日々雑記

政治、経済、社会、福祉、芸術など世の中の動きを追い、感想を述べたい

安倍首相の危険な70年談話  「侵略と植民地支配」を認めない談話は世界が認めない

2015-01-14 09:00:00 | 歴史問題

安倍首相が計画している「戦後70年談話」が話題になっています。

首相はこれまで公式には「村山談話」、「河野談話」を引き継ぐと言ってきました。しかし最近の首相の発言には明らかに違う方向が見えています。

まず気になるのは安倍首相の次のような発言です。「安倍内閣としては村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」

この「全体として」という言葉にはごまかしが入っていると私は考えます。これは「全体としては引き継ぐが、部分的には引き継がないところがある」という意味が含まれていると考えるからです。引き継がない部分があることで骨抜きにしようという意図が隠されているように思われます。

村山談話は「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました」としています。ところが、安倍首相は植民地支配や侵略を認めた部分を省略して談話を読み上げ、安倍政権の立場だと答弁しています(14年3月3日、参院予算委)。「植民地支配と侵略」は村山談話の核心部分です。これをかたくなに口にしようとしないところに首相の本音がみえます。

事実の問題に戻りましょう。

1931年に始まった「満洲事変」は関東軍(日本の軍隊です)が夜中に自分で南満州鉄道(満鉄)を爆破して、中国軍の仕業だと決めつけ、深夜眠っている中国軍を攻撃して戦争を始めました。これが関東軍の謀略であることは、当時現場近くの町奉天にいた日本の林総領事が外務大臣あてにうった電報からも明らかです。林総領事は、参謀本部の幹部が奉天にんり込んでいた事実を知らせています。また満鉄が保線工夫を派遣しても軍が立ち入りを拒否したと言っています。林総領事はこれらの事実をまとめて「今次の事件はまったく軍部の計画的行動に出でたるものと想像せらる」とのべています。日本の外交官の目にも日本の軍部が自分で爆破したに違いない、と見えたわけでです。この戦争行動に政府がお墨付きを与えたのが満洲事変でした。翌年には傀儡国家「満洲国」をつ作り上げました。中国の重要な領土を公然と略奪した完全な侵略戦争でした。

1937年の日中戦争はどうでしょう。北京近郊の盧溝橋で日本軍と中国軍の間で小規模な衝突がありました。現地では交渉で解決し停戦協定が結ばれました。しかし日本政府は停戦協定を無視して大量の軍隊を派遣しました。中国が屈服しなかったために長期戦になりました。日本は御前会議で決めた講和条件として「満洲国の正式承認」「北京を含む華北と内モンゴルを中国軍入るべからず、日本軍は駐留自由」「上海と南京を含む中支占領地域を中国軍入るべからず、日本軍は駐留自由」などの要求をしました。日中戦争も満洲事変に続く領土拡大のための侵略戦争でした。

1941年に始まった太平洋戦争は、開戦の前年1940年日本とドイツ、イタリアの間に結ばれた三国同盟から始まります。この条約はドイツ、イタリアがヨーロッパを、日本が東アジア・西太平洋をそれぞれ征服することを認め合って協力する条約です。この条約に基づいて東アジア・西太平洋地域への領土拡大を目指して実行に移したのが太平洋戦争です。この戦争は武力による領土・支配権の拡大、武力による他国の支配をめざす侵略戦争そのものでした。

ここに私が書いたことは政府の資料だけに基づいています。政府資料だけでも三つの戦争が侵略戦争であることは明らかあです。この事実こそが村山談話に言う「植民地支配と侵略」です。安倍首相のようにいい加減な言葉でごまかすことはできません。日本人はこうした事実に基づいて世界の人々と相対していくしかないのです。ごまかそうとすればするほど世界の人から見放されることになるでしょう。

この点で参考になるのはドイツの行き方でしょう。ドイツはヨーロッパの支配をめざして第二次大戦を起こしましたが、戦後誤りを認めて国の方針を決めました。そうして初めてヨーロッパの国々からも世界の人々からも受け入れられたのだと思います。日本も反省すべきは反省するという態度で世界に臨むべきではないでしょうか。たとえ侵略したのが自分自身ではなく先祖であっても。

 

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厚生労働省が計画する医療保険の大改悪ーー私たち一人びとりの問題です

2015-01-13 15:47:05 | 社会保障

厚生労働省は、9日医療保険制度「改革」案を発表しました。その内容は、老齢化に伴う自然増も含めて見直すという大改悪になっています。

「後期高齢者医療保険」の保険料値上げ、加入者の半数以上に

これまで低所得者には保険料の特例減免の制度があります。2017年度からはこの軽減措置を打ち切るというのです。制度がややこしいのですが、これまで「8.5割軽減」を受けていた人の保険料は2倍、「9割減免」の人は3倍にもなり、健保・共済の扶養家族だった人で後期高齢者保険に移った人は5~10倍もの負担増となります。

「特例軽減」を受けている高齢者は加入者の半数を超える865万人に上ります。特例とはいうものの、高齢者の半数以上が保険料の負担増になります。もともと年金が低いうえに消費税増税やアベノミクスによる物価上昇によって苦しめられている高齢者にこんな負担を増やせば「高齢者の貧困」をさらに深刻にするだけです。

もともと後期高齢者を切り離して「後期高齢者医療制度」を作ったことに問題があるわけで、高齢者を国民健康保険や健康保険に残したままで、低い窓口負担で医療を受けられる、もとの「老人保健制度」に戻すべきです。

入院給食費の自己負担が2倍に。現役世代にも負担増

後期高齢者ばかりではありません。現在給食費の自己負担額は1食260円です。厚生労働省の計画によるとこれを2倍近い460円に増額するといいます。65歳以上の高齢者が460円なので、不公平にならないために値上げするそうです。このセリフどこかで聞いたような気がします。そうです。世代間格差をなくすため高齢者にも負担をもとめる―――というセリフです。都合のいい時に高齢者を基準に現役世代の負担を増やしたり、逆に現役世代に合わせて高齢者の負担を増やしたり。ようするに高いほうに合わせようというご都合主義です。

紹介状なしで大病院受診は5千円~1万円

紹介状なしで500床以上の大病院を受診する際には5千円~1万円の定額負担を導入して、大病院受診を抑制しようとする計画です。

ヨーロッパ諸国では? 以前の日本では?

ヨーロッパ諸国では医療費の窓口負担は、全くないかあってもごくわずかです。

日本でも1980年代までは、健康保険で本人は無料、老人医療費も無料でした。
いつでも、どこでも、健康を害したときにはすぐ受診できる制度があってこそ国民の健康が守られるのではないでしょうか。

 

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月給は11万以上もあげられる!!  労働総研の春闘提言

2015-01-08 16:38:44 | 原発

労働運動総合研究所は昨日(1月7日)
先の利益ばかり追求する経営を改めさせ大幅賃上げを!―内部留保をこれ以上増やさないだけで月11万円以上の賃上げが可能-
と題する春闘提言を発表しました。その内容を紹介しましょう。(全文はここ



提言によりますと、企業の内部留保は2013年度末に何と509兆円を超えています。この額はGDP(国内総生産)を27兆円も上回るというのです。

しかも、まだ増え続け、増加額は1年間に42.8兆円だというのです。

それで、もともとの内部留保はそのままにしておいて、1年間の増加分を使うだけで、1ヶ月11万円以上の賃上げが出来るといいます。この計算では賃金を上げるだけでなく役員報酬や株主配当も賃上げと同じ率で引き上げる計算になっています。

注釈を付けておきますと、ここで内部留保というのは、税金、株主配当、役員給与等を全て支払った後の利益の蓄積です。このお金は本来、株主や従業員に配分されるべきものです。こんなにたくさん積み上げるのは、いくら資本主義だといっても、経済の正常な姿とは言えないと思われます。

2014年の賃金上昇率は1.4%でした。これでは消費税増税分3%の影響もカバーされていません。物価上昇と税・社会保険等の負担増から生活を防衛するためには、2015春闘において、少なくとも6.0%、1万8千円以上の賃上げが必要でだといいます。


同提言は最後に次のように述べています。

「いくら首相が要請しても、経営者が率先して自社の賃金を上げることはない。鍵を握るのは労働者のたたかいである。2015春闘は、生活改善だけではなく、本格的なデフレ脱却、経済成長をめざすたたかいであり、労働組合の責任が問われる春闘と言える。」

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年頭の思いーー大変な戦争体験、戦後体験を経てできた憲法を変えさせない

2015-01-04 16:17:47 | 憲法

明けましておめでとうございます。今年もご愛読のほどよろしくお願いいたします

私は15年戦争のさなか昭和10年の生まれです。小学生のころまで明治憲法のもとで生きてきました。忠君愛国を最高の美徳とし天皇のために戦死することにあこがれた軍国少年でした。それが当たり前だったのです。

昭和20年日本の敗戦。旧満洲(中国東北部)にいた私は世の中の急激な変化を体験しました。ソ連兵の進駐に始まり、中国の国府軍、中共軍を見ました。中国の解放戦争の市街戦にも巻き込まれました。そのなかで自分の考えがどんどん変化していきました。

昭和21年の秋は平和な時期でした。日本人の親たちが中国政府の許可を得て日本人の子供の学校を作りました。その時期でした。学校で日本国憲法の授業がありました。中国政府、蒋介石の命令だったと聞いています。この年の11月3日に発布された憲法を先生が謄写版で印刷してくれました。憲法が何なのかも知らない小学5年生の子供の柔らかい頭に憲法がしみこんでいきました。

昭和22年に帰国し、父母の故郷長崎の惨状を見ました。祖母や兄が原爆で亡くなったことも知りました。そうして中学校に入ると「新しい憲法のはなし」という国定教科書(このブログ2013-04-19に紹介してあります)がありました。今読み直してみてもよい教科書です。国民主権、戦争放棄、基本的人権など憲法の基本的な原則がやさしく述べられていました。この授業で、私が軍国少年から新しい価値観を身に付けた少年への転換が完了したと感じています。

太平洋戦争中から、戦後のさまざまな体験が積み重なって、憲法を受け入れる基礎が出来ていたのだと思います。

おそらく日本人の多くが私と同じように自分の体験から憲法を受け入れていったのだと思います。そのことが現在でもでも国民の間に強く残っている「憲法擁護」という考えの基礎になっているのだと思います。けっしてアメリカから与えられて、いやいや受け入れたというようなものではないと思います。自分の体験に基づく思想だからこそ70年たっても風化しないのだと思います。

この2年余りの間、安倍晋三首相は日本国憲法を骨抜きにするために暴走しています。しかし安倍首相がどんなに「ていねいに説明」してくれても、私はもう二度と自分の考えを変えないと思います。当時を体験した多くの日本人は、「もう二度と戦争をやりたくない」と考えていると信じています。

わたしは、二度と戦争を起こさないため、憲法をかえさせないため、ことしも私に出来ることをやっていきたいと思います。

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