皆様へ、日中友好と教育の自由のために〈中国通信1114〉を送ります。
重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。
*記事の中国語原文については大幅に(略)しています。全文を読みたい方はご連絡ください。
◆ 映画《母 小林多喜二の母の物語》上映(八王子・イチョウホール)
*小林多喜二が虐殺されたとき、魯迅は次のような追悼文を寄せた。(日本語訳:近藤)
“我?知道,我?不会忘却。”(我々は知っている。我々は忘れないだろう。)
“我?将?定地沿着小林同志的血路携手前?。”(我々は、断固として小林同志の血路に沿って手を携えて前進するだろう。)
今日、《共謀罪》が画策されている時、映画の中でも特高が“治安維持法に死刑が加えられた。”と恫喝したのを忘れない。(近藤)
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◆ 魯迅、お化けを蹴る
作者:?? 原文:『読者2016・19』(日本語訳の簡約:近藤)
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お化けは一体いるのか、いないのか?
見たという人もいれば、お化けと話したという、また、後を付けられたというもの、吊るされたお化けが人を見ると壁に張り付いたという、しかし、お化けを捕まえてみんなに見せた者はいない。
魯迅先生は彼が見たお化けの話をみんなに聞かせた。
“紹興で・・・”魯迅先生は言う、“30年前・・”
その時魯迅先生は日本から帰り、なんというかわからない学校で教え、夜は何もないとき友達のところで語った。
この友達の家は学校から数里(中国の1里は500メートル)のところにあり遠くなかった。
しかし、墓地を通り過ぎなければならず、時に遅くなり、11・2時になって学校に帰ることもあった。ある時、魯迅先生はとても遅くなり、空には大きな月が出ていた。
魯迅先生が帰路を急いでいると、遠くに白い影があった。魯迅先生はお化けを信じていなかった。
日本に留学して学んだのは医学でよく死人の解剖をし、20数体にものぼり、お化けが怖くないばかりか死人も怖くなかった。
したがって、墓地も怖くなく、いつも通り進んだ。
数歩もいかないうちに、白い影はなくなり、突然また現れ、時に小さくなったり大きくなったり、高く低くなり、お化けのようだ、お化けは変幻自在ではないだろうか?
魯迅先生は、少し怖くなり、一体進むべきか、引き返すべきか?もともと、学校への道はこの道だけではないが、これが最も近いのだ。
魯迅先生はさらに前に進み、お化けはどんなものか見ようとした。怖かったけれども。
魯迅先生はその時日本から帰ったばかりで、かたい底の靴を履いていた。
致命的な打撃を与えようと、白い影のそばに近づいた時、白い影は小さくなり、しゃがんで、1声も発せず、墓に寄り掛かった。
魯迅先生は、かたい靴で蹴った。白い影は、“おお”と1声叫び、立ち上がった。魯迅先生がしっかり見ると、なんと人だった。
魯迅先生は言う。彼は蹴った時、怖くて、もしひとけりで死ななかったら、反撃されると思い、全力で蹴った。
もともと、盗掘をしていたもので、魯迅先生はここで笑い出し、“お化けも蹴られるのが怖くて、ひと蹴りするとすぐ人になった。”
私は、もしお化けでも魯迅先生に蹴られるのはいいことで、人になる良い機会を得たのだから、と思った。
重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。
*記事の中国語原文については大幅に(略)しています。全文を読みたい方はご連絡ください。
◆ 映画《母 小林多喜二の母の物語》上映(八王子・イチョウホール)
*小林多喜二が虐殺されたとき、魯迅は次のような追悼文を寄せた。(日本語訳:近藤)
“我?知道,我?不会忘却。”(我々は知っている。我々は忘れないだろう。)
“我?将?定地沿着小林同志的血路携手前?。”(我々は、断固として小林同志の血路に沿って手を携えて前進するだろう。)
今日、《共謀罪》が画策されている時、映画の中でも特高が“治安維持法に死刑が加えられた。”と恫喝したのを忘れない。(近藤)
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◆ 魯迅、お化けを蹴る
作者:?? 原文:『読者2016・19』(日本語訳の簡約:近藤)
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お化けは一体いるのか、いないのか?
見たという人もいれば、お化けと話したという、また、後を付けられたというもの、吊るされたお化けが人を見ると壁に張り付いたという、しかし、お化けを捕まえてみんなに見せた者はいない。
魯迅先生は彼が見たお化けの話をみんなに聞かせた。
“紹興で・・・”魯迅先生は言う、“30年前・・”
その時魯迅先生は日本から帰り、なんというかわからない学校で教え、夜は何もないとき友達のところで語った。
この友達の家は学校から数里(中国の1里は500メートル)のところにあり遠くなかった。
しかし、墓地を通り過ぎなければならず、時に遅くなり、11・2時になって学校に帰ることもあった。ある時、魯迅先生はとても遅くなり、空には大きな月が出ていた。
魯迅先生が帰路を急いでいると、遠くに白い影があった。魯迅先生はお化けを信じていなかった。
日本に留学して学んだのは医学でよく死人の解剖をし、20数体にものぼり、お化けが怖くないばかりか死人も怖くなかった。
したがって、墓地も怖くなく、いつも通り進んだ。
数歩もいかないうちに、白い影はなくなり、突然また現れ、時に小さくなったり大きくなったり、高く低くなり、お化けのようだ、お化けは変幻自在ではないだろうか?
魯迅先生は、少し怖くなり、一体進むべきか、引き返すべきか?もともと、学校への道はこの道だけではないが、これが最も近いのだ。
魯迅先生はさらに前に進み、お化けはどんなものか見ようとした。怖かったけれども。
魯迅先生はその時日本から帰ったばかりで、かたい底の靴を履いていた。
致命的な打撃を与えようと、白い影のそばに近づいた時、白い影は小さくなり、しゃがんで、1声も発せず、墓に寄り掛かった。
魯迅先生は、かたい靴で蹴った。白い影は、“おお”と1声叫び、立ち上がった。魯迅先生がしっかり見ると、なんと人だった。
魯迅先生は言う。彼は蹴った時、怖くて、もしひとけりで死ななかったら、反撃されると思い、全力で蹴った。
もともと、盗掘をしていたもので、魯迅先生はここで笑い出し、“お化けも蹴られるのが怖くて、ひと蹴りするとすぐ人になった。”
私は、もしお化けでも魯迅先生に蹴られるのはいいことで、人になる良い機会を得たのだから、と思った。
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