への競争原理は、安全運行を損なう事が危惧されていた。
4月29日未明に関越道藤岡ジャンクションで発生した「高速バスツアー」事故の直接原因は運転手の夜通し長距離運転に伴う居眠りにあったが、規制緩和以降の過当競争のしわ寄せが運転手への過重労働へと繋がり、結果として乗客の生命・財産を脅かし奪ったものと多方面から指摘されている。
過当競争が強まる中で中小零細ツアーバス会社にとっては法令順守どころか、問答無用の低賃金と過酷な労働環境での運営が続いていた。
結果として、利用者の利便性や快適性、市場の活性化など存在せず、「安かろう、危なかろう」という安全危機の淵での運行であり、働く側の生活も年収200万以下と破壊されていた。
事故を起こした事業者はもちろん社会的に非難を全面的に浴びるものの、この背後要因が国の新自由主義政策に基づく規制緩和にあることにメスを入れない限り、同様の事故が繰り返される。そして今回、再びその事故は起こってしまった。
交通運輸産業(バス・ハイタク・トラック・鉄道)の労働組合で構成する群馬県交運労協(5千名、事務局・国労高崎地本)も、県内で起きたあまりにも衝撃的な事故であることから、国交省群馬運輸支局に対し「規制緩和の見直し、事故の再発防止、安全対策」について要請行動を取り組んだ。
当時、マスコミもこぞってもてはやした規制緩和は、再び多くの人命を奪うという今回の大事故を受けて、国は果たしてその責任をどう考えているのか。事業者・運転手の法令違反問題にすり替えるだけでは、事故の再発は防げないということを追及していかなければならない。
今回のツアーバス事故を受けて国交省が緊急監査の実施を行った結果、全国の貸切バス会社298社のうち、8割を超える250社の法令違反が判明した。
このうち48社は、複数の運転手の日雇いや会社の名前を第三者に利用させる「名義貸し」などで、重大、悪質な違反として処分の厳罰化が進められて行くこととなる。
ようやくと言っていいほどの緩慢な動きであり、人命が奪われてからの対応では余りにも遅すぎるが、本質的な事故の背後要因にまでメスが入っていないことが、今後の問題となってくる。
競争とコスト削減の渦に巻き込まれた結果、取り返しのつかない甚大な被害となり、亡くなった乗客らの遺族の悲しみは消えることはない。
公共性と安全性を担保しなければならない交通運輸部門は、規制緩和の対象とすべきではなかった。安全輸送を担保させる法整備こそ行政の責任である。
◆ 安全より「稼げ」へ
05年4月25日、107名の命を奪ったJR西日本尼崎事故は、制限速度を大きく上回る時速100キロを超す速度で現場右力ーブに近づき、非常ブレーキを作動させたことで、車体が安定性を失い脱線につながった。
その後の事故調の最終報告は「ATS」(自動列車停止装置)の設置が指摘された。しかし、ここにも規制緩和の影響が及んでいる。
JR発足以降「鉄道に関する規制緩和」で、鉄道構造規則(曲線半径基準)条文のカーブ進入速度の具体的な数字が消え、事業者にとっては、スピードアップに対応できることとなった。
JR西日本では、発足以降関西私鉄との競合の中で、基本戦略として収益拡大、人件費を中心としたコスト削減、外注化、協調組合の育成をいち早く進めていた。
発足から2万人もの人減らしの中で、日勤教育に象徴される厳罰主義によってミスを許さないという体質は、必然的に安全をなおざりにした綱渡り的な運行となっていた。
その尼崎事故で、今年1月11日、神戸地裁は業務上過失致死罪に問われていた山崎前社長に対し無罪判決を言い渡した。
神戸地裁は被告の危険性の認識、注意義務などについて免罪し、事故の直接的な背景である懲罰的な日勤教育についても判断を退けた。JR西日本の経営陣の責任を免罪した判決に対し、遺族は「このままでは誰が責任を取るのか無罪のままでは終われない」と怒り、控訴を決めた。
独善的企業体質が、コスト削減で内部チェック機能を喪失、モラルを崩壊させ、法令違反、偽装・隠ぺいを繰り返している。労働組合も何をしているか、と社会非難を浴びるのは当然である。
◆ 求められる労組の存在価値
昨年3月11日の東日本大震災から1年5ヵ月経過したが、被災地では、現在も厳しい生活を強いられている。JR東日本では、100億とも試算されている地震と津波・原発事故による被害の復興費用を国に求めている。しかし、今回の大震災・津波で被害を被ったのはJR東日本だけではない。
昨年、JR東日本株主総会で、株主から「被害を受けた三陸鉄道への対応は」と質問が出された。取締役の回答は「株主様の利益にならないことはしない」と言い切った。
第三セクターは経営が別であるからJRは関与しないということだが、同じ被害に直面しながら痛みを共有しようともしないJR企業の体質が明確に現れた。これに対し株主からは「それなら高額な役員報酬をアップしないで被災地にカンパぐらいしてみろ」と痛烈なヤジが浴びせられた。
JRは、企業統治=コーポレート・ガバナンスを持ち合わせているのか。
社員に犠牲を強い、非正規労働者を拡大し、自らは高額な役員報酬を得るという典型的な「官僚体質」丸出しの企業感覚は今後許されなくなるだろう。
JR東日本は経営理念として「地域・社会との共生と持続的成長」などを掲げている。しかし、「信濃川違法取水問題」を見れば、その内実は利益・効率主義で公共交通としての社会性、地域経済との共生を軽んじてきた姿勢は明らかである。
「信濃川違法取水裁判」は、信濃川発電所に於いてJR東日本が02年以降、違法な取水を継続していたとして国交省から取水取り消しを受け、57億円の経営損失を出した社長以下経営陣に株主が、その損害賠償と経営責任を問う裁判である。
公判では、会社弁護士が会社に損失を与えた経営陣を擁護し弁明を行っている姿は滑稽である。「57億円は損失ではない。事件を通じて地元への説明不足を補うものとして地域共生の健全な支出だ。毎秒にすれば0.5トンの僅かなオーバーであり違法といわれるものではない」などと反論しているが、傲岸不遜も甚だしい。
これもJR東日本の収益重視の「コスト削減」の徹底が招いた事件であり、コンプライアンスの崩壊に繋がっている。
規制緩和は、大企業・中小・零細にかかわらず法の網をかいくぐり、あくなき「儲け」競争社会をはびこらせて行くことになる。
新自由主義勢力は、今もなお践雇しようとしており、私たちは私たちだけの枠内での議論や・主張や運動にとどまることなく、そして個別問題意識でなく、多方面から生活者の立場に立った世論形成と運動づくりに奮闘しなければならない。
3・11大震災で人々の価値観は変わった。そして私たち労働組合の運動も、どう社会の中で安全と安心の交通体系を整備確立していくのか、社会的労働運動として奮闘していかなければならない。その最前線である現場と地域から闘っていきたい。
『労働情報』(845・6号 2012/8/15&9/1)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます