アマゾンわんわん日記 2018

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ワールドカップの思い出 1994

2014年06月27日 | ブラジル雑記
1992年4月にブラジルに来た私が始めて体験したワールドカップは、1994年のアメリカ大会でした。
当時の私がサッカーについて知っていることと言えば、ゴールに入れば1点!ということぐらい。
ワールドカップがどんなものなのかも、正直言ってまったく知りませんでした。

アメリカ大会、ブラジルは順調に勝ちあがり、決勝はイタリアとの対戦。
本来の試合時間のほかに、延長時間も使い果たし、それでも0対0のままペナルティキック戦にもつれ込みました。
ブラジル、イタリアとも守りも堅く、お互いに互角のまま。
イタリアの主力選手バッジオの番。
これが決まったら、またPKのやりなおし?と思ったところに、まさかのバッジオのミスキック。



ボールはゴールをそれ、ブラジル優勝が決定しました。
アパートの窓と言う窓から舞い飛ぶ神吹雪。
すごかったわ!

そういえば、いまやっているCM(何のCMだったか忘れちゃったけど)でも、まだバッジオのこのときの姿がパロディのようにして使われているのよね。
知っている人しか笑えないだろう、これ?と思うのですが、くすっと、おかしい。
ブラジル人、執念深いぞ!

この年は確か、ロナウドがいた、ロマーリオがいた、べベットがいた!



ロナルドは17歳で最年少だったのよね、たしか。
今では見る影もないほどのおじさんになっちゃったけどね。
ロマーリオも若かったな~。
マラドーナにビーチサンダルのかたっぽを送るような人じゃなかったわよね。
(ブラジルのCMの話です。ごめんなさい。)
キーパーがタファエル。
かっこよかったな~。
あこがれたわ~。

この大会中にベベットの赤ちゃんが生まれて、「ゆりかごダンス」が流行ったのよ。



そういえば、今年の大会でもどこかの国の選手が「ゆりかごダンス」やっていましたよね。
昨年だったか、べベットが車のコマーシャルに出ていたの。
息子に「お前ももう18歳。最初の車は、これでいこう!」とか言いながら、息子に車の鍵を渡すのね。
これを見たときに「ええ~、あのゆりかごダンスの赤ちゃんが、もう18歳なのね~!!」って本当に驚いたし、なんだか感慨深かったわ。
本当に年月の経つのは早い...

このときのキャプテンはドゥンガ。



地味なキャラクターだったけど、好きだったわ。

この年の5月にアイルトン・セナが事故で亡くなったばかりでした。
選手達は開会式のときも、そして優勝したときにも、こんなふうに横断幕を掲げてセナとともに優勝を分かち合いました。



この優勝でブラジルは「テトラ カンピオン」(4回目のチャンピオン)になりました。
多分、セナさんもそのまま走り続けられていたら、この年に同じテトラ カンピオンになっていたはず...

この年に友人のところで生まれた子犬ちゃんの名前は「テトラ」ちゃん。
この年は、そんな名前のわんこによく出会ったな!
もうこの「テトラ」ちゃんも、この子を飼っていた友人夫妻も旅立ってしまいました。
あらためて20年と言う年月を感じます。

選手がブラジルに戻ってくる日、リオでも夕方の時間に消防車に乗って選手たちがパレードすると言うので、海岸沿いの我が家に友人たちが集まって、宴会をしながらまちかまえておりました。
しかし、待てど暮らせどパレードが始まる気配はなし。
みんな疲れきって自宅に引き上げ。
真夜中、周囲の歓声で「あっ、パレードがあったのかな?」とは思いましたが、すでに起き上がる元気もありませんでした。
その後の話によると、選手たちが山ほどのお土産を持ち帰ってきたために、通関にとてつもない時間がかかりパレードが遅れたということ。
そのお土産のほとんどが、電気製品等の耐久消費財(洗濯機とか冷蔵庫まであったって!)だったとか。
まだ、アメリカの冷蔵庫や洗濯機が憧れだった頃の話でした。
コメント (2)
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