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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

板橋高校卒業式事件と憲法

2008年09月08日 | 板橋高校卒業式
 ◎ 板橋高校卒業式事件と憲法
元板橋高校 藤田勝久


「摩周湖」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 東京高裁須田裁判長は判決文で次のように言う。
 「p、50、(2) そこで検討すると、憲法21条の保障する表現の自由が優越的地位を有することは所論指摘のとおりであるとしても、憲法21条は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限に服することを是認するものであって、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の財産権、管理権等の権利を不当に害することは許されないといわなければならない。・・・」
 東京高裁須田判決は、暴論であり、欺瞞である。

 憲法は、その12条において、
 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
 と記している。
 「公共の福祉のために制限」出来るのではなく、その濫用を戒めつつ、「公共の福祉のために」積極的に利用することを求めている。

 「公共の福祉による制約」については、憲法はその第13条を受けて、以下の2つの条項にのみ明記している。
 第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
 第29条 ② 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
 この2か条であり、この2か条のみである。

 このことは、何を意味しているのか。
 例えば、
 27条 ③ 児童は、これを酷使してはならない。
 36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
 この2項について、「公共の福祉のためには」ある場合は、児童を酷使してもやむを得ない、又は、「公共の福祉のためには」公務員による拷問もやむを得ない、と言うのであろうか。
 先の高裁判決に倣うと次のようになる。
 「憲法27条3項、36条は、それを絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限に服することを是認するものであって、たとえ酷使や拷問を禁じていたとしても、それが他人の財産権、管理権等の権利を不当に害することは許されないといわなければならない。」

 ここまで書けば、自ずからすべては明らかであろう。
 「憲法21条 表現の自由」が問題とされるのは、それが「濫用」であるのか否か、「公共の福祉」のためにこれを「利用」しているのか否かの高次の観点のみである。
 決して、間違っても、他人の財産権とか管理権等の権利によって、「表現の自由」が問題とされることは憲法上あり得ない。
 まして、それによって「公共の福祉」を援用しつつ「制約」されるとあっては、憲法第3章の逆立ちである。
 倒錯した憲法解釈であり、「侵すことのできない永久の権利」「基本的人権」を国民に与えたくない邪まなる連中のまさに邪悪な物言いに他ならない。
 東京高裁須田判決は、邪悪な物言いである。

 第19条、第23条についても言うまでもないであろう。
 「思想及び良心の自由」「学問の自由」が、他人の財産権、管理権等の権利を害するゆえに「制約されうる」などと法廷で裁判官が語ったらそれこそ裁判官は嘲笑の的になるだけである。
 何やら、「公共の福祉」が「基本的人権」と対峙するかのような錯覚、欺瞞が世に蔓延している。

 憲法の言うところは、12条につきる。
 「国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」
 そして、その不断の努力こそが「公共の福祉」をより豊かなものとしていくと述べているのである。

 卒業式開式前約20分の時点での、約30秒間の挨拶及びコピー説明と約5秒間の呼びかけが何故に「威力」となるのか。
 「裸の王様」に「裸だよ」とささやく行為はまことに衝撃的であろう。
 「学校の卒業式」という教育の場に、日の丸を拝礼し、それに正対して君が代を起立斉唱するという国家忠誠宣誓儀式を強制的に持ち込もうと企んだ「露骨な権力」は、式20分前の「囁き」にも恐怖しかつ狂奔した。
 一切の批判を封殺し、教育の場をすべて「命令」と「従属」というロボット化・奴隷化工場、兵営の場にして行こうとする。
 学校で職場でそして戦場で、ただただ命令に従順な「忠良なる臣民」の育成である。
 行政・教育庁が公安と協力し検察・裁判官が一体となって批判を封殺し、口開く者は犯罪者となる。
 「世も末だ」 と言って嘆いていても始まらない。
 それこそ、「不断の努力によつて、これを保持」しなければ、社会はまた「特高が徘徊する拷問の時代」となるであろう。
2008,8,31、

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