《凱風快晴 ときどき曇り vol.79 『週刊金曜日』》
☆ 少子化対策をしない政府
内田 樹(うちだたつる・思想家)
厚労省が発表した人口動態統計によると、2023年の出生数は過去最少の75万8631人。
婚姻件数は約49万組、離婚件数は約19万組。この年のみで単純計算すれば、結婚した人たちの38%が離婚している勘定になる。これでは少子化が止まらないはずである。
どうすれば少子化を止めることができるか。
若者たちに手厚い支援をすればいい。医療を無償化し、大学院までの教育を無償化し、育児支援のための施設整備に惜しみなく予算を投じれば、少子化のぺースは確実に鈍化するはずである(そのことはフランスや北欧で証明されている)。
でも、政府にはそんな政策のために巨額の予算を投じる気はない。
先日、少子化対策担当相が国会答弁で官僚が準備した答弁を何度も読み違えることがあった。下読みさえしないで国会審議に臨むやる気のなさもさることながら、人口減という「国難的なイシュー」について自分の言葉で語ることができない人間を担当大臣に任用した点に岸田内閣の少子化問題についての「病的なやる気のなさ」が漏出している。
たぶん彼らは少子化問題に取り組むつもりはないのだろう。
たしかに少子化がこのペースで進むと、年金制度はもたないし、生産年齢人口の減少と市場の縮減をもたらす。そのせいで日本経済は衰退する。
とはいえ、日本の資本主義が滅びるとしても、それはまだだいぶ先のことだ。それまでの間にこの「泥船」から持ち出せるものはまだずいぶんたくさんある。「洪水はわが亡きあとに来たれ」というのは、わが政官財指導層の偽らざる本音だろう。
一つ注意しておかなければならないのは、彼らが人口問題に真剣に取り組む気がないのは、高齢化・過疎化によってしだいに地方が無住地になったとしても、それはそれで金儲けの材料になるかもしれないと算盤(そろばん)をはじいているからである。
汚しても反対なき土地に、今は過疎地にも一定の行政サービスは行なわなければならない。公共交通機関を維持し、上下水道やライフラインを確保しなければならない。
「過疎地に住んでいる人間は自己責任で不便に耐えろ」と揚言する論客はいるし、それは政府の本音でもあるが、それを公言することは憚(はばか)られる。公言すれば、地方での議席を失って選挙でぼろ負けすることが確実だからである。
だから、口先だけでは「少子化対策」とか「地方再生」とかいうお題目を唱えている。
だが、いずれ限界集落の住民が死に絶えて、そこが無住地になってしまえば、もう行政コストをかける必要がなくなる。
そればかりではない。無住地なら「住民がいるとできないこと」ができる。原発でも太陽光パネルでも風力発電用風車でも建て放題だし、産業廃棄物の捨て場でも放射性物質の捨て場でも作り放題である。そのせいでどれほど生態系が破壊されようと「地域住民の反対」というものがもうないのである。
人が住んでいないし、これからも住むことはない土地なのだ。どれほど汚しても誰も文句を言わない。
残った人々は都市に集住する。狭い土地に人がひしめき、見た目は今と変わらぬ都市生活が営まれる。求職者が狭い地域に押し込められれば、賃金は低いままに抑えられる。年金だって受給開始年齢を引き上げれば、払わずに済む。
労働力の不足は定年を迎えても年金がもらえない高齢者たちに死ぬまで働いてもらえば補える。
たぶん今の日本の政官財指導者たちはそういう「人口減シナリオ」を書いていると思う。政府の無策にも一定の合理性はあるのだ。
やがて日本人は国が破れたあとに帰るべき「山河」を失うことになるが、それを悲しむ日本人もいずれいなくなるのだろう。
『週刊金曜日 1464号』(2024.3.15)
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