★ 731部隊被害者遺族らが証言 11月23日 会場あふれる参加者
「父は帰ってこなかった」
731部隊被害者の遺族や遺棄毒ガス被害者の証言を聞く集会が23日東京豊島区内で開かれ、330人が参加しました。731部隊被害者遺族を支える会が主催。
証言台には李風琴さん(69)(写真上;右側)が立ち、父親の李鵬閣さんは、1941年春に牡丹江で日本の憲兵隊に連行され、731部隊に送られ殺害されました。
しかし、この事実が明らかになったのは数年前のこと。遺跡や資料を保存管理している「侵華日軍731部隊罪証陳列館」の職員が、記録の中から父親の資料を探し出しました。
李さんは「日本軍は私の祖母、母、兄弟たちから肉親を奪い、私たち一家に、数えきれない苦痛と永遠に消し去ることのできない心の傷を残した」「多くの日本人に日本軍国主義が犯したことを知ってもらい、日本政府に謝罪してもらいたい」と訴えました。
2003年に黒龍省で日本軍の遺棄毒ガスの被害にあった丁樹文さんは、工事現場で掘り起こされたドラム缶を回収する作業中に全身に毒ガスを浴びました。丁さんは、「平和に暮らす庶民がなぜ戦争で遺棄された毒ガスの被害にあわなければならないのか。日本政府には私のような被害者を救済する政策をきちっと作ってほしい」と訴えました。
≪金成民 侵華日軍731部隊罪証陳列館館長の挨拶≫
永久の平和をめざし、世界遺産への登録を!
侵華日軍731部隊罪証陳列館の金成民館長は、まず「話していることは重苦しい歴史の問題ですが、視線は、眼は、未来に向けたいと思います。」と前置きし、この20年間731部隊の保存計画に携わってきた者として下記報告しました。
◇ これまで20数年間、並大抵の苦難ではなかったが、全国と日本や国際的協力を得て、現在保存活動が本格的で国家的なプロジェクトに発展し、731部隊関係の設備は重点保護区が31点で25万㎡に近づいている。
調査・保存運動はここ数年大きな進展を見ており、現在の目標は、きちんと保存して利用し、これを人類の遺産として”世界遺産に申請する”ことで、731部隊遺跡の遺跡そのものの場所はハルピンにありハルピン市民はそれを守る義務があるけれども、これはハルピン市民にとっての遺産であると同時に人類共通のもので、
「戦争の悲惨さを人類みんなに警告する証拠としての価値があり、これを永久に保存していくことは永久の平和につながることだと考えています。人類共同の平和のための731部隊の遺跡を皆様とともにきちんと守って、平和を愛する私たちが守り続け後世に伝えていきたい。」
金氏は最後に日本語で、「『百聞は一見にしかず』という言葉がありますから、ぜひ時間を作ってご来館ください」と参加者に呼びかけると、会場全体から暖かく大きな拍手が起こりました。
集会では、731部隊の実態を描いた『悪魔の飽食』の著者森村誠一氏が記念講演を行い、市民合唱団が組曲「悪魔の飽食」を合唱しました。
山田朗明治大学平和教育登戸研究所資料館館長・明治大学文学部教授は、
「日本軍は、井戸水の中にコレラ菌をまいて1~2年後に再び伝染させていた。中国の被害者で日本の裁判に訴えた人々は、2007年に最高裁で『外国人(中国人)は日本で裁判できない』と棄却されたが、被害者の人間の尊厳が回復されていない。これを日本政府に認めさせ、事実を記憶に残し後世に伝えることが大切。」とし、細菌戦の証拠品である石井式濾水機濾過筒を金館長に贈呈。
細菌戦被害者を支援する那須重雄氏が連帯のあいさつし、731部隊被害者を支える会の南憲男代表が閉会の挨拶を行いました。
言論・表現の自由を守る会の4つの署名(国際自由権規約個人通報制度早期批准とビラ配布弾圧3事件最高裁無罪要請署名)を会場で300枚配布し、李風琴さんや金成民館長と集会参加者のみなさんと交流しました。
『今 言論・表現の自由があぶない!』(2010/11/24)
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/17965011.html
「父は帰ってこなかった」
731部隊被害者の遺族や遺棄毒ガス被害者の証言を聞く集会が23日東京豊島区内で開かれ、330人が参加しました。731部隊被害者遺族を支える会が主催。
証言台には李風琴さん(69)(写真上;右側)が立ち、父親の李鵬閣さんは、1941年春に牡丹江で日本の憲兵隊に連行され、731部隊に送られ殺害されました。
しかし、この事実が明らかになったのは数年前のこと。遺跡や資料を保存管理している「侵華日軍731部隊罪証陳列館」の職員が、記録の中から父親の資料を探し出しました。
李さんは「日本軍は私の祖母、母、兄弟たちから肉親を奪い、私たち一家に、数えきれない苦痛と永遠に消し去ることのできない心の傷を残した」「多くの日本人に日本軍国主義が犯したことを知ってもらい、日本政府に謝罪してもらいたい」と訴えました。
2003年に黒龍省で日本軍の遺棄毒ガスの被害にあった丁樹文さんは、工事現場で掘り起こされたドラム缶を回収する作業中に全身に毒ガスを浴びました。丁さんは、「平和に暮らす庶民がなぜ戦争で遺棄された毒ガスの被害にあわなければならないのか。日本政府には私のような被害者を救済する政策をきちっと作ってほしい」と訴えました。
≪金成民 侵華日軍731部隊罪証陳列館館長の挨拶≫
永久の平和をめざし、世界遺産への登録を!
侵華日軍731部隊罪証陳列館の金成民館長は、まず「話していることは重苦しい歴史の問題ですが、視線は、眼は、未来に向けたいと思います。」と前置きし、この20年間731部隊の保存計画に携わってきた者として下記報告しました。
◇ これまで20数年間、並大抵の苦難ではなかったが、全国と日本や国際的協力を得て、現在保存活動が本格的で国家的なプロジェクトに発展し、731部隊関係の設備は重点保護区が31点で25万㎡に近づいている。
調査・保存運動はここ数年大きな進展を見ており、現在の目標は、きちんと保存して利用し、これを人類の遺産として”世界遺産に申請する”ことで、731部隊遺跡の遺跡そのものの場所はハルピンにありハルピン市民はそれを守る義務があるけれども、これはハルピン市民にとっての遺産であると同時に人類共通のもので、
「戦争の悲惨さを人類みんなに警告する証拠としての価値があり、これを永久に保存していくことは永久の平和につながることだと考えています。人類共同の平和のための731部隊の遺跡を皆様とともにきちんと守って、平和を愛する私たちが守り続け後世に伝えていきたい。」
金氏は最後に日本語で、「『百聞は一見にしかず』という言葉がありますから、ぜひ時間を作ってご来館ください」と参加者に呼びかけると、会場全体から暖かく大きな拍手が起こりました。
集会では、731部隊の実態を描いた『悪魔の飽食』の著者森村誠一氏が記念講演を行い、市民合唱団が組曲「悪魔の飽食」を合唱しました。
山田朗明治大学平和教育登戸研究所資料館館長・明治大学文学部教授は、
「日本軍は、井戸水の中にコレラ菌をまいて1~2年後に再び伝染させていた。中国の被害者で日本の裁判に訴えた人々は、2007年に最高裁で『外国人(中国人)は日本で裁判できない』と棄却されたが、被害者の人間の尊厳が回復されていない。これを日本政府に認めさせ、事実を記憶に残し後世に伝えることが大切。」とし、細菌戦の証拠品である石井式濾水機濾過筒を金館長に贈呈。
細菌戦被害者を支援する那須重雄氏が連帯のあいさつし、731部隊被害者を支える会の南憲男代表が閉会の挨拶を行いました。
言論・表現の自由を守る会の4つの署名(国際自由権規約個人通報制度早期批准とビラ配布弾圧3事件最高裁無罪要請署名)を会場で300枚配布し、李風琴さんや金成民館長と集会参加者のみなさんと交流しました。
『今 言論・表現の自由があぶない!』(2010/11/24)
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/17965011.html
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