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石田元社長ご逝去20周年お墓参りの記
LFを中心に当グループに数々の輝かしい足跡を残された石田達郎元社長。平成22年7月19日に永眠されて20年となる今年のご命日に、LF会及びポニーキャニオンOB有志が小平霊園へお参りしました。
LF会平山会長の呼びかけと小川事務局長のお世話で企画され、LF会ホームページとポニーキャニオンの同ページを中心とする案内によって参加された28名の皆さん。
梅雨明けで一挙に本年最高の猛暑日となったもののからりとした快晴の中、小平駅から霊園への参道を15分。 先に到着された小林吉彦元グループ代表のお迎えもいただいて、墓前で大先輩を偲びました。
墓前での平山会長のご挨拶のあと、会長にご持参いただいた石田さんゆかりの灘の生一本「白鶴」と「菊正宗」で、献杯。
2. 献杯酒の由来
昭和36年に関西総局(現支社)が企画し灘五郷酒造組合の社長会で設営されたLFプロモートのプレゼンテーションの場で、本社営業部長として一席ぶってもらった「石田節」が炸裂。
それが火種となって「ラジオを使わないと日本酒の世界は今にも無くなってしまう・・・・」という思いにとらわれた各社社長は、一斉にLFに眼を向け、灘の生一本各社が相次いで当社への出稿するところとなりました。
そのときLFのPRの場の設営に理解を示し協力してもらったのが組合幹事社であった白鶴と菊正宗。 共にレギュラースポンサーとして今も出稿の両者ですが、特に白鶴は、その後四十数年余、当社最長級の継続広告主として、LF現業によって今日尚立派に守られていることこそ、何よりの手向けかもしれません。
小林元会長の献花に続き、各自がお線香を手向け、それぞれの想いを捧げました。
墓参のあとは、小平駅前の蕎麦屋で昼食。いつも明るくおおらかだった石田のお父さんへの想い出話に花を咲かせました。
あの世の石田のお父さん。 聖なる墓前でいささか賑やかにしましたが、お赦し下さい。文責 高見 秀史
石田達郎20年回忌へのログインはこちら
⇒ http://photoget.jp/sys/UserRegister/GuestLogin.aspx?rid=BJBDKHNF
LFを中心に当グループに数々の輝かしい足跡を残された石田達郎元社長。平成22年7月19日に永眠されて20年となる今年のご命日に、LF会及びポニーキャニオンOB有志が小平霊園へお参りしました。
LF会平山会長の呼びかけと小川事務局長のお世話で企画され、LF会ホームページとポニーキャニオンの同ページを中心とする案内によって参加された28名の皆さん。
梅雨明けで一挙に本年最高の猛暑日となったもののからりとした快晴の中、小平駅から霊園への参道を15分。 先に到着された小林吉彦元グループ代表のお迎えもいただいて、墓前で大先輩を偲びました。
墓前での平山会長のご挨拶のあと、会長にご持参いただいた石田さんゆかりの灘の生一本「白鶴」と「菊正宗」で、献杯。
2. 献杯酒の由来
昭和36年に関西総局(現支社)が企画し灘五郷酒造組合の社長会で設営されたLFプロモートのプレゼンテーションの場で、本社営業部長として一席ぶってもらった「石田節」が炸裂。
それが火種となって「ラジオを使わないと日本酒の世界は今にも無くなってしまう・・・・」という思いにとらわれた各社社長は、一斉にLFに眼を向け、灘の生一本各社が相次いで当社への出稿するところとなりました。
そのときLFのPRの場の設営に理解を示し協力してもらったのが組合幹事社であった白鶴と菊正宗。 共にレギュラースポンサーとして今も出稿の両者ですが、特に白鶴は、その後四十数年余、当社最長級の継続広告主として、LF現業によって今日尚立派に守られていることこそ、何よりの手向けかもしれません。
小林元会長の献花に続き、各自がお線香を手向け、それぞれの想いを捧げました。
墓参のあとは、小平駅前の蕎麦屋で昼食。いつも明るくおおらかだった石田のお父さんへの想い出話に花を咲かせました。
あの世の石田のお父さん。 聖なる墓前でいささか賑やかにしましたが、お赦し下さい。文責 高見 秀史
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