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“生命〔いのち〕みつめて“ 大谷 英之・淳子ふたり展

2009-05-24 15:08:21 | PC 関係会社
“生命〔いのち〕みつめて“ 大谷 英之・淳子ふたり展


期間 6月11日〔木〕 ~ 17日〔水〕
場所 日本写真会館 5F
東京都新宿区四谷 1-7 電話 03-3351-2463 ファツクス 03-3353-3315


大谷 淳子

1937年、広島市に生まれる。1945年、小学校2年のとき、広島市内で被爆。1957年上京。大谷英之氏と結婚。写真家として公害問題や職業病を追求している英之氏の活動に接して公害のおそろしさを知る。現在、「先天性四肢障害児父母の会」の活動にも参加している


大谷 英之

1931年大分県由布市湯布院町に生まれる。1953年東京写真大学(現・東京工芸大学)卒業。1954年ニッポン放送入社。1964年同社退社後、フジテレビ入社。1986年同社退社。日本写真家協会会員。日本写真家ユニオン会員


写真集 読者評 「ありがとう大五郎」 (新潮文庫1997,5)

○ 何かを訴えかけるように見開かれた猿の瞳、動物好きの人ならそれだけで思わず立ち止まってしまう表紙のこの本は、障害を持って生まれた猿とその猿をひきとった家族の命の記録である。仮死状態で薮の中に転がっていたのを淡路島モンキーセンターに保護され、フジテレビに勤務していた大谷英之さんのもとへふとしたきっかけで引き取られることになった子猿。後肢はつけ根から全くなく、前肢も肘から少しついているだけの障害を持った大五郎は、二・三日しか生きられないといわれながらも、大谷一家のもと、特に母親の淳子さんの愛情を一身に受けて、二年四ヵ月の短い命の火を燃やし続ける。四肢に生まれつきの異常を持つニホンザルが初めて発見されたのは一九五五年のこと。以後発生状況は一九七○年前後の一○年間ほどが最も多く、その後減少し、全国的にはほとんど見られなくなった現在でも、淡路島だけは例外的に発生が続いているという。この四肢奇形の原因は突き止められていないものの、年代的な関係から、可能性として私たち日本人の生活形態が関与しているとも考えられる。輸入食品、農業問題、今私たちがじわじわと感じている環境問題の悪化など、小さな命の記録を通して、日常生活で不足しがちな感性をよみがえさせられ、考えさせられる。新潮文庫の100冊にも選ばれたこの本、是非一読されてみてはいかがでしょうか。(法学部4年 五十嵐美江子)

1977年、英之氏がカメラマンとして奇形の猿を追っていたとき、大分県の高崎山で仮死状態で発見された重度障害の子猿を家へ連れ帰ったことから、このドラマは始まったのです。
両足が脚の付け根からなく、両手も肘の先まで。とても長く生きまいと思われた大五郎でしたが、大谷一家の暖かい世話で2年4ヵ月彼は生き長らえました。
大学受験生の長女聖子、7歳の次女一世、4歳の末っ子の真穂。
大五郎はこの一家の中で末っ子として生きたのです。猿というより、人間の感性を持ってだという。
しかし、一方で彼の世話は非常な苦労を伴ったといいます。妻・淳子の後を常に追い、排泄をそこら中にし、真穂とは母親の愛情の取り合いをしたという。
そんな重度の障害を持ちながら、大五郎は寝返りを覚え、短い肘を使って這うことを覚え、ついには立つこともできたという。
娘達はそんな大五郎の姿を目にすることによって、常に努力することの大切さ、素晴らしさを学んだという。
しかし、現実にはそんな夢みたいなことだけで済んだわけではない。甘えたい盛りの真穂にとって辛いことも多かったという。元々病弱な妻は、大五郎の死後入院することになったとも言う。
ただ願うばかりは、大谷家の娘三人が、それぞれ大五郎との短い共同生活の中で何かしら大切なことを得ていてほしいと願うばかりです。
単なる読者である私でさえ、本書によって障害者を特別扱いしないこと、障害者の努力をあるがままに評価し応援することの重要さを学びました。
今後の社会での障害者問題を考えるに先立ち、読んでおきたい一冊です。

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